54.熾火の跡 -1-
カルカーン王子は正当な後継者を傷つけた罪人として、レオたち王子の側近は騎士に付き添われ、肩を落としてホールを出て行った。
最後に椎葉も同様に。
俺はカナハ嬢や王妃、他の招待客たちと一緒にその姿を見送った。
俺を呼ぶ声があった。
「……あの、アヤト様」
振り返らずとも誰だかわかる。カナハ嬢だ。
「助けてくださってなんとお礼を申し上げていいのか。本当にありがとうございます。それから、髪飾りのことを……」
彼女にしては珍しく言い淀んでいる。振り返ると、何か痛みに耐えているような表情の彼女が立っていた。
「……私は、やはりどうあってもこの国を捨てられないのです。王女殿下が立太子されるとはいえ、アンゲラ教国がすぐに認めるかどうかわかりません。陛下はあのご様子でいらっしゃいますし、当分国内は荒れるでしょう。これを機に諸外国が再び動くやもしれず、矮小な身ではありますが私も一貴族として国を支えねばなりません」
俺は無言で頷いた。
わかっていたことだ。この人は、俺とはあまりに違う。
着の身着のまま、何も持たずにこの国にやってきてしまった俺とは、文字どおり住む世界が違う。矮小な身と恐縮してはいるが、公爵家のご令嬢で……いや、今となっては当主と言ってもほとんど差支えのない立場の人だ。
そう簡単に国を捨てられるわけがない。この人は、そういう人だ。
俺とこの人が結ばれる未来はない。
わかっていたことなのに、胸が痛む。
俺はそっと目を伏せた。
ややあって、カナハ嬢が口を開く。
「もし、あなたさえよければ──」
彼女が何を言おうとしているのか、最後まで聞くことはできなかった。
「ローレン公爵令嬢」
見覚えのある事務官がひとり、彼女を呼んでいる。
「ルナルーデ王妃殿下が、レナル・ローレン公爵のことで至急相談されたいと仰っておいでです。こちらへ」
「妃殿下が?」
カナハ嬢がちらりとこちらを見た。
俺と王妃の用件、天秤にかけるべくもない。当然、彼女は王妃と話をするべきだ。
「……どうぞ、行ってください」
「近く、お話する機会をくださいませ」
俺は明確な返答を避けた。無言のまま目顔で事務官を促し、二人から視線を逸らした。
半壊したホールには、俺と神様だけが残った。
あまりにも多くのことが、たった一晩で変わったと思う。
カルカーン王子の婚約が破棄された。
代替わりしたばかりの新ローレン公爵は、未遂ではあったものの竜の巫女殺害を企図したとして失脚。
竜神スヴァローグがうん百年、下手をすれば一千年ぶりに現し世に降臨し、同時にカルカーン王子ではなくジルムーン王女が後継者に選ばれた。
城下もとんだ騒ぎになっているだろうと思われたが、ケープルビナのランタンは間断なく飛ばされている。
その絶えることのないランタンの灯りを、すっかり見晴らしと風通しのよくなったホールから見下ろす。
「気は済んだのか」
「……そうです、ね」
済んだのだろうか。
ぽっかりと胸に穴があいたような気分なのは、ここのところずっと中心に居座っていたものがなくなってしまったからか。
あとに残るものといえば、カルカーン王子に対する王妃の采配が手ぬるいのでは、という疑問だけだ。
それ以外は、本当に何もない。
「ローレン公爵家は彼女が一時的に当主代理になるようですし……。彼女もそのうち婿でも取られるでしょう。俺の出番はもう……」
話したいことがあると言っていたが、彼女について俺ができることは、正直もうないと思う。
「あの娘っ子についてはもう少し粘れと言いたいところだが、今のお主には酷であろうな」
珍しく神様が俺を慮るようなことを口にしている。
「くたびれきっておるではないか」
神様からはそのように見えているらしい。
言われてみれば確かに少し疲れているかもしれない。俗に言う燃えつき症候群というやつだろうか。
「……今日は、十分すぎるくらい好きにやらせてもらいました。誰かのためとか誰かのせいじゃなく、俺は自分のやりたいようにやりました。みんな自分の好きなようにしているんだから、俺だってちょっとくらいは好きなようにしていいと思って」
迷いはもうない。
俺がこのあとも自分のしたいように──例えば、王子の牢に行って暗殺したとしても、以前ユキムラが言っていたようなことにはならないと思う。
というか、ユキムラは仇討ちを終えた俺が自殺でもするんじゃないかと危惧していたが、そうしようとしたところで簡単には死ねないはずだ。
あれだけバッサリ斬られても、痛いと思う間もなく綺麗に治ってしまったんだし。
そもそも俺は今後普通に年を取れるんだろうか。
……そういえば、ユキムラは何歳なんだろう。エルクーン国王と同様、あの人も見た目どおりの年齢ではないはずだ。
そんなことを考えつつぼんやりと呟く。
「ああ、だけど今はよくないか。ジルムーン王女が即位されたら、殺しに行こうかなあ……」
国内がゴタゴタしているこんなときに王子が暗殺されたら、落ち着くものも落ち着かなくなりそうだ。そうなれば彼女に迷惑がかかる。それは、よくない。
暗殺するにしても少し様子を見て、落ち着いてからだな。
そのあとは、どうしようか。せっかく異世界に来たのだし、この世界を見て回ってみようか。
異世界キャンプ旅。とても楽しそうだと思う。
「旅でもしながら、元の世界に帰る方法がないか、ないならせめて家族に連絡だけでも取れないか、調べてみようかなぁ」
それはそれでいいことだ。今の俺にはきっと新しい目標が必要だ。
でも、とふと思う。
それに飽きたら、次はどうすればいいんだ。また新しいことに挑戦してみて、じゃあその次は?
いつまで続くんだ? 死ねないかもしれないのに、新しい目標が尽きたらどうすればいい?
考えてみるだけで、また出口のない迷路をさまよっているような不安感に襲われる。
「……だから我々には玉が必要なのだ」
玉──竜の掌中の玉というやつか。
「執着する対象がなければ、狂ってしまうと?」
神様が無言で頷いた。
そうか。王子たち竜人が執着体質と言われるのはこのためか。
俺もきっとラナンとカナハ嬢に執着していたんだろうな。あの姉弟からすればとんだ迷惑だ。
「逑にするならジルムーンはどうだ。あれもそう安々とは死なん。寿命の釣り合いはまあとれているぞ」
「王女に失礼ですよ」
好きな人に振られたから、やっぱりこの前お断りしたことはなしにしてくださいだなんて、俺が王女なら激怒する。
しかも、目の前で自分が斬られるところをわざと見逃した男だ。
そんなやつ、向こうから願い下げだろう。




