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魔法薬師シェリー=グリーンのパン屋めぐり  作者: 光延ミトジ
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23/26

第23話:斜陽②:Sideエレズ

23


 先月の売上報告書に目を通したエレズ=シドニアは、商会長の執務室で頭を抱えていた。


 傾き始めたシドニア商店の経営は、何をどうしてもまったく上向いてくれない。むしろその逆で、いくら新たな手を打っても徐々に下降し続けている。真綿で首を絞められているかのように、代々続いたシドニア商店は、緩やかな死――倒産の道を進んでいた。


 新規の取引先には足元を見られる。昔からのつき合いの取引先には、品質の低下を理由に単価を下げられた。その上、魔法薬の生産が追いつかず納品数が減ったため、当然だが売上は激減している。シドニア商店の店頭で販売している魔法薬も品質が下がったり、上級魔法薬の取り扱いが減ったことで客足が遠のいているのが実情だ。


 店に思い入れのない若い従業員がどんどん辞めていく。専属の魔法薬師も仕事量が増え、給料が下がったことに難色を示して契約の更新をしてくれなかった。どうしようもなくなったエレズは縁を頼りに、とっくに引退していた魔法薬師のガレヲンに頭を下げた。祖父と同世代の彼は、寄る年波には勝てないと田舎で隠居していたが、戻ってきてもらったのだ。


 深く息を吐き、エレズは部屋を出た。


 シドニア商店の地下には、魔法薬調合と薬草保管のための部屋がある。祖父や父は冗談めかして『モグラの巣穴』と呼んでいた。薄暗い階段を降りて行けば、独特な香りが強くなっていく。


 ノックをして、返事を待たずに調合室のドアを開けた。中では腰の曲がった老父――ガレヲンと、彼以外にふたりの魔法薬師が作業をしている。かつては十人以上の魔法薬師を抱えていたが、今ではたった三人だ。


「ガレヲンじいさん。今、少しいいかな?」

「ああん? いいように見えるかい?」


 子供の頃から知る間柄のため、エレズは彼を『ガレヲンじいさん』と呼ぶし、彼は雇用主であるエレズに対して強く出てくる。ガレヲンのそんな態度に対してはなんとも思わないが、こちらを振り返ろうともしないことには眉を寄せた。なかなか好転しない売上の報告書を見たあとだから余計に苛立ってしまう。


 エレズはふたりの魔法薬師たちに「悪いけど、休憩に行ってくれ」と告げた。壮年の魔法薬師たちはわざとらしく溜め息をついたあと「ハイハイ」「こっちは忙しいんですがね」と言い残して、調合室を出て行った。


 ドアを閉めてガレヲンに近づく。


「じいさん、追加の魔法薬の相談なんだけど……」

「追加だぁ? バカ言ってんじゃないよ」

「契約金を上乗せする。ガレヲンじいさんの分も、あのふたりの分も。だからもっと――」

「坊、金の問題じゃない。そんなもん作る人手がどこにあるってんだ?」


 エレズの言葉を遮って、ガレヲンが振り返った。皺だらけの顔の老父が向けてくる眼差しは呆れを孕んでいて、思わずエレズは口を閉じる。呆れと、落胆だ。子供の頃からよく知っている相手に、そんな目で見られるのは居心地が悪く、彼は目を逸らした。


 瞬間、長い溜息が聞こえる。


「確かにココの契約金は前よりもずっと低くなった。隠居した身だ。アタシはそれでもかまわないから、坊、アンタが困ってんならと思って戻ってきた」

「……感謝してるよ。なんとかなってるのは、ガレヲンじいさんのおかげだ」

「あのふたりだってよくやってくれてるさ」

「それはそうだけど、ガレヲンじいさんほどの腕はない。引き抜きの話もこないし、他に行くところもないから、うちに残ってるだけだろう?」

「呆れちまうねぇ。アンタ、何を言ってんだい」


 眼差しだけでなく、言葉ではっきりと呆れたと言われ、エレズは息を呑んだ。


「個人でやってる魔法薬師じゃないんだ。どこかに所属する魔法薬師ってのは、全員が上級魔法薬を作れる必要はないんだよ。全ては分業さ。ふたりが中級以下の魔法薬を量産してくれてるから、アタシは上級魔法薬に集中できてんだ。そもそも――」


 老父の鋭い目がエレズを睨み据える。


「魔法薬師が作ったモンでおまんま食わせてもらってるヤツが、魔法薬師を下に見てんじゃないよ。アンタ、父親やじいさんに何を学んだんだい?」

「そ、それは……」

「そんなんだから、あの子のことも逃がしちまうんだ」

「あの子……?」

「わからないかい? シェリーだよ」


 シェリー=シドニア――今はシェリー=グリーンと旧姓に戻った、幼馴染みだ。


 去年の夏に離婚した彼女は、そのまま家を出て行ってしまった。夫婦でなくなっても、シドニア商店に魔法薬師として残ってくれると思っていたのに、店に顔すら出さないまま消えたらしい。親を亡くして、行き場のなかった彼女が、一人前の魔法薬師になれたのはシドニア商店のおかげだ。それなのになんて薄情なのだろう。


「シェリーのことは、そのままうちで雇ってあげるはずだったんだ。でも彼女が消えてしまったんだよ」

「当然だよ。浮気して隠し子までこさえてる男のとこに、誰が残りたいって思うのさ」

「……じいさんも知っているだろう? 僕たちは普通の夫婦じゃなかった。幼馴染みで……もっと言えば、兄妹みたいな関係だったんだ。隠し子って言っても、僕の子供だよ。シェリーにとっては甥っ子みたいなものだ。可愛がってくれると思ったんだけど……」

「それを本気で言ってるなら、アンタは大店を引っ張ってく器じゃないよ」

「なっ!?」


 呆れるだけならまだしも、ガレヲンの言葉が聞き捨てならない。


「何言ってるんだよ! いくらガレヲンじいさんでも、言っていいことと悪いことがある!」

「だったらどうするって? ええ? アタシを追い出すかい?」

「っ……!」

「できやしないだろう。アタシが――魔法薬師がいなくなって困るのはアンタだ。わかったのならいい加減、魔法薬師を『雇ってやる』なんて傲慢な考えは捨てな。アタシも、残ってるふたりも、対等な立場で『契約』してココにいるんだ。そのお花畑の頭ン中にちゃんと叩き込んでおきな」


 冷たい物言いと眼光に晒されて、身体が震えた。これまで彼にこんな目で見られたことはない。


 商店主と魔法薬師というだけでなく、ガレヲンは祖父と仲が良かった。家族のいないガレヲンは祖父の息子――エレズの父であるジョンを友人の子として可愛がり、エレズのことも孫のように可愛がってくれた。会う度にお菓子をくれて、頭を撫でながら『坊は立派な跡取りだ』と言ってくれていた。だからこそガレヲンのことを第二の祖父のように思い、慕っていたのだ。


「なんで、そんな風に言うんだよ……」


 ぽつりと、こぼれた声は震えていた。


「ガレヲンじいさんは、僕の味方じゃないの? 僕のために、シドニア商店のために、戻ってきてくれたんだろう? それなのに、どうしてそんなことを言うんだよ。父さんが、いなくって……僕は、頑張ってるのに……ずっと、頑張ってきたのに……器じゃないなんて……」

「坊。アタシはアンタが憎くて言ってるんじゃない」


 ガレヲンが静かに席を立つ。椅子が軋む音がした。


 エレズの前に立った老父は腰が曲がり、彼よりもずっと小さい。昔は見上げていたはずなのに、今は見下ろしている。痴呆もなく、言葉もしっかりしていて、調合の腕は一流――それでも確実に、目の前の魔法薬師は老いていた。軋む音は椅子ではなく、彼の身体の軋みだったのかもしれないなんてことを考えていると、皺だらけの手がエレズの手を取った。


「アンタが頑張ってたことくらい、ちゃんとわかってる。可愛い孫みたいな存在だ」

「だったら――」

「けどね、エレズ」


 声音は静かなのに、重く圧しかかってくる。青年は老父の目から視線を逸らせない。


「あの子もまた、アタシの可愛い弟子なのさ」


 あの子というのがシェリーを指しているのはわかる。だが、ガレヲンにとって、彼女がそれほど大事な存在だとは思っていなかった。どう考えても数年のつき合いしかないシェリーと、生まれた頃から知っているエレズとでは、自分のほうが大事にされていると思っていた。そんな気持ちを見透かされたのだろう。彼が首を横に振る。握られた手に力が込められた。


「ただの弟子じゃない。あの子は優秀な子だ。貪欲なまでに学ぶ意欲があって、しっかりした基礎とそれに裏打ちされた技術があって、弱音を吐かない根性もある。何より、あの子のセンスは親譲りでピカイチだ」

「センス?」

「こればっかりは教えてどうにかなるもんじゃない。生まれ持ったモンだ。大量にある同じ薬草の中から一番いいものを選ぶ目利きも、その日の気温や湿度を考慮できる感覚も、魔力の質も、あの子は特別だった。まるで魔法薬師になるために生まれてきたような子だよ」


 才能に溢れた子を育て上げるのは楽しかったと、ガレヲンが言う。


「坊、店を潰したくないかい?」

「そんなの、決まってるだろ」

「だったらシェリーに頭を下げて戻ってきてもらいな」

「……は?」

「もうそれしか生き残る道はないよ」

「何、を……」


 ガレヲンの言っていることはわかるが、何故そうなるのかは理解できない。シェリーひとりが戻ってきて何がどうなるというのだ。確かに、エレズよりも若い魔法薬師がひとりいれば、長い目で見た生産が安定するかもしれない。しかしどうにかしたいのは未来ではなく、今現在のことなのだ。シェリーひとりが戻ったところで、劇的な変化があるとは思えなかった。


「地面に頭こすりつけて、あの子が望むだけの報酬を渡して、シドニア商店と契約してもらうんだね」


 エレズは眉を寄せ、握られていた手をほどく。


「ガレヲンじいさんがシェリーに期待しているのはわかったけど、それは師匠の贔屓目なんじゃないの? シェリーひとり増えたところで、焼け石に水でしかない。それなのに報酬を望むだけって……うちには、縁故で雇う余裕はもうないんだ」

「坊。悪いことは言わない。シェリーに戻ってもらいな。そして店の規模を縮小するんだ。あの子の手腕を活かせるように、今いるふたりを補佐につけて、信用できる薬草問屋と契約すれば――」

「やめてくれ! それは経営側の話だ。じいさんは魔法薬師なんだから、口を挟まないでくれよ」

「挟みたくもなる。親友が守り継いだ店が潰れようとしてるんだ」

「じいさん!!」


 声を荒げれば、ガレヲンが首を振って椅子に戻った。エレズに向けた背は丸く、小さい。


「時間はないよ」

「わ、わかってる」

「アタシだってね、いつまでも力にはなれないんだ」

「……見捨てるってこと?」

「アタシはもう歳だ。目だって霞むし、指が震えることもある。感覚も鈍った……薬草を擦るのにも、種を潰すのに力もいるし、鈍った五感で集中して上級魔法薬を作るのは、疲れるんだよ」


 老いた身体のまま今のペースで続ければ半年ももたないだろう、とガレヲンがぽつりとこぼす。半年で――もしかすると、もっと早く、ガレヲンがいなくなるかもしれない。はっきりとは言わないが、彼が寿命を削ってここにいるのだと、察した。


 察して、エレズは顔を青くする。


 ガレヲンがいなくなればシドニア商店も終わってしまう、と――


「こ、困るよ……ガレヲンじいさんがいなくなったら、店はどうなるんだ!」

「……するのは、店の心配か」

「っ、だって――」

「もういい。話は終わりだ。アンタも仕事に戻りな」

「ガレヲンじいさん!」


 声を荒げるが、ガレヲンは振り返らなかった。


「こっちは忙しいんだよ。納品分、店頭分、聖教会への寄付分……作らなきゃならない魔法薬は山ほどある」

「寄付……? そんなの、まだ作ってたのか?」


 店の経営が傾いているというのに、いくら聖教会へとはいえ、無償提供などしている場合ではない。エレズの表情には不満がありありと表れている。


「慈善事業をする余裕はない。その分の労力は別の魔法薬に回して、すでに調合している分は店頭に並べてくれ」

「アンタが店を続けたいと思うなら、少しでも寄付はしておきな」

「だから、そんな余裕はないんだって」

「寄付をすれば、月初めに聖教会から礼状が届く。シドニア商店にだって額に入れて飾ってあるだろう」


 言われてみれば、母のルイーザが毎月入れ替えていた。ここ数か月は気にして見ていなかったが、寄付を続けていたのなら、これまで通り母が礼状を飾っているのだろう。


「アレは信用の証だ。魔法薬を買い求める客は、聖教会からの礼状があるかどうかで、安全か、信頼できるか判断するんだ……魔法薬問屋で生まれ育った坊にはピンとこないだろうけどね」


 エレズは眉を寄せたままガレヲンの背中を睨む。


 聖教会からの太鼓判が必要なのは、新進気鋭の魔法薬屋くらいだ。シドニア商店は曾祖父の代からずっと、この町で魔法薬を販売し続けている。今更、聖教会からの礼状があってもなくても変わらない。


「とにかく、寄付は打ち切りだ」

「浅はかだね」

「シドニア商店主としての経営判断だよ。まあ、ガレヲンじいさんの顔を立てて、今月分までは寄付してもいい。でも聖教会には来月からは打ち切るって伝えるから」

「勝手にしな。店主はアンタだ」


 機嫌を損ねてしまったようで、ガレヲンの声は淡々としていた。


 昔からよく知る人物で、第二の祖父みたいな存在ではあるが、彼は好々爺というわけではない。どちらかと言えば偏屈で、人を厭うような質の人物だ。だから、家族も持たず、老いた身でひとり隠居生活を送っていた。その点ではエレズと相容れない。


 エレズにとって大事なのは家族だ。家族を背負っているからこそ、どんな状況でも頑張れる。


「それで、寄付先はどこの聖教会?」

「そんなことも知らないのかい?」


 溜息が聞こえた。


 やはり老父は振り向かず、呆れを滲ませた声で呟く。


「ここらの町村の寄付先は、もっぱらエラヴァンス支部だよ。支部とはいえ、あそこは規模が大きい。エラヴァンス支部で一旦集めて、それから近隣の支部に分配されるのさ。エラヴァンスの街は各地への道が整ってるからね」


 エラヴァンスの街は、古くは王都の港と主要都市の港を繋ぐ、海路の中継地点としての役割を担っていた。船で荷を運ぶ商人たちが、必ず寄港する温暖な地――中継地で商売をしないはずがない。そのため必然的にエラヴァンスの街は交易の要所としても発展した。


 今では海路だけでなく、国主導で陸路も整備されている。海路と陸路を有するエラヴァンスの街は、国内の交通の要所としてすぐに名が挙がるほどの街だ。朝から晩まで賑やかで活気に満ち、商売人やギルドや冒険者など、多種多様な業種の人間が集まっている。


(エラヴァンスの街……地元で商売をしてきたうちには敷居が高いと思っていたけど……そこでなら、新たな卸売先が見つかるかもしれない)


 よし、とエレズは頷く。


「ガレヲンじいさん。次の寄付は僕が持って行くよ」

「なんだって?」

「寄付分はもうできてるんだよね? だったら明日にでも運ぶから」


 そうと決まればすぐに動くしかない。シドニア商店には迷っている時間なんてないのだ。思い立ったら即座に行動し、なんとか状況を打破――あるいは、そのための糸口を掴む必要がある。エレズは支度に取りかかるため意気揚々と調合室を出た――


 彼に、老父の溜め息は聞こえない。哀しげな視線に気づくことも、なかった。





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