これからは《セドリック side》
どうする?講師の男性を説得してみるか?
でも、それで反感を買ったら?更に厳しいノルマを課せられるかもしれない……。
正直納得いかないが、素直にこの問題を解くしかないな。
黒板に書かれた記号や数字を見据え、俺は思考を切り替えた。
手元にある教科書も参考にしつつ色々な可能性を探り、何とか正解に行き着く。
「正解です。今日はもう戻っていただいて、構いませんよ」
講師の男性は俺の解答を聞くなり、速攻で授業を切り上げた。
『やっとですか』と言わんばかりに、溜め息を漏らしながら。
いち早く教室を出ていく彼の前で、俺も席を立つ。
これで、ようやく食事にありつける……。
もうすっかり暗くなった窓の外を一瞥し、俺はよろよろとした足取りで廊下に出る。
そして使用人の一人に食事をお願いすると、自分の部屋へ戻った。
と同時に、呆然と立ち尽くす。
「はっ……?何でこんな……今朝まで綺麗だった筈なのに」
散乱したものや汚れた床を前に、俺は目を白黒させた。
────と、ここで身綺麗な女性と歳の近い男子二名が姿を現す。
その手には、パンと牛乳を載せたトレイがあった。
「えっ、と……どちら様ですか?」
明らかに騎士や使用人とは違う風貌の三人に、俺は戸惑いを示す。
『お客様……では、ないよな』と狼狽える俺の前で、身綺麗な女性は眉間に皺を寄せた。
「誰が発言していいと言ったの?」
「えっ?いや……」
「全く……これだから、卑しい平民は」
忌々しげにこちらを睨みつけ、身綺麗な女性はギシッと奥歯を噛み締める。
「アンタも母親と同じように殺されれば、良かったのに」
「!」
「どうして、我が家にアンタみたいな不純物を招き入れないといけないの」
『不愉快でしょうがない』といった態度を取り、身綺麗な女性はクルリと身を翻した。
すると、歳の近い男子二人が食事を床に落とす。しかも、わざと。
「卑しい平民にはこれくらいがお似合いだ、部屋も食事も」
「間違っても、私達と同じ扱いを受けられると思うな」
足元に転がったパンを踏みつけつつ、歳の近い男子二人はこちらを嘲った。
かと思えば、女性のあとを追い掛けるようにしてこの場を去る。
バンッと勢いよく閉まる扉を前に、俺は膝から崩れ落ちた。
あの口ぶりからして、多分三人の正体はケイラー侯爵夫人とその息子達だろう。
だから、婚外子の俺を憎む気持ちは分かる……分かるけど────
「────こんな風に追い詰めなくたって、いいじゃないか」
靴の痕がハッキリ残ったパンや床に零れた牛乳を見やり、俺は涙ぐむ。
昨日から、ずっと邪険に扱われて……味方も居なくて、色々限界だった。
『誰か助けてくれ……』と切に願う中、
「────クソッ……!お前のせいで、妻の機嫌は最悪だ!投資も上手くいかないし……!」
ケイラー侯爵が、勢いよく扉を開け放つ。
例に漏れず、ノックの一つもなしだ。
「この疫病神が……!」
ケイラー侯爵は床に座り込む俺を睨みつけ、顔を歪める。
お酒を飲んでいるのか非常に顔が赤い彼は、大股でこちらへ近づいてきた。
「お前なんて、早く死んでしまえ……!」
怒りのままに声を荒らげ、ケイラー侯爵は俺を踏みつける。
何度も、何度も……気の済むまで。
痛い……痛い!
大人からの容赦ない暴力に、俺は半ばパニックになった。
ここまで手酷くやられるのは、初めてだったので。
息が出来なくなるほどの痛みに目を剥く俺の前で、ケイラー侯爵は顔を上げる。
「まあ、今日はこのくらいで許してやる」
疲れたのか、飽きたのか……ケイラー侯爵は部屋を出ていった。
徐々に遠ざかっていく足音を前に、俺は少しだけ体の力を抜く。
やっと終わった……さすがにもう何もないよな?────今日のところは。
『明日はどうなるか分からない』という現実に、俺は絶望感を覚えた。
「これからは、これが日常になるんだろうか」
誰かに無茶ぶりされて、虐げられて、傷つけられて……救いのない日々を想像し、俺は震撼する。
と同時に、ハラハラと涙を流した。
「どうして、俺ばかりこんな目に遭わないといけないんだ……」
グッと唇を噛み締め、俺はゆっくり起き上がる。
すると、部屋の惨状が目に入って……どうしようもない怒りを感じた。
「俺が何をしたって、言うんだ……!」
床に向かって勢いよく拳を叩きつけ、俺は顔を歪める。
「出自は親の責任だろう!?俺のせいじゃない!なのに、何で……!こんなの理不尽にも程がある!」
胸の内に秘めていた本音を叫び、俺は髪を振り乱した。
そして、これでもかというほど感情を爆発させると────
「これは明らかに不当な扱いだ!従って、俺には報復する権利がある!」
────純粋な悪意が芽生えた。
ただただ『ケイラー侯爵達の苦しむ姿が見たい』と思う俺は、おもむろに涙を拭う。
どこか思考がクリアになった感覚を覚える中、俺は真っ直ぐ前を見据えた。
「全員、絶対に後悔させてやる!」
────と、復讐を誓ったところで意識が現実に戻る。
足元に出来た血溜まりとケイラー侯爵の遺体を前に、俺はそっと目を伏せた。
「イザベラ皇帝陛下のところへ戻ろう」
半ば自分に言い聞かせるようにして呟き、俺は来た道を引き返す。
間もなくして、イザベラ皇帝陛下やヒックス伯爵令息の姿を視認した。
「お待たせしてしまって、申し訳ございません。復讐は無事に終わりました」
駆け足で彼らに近づき、俺はペコリと頭を下げる。
『ちなみに遺体はあちらにあります』と補足する俺の前で、イザベラ皇帝陛下は小さく頷いた。
「少しは気が晴れたか?」
「はい」
迷わず首を縦に振り、俺は満面の笑みを浮かべる。
非常に爽快な気分であることを示すと、イザベラ皇帝陛下はゆるりと口角を上げた。
「そうか。なら────これからは過去にも因縁にも縛られず、前だけ向いて生きろ」
「!」
当たり前のように未来を語るイザベラ皇帝陛下に衝撃を受け、俺は固まった。
というのも、復讐後のことを全く考えてなかったから。
それにケイラー侯爵を手に掛けた時点で、人生に大分満足してしまっていた。
別に自ら命を絶ったり不幸になったりするつもりはないが、だからと言って楽しく生きられる気もしていない。
人生を歩む上での目標を失ってしまったため。
でも、それは間違いで……まだあるのか?
ドクンッと大きく脈打つ心臓を前に、俺は黒い瞳を見つめ返す。
少しばかり表情を引き締める俺の前で、イザベラ皇帝陛下は腰に手を当てた。
「領地の運営とか勉学の習得とか、まだまだやることは山積みなんだからな。さっさと気持ちを切り替えて“今”に専念しなければ、体が持たんぞ」
『復讐の余韻に浸る暇など、ない』と説くイザベラ皇帝陛下に対し、俺は目を細める。
「はい、イザベラ皇帝陛下」
生きる意味を与えてもらい、俺は止まっていた時間が動き出すような感覚を覚えた。
その瞬間────本当の意味で、過去との決別を果たす。
もう後ろは振り返らない。明るい未来だけ見据えて、歩いていく。
『復讐とは違う、幸せを掴んでみせる』と奮起し、俺はどこまでも続く青空を見上げた。




