142.レイナの本性
突如として現れた魔物達を殲滅し、魔物が出てきた黒い靄を雲散させた。危機に瀕していた町は救われ、この場にいた人たちは喜びの声を上げた。
「信じられん……。町を守るために結界を張ったばかりではなく、魔物も殲滅してしまうとは……」
その中でもバルドルが一番驚いた様子だった。未だに空を見上げて、信じられないと大きく口を開けていた。
「これで文句はないよね?」
「くぅっ……!」
胸を張ってそう言うと、レイナは顔をぐしゃりと歪めながら口どもった。だけど、往生際が悪いのか、歪めた表情を無理やりに整えるとバルドルにしだれ掛かった。
「バルドル様。今回の件は外部の人間が勝手にやったことですわ。これは元々、カリューネ教とオルディア教のどちらかが町を守る存在に相応しいか、見定めるための決闘。外部の人を戦わせるのはルール違反じゃありませんか?」
まさか、ここまで来て私達に不正があるような言い方をするとは思わなかった。これには、見守っていたクロネとランカが怒りの表情を見せる。
「お前たちだって、外部の人間を戦わせていたんじゃないのか?」
「約束を守れ! 勝ったのはランカたちだよ!」
「う、うるさいわね! こんなの無効よ! 正々堂々と宗教の人間が出てきて、戦うべきだわ。決闘はやり直しよ!」
言っていることが二転三転している。そんなレイナの言葉をバルドルがどう受け取るか心配していると、バルドルがレイナから離れた。
「……バルドル様?」
「この子たちはちゃんと約束を守っている。オルディア教の信者として出て、違反もなく決闘で勝った。それだけじゃなく、突如現れた魔物から見事町を守ってくれた」
「ま、町を守れたのは偶然ですわ。この子たちの力じゃありませんよ」
「偶然? それなら、オルディア神の信仰が強いという証明じゃないか。この子たちの事をオルディア神がちゃんと見ててくれていて、力を貸したという事じゃないか?」
「そ、そんなっ!」
バルドルは真剣に一つずつ整理してレイナに言い聞かせた。それはどれも私達に味方をするもので、レイナに負けを認めろと言っているようなものだった。
レイナはそんなバルドルの様子が信じられないといった様子だ。それもそうだ。今までは簡単に言う事を聞いていたのだから。
だが、町の危機を救った場面を見てしまったバルドルは、もうレイナにはかどわかされない。しっかりと、町を治める領主代理として自分の意見を通した。
「今回の件でこの町に必要な宗教は良く分かった。どうやら、オルディア教の方がこの町を守ってくれる力があるようだな」
「で、ですが! カリューネ教は国教なのですよ! もし、オルディア教のままなら、国から何を言われるか分かりませんよ!」
「そんなもの、どうとでもなる。大事なのは、我が領地のことだ。お前たちは帰れ」
そう冷たくあしらうと、レイナは絶望した顔になった。
ロズベルク領がカリューネ教に改宗となる目前でそれが無しになったのだから、そのショックは計り知れないだろう。だけど、これでこの土地がカリューネ教に奪われるのを回避出来た。
これで一安心。そう思っていると、レイナの表情ががらりと変わった。人の情が抜け落ちたように冷たい顔になる。
「……分かりました。この土地はカリューネ教に刃向かう、と言っているのですね」
今までと声色が違う。急変した尖った物言いに背筋が震えた。もしかして、これがレイナの本性?
レイナの唇がゆっくりと吊り上がった。その笑みには、もはや宗教の慈愛も聖職者の威厳もなかった。冷たく、鋭く、まるで氷の刃のように場の空気を凍らせる。
「いいでしょう。……この土地が、カリューネ教の加護を拒むというのなら」
淡々とした口調で言いながら、レイナは背後の神官たちに目配せした。彼らは一斉に頭を垂れ、低い声で祈りのような呪詛のような言葉を唱え始める。
「この決断を、きっと後悔なさいますわ。カリューネ教に背を向けた町がどうなるか――身をもって知れ」
神官たちの声が大きくなっていき、その後ろに黒い靄のような物が噴き出してくる。それは、とても大きくて高い。
「な、なんだこれは!」
異常な様子にバルドルは戸惑った。バルドルだけじゃない、他の人達も戸惑いが広がっている。
黒い靄の中心がぐらりと揺れたかと思うと、地鳴りのような轟音が響いた。次の瞬間、黒い靄を突き破るように、巨大な手が地上を掴み取る。地面がひび割れ、石畳が砕け散った。
「グルゥォォォォッ……!」
獣とも竜ともつかぬ唸り声が響き渡る。靄の奥から、黒紫色に光る鱗が次々と姿を現した。まるで夜の闇そのものが、形を持って現れたかのようだった。
まず見えたのは、太い腕。人間の胴を軽々と握り潰せそうな太さの爪が生え、漆黒の刃のように光を反射している。続いて、隆々とした胸板。岩のように硬質な鱗がびっしりと覆い、そこから発せられる瘴気が空気を歪ませた。
そして、ゆっくりとその顔が現れる。
巨大な角が二本、天を突くように伸びている。両目は血のように赤く光り、瞳孔は裂けたように細い。顎から覗く牙は大剣ほどの長さで、閉じるたびに金属が擦れるような音を立てた。
「ひぃっ……! な、なんだあれは……!」
「竜……いや、違う……もっと、禍々しい……!」
「か、怪物だ!」
誰かが震える声でそう呟いた。
怪物はその全貌を現した。体長およそ三十メートル。
黒と紫が入り混じった鱗が、日の光を吸い込むように鈍く輝く。背には無数の棘のような突起が並び、尾は建物ひとつを薙ぎ払えるほどの長さと太さを誇っていた。
その尾が一度、地面を叩く。
ドンッ――!
大地が揺れ、空気が震え、周囲の人々が一斉に悲鳴を上げて倒れ込む。
怪物は頭をもたげ、空を仰いで咆哮を上げた。その声はまるで、世界そのものを呪うかのように低く、重く、空気を震わせていた。
「グゥオオオオオオオォォォォォッ!!!」




