47.嘯く道化 -1-
「騎士アヤト、こちらを」
女官がひとり、すれ違いざまに囁く。
知らない顔だと思って通りすぎようとしたのだが、声に聞き覚えがあった。それでよくよく見ると、ユキムラの直属の部下だった。会うたびに違う格好をしている彼女だが、今日は女官の気分らしい。
その手に見覚えのある黒い筒があった。エルネストの計画書だ。以前ついていた鍵は外されているようだが、間違いない。
俺も東の宮に行くたびに探していたのだが、この計画書だけはずっと見つかっていなかった。てっきり燃やしたものだとばかり思っていた。
「見つかったんですね」
「ええ。最後まで諦めなくてよかったです」
周囲に人目はなかったが、受け取った筒はすぐに制服の内ポケットにしまった。
これがあればとても心強い。
「ありがとうございます」
なんとお礼を言えばこの人の尽力に見合うのか、まったく見当がつかない。
深々と頭を下げると、ユキムラの部下がにっこり微笑んだ。
こうして自分を助けてくれる人がいるのは、本当にありがたいことだった。
「それから、お気をつけください。聖花祭の夜、ローレン家の新当主に動きがありそうです」
「レナル・ローレンが?」
思わず眉を寄せた。
この期に及んでいったい何をしでかそうというのだ。
「薬物を手に入れたようです。おそらくそれで竜の巫女を害するつもりかと」
「……馬鹿なのか」
「否定はしません。相当焦れていましたから、より直接的な手段に出ようとしていますね」
余計なことをしなければローレン公爵家の名に傷はつかないのに、このタイミングでなぜやらかそうとするんだろう。
……短気で短慮だからか。国王の側近たちからの評価もいまいちそうだったからなぁ。
「わかりました、レナル・ローレンのことは見ておきます」
「はい。すべてつつがなく済みますように」
この人も当然計画のことは知っている。
うまくいきますようにと言ってくれたことに礼を述べると、彼女は何ごともなかったかのような顔で廊下を曲がっていった。
順調に進んでいる。
神祇省の元役人に証言させる準備は整っているし、滑り込みだがこうして計画書も手に入った。
椎葉の狂言誘拐の一件も無事に……と言っていいのかわからないが、計画どおりに先日終わった。
椎葉の乗った馬車は順調に襲撃され、アーヴィンの手配した男に椎葉が連れ去られた。実際に人を動かしたのはここまでだ。
すぐに俺とレオが椎葉を助け出し、そこで誘拐を依頼する旨の手紙を発見。隠れ家はもぬけの殻だったので、その手紙のみ証拠として押さえている、という設定だ。この部分はあくまで設定である。
王子は婚姻の発表に異議を唱え、この手紙を聖花祭の宴で披露する。これまでのこととあわせてローレン公爵家を追及する予定だった。
エルネストは稚拙な計画になってしまったことをずっと悔やんでいた。
最後の打ち合わせをしている今も、いまだに不安そうにしている。
「本当にこれでいいのでしょうか。なにか致命的なミスがあるのではと心配で」
その予想は正しい。俺が獅子身中の虫だからだ。
ただ、ここに来て計画を変更されてはたまったものではない。俺はユキムラの部下に教えてもらったことを話すことにした。
「レナル・ローレンが聖花祭の夜に動くようです」
「……動くとは?」
「はっきりしませんがサクラ様に毒を盛るのでは、と陛下の側近が」
途端に王子の目の色が文字どおり変わった。竜眼がぎらりと輝く。
「愚かな。……だが、材料にはできるな。サクラ、レナル・ローレンとは絶対に二人きりになるなよ」
「う、うん……。それはもちろん」
「アヤト、よく情報をつかんできた。お前は何があってもサクラを全力で守れ。頼むぞ」
「はい」
王子が完全に前のめりになったことで、迷っていたエルネストも結局頷いた。
王子は椎葉の名前を出すだけで冷静さを欠く。レオやエルネスト、アーヴィンは王子が強く主張すれば反対しない。
誘導しやすくてけっこうなことだ。
椎葉がくるりと回ると、ドレスの裾も同じように翻る。
「じゃーん! どうかな、カーンにもらった新しいドレス!」
迎賓館の控室だ。
女性のドレスの流行はちょうど変遷期にあるようで、エンパイア風のものからヴィクトリア朝風の派手なデザインに戻りつつあった。今椎葉が着ているものもコルセットで腰を細く絞り、クリノリンでスカート部分を膨らませた豪奢なものだ。
天雎祭でカナハ嬢が着ていたドレスを思い浮かべながら、「綺麗ですよ」とまた思ってもいないことを言う。
いつもどおりこれで済むものだと思っていたが、今日はなぜか椎葉が、
「どの辺が綺麗? 具体的に言って?」
と追及してきた。
どの辺がと聞かれても、やっぱり高そうで生地が綺麗としか言えそうにない。沈黙する。
「前から思ってたけど、礼人くんって口下手だよね。もうちょっと女の子への褒め言葉、覚えたほうがいいよ」
「……すみません」
椎葉に対しての誉め言葉が思い浮かばないだけで、カナハ嬢に対しては褒めちぎる自信があるんだが、まさかそんなことは言えない。
適当に謝っていると、ちょうどいいタイミングで王子が椎葉を迎えにやってきた。椎葉のエスコートをするためだ。
「思ったとおり、サクラはその色がよく似合うな」
やってくるなり開口一番にそんなことを言う。途端に椎葉がこちらを振り返り、「ねっ」と言わんばかりのドヤ顔を見せた。
いらっとしないでもないが、この顔を見るのも今日で最後だと溜飲を下げる。
「では行こうか」
「うんっ」
そう言って王子と椎葉は手に手を取り合い、ホールへ向かう。
自分もそのあとに続いて階段を上りながら、ふと去年の同じ日のことを思い出した。去年は階下からホールを見上げるばかりだった。
次の年にこうしてこの階段を上ることになるとは思ってもみなかった。ラナンがいなくなっているとも思わなかった。来年も一緒にランタンを飛ばそうとか、おじさんになったら笑い話にしようとか、平和なことを考えていたんだった。
……街のほうでは、去年と同様ランタンが飛ばされていることだろう。
本日投稿1/2です。




