第五十五話・忖度される人
以前短期の非常勤でいたときの話です。そこは、有資格者が規定ぎりぎりの人数しかいず、局内の調剤はほぼ医療事務の子がやるところでした。調剤後は私を含める有資格者が交付すると言う形。しかも交付後に書く指導歴すら事務の子にやらせる。有資格者を高額で雇うよりは、医療事務をたくさん雇う方が経営上、儲かると考えておられたようです。
若い女性の事務員がひしめく調剤室で、ここは長期で働く場所じゃないと考えてすぐやめたのですが、今回はその時に経験した話です。そこに一人、有力者の娘さんがいました。Sさんとします。容姿もいいし性格がはっきりしておおらかな性格です。医療事務として雇われていました。有力者とわかったのは、代表者がそのSさんだけ態度が違うからです。それはもうあからさまでした。Sもまた調剤場で白衣を着ているものの、香水や派手なイヤリングをつけてきたり、髪をまとめずデートのような格好で仕事をする。容姿がいいことで無言で周囲に甘えているようです。いや、その自覚すらなかったのではないか。でも私は非常勤だし、注意する立場でないので、眺めているだけです。Sと私とは年が違い過ぎるのと、職種が違うので接点といえば調剤時だけです。
ある時、処方せんをみてある薬の在庫がないのがわかりました。急配といって卸さんに発注して急ぎで持ってきてもらおうとしていました。
発注に関しては医療事務の仕事ですが、私は実際に薬の置き場に行きました。私はパソコン世代でないうえに、パソコン黎明期から生きていた化石なので、パソコンの画面を全部信用してないところがあります。でもって、在庫の有無を確認したらちゃんとある。
要はパソコン内の在庫と現物との数があってなかった。ともあれ、急配をかけて患者さんに待っていただくと言うことはなしになりました。すると事務を締める事務長が「今週の入庫係はだれよ? 数があってないなんてちゃんと見てよ」 と怒っている。しかしSさんが私ですと手をあげると、トーンダウンして「そうですか」 となりました。事務長Sさん以外が手をあげていたら絶対に怒っていただろうに。一方Sさんも悪びれてない。普通に仕事をしています。
事務長が私より年下で、わりとおおっぴらになんでも言う人でしたが、容姿や身だしなみに関しては厳しい人でした。若い男性事務でかなり肥っていて汗かきというだけで、身だしなみにマイナスをつけてボーナスの査定に回したりするという。狭い調剤場でかさ高いし、本人も自覚がないのもダメだという。私が年寄りでよかったと思うぐらい厳しいことをいう。そんな代表でも、Sさんの服装や香水に関しては何も言わないし、言えない。そして誰も話題にしないし、できない。
一方特別扱いを受けているSさんは、その認識が一切ない。もちろん悪い人ではないのは、承知ですが、忖度される立場の人は得している損していると考えることもない。何よりも、「そういうことに無関心」 であることにちょっとした衝撃を受けました。
Sさんはその職場限定ですが、上司から怒られることや、周囲との調和を考えないでも仕事ができるし、尊重される。与えられた仕事に苦悩することもなく、安穏として仕事をする。もちろん休暇を取るときは周囲のことを考えずにSさんだけは取り放題。有休でないと給料が減るなど心配しなくてもいい人です。Sさんは見たところ向上心がなく、その親が社会経験を積むためにと頼み込んで入社させたとしか思えない。Sさん自身も、その状態が得かも考えることのない人生。
今回私は、Sさんが幸せとか、羨ましいとかで書いていないです。忖度をされながら仕事をしているが、その仕事自体も忖度されている人を見たのは初めてで、それを当然のように、いや、当然でなく普通に甘受しているSさんの優雅な仕草を見て、こういうことがお嬢様の社会経験になるのかと考えるものがありました。
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あえて有力者の家族であることを黙っている人がいます。その場合は、間違いなく一般社会の苦難や理不尽さを知っている肉親がいる。私の知人もそうで過去に親の家系のことで親戚から意地悪されたという経験をしている。でも今は立場が逆転して金持ちになった。でも黙っている。そして苦労してきたので忖度を受けるのも嫌がる。向上心がある人は普通そうです。Sさんは良いお嬢さんですが、働いているといえども上司や先輩に怒られる経験もなく、何も知らないまま幸せに生きていくのも、彼女なりの人生だろうなあと思う。




