144.巨大な敵(2)
怪物が町の中に踏み込んだ瞬間、大地が悲鳴を上げた。地面が波打ち、家々の窓が震え、屋根瓦が落ちる。次の一歩で石畳がめり込み、亀裂が蜘蛛の巣のように広がった。
その時、怪物の腕が振るわれた。
空気が裂ける轟音。すぐに、石よりも頑丈な建物が横殴りに吹き飛ぶ。石壁が粉砕され、木材と瓦礫が空を舞った。衝撃波が通りを駆け抜け、看板や荷車をまとめて吹き飛ばす。
「なんだ、この化け物は!?」
「きゃあああっ!」
「逃げろっ、あっちへ逃げろぉ!」
人々が悲鳴を上げて走る。あっという間に、町はパニックに陥った。早く、この怪物を止めなければ。そう思っていると、怪物の足元に衛兵たちが集っていた。
「これ以上、好き勝手にはさせんぞ!」
衛兵たちが怪物たちの前に立ちはだかり必死に槍を構えるが、巨体の前では塵に等しい。突き出した槍がわずかに怪物の皮膚を掠める。だが、刃は浅く、弾かれた。
次の瞬間、怪物の腕が唸りを上げて振り下ろされた。風圧だけで地面が抉れ、砂塵が巻き上がる。狙いは衛兵たち。
「危ないっ!!」
私は咄嗟に防御魔法を展開した。防御魔法の結界が盾のように広がり、怪物の巨大な腕と激突する。
――ドガァァンッ!!
衝撃が空気を伝って周囲に広がる。地面が割れ、足が沈むほどの圧力。それでも、結界は破れない。
振り下ろされた腕は、透明な壁に押し止められ、寸前で止まっていた。火花のような魔力の残滓が弾け、空気が焦げる。
「今のうちに、下がって!」
衛兵たちが呆然としながらも後退していくのを確認し、私は息を整えた。その隙を逃さず、クロネとランカが前に出る。
「ここは私たちに任せて!」
私達の前には三十メートルもある怪物が睨みを利かせて立っている。
「こいつ……どうやって倒す?」
「ガンガン、攻撃を仕掛ける?」
「時間をかけたら、町が破壊されちゃう。だから、短時間で倒すよ」
これ以上、怪物の好き勝手にされたら被害が大きくなる。だったら、即行で倒したほうがいい。
そのためには、強い力で倒すのがいいのだけれど、強い力を使えば余波で町に被害が出るかもしれない。だけど、こんなに大きな敵を倒すには大きな力が必要だ。
余波で被害を出さないために出来る事……。そうだ、魔力を怪物の中に入れてから、変異させればいいんだ。そうしたら、怪物の中で魔力が魔法になって弾ける。そうなると、魔法の余波は町を襲わない。これだ。
「二人にお願いがあるの。しばらく、怪物の足を止めて。その隙に、怪物に沢山魔力を食べさせるから」
「それで、怪物が倒せるの?」
「うん、大丈夫。私に任せて」
「ユナの言葉、信じる。ランカ、行くぞ」
「うん! 怪物はランカたちで止めてみせるよ!」
二人に怪物の足止めを頼むと、力強い返事が返ってきた。その瞬間、空気がざらりと震える。
クロネとランカが並び立ち、獣のように身を低く構える。空気がひび割れるような威圧と共に、戦場の空気が一変する。
「ランカ、次は左膝だ。さっきよりも強い力で叩き込む!」
「分かった。全力の上……限界を超える!」
クロネの双剣が力を帯び、ランカの爪がギラリと光る。二人の威圧が絡み合い、閃光のような残光を残して地を蹴った。
その瞬間、地面が割れた。クロネが稲妻のような速さで走り抜け、ランカがその後を追う。怪物が迫る影に気づいて腕を振り下ろすが、二人は風のように掻い潜った。空気が裂け、巨腕の一撃が虚空を薙ぎ払う。
「はぁっ!」
クロネが左膝へ鋭く踏み込み、双剣を交差させて切り裂いた。残光が奔り、刃が金属音を立てて装甲を抉る。
ランカが続けざまに地を蹴り、鋭い爪を交差して繰り出す。
「ガァァッ!!!」
クロネが切り剥がした装甲に強烈な一撃。肉が裂け、血が噴き出した。その衝撃で怪物はとうとう膝を地面に付く。
今だ!
私は深く息を吸い、両手を突き出した。魔力が身体の芯から引き出され、激しい熱を帯びて指先へと集まる。怪物の口元を狙い、そこへ自分の魔力を叩き込んだ。
魔力が奔流となって怪物の喉奥へと流れ込む。吸い込まれていく感覚。自分の魔力が奪われ、絡め取られるような重い引力。だが、それでいい。私は怪物の内部に種を送り込んでいるのだ。
胃の奥に溜まっていく膨張の気配。私の魔力が怪物の腹の中で渦を巻き、溜まり、濃縮していくのがはっきりと分かる。
「……もう少し、もう少し溜めて……!」
視界が滲む。頭が痺れる。それでも私は魔力の流れを断たなかった。クロネとランカが繰り出す連撃が、怪物を釘付けにしている今しか出来ない。
そして、ついに――。
「よし! 怪物にありったけの魔力を詰め込んだ!」
魔力を大量に消費して体の芯が焼けるように熱い。視界の端が白く霞む。それでも、私は両手を怪物に向けたまま、魔力を流し込んだ。
内部に押し込められた魔力が膨張し、暴れ、牙を剥くのが分かる。膨れ上がる圧力が、私の魔力の感覚を通して皮膚を焦がすように伝わってくる。
「……暴れろ。爆ぜろ――!」
指先を弾くと同時に、詰め込んだ魔力が反転した。瞬間、怪物の腹の奥から轟音が響く。
――ドゴォォォォンッッ!!!
鈍い爆発音とともに、怪物の腹部が内側から膨れ上がった。空気が震え、衝撃波が辺りを薙ぎ払う。次の瞬間、怪物の皮膚に――ピシリ、と細い亀裂が走る。
「……ひび、入った!?」
その一本の亀裂は瞬く間に全身へと広がっていく。腕に、胸に、首筋に、背中に――。黒い巨体のあちこちに光が漏れ出し、内側から爆ぜようとしていた。
「グオォォォォッ!」
怪物が絶叫する。空が震え、鼓膜が破れそうなほどの咆哮。
そして――
――バァァァァァンッッ!!!
爆発。
内部に溜め込まれた魔力が制御を失い、四方八方へと弾け飛んだ。光と衝撃が一瞬で町を照らし、爆風が瓦礫を巻き上げる。
怪物の体表に走った亀裂から、濃い血が噴き出した。熱を帯びた赤黒い液体が地面に飛び散った。
「グオオオオオオオオオオォォォッ!!!」
怪物の絶叫とともに、巨体がのけぞり、両腕を天に突き上げた。その全身から血と破片が吹き飛び、まるで自らを裂くように爆ぜていく。鋼鉄のような外殻が破片となって宙を舞い、赤い光が弾け散る。
轟音が止んだあとには、膝をつく巨影が残っていた。怪物の体中には無数の亀裂が走り、黒い血がとめどなく流れ落ちていく。崩れ落ちる音が、静寂の中に響いた。
怪物は完全に沈黙した。巨体が地響きを立てて崩れ落ち、舞い上がる砂煙がゆっくりと静寂に沈んでいく。その余韻の中、クロネとランカが駆け寄ってきた。
「ユナ、やったな!」
「すごい、ユナ! 一撃で倒しちゃった!」
クロネに肩を叩かれ、ランカに勢いよく抱きつかれる。まだ体の奥が震えていたけれど、その温もりに、緊張が少しずつ解けていく。
「二人が引きつけてくれたおかげだよ、ありがとう!」
そう言うと、二人は顔を見合わせ、同時に笑った。気がつけば、あれほど荒れていた空気が嘘みたいに澄んでいる。焦げた匂いの中に、どこか爽やかな風が通り抜けた。
――勝ったんだ。
その実感が胸に広がると、体の力が抜けて、私はそっと膝をついた。遠くで衛兵たちの歓声が上がり、瓦礫の間から光が差し込んでくる。
それはまるで、神様が祝福してくれているようだった。




