92.クロネを取り戻せ(1)
虚ろな目で双剣を構えるクロネが、ジリジリとこちらへ詰め寄ってくる。動きに迷いはない。まるで機械のように、私を狙っている。
「あいつを気絶させろ!」
背後から響いたのは男性の声。その手には、あの小さな鈴。澄んだ金属音が室内に響いた。
ピクリ、とクロネの耳が反応し、次の瞬間には彼女の歩調が早まった。
やっぱり、あの鈴が命令の鍵。
私は素早く部屋の構造と状況を把握する。狭い室内、燃えやすい内装、物の密度も高い。ここで火を使えば確実に火事になる。下手をすればクロネも、他の人も巻き込んでしまう。
魔法の力を抑える必要がある。けれど、完全に封じる必要はない。
ここは、魔力そのものの力で、あの鈴をどうにかしなければならない。普通の攻撃では意味がない。直接、根源を断つしか!
過去に一度だけ使った、自動で標的を追尾して攻撃する魔法。あれなら、狙いを外さずに確実に鈴を破壊できるはず。今の私にできる最善の一手だ。
私は素早く魔力を集中させ、頭上に球状の魔力の塊を形成する。そして、自分の強い意志を込めて命じた。
――撃て!
淡く光る魔力の弾が、空気を裂いて一直線に男性の手元の鈴を目がけて飛んでいく。
よし、これで――!
だが、その瞬間。
「クロネ!?」
弾の軌道に突然、黒い影が割り込んだ。クロネだ。彼女は表情を一切変えず、両手の双剣で魔力の弾を十字に斬り裂いた。
シュッ――!
魔力の弾が空中で霧散する。信じられないものを見たような気持ちで、私はその場に立ち尽くした。
「ちっ、妙な魔法を使いやがるな。クロネ、次は俺を守りながら、あいつを気絶させろ」
男の低く濁った声が響く。鈴が小さく震えると同時に、クロネの瞳がさらに色を失ったように見えた。
「……了解」
低く、感情のない声。まるで魂を抜かれたような返事。私の知っているクロネじゃない。優しくて、誰よりもまっすぐな、あのクロネじゃ――。
クロネは男を背にかばい、無防備な私に向けて静かに歩を進める。まるで、刃を隠しながら忍び寄る獣のように。
私は唇を噛んだ。泣きそうな気持ちを無理やり押し込めて、魔力を再び練り直す。
本当は嫌だった。心の奥で震えるような拒絶があった。だけど、私自身を守るためには仕方がない。魔力を集中させ、体の周囲に防御魔法を展開する。
光の膜が私をすっぽりと包み込んだ。これでクロネが攻撃してきても、大丈夫なはず。
そう思った、その瞬間だった。
――シュン。
空気が震え、目の前の景色が歪む。気づいたときにはもう、クロネが目前にいた。音もなく、鋭い双剣が、目にも止まらぬ速さで振り下ろされる。
「っ……!」
刃が防御魔法に弾かれた音が、耳の奥に鋭く響いた。だが、クロネは怯まない。まるで感情を失った人形のように、何度も、何度も、執拗に刃を叩きつけてくる。
バチィッ! ビィンッ!
魔法の膜が軋む。強靭なはずの防御魔法が、今にも崩れそうなほどに追い詰められていく。胸の奥がぎゅっと縮こまりそうになる。
「……やめてよ、クロネ!」
叫んでも、彼女の目は虚ろなまま。声は届いていない。
私は悔しさを噛み締めながら、視線を鈴へと向けた。あの男性の手元で揺れている、金属の鈴。あれのせいで!
「だったら……!」
頭上の魔力に意識を集中する。怒りと悲しみを混ぜたような魔力の波が、弾けるように広がった。そして、何発も、何発も、弾丸のように魔力弾が打ち出される。
――だが。
シュッ、と風を切る音がしたかと思うと、クロネの姿がふっと掻き消えた。そして次の瞬間――あの男性の前に、彼女が立ちはだかっていた。
「っ……!」
飛翔する魔力弾が次々とクロネに向かう。だが彼女は、信じられないほどの正確さで、双剣を振るい、すべての魔力弾を打ち消していく。
まるで、私の心までも斬られていくようだった。軋む胸を押さえつけて、魔力の弾を連射する。自分を奮い立たせるように、感情を押し込めて、突破口を探していた。
だけど——。
数を増やせば増やすほど、クロネの反応は鋭くなる。無機質な瞳が的確に魔力の弾を撃ち落とし、あるいは斬り払ってくる。その動きは機械のように冷たく、正確だった。
でも、処理しきれなかった数発が、クロネの腕や足をかすめていく。
「やめて……っ!」
傷つけたくない。私の攻撃が、クロネを、あのクロネを……。
ふらりとクロネの体が揺れる。白い肌に赤い傷が走るたび、私の胸が痛んだ。自分の魔法が、彼女の肉体を焼き、裂き、血をにじませている。
このままじゃ、ダメだ……! クロネを、私の魔法で傷つけてしまう!
胸の奥が締め付けられる。自分の放った魔力の弾が、彼女を削っている。それが耐え難かった。こんな戦い方、したくない。
私は咄嗟に、新たに魔力を練り上げる。強く、けれど繊細に――そしてそこに、明確な意思を乗せた。
真っすぐ飛び出した魔力の弾は、シンプルな軌道でクロネへ向かう。彼女は迷いなくそれを斬り払った。
けれど――それこそが、私の狙いだった。
斬られた瞬間、魔力の弾はふたつに割れ、それぞれがまったく違う方向へと軌道を変える。意思を持った弾は、大きく旋回し、クロネの背後へと回り込んだ。
「今だっ!」
私は叫び、すべての集中をあの鈴に向ける。男の手に握られた、あの異様な鈴。
割れた弾が、まるで導かれるように、男の腕をすり抜け――鈴を正確に、撃ち抜いた。
キィィィィン……!
甲高く、嫌な音を残して、鈴が砕け散った。
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