第十五話・汲み取り差別の話
(トイレ話なので食事前後中の人は読むのを後回しにしてください)
水洗トイレが存在しなかった昭和時代での話。昔はトイレのことを厠、雪隠など呼び名がありました。語源はいろいろあっておもしろいので、ご興味あれば調べてください。トイレですが水洗でなかった時、農家であれば、くみ取って豚のえさや肥え(肥料のこと)に使っていました。そうでない場合は、汲み取り車が月に一度ぐらいの頻度で汲み取ってくれました。
私の幼いころは、消臭の概念自体がなく、汲み取り車が来たらすぐにわかりました。遠くにいても、強烈な排泄物の匂いがするからです。今回はその汲み取り車の話です。
汲み取り車の係員が作業しているときに、ご近所の人が己の子に「ちゃんと勉強せんと、あんな仕事しかないよ」 と諭しました。あんな仕事……作業員の人はそれを聞いて哀しく思いました。どうにも割り切れなかったのでしょう。「やめてくれ」 と言ったそうです。言った人は謝罪をせず子の手を引いて自宅に帰りました。作業員は気分が収まらず、勤務終了後に仲間を連れて「働いている人を貶めるのはやめてくれ」 と言いました。しかし、家に来るなんて怖い、と騒がれ警察沙汰になったそうです。
でもそもそもの元凶はその人の発言です。意固地になったらしく謝罪しなかったそうで、問題になりました。近所にもさすがに諫める人もいます。あからさまな差別話ゆえ、遠くまで噂をされるようになり、とうとうその人は誰にも言わずに一家で引っ越しされました。
これは昭和の四十年代の話で当人は母の知り合いでもありましたが、現在消息不明です。なぜ思い出したかと言うと、清掃業の人が同じような目にあったからです。掃除中、面と向かってある人が「あなたはそんな仕事をしていて、逆に気楽そうでうらやましい」 と言った……聞き間違えかと思って、黙っていたらもっと大きな声で「貧乏人だからそういう仕事しかないんでしょ」 と……。
お金があるから余計な苦労をしているのと言いたいのか……
言われた人は仕事を失くしたくないので、反論もせず黙って引き下がりました。通常はこうでしょう。同じ職業の仲間を連れて糾弾にいくことまではできない。そのままです。
普通に暮らしていて、普段から差別意識を持っている人はこういう形で人を傷つけます。でも見た目では誰もわからない。言われた人は「そう見られているのか」 と思えども立場が弱いこともあり、そのままになります。罪には問われなくても、私はそういうのも犯罪に値すると思っています。
この私とて例のクソ叔母たちからお寺への寄付金が少ないことを揶揄されたりもしましたので、忘れられない。でもやっぱり世間上では叔母たちの方が立場が上です。
精神的には私の方が叔母よりも、その人だって嫌味をいう金持ちよりも立場が上のはずです。でもそう思うだけでは解決しないし、ここに綴るだけでも解決はしない。思うだけ。そのままです。
天国と地獄なんていうものは貧乏人の為に作られた欺瞞だと言う人がいる。初めて聞いたときは極端が過ぎると感じましたが、最近は当たっていると思えてきました。
悪人も善人もそのままです。
今回は死刑囚が数十年も死刑にならず税金で暮らして天寿をまっとうしたというニュースを見て書きました。先の清掃業の人は実は患者の立場で、私にこの話を教えてくださいました。あちらは嫌がらせのつもりではないでしょうが、何度も言うことで心を病まれたのです。
繰り返すが汲み取り作業の人は仲間がいたので強かった。相手は反省したのかはわからぬが、その土地から黙って出て行った。
でもその清掃業の人はたった一人。私もJA関係のトラブルでは一人ぼっち。私は心を病みたくない。でもJがやったことで頭がいっぱい。つらいです。これを弱いと言うなかれ。精一杯です。
地獄なんて多分ないよ。死ねばおしまい。でも最低限の誇りは持っておきたい。最低限、他人を傷つけないという誇りを。
おそらくJは完全犯罪を確信して嗤っているでしょう。




