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魔法薬師シェリー=グリーンのパン屋めぐり  作者: 光延ミトジ
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19/26

第19話:斜陽①:Sideエレズ


 エレズ=シドニアには大事なものがふたつあった。


 ひとつ目は家族だ。優しい母と美しい妻、そして何よりも愛らしい息子。三人がいればどんなにきつくとも、不条理な目に遭っても、心を折ることなく頑張れた。ただ傍にいてくれるだけで幸福を感じ、胸の奥が満たされ、どんな時でも笑顔でいられる。自分の生き甲斐であり、心の支え――エレズにとってのそれが、家族という存在だった。


 もうひとつは、仕事だ。正確には曾祖父の時代から続く家業である。魔法薬販売を行っている商店の身代――曾祖父が興し、祖父が盛りたて、父が守り育み、エレズが受け継いだ、シドニア商店。数十人の従業員を抱え、近隣の町を見ても一、二を争う規模の店だ。それは自分のルーツであり、大店を率いているという誇りがある。いずれ息子のユアンに譲り渡す時、彼もそう思ってくれれば、きっと彼の人生の最高の幕引きとなるだろう。


 と――思っていた。たった半年で、エレズを取り巻く状況が変わった。


 今は、そんなことを言っている場合では――ない。


 シドニア商店の経営は、現在、上手く行っていなかった。半年ほど前から業績が急に傾き始め、取引先が減り、何人もの従業員が退職している現状だ。


 今日もまた、営業部の男性がひとり辞めて行った。エレズが退職金と、本人に問題があっての退職ではないと記した紹介状を渡した時、彼は目に涙を浮かべて頭を下げた。そして「店の経営を立て直す前に離れてしまうことになり、本当に申しわけありません。先代にも顔向けできない……」と、嗚咽を漏らした。父の代から働いてくれていた男性だ。本音を言えば店に残って欲しかったが、遠方に住む母親が倒れたと言われれば、引き留めることはできない。


(家族は大事だから)


 昔からよく知る男性従業員は、住居の整理をして田舎へ帰ると言っていた。


 もう何人の従業員が辞めたかもわからない。シドニア商店に思い入れのない、勤務年数が少ない者からどんどん離職している。もう一度店を盛りたてるためには人手が必要だというのに、用意することができない。


(あの時は、なんとかなったのに……)


 父――先代店主が急死し、エレズは引き継ぎも何もないままシドニア商店を継いだ。後継者として父の下について学んでいたが、いかんせん、代表に就任するのが早すぎた。まだ取引先の全てに紹介されてもいないし、経営のイロハも習得していない。魔法薬に関する知識もまだ浅く、ひとりでは何もできなかった。


 もしも、自分の代でシドニア商店を手放したり、潰したりすることになれば、父はもちろん祖父や曾祖父にも顔向けできない。毎日寝る間も惜しんで働いた。取引先に足繫く通っては、父がいなくなってもシドニア商店は健在だと示す。現場でも机上でも過負荷なく指示できるように、経営について学ぶ。頭を下げて教えを乞うて、足元を見ようとする相手を見定めて切って行く。少しでも多くの経験を積むのに、時間はいくらあっても足りない。貪欲に、貪欲に、学びを得る――そうやって、エレズはいつしか、自分を追い込んでしまっていた。


 幼馴染みのシェリー=グリーンと結婚したのもこの頃だ。けれど、めったに家に帰る時間がないエレズと、家にいるばかりのシェリーとでは、世間一般で言う新婚生活を送ることはできなかった。


 家に帰ったら疲れを取るためにひたすら寝た。疲れすぎて妙に気分が昂っている時は彼女とベッドに入り、夫婦の営みをした。だがシェリーはどうやら不感症だったようで、中の具合こそ良かったが、ロマンチックな、甘い新婚の雰囲気になることはない。


 親を亡くし、シドニア家に身を寄せていた幼馴染みの少女。一緒に暮らしていた彼女が出て行くと言い出すのを聞いて、思わずプロポーズをした。今思えばそれは早まった決断だった。政略結婚が普通の貴族ではあるまいし、恋人という関係を飛ばしての結婚は、心が浮きたつこともない。ただ身体の関係が増えただけで、それまでと何かが変わることもなかった。


 だから、わざわざ彼女のいる家へ帰る理由もない。時間がもったなかった。それよりもすべきことが山ほどあるのだ。家のことはシェリーに任せておけばなんとかなるだろう。彼女にとっても、結婚したからといって、特に何か変わるわけでもない。家事も仕事も、夫婦の関係になる前から、彼女がしていたことなのだから――


 エレズは二十二歳にして、血尿が出るほど追い込まれていた。知らない内にいっぱいいっぱいになって、常に頭痛に襲われている。それでも自分が折れるわけにはいかない。どんなに苦痛でも、使命感だけで生きている、そんな毎日の中――肩の力を抜けるのは、彼女が淹れるお茶を飲む時だけだった。


 ミッシェル=ソークはシドニア商店で接客を務める女性だ。エレズと同い歳の彼女には身寄りがなく、シドニア商店が所有する従業員宿舎で暮らしている。接客を滞りなくするために魔法薬の知識を多く有しており、職務の一環として、来店した客にサンプルとして軽度の疲労回復効果がある魔法薬茶を振る舞っていた。


「代表、お顔の色が良くありません」


 彼女は毎回、エレズに熱々のお茶を出す。すぐに飲める温度ではない。ぬるくなるまで待たなければいけないため、最初、エレズは『もう少し飲み頃の温度にしてくれる?』と要求した。彼女は『はい』と答えたが、それからも出してくれるお茶は熱かった。どうして言うことを聞かないんだと、当時、思い通りにならないことばかりへの苛立ちが募っていて、ついミッシェルにぶつけてしまったことがある。


『せめて、お茶がぬるくなるまでの時間くらい、休んでください』


 思えば、彼女がそう言って微笑んでくれた時――エレズはミッシェルに恋をした。


 その日から、エレズはよりいっそう仕事に励んだ。力になってくれたのは、母と、昔から働いてくれていた従業員たちだ。母は公私共に支え、協力してくれた。古い従業員たちは父がどんな風にしていたのか教えてくれたし、彼らより一世代下の従業員たちは新たな販路獲得へ尽力してくれる。シドニア商店の暖簾を目当てに親類縁者が来ることもあったが、みんなが追い払ってくれて、そうやって、なんとか店を守ることができた。


 気を休める暇も、ホッとひと息つくこともできない毎日が、ミッシェルの優しさに触れたその日から、少しずつ良い方向へ進んで行く――シドニア商店の代表として、なんとか一端の経営ができるようになった頃、彼は自分の想いを彼女に告げた。


 ミッシェルも、エレズと同じ気持ちだったらしい。既婚者であること、勤め先の代表であることを気にしていた想いを封じようとしていたが、通じ合っていると知り、諦めきれなくなった――と、気持ちを打ち明けてくれた。好きになった人が、自分を好いてくれている。それがどれだけ奇跡的なことなのか、幸せを噛み締めながら――その日、エレズはミッシェルと結ばれた。


 生まれた時期のことを踏まえると、ユアンが彼女に宿ったのはこの時だ。シェリーとは何度交わっても子供ができなかったのに、ミッシェルとはたった一度で子供ができた。その事実が、彼女とは結ばれるべき運命だったのだという、よく聞く情熱的なひと節を、確信めいた現実のものへと昇華させた。

 

 息子が生まれてしばらく経つ頃まで、ミッシェルたちとは一緒に暮らすことができなかった。まだ事業が不安定だったからだ。今のままではミッシェルやユアンに苦労をかけてしまう。彼女は産前も産後も、誰が子供の父親か周囲に話さなかった。そのせいで従業員の中にはミッシェルが男に遊ばれて捨てられたのだと思っている者もいた。噂の的になってもギリギリまで仕事を辞めず、産後すぐに復職して頑張ってくれた彼女に、安心できる生活をさせてあげたい。


 シドニア商店の事業に注力し――愛する存在がいればどんなに大変なことも苦ではなかった――息子が生まれて一年が経った頃、エレズはようやく店を安定して営業させられるようになった。だからミッシェルにプロポーズをし、妻であるシェリーと離婚をすると決めた。


 シェリーとは夫婦関係から、幼馴染みの関係に戻るだけだ。さすがに、これまでのようにシドニア家に居候するのは互いに気まずいだろう。彼女の実家は人に貸しているため、シェリーに帰る家はない。だから従業員用の宿舎の一番いい部屋を無償で用意するつもりだ。魔法薬師として働いてくれる上、元妻という関係だ。誰も文句は言わない。


 兄妹のように仲のいい、信頼関係で結ばれた幼馴染みだ。彼女もきっと、エレズの結婚を祝福してくれるだろうし、ユアンのことは本当の甥っ子のように可愛がってくれるに違いない。


 そう思いながら、夏のある日――エレズはシェリーに離婚を切り出した。


 結果、まさか、彼女が出て行くとは思わなかった。もしかするとシェリーはエレズのことが好きだったのかもしれない。だから離婚されたことがショックで、出て行ってしまったのだろうか。だとすれば、申しわけないことをした。もっとシェリーの気持ちを大事にして、ふたりだけで話していれば良かった。それすれば彼女のための提案もできたのに――今後も男と女として、秘密の関係を続けてもかまわない、と――


 そんなことを考えたが、出て行ってしまったシェリーを追いかけるつもりはない。行くあてがなく、戻って来たら提案しようとだけ考えて――彼はこれからの幸せな生活を想像した。


 優しい母と美しい妻、そして何よりも愛らしい息子。三人がいてくれれば、どんなにきつくとも、不条理な目に遭っても、心を折ることなく頑張れる。ただ傍にいてくれるだけで幸福を感じ、胸の奥が満たされ、どんな時でも笑顔でいられるだろう。自分の生き甲斐であり、心の支え――自分にとってのそれは、家族という存在だ。


 それから、半年後――


 若い従業員たちと新規で開拓した取引先――魔法薬を卸していた病院に、取引の停止を求められた。


「前回の納品分から品質が落ちているのが気になっていました。しかし一度限りのことであれば、今後のお取引もあるので目を瞑ろうと話していたのですが……今回の魔法薬も、あまり良くないようです。今の金額での取引はできません」


 同じ理由による取引の停止は、何件も続いた。


 ちゃんと、これまで通りの魔法薬を作るように製薬部の魔法薬師たちに指示をしたら、魔法薬師はひとり、またひとりと辞めて行ってしまった。新たに雇った魔法薬師の男には足元を見られたのか、報酬はこれまで在籍していた魔法薬師三人分の金額を要求された。しかたなくそれを飲めば、今度はこれまでにいた魔法薬師たちから不満が出る。仕事量は同じなのに、これほどまで報酬に差があるのは納得できない、と。


 魔法薬師は専門知識を持った有資格者であり、魔法薬を生み出す職人でもある。どこかの店で専属にならなくても、稼ぐ方法は何通りもあるそうだ。結局、新たに雇った男と、昔からいてくれた魔法薬師数人だけを残し、製薬部は縮小することになった。


(どうして、こんなことに……)


 わからない。


 わからない。


 エレズ=シドニアは頭を抱えて、事業計画を練る。先が見えなくても、周りから人が消えていっても、どうすればいいのかわからなくても、立ち止まるわけにはいかないのだ。彼には愛する家族がいるのだから――。






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