第24話:淑女のお茶会
郊外にではあるが――エラヴァンスの街に居を構えて以来、シェリーには月に一度の予定ができた。それは聖教会のエラヴァンス支部にいる友人の元へ、魔法薬を寄付しに行くことだ。調合した魔法薬を持ち、ヴァンかライルに乗せてもらって街の中心まで足を延ばす。同行してくれたどちらかとは一旦わかれ、時間を決めて集合するのが常だ。
嫁ぎ先のシドニア商店に在籍していた頃は一度に寄付する量が多く、運搬する人間がいたため、魔法薬師である彼女が直接聖教会の人間に渡すことはなかった。しかし今の彼女は個人で活動する魔法薬師だ。魔法薬師ギルド経由にもできたがそうはせず、月に一度、エラヴァンス支部に赴いて聖教会に魔法薬を寄付している。以前よりも量は少ないが、実際に顔を合わせて魔法薬を手渡し、お礼を言われると、不思議と今のほうが人の役に立てているという充足感があった。
それに、エラヴァンス支部に在籍するシスター・リネットと個人的な友好が深まったのも、シェリーが毎月欠かさず――むしろ積極的に聖教会へ足を延ばす一因となっている。支部と同じ敷地内にある養護施設で焼菓子を買って、シスターの元を訪ねるのが常だ。最初は街で購入した焼菓子を持って訪ねていたが、せっかくなら子供たちの作ったものをと勧められた。
聖教会では身寄りのない子供たちを積極的に受け入れ、支援している。大きな支部であれば敷地内に養護施設を構えているのが普通だ。エラヴァンス支部の養護施設は『白百合の園』という名前で運営されており、素朴な焼菓子と簡単な刺繍が入ったハンカチを子供たちが作って販売している。費用をかけられないためシンプルな出来栄えなのだが、街の有志の菓子屋や服飾店が監修と定期的な指導に入っているため、質は確かだ。百合の形のクッキーは素朴な味わいながら人気があるらしい。
夏の日差しが一段と強いその日、シェリーは毎月時間を取ってくれるシスター・リネットへの差し入れの分と、ライルへのお土産の分の焼菓子を購入し、聖教会のエラヴァンス支部を訪ねた。魔法薬を寄付する手続きを済ませ、シスター・リネットの私室でお茶を飲みながら会話を楽しむ。
大皿にふたり分の焼菓子を盛るが、食べるのはもっぱらシスター・リネットだ。彼女が食いしん坊なのではない。シスターには何度目かのお茶会の時に、味覚がないことがバレていた。バレてしまった以上、シェリーとしてはお茶会で用意する菓子はひとり分でかまわないと思った。しかしシスター・リネットがそんなわけにはいかないと反対した。シェリーが食べないのであれば自分も不要だと言い出し、次のお茶会ではカップとティーポットだけがテーブルに並んだ。
『なんだか、味気ないですね』
そう言ったのはシスター・リネットだったが、シェリーも同じことを考えていた。
『次はお花でも飾りましょう』
『そうですね。次来る時は良さそうな花を買ってきます』
『じゃあ、私はかわいらしい花瓶を用意しておくわ』
会話の通り、翌月は花を愛でながらのお茶会となった。
しかし――やはりそれもなんだか味気なくて。人は何故、席について会話をする時、喉を潤すための飲み物だけでなく、食べ物まで用意するのか。味覚がない上、これまで食事に重きを置いていなかったシェリーでも、なんとなくその理由がわかる気がした。
以来シェリーは毎月、養護施設でふたり分の焼菓子を買うようになった。食べることはないが、かわいらしい花瓶に活けられた花と、大皿に広げた焼菓子がテーブルにあると、不思議と会話が弾む。そして毎回、会の終わりに『食べすぎちゃったわ』とはにかむシスターを見るのが、シェリーは好きだった。
今日もまた、シスター・リネットの私室のテーブルには、花屋で買った小さなブーケが活けられた花瓶と、百合の形のクッキーが広げられた皿がある。気温の高い夏の昼下がりということで、シスターが用意してくれたのはアイスティーだ。カーテンが靡くシスターの部屋の中、冷たいアイスティーで喉を潤す。
正面のシスターが両手を組んで微笑んだ。
「親愛なる魔法薬師様。今月も心づくしの御寄付をありがとうございます。あなたに神のご加護がありますように……と、はい。堅苦しいのはこれくらいにして、今月も『淑女のお茶会』を始めましょう」
笑みを深めるシスター・リネットの顔は、敬虔な信徒のものから少しだけ変わり、親しみを込めた友人のものへと変わっている。一年ほどのつき合いで知ったが、シスターはなかなかお茶目な人だった。お茶会の名称も決めたのは彼女だ。シェリーはどうかとも思ったが、代替案などなかったため『淑女のお茶会』を受け入れていた。もしもこれをヴァン辺りが聞けば『誰が淑女だぁ!?』と大笑いしそうなので、彼には秘密にしている。
喉を潤したシェリーは、ふ、と小さく息を漏らした。意味もなく、グラスの表面に浮かんだ水滴を指先で拭う。
今日は月に一度の寄付――だけの目的で来たわけではない。彼女――聖教会のシスターに聞きたいことがあった。シスター・リネットとは気心が知れた仲を築けているが、全てを話すわけにはいかない。事前にまとめていた考えを頭の中で反芻しながら、シェリーは慎重に口を開いた。
「シスター・リネット。聖教会では医療院も運営していますよね?」
シェリーの唐突な問いにシスターは目をまたたかせたが、すぐに「ええ」と頷く。
「でも聖教会が担うのは一般的な病気や怪我ではありません。もちろんそれらも治療は受け入れますが、疫病の対策や未確認の病原体への初期対応、あとは――」
「治療方法が見つかっていない、あるいは、もう治る見込みのない患者の終末期医療もしているって聞きました」
「よくご存知ですね。何かと厳しい世俗を離れ、神への祈りと共に最期の時を心穏やかに過ごしていただくことも、聖教会の大事な役割です」
「その終末期医療に携わっている医師の方を、紹介してもらうことはできませんか?」
シスター・リネットの目を、真っ直ぐ見つめて尋ねる。
ヴァンのこと――魔力核損傷については話せない。というより、いくら友人と呼べるシスターが相手でも、彼の身体のことを無断で話すつもりはなかった。身内の人間にも、一年以上も同居する人間にも、本人が秘密にしていたのだ。たとえ相談という形でも、その件について口にするわけにはいかない。
「何か、ありましたか?」
怪訝そうな、心配そうな顔で問いかけられる。シェリーは静かに首を振った。
「後学のために話が聞ければと思っただけです」
魔力核損傷は治ることがない。ゆえに患者は聖教会へ身を寄せ、そこに所属する医師と敬虔な信徒たちに最期を看取ってもらうのがほとんどだ。奉仕と献身、聖教会所属の医師にとっては治験の意味と責任感、聖教会全体としては社会貢献と、そしておそらく、罪滅ぼしの意味もあるのだろう。
神に愛された『人間』という種が魔力核を有する――と聖典にあることで、魔力核をもたない者は『普通の人間』よりも劣ると考える者がいる。決してそんなことはないと聖教会も発してはいるのだが、哀しいかな、声が届かない者たちがいた。そんな者たちに排斥されたり、身寄りもなく居場所もなくなったりした患者が、聖教会には集まる。
シェリーは医師ではない。聖教会所属の医師に治療方法やそのヒントなどを尋ねる気はなかった。ただ、少しでも苦痛を和らげる方法や薬草があるのなら、知見を得たいと思ったのだ。魔力核損傷は患者数も少ないため、流布されている情報は限られた。しかし患者が自ら安息の地として訪れる聖教会には、何か情報があるかもしれない。
そう思って、シェリーはシスター・リネットに尋ねたのである。シスターは少し考えるような素振りを見せ、小さく笑って頷いた。
「そうだったんですね。安心しました」
「まぎらわしい言い方をしてすみません」
「いいえ、いいんですよ。それよりも、終末期医療に詳しいお医者様ですよね。ちょうどひとり心当たりがあります。私たちと変わらない年代の女性で、今はオーブリーの施設に勤めていらっしゃる方です」
オーブリーはエラヴァンスの隣にある町だ。街道から少し逸れた場所に位置し、人が多く行き交うエラヴァンスよりも人口は少ない。近くの山の中には大きな湖があり、最期の時を待つための施設はその傍らにあった。
「とても優秀なんですね。二十代で聖教会所属の医師だなんて」
「ええ、それに気性も穏やかで誠実で、真面目な人ですよ」
「シスター・リネットの紹介ですから。その辺りはあまり心配していません」
「まあっ、そんな風に思っていただけてるなら光栄です」
彼女は二十代前半という若さだが、エラヴァンス支部のシスターの中で中心的な役割を担っている。
人柄が良く、能力が飛び抜けて優秀なこともあるが、彼女の出身が貴族であることも要因だろう。最初に聞いた時あまり驚きはなく、むしろ納得した。シスター・リネットはとっくに家を出ていると言っていたが、寡婦となった貴族夫人と友好関係があることなどから、繋がりが消えたわけではないのだろう。
「優秀な魔法薬師さんが会いたいとおっしゃっていると、あちらに手紙を出しておきますね。ただ何ぶん、お忙しい方ですから……実際に会うまで、少し時間がかかるかもしれません。かまいませんか?」
「紹介していただけるだけで充分です。ありがとうございます」
「気になさらないで。ここだけの話、シェリーさんをいろんな方に紹介できるのが、私は嬉しいんです」
「……え?」
「私にはこんなに素敵な友人がいるんですよって、鼻高々ですもの……あ。私がこんな風に思っていることは、他のみなさんには内緒ですよ?」
茶目っ気たっぷりに微笑むシスター・リネットに、シェリーも笑みを返した。
シスター・リネットがクッキーを口に運ぶ。シェリーはアイスティーを飲んだ。開け放たれた窓から夏の午後特有の風が吹き込み、白いカーテンを揺らす。テーブルに飾った花のほのかな甘い香りがした。
小さく息を吐いてグラスを置き、シェリーは視線を上げる。するとシスター・リネットがじっとこちらを見ていた。
「シェリーさん」
「はい?」
「こういったことは普段、あまり口外しないのですが――」
「シスター・リネット」
何か言おうとしたシスター・リネットの言葉を遮る。
「もしもそれを口にすることで、何か、シスターの不利益になるなら――」
「ああっ、いえ、誤解なく! 口外を禁じられているわけではないんです。ただあまり言い触らさないというだけで」
「そう、ですか。えっと、それじゃあ話というのは……?」
「先日のことです。こちらにシドニア商店から魔法薬の寄付がありました」
シドニア商店。
久しぶりに聞いたその店名にシェリーは思わず息を呑んだ。話の詳細がまったくわからないのに、心臓がバクバクと激しく鼓動する。背中にじわりと嫌な汗が浮かび、まばたきすら忘れてジッと前を見たまま固まってしまった。指が、動かすのも億劫なくらい重くなって、呼吸すら――
「深く、息を吐いてください」
手の甲にぬくもりを感じた。
テーブルの上の手に、シスター・リネットの手が重なっている。優しいだけではない、しっかりとした声音で名前を呼ばれると、暗鬱とした過去に引きずり込まれそうだった意識が浮上した。きゅ、と強く指先を握られる。その強さを――離さないからと言わんばかりの繋がりを、心強く感じた。
「すみません。あなたの過去に、突然触れてしまって」
「わたし、は……」
「心の準備ができていないから、聞きたくないと思うかもしれません。ですが、シェリーさんが今もなお、その場所から抜け出しきれていないのなら余計に、このことをお話ししなければならないでしょう」
ひどく喉が渇く。恐怖か、はたまた嫌悪感か。これ以上、名前を耳に入れるのも不快だった。それでもシスター・リネットがなんでもない世間話をするために、わざわざシドニア商店を持ち出したとは思えない。
「なんの、話ですか?」
「シェリーさんはもちろんご存知でしょうが、シドニア商店からは毎月、寄付をいただいています。運送担当の方が持って来てくださるのです。長く、顔見知りの方だったのですが、今回魔法薬を運んでいらしたのは別人――」
シスター・リネットが目を細めた。
「商店主が自ら運んで来たのです」
商店主――エレズ=シドニア。名前を直接口にしなかったのはシスター・リネットの配慮だろう。店名だけで動揺したシェリーの気持ちを慮り、伏せてくれたに違いない。
(どうして彼が……?)
頭の中に浮かんできた元夫の顔に、シェリーは眉を寄せた。
「普通は裏口や搬入口からいらっしゃるものですが、彼は建物の正面から堂々と入ってきました。そして、多くの信者がいる前でシスターを捕まえると、何食わぬ顔で言ったのです。シドニア商店からの寄付は今回で打ち切る、と」
ガン、と頭を殴られたような衝撃だった。
魔法薬を取り扱う店にとって、聖教会への寄付はただの『寄付』ではない。明け透けな物言いをするのなら、信用を担保してもらっているのだ。買っていると言ってもいい。聖教会が保証する品質であれば、客は安心して購入することができる。魔法薬師ギルドを通しての購入であれば、また少し話は変わってくるが、少なくとも店舗を構えているのなら聖教会のお墨つきはなくてはならない。
シドニア商店も代々聖教会への寄付を行っていた。エレズの父――シェリーにとっては舅にあたるジョンも、生前は『納品先をひとつ減らしてでも、寄付を続けなければならない。ただの社会貢献ではないんだよ』と口を酸っぱくして言っていた。
(あの人は、それを忘れたの?)
もしくは、知らないのだろうか。経営の勉強はしているようだったが、それはジョンの死により切り上げられた。思い出したくもないが、当時は全てが混乱の渦中にあった。はたしてエレズ=シドニアがどれだけの学びを得ていたのか、シェリーにはわからない。
「どうして急に打ち切る決断をしたのか、予想はできても正確なことはわかりません。なのでそれは置いておくとして……私が言いたかったのは、それが二日前の話だということです」
「二日前……」
「もしかすると、まだエラヴァンスの街にいるかもしれません。基本的に、この街を訪れる経営者や店主という立場の人間は商売目的です。ここは観光地でもリゾート地でもありませんから。なのでどうか、しばらくは気をつけてください」
街中でばったり遭遇してしまわないように、とシスター・リネットが続けた――それに対してなんと答えたか、あとのことはあまりよく覚えていない。ただ、二杯目のアイスティーを飲み干しても無性に喉が渇き続け、焦燥に駆られていた。
早く逃げなければと頭の中で警鐘が鳴り響く。顔を覆い隠すストールを借りて、聖教会を出たシェリーは、今日鎧馬を出してくれたライルとの待ち合わせ場所へ急いだ――




