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魔法薬師シェリー=グリーンのパン屋めぐり  作者: 光延ミトジ
~1年前

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第7話:クラム親子と『青空と大地と赤い風船』・後


 咄嗟にシェリーの手を引いて歩き出した十一歳の少年――ライル=クラムは、離すタイミングを見失っているのか、緊張でそれどころでないのか、繋がった手を振り解こうとはしなかった。


 そして、たどたどしくも、エラヴァンスの街で安くて美味しいと評判の店をいくつか紹介してくれる。シェリーは味がわからない。それでも一生懸命に案内してくれる少年の説明に水を差すような真似はしたくなかった。


 いくつかの店を回ってわかったのだが、どうやらこの親子は週に一度買い出しへ行き、当日と翌日分の調理済みの食料と、調理せずに食べられる日持ちする食料の両方を購入しているようだ。今回、日持ちする食料のほうはヴァンが買ってくるらしい。


「ライルくんもヴァンさんも、料理は普段まったくしないの?」


 そう聞くと、ライルは「暖炉で、少し」と答えてくれた。彼らが冒険者あることを考えると、普段はあまり家にいないのかもしれない。だとすれば生の食材を買っておかないことが腑に落ちる。飲み物やパン、ちょっとした食材を温めたり、火を通したりするだけなら、暖炉の火で充分なのだろう。


 彼女が問い掛け、少年がおどおどしながら答える――それを繰り返している内に、ライルの足が一軒のパン屋の前で止まった。店の軒先には『青空と大地と赤い風船』と書かれた木製の看板がぶら下がっている。


「こ、ここ……おいしい、パン屋……」

「そうみたいね。香ばしい小麦の匂いがするわ」

「は……入ろう……!」


 手を引かれたまま店に入った。ドアを開けた瞬間から、小麦の香ばしい匂いと、ほのかな甘い香りが漂ってきた。ドアの上部につけられていたベルがカロンと軽やかな音で鳴って、パンを陳列していた女性がこちらを振り返る。


「いらっしゃいませ!」


 小さな店の中に、明るい女性の声がいくつも響いた。どうやらカウンターの店員も、店の奥の厨房にいる職人も、三十代から四十代の女性ばかりのようだ。ドアのベルの形も丸っこくてかわいらしいが、窓際に陶器の人形が置かれていたり、壁に花畑の絵が飾られていたりと、店内の雰囲気は明るい。


 壁に沿うように台が設置されていた。その上には数種類のパンが陳列されていた。商品名と値段が書かれたプレートが置いてあるのを見る限り、もう少し早い時間ならたくさんの種類のパンが並んでいたのだろう。


「あっ……あれ……!」


 繋がっていた手が離れる。ライルは目を輝かせると、木製のトレーとトングを手に店内を真っ直ぐ進んでいく。あとに続いて進めば、ライルの向かった先には、つい今、女性の店員が並べていたパンがあった。それは、こんがりと濃い目のキツネ色に揚がったカレーパンだ。


「ライルくんは、カレーパンが好きなの?」

「うん、すき」


 横に並んで尋ねた。彼の意識は目の前のパンに向けられている。そのためか、初めてたどたどしくない答えが返ってきた。


「ここの、カレーパンが、一番おいしい」


 ライルが三白眼を煌めかせながら言う――


「あらー、ライルくん嬉しいこと言ってくれるわねー!」

「ぴょ!?」


 カウンター越しに声をかけられて、ライルは大きく肩を跳ねさせた。くわっと三白眼を見開いて、左右に泳がせながら「ぁ、ぁ……ぅ……」と声にならない声を漏らしている。おそらくライルが何度も来店しているからだろう。店員の女性は少年の様子を訝しげに見るでもなく、親しげな様子だった。それでも緊張で動けなくなった彼を見て――咄嗟に、身体が動いた。


 シェリーは固まってしまったライルと、店員の間に入るように移動する。


「オススメはありますか?」

「え? ええ、うちはバターロールが美味しいわよ。定番の塩バターロールはもちろん、ゴマ塩、チョコレートと塩を合わせたもの、あとはそうね、サツマイモと塩のバターロールも最近売り出してるわ」

「そうなんですね。どれも美味しそうです」


 店員の女性にしてみれば、シェリーは急に間に入ってきた初対面の女だ。一瞬不思議そうな顔をしたが、接客に慣れているようで、オススメをスラスラと教えてくれた。


「ライルくん、カレーパンと何にする? 選んでおいで」


 店員の女性に話しかけられるのも、今日会ったばかりの自分に話しかけられるのも、どちらも彼にとっては苦行に他ならないだろう。それでも逃げ道を作ってやれば、ライルはこくこく頷いて、これ幸いにとパンを選びに行った。


 シェリーも木製のトレーとトングを持ってパンを選んでいく。


(一番安いのでいいんだけど……)


 どうせ味はわからない。


 オススメを聞いてしまった手前、それを無視するわけにもいかず、シェリーはバターロール各種をひとつずつ選んだ。明日のことを考えて、バゲットもトレーに乗せる。ライルのほうを見れば、どうやらあちらも選び終わったらしい。シェリーの様子をちらちらと窺っていた。


 彼に近付いて行く。トレーを見れば、食べ応えのありそうな大きなカンパーニュと、食パンを一斤、カレーパンを三つ乗せている。


(三つ……)


 勘違いかもしれない。けれど、もしかすると、そういうことなのだろうか――頭に浮かんだ考えを、わざわざ尋ねるような真似はしなかった。


 会計をしようとカウンターの前で財布を出したシェリーは、隣でライルも財布を出しているのを見て、ハッとする。食費や生活費、細々とした消耗品の費用などをどう分担するのかは、ヴァンと話していない。それなのに、別会計という考えが、まったくなかった。


 シドニア家にいた頃は、買い出しなどの家事はシェリーの役割で、当然のように自分の財布から全てを支払っていた。魔法薬を納入して少しばかりの報酬を受け取ってはいたけれど、請求先は嫁いでいるシドニア家が経営する店だ。そのため受け取った金が、自分の収入、個人の財産という感覚が非常に希薄になっていた。だから当たり前のように、食費や生活費を担っていたのだ。


 シドニア家を出て、シェリー=グリーンに戻りはしたけれど、今でもまだその意識があったのだろう。シェリーはなんの不満も違和感もなく財布を出し、クラム家の分まで支払おうとしていた。


(おかしくなってるのは、味覚だけじゃないのかもしれない)


 早く、正常な状態に戻りたい。


 一日でも早く、以前の自分に戻りたい。


 そうしないことには、いつまで経ってもシドニア家のことを――あの虐げられるばかりの、搾取されるばかりの結婚生活を――不遇な日々を忘れることができないような気がした――


 ――その後、シェリーとライルはパン屋を出てヴァンと合流した。グローリアス夫人との正式な賃貸契約は明日以降のことになるだろう。彼女は往路と同じくヴァンの鎧馬に乗せててもらい、これから暮らすことになる、赤い屋根の家へと帰る。荷物があるからか、パンなどを潰さないためにか、行きよりも鎧馬の歩みは遅かった。


 家の敷地に到着する。鎧馬の世話はライルの仕事ということで、二頭を厩舎に繋いだあと、シェリーはヴァンと先に家の中に入った。酒と煙草の香りが残っている。


 買って来たものをリビングとキッチンにそれぞれ運び、暑さで痛みそうなものを片づける。生ものは魔力を充填して使う冷蔵箱に詰め、涼しい暗所で保管できるものはそのまましまった。


 この家に料理をする人間がいなかったからか、キッチンはあまり手入れがされていないようだ。今後しばらくは魔法薬を調合や精製する工房として使う予定だが、その前に掃除する必要がありそうだった。


 先住のヴァンに場所を聞きながらひとしきり終えたあと、シェリーはキッチンの竈でお湯を沸かした。一度自室へ行って取って来た乾燥させた薬草と、魔法薬――疲労回復効果のある薬草の花弁や蜜を混ぜて作った甘味が特徴の蜜――を茶葉と共に煮出して、お茶を淹れる。ふたつのカップにお茶を注いで、隣接するリビングへ足を向けた。


 ヴァンは煙草を咥えていたが、彼の前にもカップを置く。


「どうぞ」

「おう、悪いな」


 シェリーは椅子に腰を下ろすと、正面に座るヴァンに話を切り出した。


「少し話があるんだけどいいかしら?」

「話?」

「これからのことについて、いろいろ決めましょう」

「そうだな。気になることや要望があるなら言ってくれ」

「ええ、そうさせてもらうわ。だから、ヴァンさんも遠慮なく言ってね」


 すぐに思いつくことから、考えないと出てこないこと、話している内に湧いてくることなど、ひとつずつきちんと確認していく。意見の衝突はほとんどなかった。基準が似ているのか、衝突を避けてどちらかが譲ったのか、それはシェリー本人にもわからない。同居に際しての役割分担など、さまざまな事柄はすんなりと決まった。


 お茶がなくなる頃、あらかたの話が終わった。会話中は我慢していたのだろう。ヴァンはすぐに手巻き煙草を巻き始めた。紙にシャグを乗せて慣れた手つきで巻いていく。そして巻き終わりを赤い舌で舐めて濡らすと、形を整えてマッチで火をつけた。


(一日にどのくらい吸うのかしら?)


 そう思いながらもシェリーは彼に背を向け、キッチンの清掃を始める。掃除は慣れていた。水魔法を駆使しながら淡々と進め、夕暮れを迎える頃には綺麗に磨き上げることができた。


 ちょうどその頃、ライルが厩舎から戻って来て、夕食の時間となった。ヴァンが足を上げていたテーブルは、彼自身に綺麗に拭きあげてもらう。気だるそうな様子を隠さなかったが、ヴァンは嫌がるでもなくやってくれた。


 夕食のテーブルに買ってきたパンが並ぶ。シェリーは再びお湯を沸かし、三人分のお茶を淹れる。中央に買って来たパンが入ったバスケットが置かれ、そして――ライルが、ヴァンと彼自身、シェリーの前の皿に、それぞれひとつずつカレーパンを置いた。


「わたしの分も買ってくれたの?」


 パン屋では言葉を噤んだが、目の前に置かれたカレーパンを見て、思わず、そう聞いていた。


 ライルはピシリと固まり、それから小さく頷く。


「ぉ……おいしい、から……」


 少年が自分に対して緊張感を持っていることは明白だ。それでも、会って数時間の人間を食事の頭数に入れてくれることに、胸の奥がこそばゆくなる。スープもサラダもメインの料理も何もないが、誰も文句を言ったりしない。結婚生活中の食卓よりも遥かに貧相で物寂しいテーブルだが、ずっと、温かった。


 同時に、微かな申しわけなさもある。美味しさを共有してくれようとしているのに、シェリーには味がわからない。今それを伝えれば、少年はどんな風に思うだろう。きっと、それは、彼の優しさを振り払ってしまう行為だ、と――そう思った。


 だからシェリーは嘘をつく。決してバレてはいけないと、きつく自分自身に言い聞かせて。


「ありがとう。とても美味しそうだわ」

「は……はやく、食べよ……う……ハッ!」


 ライルの腹が鳴り、少年は真っ赤な顔でお腹を押さえた。


「おうおう、バカデカい腹の虫が鳴いてんぞ」

「う、うるさい!」


 息子が父親に吠える。噛みつかんばかりの勢いの息子を、父親は軽くいなしてからかって、ケラケラ笑っていた。


 ヴァン=クラムとライル=クラム。冒険者稼業の親子。これからの共同生活に不安を覚えるような素因はなく、むしろ、彼らといる空間は居心地がいい。少なくともこの家は、苦しくない、息のできる家だ。


 スープでも作ってあげれば良かった、と――いつか振りにか、誰かのために料理を作る気になっている自分に、シェリーは内心で驚く。だが、悪い気のする驚きではない。強制されるのでも、義務的でもない料理なんて、もう数年は作っていなかった。味見のできない自分が作る料理がどんな味なのか、彼女にはわからない。味覚があった頃の経験と、調理中の香り、調合のセンスで組み立てる料理を、姑は酷評し、夫は何も言わずに食べていた。


 浮かんだ、嫌な顔。嫌な記憶。


 振り払うように、彼女は、カレーパンに手を伸ばした――。





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