146.一難去って
「おぬしたち、よくぞやってくれた! 今は難しいことは考えず、思う存分に食べて、飲んで、騒げ!」
バルドルが豪快に笑いながら声を上げた。
その目の前には、山のように盛られたご馳走。焼きたての肉に湯気の立つスープ、金の皿に並ぶ果実や菓子がずらりと並べられている。
「んっ、美味しい!」
「……本当に、これはすごいな」
「わあ……! なにこれ、こんなに柔らかいお肉、初めて食べた!」
思わず頬が緩む。噛めば肉汁が溢れ、口いっぱいに広がる旨味。疲れた体に染み込むような温かさに、自然と笑みが零れた。
「そうか、気に入ったか!」
バルドルは朗らかに笑い、力強く頷いた。
「まだまだあるぞ! 腹が破けるまで食べて構わん!」
その言葉に、場の空気が一気に明るくなる。大広間には笑い声が響き、テーブルの上には次々と新しい料理が運ばれていった。
ロズベルク領の危機を救った英雄として、私たちは公爵邸に招かれたのだ。
つい数時間までは命の危険と隣り合わせの戦いだったのに、今こうして温かな空間で食事をしているのが、なんだか夢のようだった。
みんなで美味しく食べていると、バルドルが真剣な目をしてきた。
「……ユナ、クロネ、ランカ」
静かに名を呼ぶ声に、私たちは姿勢を正した。
「改めて、礼を言わせてくれ。本当に感謝している」
その言葉に、場の空気が一瞬静まる。いつも堂々としたバルドルの声に、わずかに震えが混じっていた。
「おぬしたちがいなければ、我が領はあの怪物によって壊され、領民は皆、命を落としていた。三人が力を合わせて立ち向かってくれなければ、この結末は得られなかった」
バルドルの視線が、ひとりひとりに向けられる。その瞳には、偽りのない敬意と感謝の光が宿っていた。
「私は長く領を治めてきたが、このような恩義を感じたのは初めてだ。だから、どうか受け取ってほしい」
彼は立ち上がり、背後の侍従に合図を送る。運ばれてきたのは沢山のお金と褒章メダル。褒章メダルを数えてみると、四十枚。これで百三十三枚になった。
「これは領主としての正式な褒賞だ。おぬしたちは、ロズベルク領の恩人として永く名を残すことになるだろう」
重みのある言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
けれど、私はそっと首を横に振った。
「……そんな、大げさなことではありません。私たちは、ただ目の前の人たちを守りたかっただけです」
そう口にすると、バルドルは一瞬驚いた顔をしたあと、ふっと穏やかに笑った。
「そうか……おぬしたちは強く、そして優しい」
バルドルは深く頭を下げた。私達はその姿を見て、どうしたらいいか戸惑う。だけど、バルドルの態度は変わらない。
「この恩は、生涯忘れぬ」
その瞬間、拍手が沸き起こった。控えていた衛兵も、侍女も、料理人も、皆が笑顔で私たちを称えてくれる。それがただただ、嬉しかった。
◇
宴も終わり、私達は与えられた部屋でようやく体を休めることが出来た。私とランカはベッドに横たわり、クロネはベッドに腰かけている。
「みんな、喜んでいたね」
「あぁ。なんとか町を守れてよかったな」
「うん。一時はどうなる事かと思ったけれど、大事にならなくて本当に良かったよ」
「ユナが大事を起こしたけどな。怪物にトドメを刺しただけじゃなく、領民を助けて、町を直した。全く、ユナは規格外」
「だ、だって……困っているのを放っておけないよ」
クロネがフッと笑いながら、少しからかってきた。あの時の周りの反応を思い出すと、やりすぎてしまった感はある。でも、見捨てる事は出来なかったから、きっとあれが最善だった。
ふと、何も喋らないランカの事が気になった。隣を見て見ると、ランカはボーッと天井を見つめている。
「ランカ、どうしたの?」
「……えっ? うん……」
「何か嫌なことがあったか?」
「そ、そんなんじゃないよ。ただ……凄く嬉しかったんだ」
ポツリと言った言葉にランカの気持ちが籠っているような気がした。
「あんな風に感謝をされて、心がすっごく温かくなって、この感情って何だろうって思って……」
バルドルのように正面から真摯に感謝を伝えられたことが初めてだったみたいで、ランカは自分の心に驚いているようだった。
スラムで暮していたから、こういう人の感情に触れてこなかった。だから、こういう時にどんな風に思えばいいか戸惑っているようだった。
「それはね、ランカが人の役に立てたからだと思うよ」
私は穏やかに微笑んで、ランカの方へと体を向けた。
「誰かに感謝されるって、言葉以上に嬉しいものなんだ。自分がしたことが、ちゃんと誰かの力になれたんだって実感できるから」
「……ランカが、誰かの力に?」
「うん。ランカがいてくれたから、みんな助かったんだよ。ランカが必死に戦ってくれたお陰で、守れたものがある。だからバルドル様もあんな風に心から感謝したんだと思う」
ランカは少し目を見開いて、それからゆっくりと目を伏せた。
「……そんな風に言われると、なんか恥ずかしい」
「いいことじゃない。照れるくらいでちょうどいいの。だから、素直に嬉しいって言ってもいいんだよ?」
「……えへへ。ランカ、ちゃんと人の役に立てた。……ユナたちの役にも立てた?」
嬉しそうに笑った後、少し不安そうに尋ねてきた。あの時のような、切羽詰まった様子はない。少しずつ、ランカらしく生きている事を知って嬉しくなった。
「もちろん、ランカはちゃんと役に立ってたよ」
私は優しく微笑みながら、ランカの手を取った。
「ランカがいなかったら、怪物を倒すチャンスがなかったと思う。……だから、本当にありがとう」
「ユナ……。良かった、ランカは本当に役に立ったんだね」
ランカの瞳が潤んでいく。私はそっとその体を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。小さな肩が少し震えていたけれど、やがてその震えが落ち着き、安心したように私の胸元に顔をうずめてくる。
「もう、スラムの子じゃないんだよ。ちゃんと誰かを助けられる、優しくて強い子になってる。私はそう思うよ」
そう言うと、ランカの小さな手が服の裾をきゅっと握った。
「……うん。ありがとう、ユナ。なんか、心の中があったかい」
「それでいいの。これが誰かのために頑張れたって気持ちだよ」
ランカがほっと笑う。その表情があまりに柔らかくて、私まで胸がじんと温かくなった。
少しして、私はクロネの方に目を向けた。
「ねぇ、クロネもそう思うよね? ランカ、頑張ってたよね?」
急に話を振られて、クロネは少し目を逸らした。
「……まぁ、そうだな」
「そうだな、じゃなくて。ちゃんと言ってあげてよ」
「……うっ」
クロネは頭を掻きながら、少しだけ頬を赤らめた。
「ランカ……よくやった。……本当に凄いと思った。一緒に戦えて、凄く心強かった」
「ク、クロネ……!」
クロネの言葉にランカの目がぱぁっと輝く。そして、クロネに飛び掛かって、抱き着いた。
「なっ、何をっ!?」
「嬉しい、嬉しい! クロネに言われるの、本当に嬉しい!」
「べ、別にそんなに喜ぶこと、ないだろ……」
ランカが嬉しそうに耳を立ててしっぽをブンブンと振り、クロネは困惑したように耳をぴくりと畳みながらも、しっぽの先だけが小さく揺れていた。
その光景を見ているだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。二人が笑っている。それがたまらなく嬉しくて、気づけば体が勝手に動いていた。
「よしよし、二人ともよくやった!」
そう言いながら、私は勢いよく二人を抱きしめた。ランカが「わぁっ」と小さく声を上げ、クロネが「な、なんであたしまで……」と慌てる。でも、嫌がる様子はなくて、むしろどこか照れくさそうに息を詰めていた。
私は二人の頭を順番に撫でながら、ゆっくりと微笑む。毛並みが指の間をすり抜けるたび、ぬくもりが伝わってくる。心臓の鼓動が、三人分重なってそれが不思議と心地よかった。
「わぁ……ユナが頭を撫でてくれるの、嬉しい!」
「もう……仕方ないな。今日だけだからな」
そう言いつつ、クロネの尻尾は素直に左右へ揺れる。その小さな仕草が可愛くて、思わずくすっと笑った。
あぁ、こういう時間が、ずっと続けばいい。戦いも不安もない、ただ互いの存在を確かめ合って喜び合える夜がとても尊い。




