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56.熾火の跡 -3-

 俺がそう言うと、ジルムーン王女はふぅとため息をついた。


「アヤトは絶対に頷かないと思っていたの」


 俺の答えは、王女には予想済みだったらしい。


「ジルムーン……」


 残念そうな王妃に王女はふわりと微笑んでみせた。


「諦めてくださいませ、お母様。()()()()はっきりわかりました。アヤトは、ジルのことをこれっぽっちも異性として見てくれていないのです」


 ジルムーン王女の言う「あのとき」とは、俺が彼女を助けなかったときのことで間違いないと思う。


 例えば、あのとき斬られかけていたのがカナハ嬢であれば、俺は何も躊躇わずに助けに入っただろう。カルカーン王子を追い詰めることよりカナハ嬢を助けることのほうが、俺の中での優先順位が高いからだ。


 でも俺はそうはしなかった。カルカーン王子に斬られかけていたのがジルムーン王女だったからだ。


 あのとき俺は、ジルムーン王女を助けることよりも王子への復讐のほうを優先した。


 そして王女は、自身の真なる力によって俺の内心を実に正確に読み取った。


 申し訳なくうつむきがちに頷くと、王女がふふっと笑い声をあげた。


「……それからね、アヤトの好きな人が誰なのかもわかってしまったの。あの方はね、なまじその辺りの殿方より頭がよくていらっしゃるし、実はとても頑固な方なの。カルカーンお兄様はああだから、折り合いが悪いことなんて最初からわかりきっていたのに」


 ……え。なんで。この子は、いきなり何を。


「一筋縄ではいかないし、とっても手強いと思うわ。だから、頑張ってね、アヤト」

「は、はい……?」


 よくわからないまま、頑張ってねと言われた流れで頷いてしまった。


 いったい何を頑張れと言うのだ。俺はもうここではない場所へ行くのに。


 混乱して食べているものの味がしない。あまりにいたたまれず、食事が終わると逃げるようにその場を辞した。


「お姉様もきっと……」


 辞去した際、扉の向こうから王女のそんな声が聞こえたが、きっと、……何なんだ?


 勝手に盗み聞きしているのは俺なのに、思わせぶりなことはやめて頼むから最後まで呟いてくれ、と言いたかった。




 王子と椎葉が移送される日は、あっという間にやってきた。


「時間だな。行こうか」


 ユキムラが仕事の手を止めて言う。見れば、確かにそろそろ神護の森に行かないといけない時間だった。


 けっこうな荷物を背負って執務室を出る。ニースダンの塔まで、行きは神奈備を使うので一瞬だが、帰りはそうもいかない。まともに帰ってこようとすると、半月ほどかかる計算だ。半月分となると荷物はそこそこかさばる。


 ……まあ、もう帰ってくるつもりはないのだが。


 ユキムラと並び、回廊をぐるっと回って神護の森へ向かう。その途中、ばったりとカナハ・ローレン公爵令嬢……では今はなく、公爵家当主代理と出くわした。


「お久しぶりです」


 ユキムラが声をかけたことで、こちらに気づいていない様子だったカナハ嬢が俺たちを振り返った。


 その拍子に亜麻色の髪が揺れ、銀色の髪飾りがあらわになった。


 銀色。


 口から心臓が飛び出しそうになった。


 意識がそちらに吸い寄せられる。


 銀色の……例の三日月とケープルビナの髪飾りが、彼女の髪の上できらきらと輝いていた。


 俺の食い入るような視線に気がついたのか、彼女はほんのり苦い微笑みを浮かべ、目をそっと伏せた。


「お久しぶりです、ユキムラ様、アヤト様」

「神護の森ですな。一緒に参りましょう」

「ぜひ」


 そんなような挨拶を交わして、カナハ嬢とユキムラは歩いていく。


 彼女の後頭部には間違いなくあの髪飾りがへばりついている。


 ……どういう意味なんだろう。


 彼女は聖花祭のときにあの髪飾りをつけてきてくれなかった。そしてすべてが済んだあと、やはり国を捨てられないと言った。


 俺と顔を合わせることになるとは思っていなくて、今朝掴んでつけてきたものがたまたまあの髪飾りだったとか?


 あるいは俺が来ることを知った上で、別に他意なくつけてきたとか。


 どっちだ。


 ……いや、どちらでも同じことか。


 聖花祭のとき、彼女はあの髪飾りをつけてこなかった。それがすべてだ。


 ため息をかみ殺し、二人のあとを追う。


 関係者のほとんどはすでに神護の森、神奈備の前に集まっていた。その中には王妃と王女の姿もある。


 残るは牢から直接連れてこられるカルカーン王子と、北の宮に閉じ込められていた椎葉だけだ。


 カルカーン王子が先に現れた。白の簡素な上下を身に着け、後ろ手に拘束されているようだった。


 王子の竜眼がギロリと睨めつけてくる。俺は、それをなんともないような顔で見返した。


 これから王子がどのような生を送ることになるのか聞いたからだろうか、そんなふうに睨まれても王子に対して怒りがこみ上げてくることはなかった。


 俺の中の熾火は完全に燃えつきて、どうも消えてしまったようだった。


 次いで、椎葉が姿を見せた。


「──やだっ! 修道院になんて絶対行かないんだから! 学校も卒業できてないし、なんでそんなところに行かなくちゃいけないの? 私、何も悪いことしてないのにっ」


 ヒステリックに喚いている声が、こちらにまで聞こえてくる。椎葉が平静を欠いているのは明らかで、周囲の人間がことごとく眉を寄せた。


「あ、礼人くん! 私のこと助けにきてくれたの? 考えなおしてくれたんだね! だって私、修道院に行かなきゃいけないようなこと、何もしてないもんね。カーンたちが勝手に……」


 そこまで言ったところで、椎葉はすぐそこにカルカーン王子がいることに気がついたようで、はっと口を閉ざした。


 もう遅いと思う。今のは確実にこの場の全員に聞こえていた。


「サクラ……」


 カルカーン王子が、まったくの無表情で椎葉を見ている。


「だ、だって、こんなことになるなんてちっとも……。カーン、なんとかしてよ。この国の王子様なんでしょ。みんなにこんなの間違ってるって言ってよ!」


 その表情にやや怯みながらも椎葉は懸命に訴えた。


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