37.師と弟子 -1-
こんな記事が出てしまえば、ローレン公爵令嬢が王子の婚約者として相応しくないのでは、という意見が当然出てくる。占いのとおりに婚姻を進めたい立場の国王は、この記事が出る前に止めるべきだ。
なにげなくユキムラのほうを見ると、ユキムラはユキムラで浮かない顔をして国王の背中を見つめていた。
「陛下、ご体調が優れないでのは? 今日はお休みになられてはいかがですかな」
「……いや、それには及ばない。故ラナン・ローレンの件だったな。確かに発行されてはまずい。こちらから──」
急に国王の体がぐらりと傾いた。
そのまま椅子の上から滑り落ちそうになるのを、ユキムラが素早く動いて引き留める。
「陛下‼︎」
執務室にユキムラの声が響いた。隣の部屋にも聞こえていたようで、他の側近たちがバタバタと飛び込んでくる。
「誰ぞ御典医を!」
「それより部屋にお運びしろ!」
「妃殿下にお知らせするんだ!」
にわかに騒然とし、人の出入りが激しくなった。
──何が、どうなっているんだ。
呆然とその様子を眺めているうちに、国王は側近たちに両側から支えられ部屋の外に連れ出されていく。
髪の隙間から見えた王の顔は、紙のように真っ白だ。腕にも力が入っている様子がなく、重力に従ってだらりと垂れ下がっている。
「……アヤト」
不意に肩を叩かれ、はっと我に返った。
ユキムラだった。
「師匠」
「話がある。来なさい」
ユキムラの黒い目に刺すように見据えられ、体が反射的に震えた。
連れていかれたのは、人通りのない回廊だった。
手入れの行き届いた庭には季節の花が咲き乱れているものの、さっきの今ではまったく愛でる気持ちになれない。
「一ヶ月ほど前より、陛下は体調を崩されがちだ。恐らく予兆だと思う」
庭を見つめたまま、ユキムラが言う。横顔からはユキムラが今何を考えているのか、まったく読み取れなかった。
予兆。
いくら察しが悪くとも、そうと言われれば想像がつく。
間違いなく死の予兆だ。
「しかし、まだ……」
以前聞いたかぎりではもっと先であるような言い方だった。今はまだ鐘の月に入ったばかりだ。年末までまだ二ヶ月もあるのに、あまりに急すぎる。
「もちろん予兆があってすぐというわけではない。だがもうそう長くはない。あと半年程度だと心得ておきなさい」
半年というと、ちょうどカナハ嬢や椎葉の卒業のころと重なる。
その事実をどう受け止めていいのかわからなかった。
自分の計画に影響があるだろうということより、国王が本当に死んでしまうのだという実感のほうが重くのしかかってくる。
「今後は体調の優れない日が徐々に増えてくる。先程のように突然倒れることもあるだろう。そのうち睡眠時間が増え、起きている時間よりも眠っている時間のほうが長くなる。そうなれば早い。やがて眠ったまま亡くなる。竜人の最期とはみんなそうしたものだ」
「そんな……」
もっとずっと先なのだと思っていた。いや、俺が勝手に思っていただけだ。なんの根拠があるわけでもなく、ただそう思っていた。
呆然としていると、ユキムラが静かな口調で言った。
「このままでいけば、カルカーン王子殿下が次の王だ」
次の王、という言葉に釣られてユキムラを見やる。
黒い目が静謐としてこちらを見つめてくる。
やはり、ユキムラの考えはまったく読めない。
「君はどうするつもりだ?」
「どうって……」
そうだ、どうする。もし学園の卒業パーティーよりも先に国王が崩御すれば、次の王は自動的にカルカーン王子だ。
それまでに王子の罪を暴いて……いや、もういっそ今暗殺するほうが早いのでは? その上で王女に俺の血を飲ませれば……。
「殿下を弑し奉るか?」
まるで考えていることを読まれているようなタイミングで問われ、動揺してしまった。こんな反応をしてしまっては、自分で答えをばらしたのと同じだ。
ユキムラが口元に皮肉げな笑みを浮かべた。
「やはりな。君の血の主は、カルカーン王子ではないな」
今度は質問でもなんでもなかった。
「どこぞの竜が気まぐれに血を与えたかとも思ったが……、違うな」
黒の眼がまっすぐにこちらを捉え、離さない。俺の考えを見透かそうとしているようだった。
「君は超越者だ。もともと竜神スヴァローグとの縁がある。竜神じきじきに血を下賜なさったか?」
「神様は……」
正直に答えかけ、ばしりと口元を覆った。動揺しているとはいえ、これではあまりにお粗末だった。
「そうか。それで生き延びたか」
ユキムラがずいっと身を乗り出した。
「王子を主に選んだのは、ラナンの仇討ちのためだ。そうだろう」
やっぱり完全に読まれていた。今さら否定したところで無駄だった。
どうする。ユキムラは俺の本意を知った上でどうする? もちろん誰かに明かすだろう。国王に報告する。その上で王子にも忠告するだろう。そうしたら全部おしまいだ。
……おしまい? 本当に、そうだろうか。
別にそれはそれでいいじゃないか。
仇討ちのタイミングがほんの少し早くなるだけだ。王女がいる。ずっと迷っていたが、あの子に血を飲ませさえすればあとのことはどうにでもなる。
じわりと距離をとりながら、剣帯に差している刀を意識する。
そうだ。
いっそ、この場でユキムラを斬って、その足で王子を……。
一瞬そんな考えがよぎった。




