148.南方地方の旅路(1)
「あっ、見て見て! 看板が立っているよ!」
青空の下、ホバーバイクを走らせていると、道の先に大きな看板が見えてきた。
「……本当だ」
「近くに行って、見て見ようよ」
後ろに乗っていたクロネが体をずらして前方を確認し、サイドカーに乗っているランカが指を指した。
ホバーバイクを看板の前に止め、三人で降りて確認する。
「えーっと……あっ! ここから南方地方だって!」
「じゃあ、目的地に着いたって事?」
「目的地はドレイクフォード公爵領だから、まだ先」
ようやく、西方地方を抜けて南方地方までやってきたみたいだ。といっても、ロズベルク公爵領から出発してまだ十日くらいしか経っていないけど。
「じゃあ、この看板から南方地方か……。よし、あれをやろう!」
「あれ?」
「……あれ?」
「ほら、二人ともこっちに来て!」
看板の横に立つと、二人を呼び寄せる。二人は不思議そうな顔をして、私の両隣にやってきた。
「何をするんだ?」
「一緒にこの看板の向こう側に行くの」
「普通に行けばいいと思うけど?」
「境目を飛び越えると、楽しいから!」
「「楽しい?」」
何かの境目に来ると、特別な感情になる。その気持ちを満足させるためには、一つのイベントが必要だ。
「せーのっ!」
私は勢いよく地面を蹴って、看板の立つ境目を飛び越えた。靴底がふわりと土を離れて、わずかな浮遊感が体を包む。
「はいっ、これで南方地方に突入~!」
着地と同時に、両手を広げて宣言する。旅の埃まみれの服なんて気にならないくらい、胸がすっと軽くなる。
たった数十センチの境界なのに、なんだか世界が変わった気がして、思わず笑ってしまった。
「ユナ……今の、何?」
「ただ飛んだだけに見えたが……」
ランカが小首を傾げて、クロネが眉をひそめる。二人とも真顔だけど、私のテンションが伝わっているのか、少しだけ口元が緩んでいた。
「境目をね、飛び越えるの。そうすると、なんだか新しい自分になれる気がするの!」
「新しい……自分?」
「そんなにすぐ変われるわけがない」
「ここから先は南方地方だよ? だから、ここからは新しい旅の始まりってこと!」
私は笑いながら、二人の手を取った。どちらもあたたかくて、近くに感じる。こうすると、一緒という感じが高まって、とてもいい。
「じゃあ次は三人で一緒に飛ぼう!」
「……本当に飛ぶの?」
「……別にそんなこと」
「はい、飛びます!」
ランカが困ったように笑い、クロネが小さく息をつく。けれど、結局は二人とも私の隣に並んだ。
「せーの!」
三人同時に、地を蹴る。ふわりと浮かび上がると、影がひとつに重なる。それはほんの瞬間のことだったけど、まるで絆の証のように思えた。
着地した瞬間――。
「はい! 三人で同時に南方地方に入りましたー!」
なんだか、嬉しくなって声を上げてしまった。
「ただ、飛んだだけだよ」
「……さっき、ユナが先に一人で入っただろう?」
ランカが小さく笑い、クロネが呆れたように肩をすくめる。でも、その表情はどこか柔らかい。
「どう? 楽しかった?」
「んー、良く分からない」
「全然分からない」
「えー……」
笑顔で尋ねてみると、二人の反応が薄い。そんな、私はこんなにも楽しいのに!
「特別な感じがして楽しくない?」
「特別な感じ?」
「どんな感じ?」
「ほら、友達と一緒に行ったっていう感じ!」
そう言うと、二人の耳がピクッと反応した。これは多分、友達と言う言葉に反応したみたいだ。
「地方の境目を越えるなんて滅多にないイベントだからさ、友達と一緒に越えるって特別じゃない?」
「言われてみると……」
「……まぁ、そうか」
「だから、一緒に越えて楽しかったでしょ?」
繋がっていた手をギュッと握ると、二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、そういうことで」
「賛成」
「いや、それだと全然楽しさが伝わってこないよ! もっと、やったー! っていう感じに!」
「流石にそこまではないかな」
「ないな」
なんということだ、一緒に地方の境目を飛び越えたのに、一緒の楽しい気持ちになれないなんて。
友達として気持ちを共有したかったのに……。しょんぼりとしていると、繋がった手に力が籠った。
「でも、ユナが楽しそうにしていると、ランカも楽しくなるよ!」
「……あたしも」
「その……友達、だから。だから、友達が楽しくしていると、ランカも楽しい」
「……あたしも」
明るい声でランカが言うと、クロネが静かに同意する。だけど、そんなクロネを見て、ランカは少し怒った。
「もう! クロネはそれしか言わない。もっと、言葉に出して!」
「うっ……。あたしも、ユナが楽しいと……楽しい。と、友達……だから」
マントで顔を隠して、ポツリと呟いた。照れ隠しだけど、しっぽが揺れているから嬉しいんだと分かる。
まだまだ、友達になったばかりの私たち。けれど、三人の間に流れる空気は、日々を経て少しだけ柔らかくなっていた。
手を繋いだまま、しばらく風の音だけが耳に残る。その静けさの中に、言葉にはならない想いが溶けていた。
クロネもランカも、同じ気持ちなんだと思う。仲良くしたい。けれど、どうすればいいか分からない。踏み出す一歩の距離を、測りかねている。
そんな二人の気配が、伝わってきた。なら、私が引っ張ってあげればいいんだ。
「よーし、それじゃあ記念写真撮ろう!」
「き、記念写真?」
「だって、南方地方突入の瞬間だよ? ここは記録に残しておかないと!」
そう言って、魔力を手から出して、インスタントカメラを作成した。
「ほら、もう少し寄って!」
「こ、こうか?」
「ち、近い……」
「いいからいいから! 笑って、はいっ――チーズ!」
ぱしゃっ。光が瞬いて、三人の笑顔を閉じ込める。しばらくすると、インスタントカメラから写真が出てきた。
画面に映ったのは、ぎこちない笑顔の二人と、満面の笑みの私。その不揃いな感じが、なんだか愛おしい。
「ふふっ、いい写真撮れたよ!」
「わっ、なにこれ! ランカたちが映っている!」
「……どうなっているんだ?」
「まぁまぁ、詳しい話は置いておいて。これで、良い場面を残して、後で沢山見れるようになるよ。そしたら、楽しいことがいっぱい貯まっていくんだよ」
旅先でこんな風に写真を撮っていけば、楽しい思い出が増える。そしたら、きっと仲も深まっていくはずだ。
「……ねぇ、ユナ」
「ん?」
「次の町でも……こういうの、撮る?」
「もちろん!」
「……じゃあ、その時は、もう少し笑えるようにしてみる」
「……あたしも」
たどたどしくも、少しだけ仲を深めようとしてくれる二人。それがとても嬉しい。私だけじゃなくて、二人も距離を縮めてくれれば、きっともっと仲良くなれる。
「うん! 次はもっと楽しい写真を撮ろう!」
「約束、だな」
「うん。約束だよ!」
まだ、ぎこちない。けれど確かに、少しずつ仲が縮まってくれている。
私が笑えば、二人も笑う。その連鎖が広がって、やがて本当の友達になる。もっと、素直に友達を言える仲になれる日を願おう。




