第18話:過去が重なる時
眩しい夏の日差しの中を二頭の鎧馬が進んで行く。遠くから鳥の声が聞こえていた。肌を撫でるからりとした風は爽やかで、薄く汗が浮かんだ肌を涼ませてくれる。フードつきのマントを纏っていて直接陽光を浴びないこともあり、夏の太陽に照らされているにしては不快さがない道中だった。
ただし、空気は最悪だ。
村長に挨拶をして村を出て以降、ライルはずっと元気がない。小さな背に大きな籠を背負った彼は、カナリアの背に揺られているが、往路よりも顔を俯かせている。シェリーの後ろにいるヴァンも口を閉ざして黙っていた。
(これって親子喧嘩? 親子の喧嘩ってこういう感じなのかしら?)
考えてみてもよくわからない。
彼女はこれまで親子喧嘩というものをしたことがなかった。
産みの母の顔はほとんど記憶にない。シェリーが十五歳の時に亡くなるまで、男手ひとつで育ててくれた父とは、親子というだけでなく、師匠と弟子の関係でもあったため、口ごたえなどの反抗もしなかった。仮に師弟関係でなかったとしても親子喧嘩はしなかっただろう。父は温厚で柔和な性格だった。彼女自身も他人と衝突をするタイプではない。ゆえにグリーン親子の間に流れるのは常に穏やかで落ち着いた空気だった。
親子喧嘩以外の喧嘩――夫婦喧嘩もしたことはない。彼女の意見や気持ちは衝突する前に叩き折られ、最後の最後まで正面からぶつかり合うことはなかった。喧嘩というものを経験したことのない彼女に、その先にある仲直りの最適解などわからない。ただ重い空気の中、口を閉ざして鎧馬のダイスに揺られていた。
(こういうのって、いつまで続くのかしら?)
後ろにいる彼に聞けば答えてくれるだろうか。一瞬そんな風に考えはしたが、すぐに無理だろうと考え直す。それに、村でヴァンに向けられた目を思い出せば、余計な口を挟む気は削がれた。親子間の、あるいは冒険者間の問題に干渉できるだけの経験も知識も、シェリーは持っていなかった。
往路に休憩を取ったのと同じ場所で、復路も休憩を取る。
来る時は和やかで、温かかった空気も、今はどことなく張りつめていた。それでも不貞腐れるわけでもなく、ライルは二頭の鎧馬の世話を始める。気落ちした様子ながら、鎧馬に餌を与え、水を与え、たくましく大きな身体を拭って、と、忙しく動き回る姿を見ていると、胸の奥がざわついた。
哀れみだろうか。あるいは憐憫、同情――そのざわつきを、なんと呼べばいいのかわからない。ただ、摩擦が生じているライルとヴァンの間で、何もできずにつっ立っているだけの自分に無力感と罪悪感を覚える。
頭では、自分が口を挟める領分ではないとわかっていた。それでも、心がざわついて、いたたまれない。シェリーは両手で顔を覆うと、深く息を吸い、長く吐いた。それでも揺れている気持ちも、何も、変わらない。迷いが晴れたわけではないが、彼女は腰を上げてヴァンの元へ近づいた。
ヴァンは川辺の木陰で、手巻き煙草の煙を燻らせていた。細い白煙が立ち昇る。魔法薬が染み込んだ月光水草のシャグが燃え、清涼感のある甘い香りを漂わせていた。
シェリーが近づいてもヴァンは何も言わない。それを承諾と受け止めて、彼女はヴァンの隣に腰を下ろした。
少しの沈黙。
先に口を開いたのはヴァンだった。
「文句があるんだろ?」
あるのか、ではなく、シェリーが文句を言いにきたと思っているような口振りだ。彼女は柳眉を寄せて「そうじゃなくて」と口を開く。
「文句があるんじゃなくて、わからないだけ。ヴァンさん、何を怒っているの?」
「……怒ってねえよ」
明らかに怒っているのだが、本人に認める気はないらしい。
「じゃあ、どうして不機嫌なの?」
言葉を変えて再度問えば、彼は煙草を口にし、煙を肺に落とし込む。そして白煙を吐いて燻らせ、すっと目を細めた。
「人に預けるまでは、俺があいつをつれ回ってた。冒険者としての基礎を叩き込んで……まあ、ガキにしてはそれなりの才能があったからな。将来も一端の冒険者として、やっていけるもんだと思った時もあったが――」
ヴァンは短くなった煙草を地面に押しつける。
「ありゃあ、ダメだ」
「え……?」
「立派じゃなくても親は親。俺が傍にいるから頼ってくるんだと思って、知り合いに預けちゃみたが……結果はあれだ。なんの成長もしてねえ。ランクばっか上がったところで、今のまんまじゃすぐ潰され――」
「ちょっと、待って。よくわからないわ。どういう意味なの?」
言葉を遮って説明を求めた。
おそらくヴァンはずっとそのことについて考えていて、彼の中で結論などは出ているのだろう。だから説明を端折って言葉を紡いだ。虫食いの言葉の羅列では、シェリーが理解できるはずもない。きっと、何か抜けているのだ。それでなければ、ヴァンがそんなことを言うはずがない。
(ライルくんが、ダメだなんて……何を言ってるの?)
少年の膨大な魔力量。それを器用に扱う能力も、複数の属性の魔法を巧みに操ってしまう才能も、そこに至るまでの努力も、冒険者でないシェリーでも容易に想像がつく。鎧馬の扱いを見ていても、冒険者がライルの天職であることに疑いはない。
「ライルくんは、すごい子よ。シルバーベルの採取も器用にしてくれたし、採取方法を学んで吸収しようって意欲もあったわ。暴猪との戦闘だって……わたしは、そういうのに見識があるわけじゃないけど、未熟だったとは思わない」
「ああ」
「村でも、そうよ。火事の中でも落ちついていたし、わたしを護ってくれていた。ライルくんがいたから、不安になることもなかったわ」
「ああ」
「……それに、特化属性以外の魔法であの規模の火事を消火するなんて、その辺の人間にはできないことよ?」
「ああ」
否定するでもなく、短い相槌だけを打つヴァンに、シェリーは眉を寄せた。
自分のことではないけれど、二年も一緒に暮らしている弟のような少年に失格の烙印を押そうとしている彼に対し、苛立ちを覚える。たとえそれが――身体を重ねている、男女の関係にある男だとしても。
「っ、ヴァンさん!」
「あいつは、人と関われてねえ」
「え……」
ふざけているわけでも、冗談を言う風にでもなく、ヴァンは静かに言った。少し上向いた彼の横顔をシェリーは瞠目して見つめる。
「冒険者はギルドから依頼を請けるのがほとんどだ。内容と報酬を天秤にかけて、自分で納得できたら受注する。そんなんだから、一見、金銭面は真っ白で公平、なんの難しいこともないように思われるが、そうでもねえ」
「そう、なの?」
「ああ。複数人で一件の依頼を受注すれば、報酬は山分けだ。じゃあ……どうやって分ける? 人数で平等に割るか? 功労者から順に多く貰うか? 年長者から? 後ろ盾のある奴から? 明確にどう分けなきゃいけねえなんて決まりはない」
「……あ」
ヴァンの言わんとすることが――わかった。
「フン……そういうことだ」
「ライルくんは人見知りだから、どう山分けするかの意見を言えない……」
「真っ当な相手と組めればいいが、そうでなけりゃ結果は悲惨だ。自分の意見を言えねえ奴なんてカモもいいとこだろうよ」
「カモって、そんな言い方――」
「それだけじゃねえ」
ライルを擁護しようとした言葉に、ヴァンが言葉を重ねる。木陰を作る気の枝の向こう――夏の、青い空を見ていた彼が目を伏せた。
「今回のことだって、そうだ。盗賊の制圧、捕縛……村の火事を鎮めたこと。どれも交渉次第で、いくらでも得るもんがあったろうよ」
「……盗賊を制圧したのは、ヴァンさんでしょう?」
「護衛任務の責任者はあいつだ」
「っ……そうね……」
「内容を詰めるだけじゃねえ。そもそもあいつは交渉に入ることすらできなかった」
目蓋を持ち上げて目を開けた彼は、シェリーのほうへ顔を向ける。真っ直ぐな目と、視線が絡んだ。
黒い瞳に浮かぶヴァンの感情を察して、掬いたいと思うけれど――それが、こうしてライルのことを話しているのと同じ、ただの自己満足でしかないことを訴える声が、頭の片隅にあった。
「人見知りだとか、まだガキだとか、そんな言葉が免罪符になる世界じゃねえ。あっさり人が死んじまう、命が軽くなる界隈で……一攫千金を夢見るあくどい奴も、暴力に溺れた奴もいる。そんな奴らの中で、あいつがやっていけると思うか?」
「それは……個人で達成できる依頼を選ぶとか……」
「個人ねえ……護衛は無理だろう。今回は対象がお前さんだから、あいつもなんとかこなせたんだ。討伐や採取……まあ、ひとりでできねえこともないが……」
「気がかりなことでもあるの?」
「個人で細々とやるには、あいつは才能がありすぎる。ロクに意見も言えない有能な奴が個人で依頼をこなしてる……ってことは、すぐ噂になるだろう。勧誘されて、嫌って言えるか?」
言えるとは、言い切れない。
「でもそうならないために、ライルくんはヴァンさんの知り合いの人のところで、同年代の子とパーティを組んでるんでしょう?」
「……今となっちゃ、それが良かったのかどうかわからねえな。親元から離れて、ちっとは成長してるかと思ったが……交渉だのなんだのは、他のガキ共に任せてんのかもしれねえ」
その子たちとずっと組んでいればいいじゃない――とは、言えなかった。
命が軽くなる世界だと、ヴァンは言った。人生経験や社会経験などほとんどない、十代前半の少年たち。なまじ才能があるため、どんどんランクが上がっている。そんな少年たちが師匠の庇護下から出て、食い潰されることもなく、出た杭として打ちつけられることもなく、どこまでやれるのだろう。
「適材適所じゃダメだ。ある程度のことは自分でできねえと、やっていけない」
彼は、深く、深く、息を吐く。
「誰かがなんとかしてくれる――そんな考えで生き残れる場所じゃねえ。俺ァそれを知ってる。だから――」
「怒ってるんじゃなくて、心配していたのね」
素直でない男が、是と言わないことはわかっていた。
「ヴァンさんが、教えて、導いてあげようとは思わないの?」
「ずっと一緒にはいられねえ。人はすぐ死ぬ。考えるよりも、あっさりと。冒険者って生業ならなおさらな」
今現在の息子を心配し、だからこそ、息子を否定する。それがどんな気持ちなのか、父親としての彼の想いなど、シェリーに推し量ることはできない。
だから、苦しかった。
誰かに押さえつけられて、才能を使い潰されて、利用されて、価値を貶められて、心身共にボロボロにされて、虐げられる――ヴァンが想像し、心配している未来のライルの姿は――過去のシェリーの姿だ。
「俺の息子が使い潰されて、みじめに生かされ、死ぬまで利用される……ハンッ、考えるだけで胸糞悪い」
彼の言葉が、つき刺さる。
「ねえ、ヴァンさん」
「あ?」
それを言ってはいけないと、頭の片隅で誰かが叫ぶ。それでもシェリーの口は止まろうとせずに、動いていた。
「あなたの言う、みじめな人生が――わたしの人生だったのよ」
自分がどんな顔でそれを言ったのか、わからない。それを聞いたヴァンがどんな顔をしたのか、見たくなくて。シェリーは顔を逸らして立ち上がると「食事の準備を手伝ってくるわ」と言って、その場から逃げた。
どこまでも続く、夏の青空を――見ていられない。青があまりにも綺麗で、澄んでいるものだから、顔を出してしまった過去の情けない自分が卑屈さを増長させていた。あなたには、地下の薄暗い調合室がお似合いよ、と囁く声がする。頭の片隅で――。




