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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第3章

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第22話「日常㊳(御堂 聖、牧村 綾香)」

 ◆


 明後日か明々後日。


 思ったよりもずっと早い返事に僕は少しだけ安堵の息を漏らした。もちろんクロを通して二人が無事なのは分かっている。分かっているけれどやっぱり早く会いたいという気持ちは抑えきれない。この東京がこんな状況になってしまった今、離れ離れでいるのは不安で仕方がないのだ。


「ありがとうございます。助かります」


 僕が頭を下げると牧村さんは「気にしないで」と軽く手を振った。


「これも仕事のうちだから。それにこの前の借りを返せたと思えば安いものよ」


 そう言って彼女は少しだけ悪戯っぽく笑う。その表情は怪我人とは思えないほどしっかりしていて、彼女の回復力の凄さを改めて実感する。


 そこで僕はふと疑問に思ったことを口にした。この混乱した東京で情報を集めることができる組織。その実態が気になったのだ。


「あの、牧村さんが所属している救世会ってどんな組織なんですか? どんな人たちがいるのかとか……」


 僕の質問に牧村さんは少し考えるような素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。


「そうね……基本的には日本のカトリックの人たちを中心とした異能者グループ、というのが表向きの顔かしら。東京がこうなってから、信徒たちの安全確保と救済を目的に設立された組織よ」


「カトリック……」


 一種の宗教団体なのだろうけど、牧村さんからはあまりそういう雰囲気は感じられない。


「でも別にカトリック教徒だけで構成されているわけじゃないのよ」


 僕の表情を読んだのか彼女は補足するように続ける。


「今の東京には大小さまざまな群れというか、グループが点在しているでしょう? その中で、救世会は比較的規模が大きくて……」


 そこで彼女は一度言葉を切り、少し皮肉めいた笑みを浮かべた。


「『マシ』なグループだから、とりあえず所属しているって人たちも結構いるのよ。私もその一人だし」


「マシ、ですか?」


 僕はその言い方に少し引っかかりを覚える。まるで他のグループがマシじゃない──すごくやばいみたいな印象を受ける。


「そうね」


 牧村さんは僕の表情から考えていることを察したらしい。


「今、御堂君が考えていること、なんとなくわかるわ。他のグループについて考えてたでしょ? うん、なんというか……荒れている所が結構多い印象ね」


 荒れている。その言葉が、あの夜遭遇した阿弥陀羅の男たちの姿と重なる。


「例えば、不良外国人が中心になっている愚連隊みたいなグループもあるわ。彼らは日本人を襲って物資を奪ったり、時には人身売買まがいのことまでしているって噂よ」


「チャイニーズマフィアみたいな?」


 僕が映画で見たようなイメージで尋ねると、牧村さんはこくりと頷いた。


「まあそんな感じ。葛西、分かる? 江戸川区の。あの辺は東京がこうなる以前から大規模なチャイニーズマフィアの拠点があったんだけど、いまもまだ活動してたとしたらかなり危険かもね。彼らは容赦ないから」


 うへえ、と僕は内心でげんなりした。


 東京は異常領域とか怪異とかそういう人知を超えた脅威で溢れているのに、どうして人間同士でまで争わなくちゃいけないんだろう。もっと協力し合うべきなんじゃないか。そんな甘い考えが頭をよぎるけれど、現実はそうじゃないらしい。なんだか悲しくなってくる。


 あ、そういえば渋谷はどうなんだろう。


「そういえば渋谷は『S』っていう若い人中心のグループが、その、結構大きいって聞きましたけど……」


 すると牧村さんは、ああ、エスね……と少し難しそうな表情を浮かべた。何か問題のあるグループなのだろうか。


「あの子たちは──荒れているというか、まあ荒れてるのかな? ええと、なんていったっけ……そう、享楽的というか」


「享楽的?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「良くも悪くも楽観的なのよね。以前一度、エスのメンバーの子と話した事があったんだけれど。『何とかなるでしょ!』みたいなノリだったわ」


 牧村さんは少し呆れたように、でもどこか羨ましそうにも聞こえる口調で続けた。


「来る者拒まず、去る者追わず。その日暮らしで楽しく生きていこう、みたいな感じ」


 なるほど、そういう考えもあるか。


 この絶望的な状況の中で、そんな風に明るく生きていけるのは、ある意味すごいことかもしれない。悪いとは思わない。むしろ僕には真似できない強さだ。少なくとも阿弥陀羅やチャイニーズマフィアよりはずっといい。


 東京の勢力図が少しだけ見えてきた気がする。暴力的な集団、組織だったグループ、そして自由な集まり。色々な人たちがそれぞれのやり方で生き延びようとしている。


「さ」


 牧村さんが急に話題を変えた。


「私は結構情報提供しているつもりだけれど、御堂君は何かないの?」


 そう言って牧村さんは悪戯めいた笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んでくる。


 急な問いかけに僕は少し戸惑った。確かに色々教えてもらったし、僕も何か情報提供できればいいんだけれど……。僕が知っていることなんてたかが知れている。オカ研で集めた噂話くらいしか思いつかない。それに、お姉さんや傘の子のことは話したくない。


「僕が知っていそうな事で、何が知りたいですか?」


 結局そう聞き返すしかなかった。


「何でも聞いていいわけ?」


 牧村さんの目がきらりと光る。何でも、というわけではないけど、僕は曖昧に頷いた。


 何を話していいかわからなかったからと言うのもある。でも──それだけじゃない。


 こうして話していてなんとなく感じた事なのだけど。牧村さんには僕に確かめたい事がある──そんな気がしたのだ。


 何を確かめたいのかは分からない。その感覚に根拠があるのかっていったら全くないんだけれど。でももしそうなら、ちゃんと向き合った方がいい。それがフェアだ。


「答えたくない事はきちんとそう言うので、牧村さんが知りたい事を聞いてくれて構いません」


 僕がそう言うと牧村さんは少しだけ驚いたような顔をして、それから真剣な表情に戻った。


「そう……分かったわ。じゃあ、遠慮なく聞かせてもらうわね」


 牧村さんは一度深く息を吸い込んで僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。その瞳には僕の心の奥底まで見透かそうとするような強い光が宿っている。


「あの夜のこと、聞いてもいいかしら」


 ──やっぱりそこか


 僕は内心で身構えた。いつかはこの話をしなければならないと思っていた。でもいざ聞かれると、どこから話せばいいのか、どこまで話していいのか迷ってしまう。


「あの傘……あれは、あなたの異能なの?」


 牧村さんの声は静かだったけれど、その響きには確信めいたものがあった。あの光景を見ればそう思うのは当然だ。


 僕は少し考えてからゆっくりと口を開いた。傘の子のことなら、少しは話してもいいかもしれない。


「僕の異能、というよりは……僕を守ってくれる存在、みたいな感じです」


 我ながら曖昧な答えだ。でもそれが一番近い表現だった。


「守ってくれる? あの傘に、意思があるの?」


 牧村さんが少し眉をひそめる。


「はい。僕が危なくなると、勝手に出てきてくれるんです」


 そう答えると牧村さんは何かを分析するように顎に手を当てた。


「勝手に……。それは、あなたが使役しているわけではないということ?」


「使役なんて、そんな大層なものじゃありません。ただ、一緒にいるだけです」


 そう、僕と傘の子はそういう関係だ。主従関係なんてない。ただお互いにそこにいるだけ。


「一緒にいる……」


 牧村さんは僕の言葉を反芻するように呟いた。その表情からは彼女が何を考えているのか読み取れない。


 そして彼女はさらに核心に迫る質問をしてきた。


「あの傘以外にも、いるの? あなたを守ってくれる存在が」


 ドキリとした。心臓が大きく跳ねる。


 お姉さんのことだ。あの時、尾崎の首をへし折ったのはお姉さんだ。牧村さんもきっと何かを感じ取ったに違いない。


 でも、お姉さんのことは話したくない。誰にも知られたくない。僕だけのお姉さんでいてほしい。これは僕のわがままだって分かってる。でもどうしても譲れない一線だった。


 クロのことも、まだ話すのは早い気がする。


 僕は牧村さんの目を見返して、はっきりと言った。


「……それは、答えたくないです」


 僕の拒絶に牧村さんは少しだけ目を見開いた。でも、すぐに穏やかな表情に戻る。


「そう。分かったわ。無理に聞こうとは思わない」


 そう言って彼女は少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「でも、これだけは覚えておいて。あなたの力は、あなたが思っている以上に強大で、そして──」


 牧村さんは一度言葉を切り、僕をじっと見つめる。


「危ういわ」


 危うい。その言葉が僕の胸に重くのしかかる。


「どういう意味ですか?」


「あなたは自分の力をコントロールできていない。それは、自分自身だけでなく、周りの人間をも危険に晒す可能性があるということよ」


 牧村さんの指摘は的を射ていた。確かに僕は傘の子やお姉さんの力をコントロールできていない。彼らがいつ出てくるのか、何をするのか、僕には分からない。


「でも、彼らは僕を守ろうとしてくれてるだけなんです」


 僕は思わず反論した。


「その『守る』という行為が、他者にとっては『攻撃』になることもあるのよ」


 牧村さんは淡々と告げる。


「あの夜、もし私があなたに敵意を向けていたら、私もあの男たちと同じように殺されていたかもしれない。そうでしょう?」


 その言葉に僕は何も言い返せなかった。確かにそうだ。もし牧村さんが僕を傷つけようとしたら、傘の子は容赦なく彼女を攻撃しただろう。お姉さんだってきっと黙ってはいない。


「あなたは善良な人間だと思うわ、御堂君。でも、その善良さが、あなたの力の危険性を覆い隠してしまっている」


 牧村さんの声は厳しかったけれど、そこには僕を心配してくれている響きも含まれていた。


「だから、私はあなたに協力したいの。あなたの力を理解し、コントロールする手助けをしたい」


 協力……?


「でも、どうやって……」


「まずは、自分を知ることよ。あなたの周りにいる存在が何者なのか、何を求めているのか。それを理解することから始めましょう」


 牧村さんはそう言って僕に手を差し伸べた。


「私を信用してとは言わないわ。でも、利用するつもりで構わない。私は救世会の情報網を使えるし、異能に関する知識もある。あなたの力になれるはずよ」


 利用する。牧村さんらしい現実的な提案だ。


 僕は少し迷ったけれど、彼女の手を取った。


「……よろしくお願いします」


 僕がそう言うと牧村さんは満足そうに頷いた。


「ええ。まずは、あなたの保護者さんの情報が届くのを待ちましょう。それからゆっくりと話をしていけばいいわ」

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