第17話:冒険者ライル=クラム・後
村が燃えている。火の勢いは収まりそうにない。炎がごうごうと唸りを上げ、木造の建物は焼け落ちていった。迫る火の手から逃げようとしていたシェリーとライルの足は止まっている。ふたりは炎を背にした渦中を――武器を手に現れたヴァンを、不安げな顔で見つめていた。
(ヴァンさん……)
大柄の盗賊は女の子を人質にしたまま、地面に投げ捨てられた仲間を凝視している。困惑と憤りが入り混じった表情を浮かべており、次いで、仲間を制圧した冒険者――ヴァン=クラムに目をやった。視線が絡んで怯えたのか、大男の腕に力が込められたようだ。女の子の口から苦しげな声が漏れた。
「おい、もう諦めろ。残りの奴らも捕まってるぜ」
「なっ……!?」
「全部で十二人だろ? こうなっちゃ逃げられねえ。その嬢ちゃんを離して、おとなしく投降しろ。そうすりゃ、コイツみたいにならずに済むぜ?」
ハンッ、と、ヴァンが嘲るように鼻で笑った。
(わざと憎たらしい表情で挑発してる……)
どちらに転ぶかわからないが、とにかく現状を動かしたいのだろう。火の手が迫っている中で膠着状態を続けるのは得策ではない。倒された仲間を実際に目にし、他の仲間も捕らえられたと聞かされ、大男は精神的に追いつめられていた。彼はいともたやすくヴァンの挑発に乗り、女の子をヴァンに向けて放り投げた。仲間にされたのと同じことをした意趣返し……ではない。
「死ねぇぇぇ!!!」
大男は女の子を目くらましに使ったのだ。凶器を手にヴァンへつっ込んで行く。女の子ごとヴァンを刺し殺そうという殺意を隠そうともしていない。真っ直ぐつっ込んで行く盗賊に、ひゅ、とシェリーは息を飲んだ。
「大丈夫」
隣からライルの声が聞こえた。安心させるようなやわい声ではない。父親を信じる、力強い声だった。
ヴァンは投げつけられた女の子を軽々受け止めると、そのまま自身の胸の中に抱き込む。そしてつっ込んで来た大男に対し、下から振り上げるように剣を動かした。あまりに速く、鋭い、一閃だ。次の瞬間――呻き声すら挙げる間もなく、盗賊の残党が地面に倒れ伏した。
「マ、ママーーー!!!」
ヴァンが下に降ろして手を離すと、女の子は母親の元へ駆け出して行く。同じように走り出していた母親は両腕を広げて、愛する我が子を抱きしめた。どちらも涙を流し、決してもう離さないとばかりにきつく抱きしめ合っている。ヴァンはその様子をしばらく見ているようだったが、その目をシェリーたちのほうへと移した。そして剣についた血を振り払うと、長い足を動かしてこちらへ近づいてくる。
燃え盛る炎の中からきたせいで、彼のマントは煤けていた。すぐそこまで近づいたヴァンに、気づけば――シェリーは駆け寄っていた。
「ヴァンさん!」
意図せず、大きな、声が出る。
「よお、無事だったか」
「無事だったか、じゃないわ! いったい何をしていたの!?」
「あー……まあ、小言ならあとでちゃんと聞く」
「小言って……」
ふっと笑った彼があまりにも楽しげな顔をしていたから、昂っていた気が削がれた。シェリーは深く息を吐いて、短く「怪我はないの?」と聞く。ヴァンは「ああ」と頷いた。
「なんなら、あとで確認してくれてもいいんだぜ?」
「なっ……!?」
ライルの前で何を言うのだろう。言葉をなくしたシェリーを笑って、ヴァンはライルのほうを見た。
「おう、ライル」
「っ、な、なんだよ……!」
「及第点ってとこだな」
ニヤリと、ヴァンが片方の口の端を吊り上げる。
「……何が、及第点なんだよ?」
「決まってんだろ。護衛として、及第点だ。もっとも、護衛対象をこんなとこでいつまでも野次馬させてねえで、ダイスたちのとこへ行ってたら、もっと良かったけどな」
「う……」
この場を離れることに躊躇していたのは、ライルではなくシェリーだ。彼をフォローするためにシェリーは「それはわたしが――」と説明しようとする。しかしヴァンは全てを聞く前に、首を横に振った。
「護衛対象が何かほざいてても、移動が必要な時は動かさねえとダメだ。諫めて言うこと聞かせてもいいし、抱えて逃げてもいい。口八丁手八丁で上手いこと転がして動かすのもいい。危険が迫っていたら、状況をコントロールして、なんとかするのが護衛の仕事だ」
ヴァンの言うことのどれも、ライルがシェリーに対してできるとは思えない。本人も無茶を言っている自覚があるのだろう。恥ずかしがり屋の息子をからかうように、ニヤニヤと笑っていた。そして「仕事なんだがなぁ」と目を細めながら、何も言い返せないでいるライルを見下ろしていた。
「で? ライル、まだ元気は有り余ってるか?」
「……? うん?」
ライルが首を傾げながら頷くと、ヴァンも「よし」と頷く。
「じゃあ、消してこい、火事」
「おれ!?」
ヴァンは炎に巻かれた村に向けて、くいっと顎をしゃくった。ライルは目を大きく見開いてヴァンの顔を凝視している。自分へのものではなくとも、唐突な指示に何を言い出すのだとギョッとした。
「ちょっと、ヴァンさん、何を言っているの? 火を消せなんて――」
「行ってくる!」
「えっ、ライルくん!?」
困惑しているのはシェリーだけのようだ。ライルは背負っていた籠をヴァンに押しつけるように渡すと、一目散に火の手のほうへ駆けて行く。心配して声をかけたが、ライルの耳には届かなかったらしく、彼は止まらない。父親であるヴァンも口元に笑みを浮かべているだけだ。
盗賊が倒されたことで、村人たちは再び避難と消火活動を始めていた。
「ねえ、ヴァンさん。ライルくんは――」
「なーんも心配いらねえよ」
言葉を遮られる。自信を滲ませた彼が向ける視線の先を追えば、ライルが両手を天につき上げて立っていた。
(あ……)
小柄な彼の周りを、魔力の波が渦巻いていた。
これまでにシェリーはライルが風魔法を使うところを何度も見た。例えばメイブの森での戦闘。彼は武骨なナイフに風を薄く纏わせて、鋭い刃として使用していた。日常でも、鎧馬の餌となる新鮮な葉を刈り取るために風の魔法を使う場面を、何度も目にしたことがある。
だから、わかった。
「風魔法じゃない……?」
シェリーの口から誰にともなく、小さな声が漏れた。
人間は体内に『魔力核』を有しており、その核から魔法を使うのに必要な『魔力』を生み出す。個人――血筋によって偏りがある――が生み出す魔力の性質によって、使える魔法の属性が変わるのだ。
基本的にほとんどの人間の魔力は『火魔法』『水魔法』『風魔法』『雷魔法』『土魔法』の五つの属性のいずれかに特化している。特化属性以外も使えないことはない。現にシェリーも特化属性とは違う『水魔法』を主に使用している。
だが、使用には厳しい訓練を要することもあり、特別な事情や意図でもなければ、得意な属性の魔法だけを使用する人間が圧倒的多数を占めた。日常や戦闘で使用していることを考えれば、ライルが特化しているのは『風魔法』なのだろう。直接聞いたことも、目にしたこともないが、遺伝と血筋を辿ればヴァンの特化属性もそうなのかもしれない。
シェリーは瞠目する。風魔法特化の少年が『水魔法』を使おうとしていた。
すぐそこに炎が渦巻いているにも関わらず、空気が湿り気を帯びていく。
あ――と思うのと同時に、ライルの立っている場所から空高くへ向けて、水柱が上がった。間欠泉のように高く噴き上がった水が、やがて勢いを削がれ、重力に従って落ちてくる。それはまるで、雨だった。大きな雨粒が地面を叩く。燃えた煤のにおいに混じって、だんだんと濡れた土の香りがしてきた。
降ってくる水がシェリーたちを濡らした。彼女は茶色の髪から滴る水をそのままに、真剣な表情で空を見上げる少年へ目を向ける。尋常でない水量だ。これほど多くの魔力を使用する魔法を扱うのは簡単ではない。たとえ水の属性に特化していたとしても、厳しい訓練が必要になるレベルだろう。少なくとも、シェリーの魔力量では難しい。
(なんて子なの……特化属性以外の魔法をこのレベルで……)
普段使いをしにくい光魔法特化のシェリーは、水魔法を学んだ。特化属性ではなかったため、扱いにくさにうんざりしながら身につけたのを覚えている。だからこそ余計にライルの凄さがわかった。
(火が、消えていく……)
凄まじかった炎の勢いが次第に鎮まっていく。いつの間にか村人たちは逃げる足も、消火の手も止めて、ライルが降らせる『雨』を見上げていた――
――村を焼いていた炎が完全に鎮火する頃には、遠くの空が明るくなりはじめていた。
特化属性以外の魔法を使用し、消火のために大量の魔力を放出したライルは、さすがに疲労困憊のようでヘロヘロになっている。そんな状態にも関わらず、押し寄せた村人に囲まれて口々に感謝の言葉を告げられる少年は、見るからに狼狽えていた。人見知りを発揮し「う」「あ」と、真っ赤な顔で言葉にならない単語を繰り返している。
やがて、ライルはふらふらの足でなんとか逃げ出して、シェリーたちの元へ戻ってきた。そんな息子を見下ろして、ヴァンはゲラゲラ笑っている。ライルはそんな父親を三白眼で睨みつけはしたが、言い返す気力はないらしい。地面に腰を下ろして、悔しげに唸っていた。
「情けねえなあ。今襲われたら抵抗できずにやられちまうぜ?」
「うっ、る、せえ……!!」
「ハンッ! 息が上がってるような奴に睨まれても怖くねえよ。まあ、平常時に怖いと思ったこともねえが」
「っ、は……クソッ、オヤジッ!」
「親がクソオヤジなら、子供はクソガキだな。だがまあ――」
地面に座り込んでいる息子の前に、父親がしゃがんで、視線を合わせる。
「よくやった」
「あうっ」
骨張った大きな手がライルの黒髪に触れた。撫でるというよりも掻き混ぜるような荒い手つきだ。ライルはぐらぐら頭を揺らされながら「やめ、ろっ!」と言い、なんとか父親の手から逃れていた。しかしその表情には不快さなど浮かんでおらず、むしろ、喜色が滲んでいる。
シェリーはしばらく黒髪の親子の様子を眺めていた。目には見えないけれど、ふたりの間には信頼感も、絆というものも、確かにあるのが窺える。もしも、あの年に父が亡くならなければ、彼ら親子の間にあるようなものを、自分も持てていたのだろうか。
(なんて、考えても仕方のないことだけど)
太陽の光が焼けた村を照らす。安全な場所まで避難していた村人が、鎮火の報せを聞いて戻ってきた。村長が指示を出すよりも先に、村の大人たちは被害状況の確認をし、動ける者は火事の後始末に取りかかる。村人に悲観した様子や腐った様子はない。立ち止まっていてもどうにもならないのだと行動を起こす、たくましい人々だ。
ライルがふらつきながら立ち上がり、ヴァンの手を跳ねのけた。ヴァンはぶたれた手をひらひら振りながら「かわいくねえガキだな」と肩を竦める。そしてヴァンはシルバーベルがつまった籠を右肩で担いだ。重いはずなのに彼は軽々と持っていた。村人の様子を流し見て、ヴァンがフンと鼻を鳴らす。
「なんにしろ、村はこの様子だ。俺らがいても邪魔になる。さっさと帰るぞ」
「帰るって……ライルくん、休まなくても大丈夫なの?」
「おう、問題ねえよ。カナリアが勝手に連れ帰ってくれるからな。あいつはこのガキより賢いぜ」
ケラケラ笑う父親に、息子が噛みついた。
「なんでっ、オヤジが答えるんだよ!?」
「ほーう。ヘロヘロのクセして女と話したいってか? やーらしー」
「なっ!? ち、違う!!」
おちょくる父親に噛みつく息子――いつも通りの光景だ。村を救ったばかりだというのに、平時と変わらない様子の親子を眺めながら、シェリーは溜め息を吐いた。その時――
(あれは……)
シェリーの視界の端で動く男たちがいた。
ヴァンが捨て置いていた盗賊の残党に近づき、生存確認をしている。かろうじて息があったのだろう。嬉々とした様子で縄で縛りあげていた。特別、気配に敏感なわけではないシェリーも気づいたのだ。おそらくクラム親子も男たちの存在を把握し、その姿を視界に捉えているだろう。
「ヴァンさん」
マントを引いて声をかけ、男たちを指差す。
「ああ、あれか。お前さんの思ってる通りだ」
「じゃあ、彼らが盗賊の残党を追っていた冒険者?」
ヴァンが頷き、それからライルの肩を小突いた。
「ライル、あいつらと交渉してこい」
「……え?」
「交渉って?」
シェリーとライルが首を傾げながらヴァンに尋ねる。彼は目を細めた。
「決まってんだろうが。ヘマした奴らの尻拭いを、俺とコイツがしてやったんだ。報酬の一部か、それとは別に謝礼か、しっかりもらわねえとな」
「お、おれが、言うの?」
「ああ? 何当たり前のこと聞いてやがる。今回、シェリーの護衛任務を請けたのはお前で、盗賊やら火事やらはその最中に起きたことだ。代表として交渉するのも、決断するのもお前の役目だろ」
ヴァンは当然だと言わんばかりの様子だ。おそらくそれが正解なのだろう。ライルも躊躇ってはいるが、否定しようとはしていなかった。
「でも……おれ……」
「でもじゃねえ。さっさと行ってこい」
ヴァンは尻を蹴り上げそうな勢いだ。けれど、人見知りの少年はチラチラと男の冒険者たちと父親の顔を順に見るだけで、その場から動こうとしない。
(あ……)
肌に触れる仲だから、わかる。はっきりしないライルの態度にヴァンの機嫌が悪くなっていた。先ほどまでの空気とは一変している。三人がいる場所だけ、空気が張りつめていく。村人たちの喜びの声も、復旧を急ぐ忙しい声も、どこか遠くに聞こえていた。
(ヴァンさん、どうして……?)
つい今さっきまでの、親子同士のやり取りが嘘のようだ。その場には沈黙が流れていた。
ライルのことを知っているからこそ、冒険者の男たちに交渉するのはもちろん、そもそも、話しかけるのすら躊躇っているのだとわかる。シェリーにわかるのだ。ヴァンにわからないはずがない。それなのに沈黙を選んでいる理由が、まったくわからなかった。だんだんと空気が重くなるのを感じ、シェリーは居たたまれない気持ちになっていく。
いっそのこと、自分が同行すると言ってしまうのがいいかもしれない。冒険者同士の交渉だのといった内容には理解が及ばないが、せめて一緒に行ってやれば、少しはライルも楽な気持ちで話せるはずだ。実際、冒険者としての彼が頼りになることは、この数日でわかっている。
シェリーがそれを口にしようとした時、ヴァンの黒い瞳が彼女に向けられた。言葉こそなかったが、わずかに細められた目は、何も言うなと雄弁に語っている。彼女は思わず息を呑んだ。ヴァンにそんな目で見られるのは初めてだ。男は、真剣な目をしていた――
結局、三人の間に――厳密にはヴァンとライルの親子の間に――流れていた重苦しいまでの沈黙を破ったのは、ヴァンの深い、深い、溜め息だった。彼は自身の短い黒髪をガシガシ掻きながら息を吐き、決して小さくない大きさの舌打ちをする。
「もういい。帰るぞ」
短く言ってライルに背を向けるとヴァンが歩き出した。すれ違いざま、彼はシェリーの手首を握る。そのまま彼が歩き続けたため、手を引かれる形でシェリーも足を動かさざるを得ない。
「ちょっと、ヴァンさん!」
後ろには俯くライルがいる。咎めるように名前を呼ぶが、彼は後ろを――息子を振り返ろうとも、待とうともしなかった。シェリーにできることと言えば、前に進みながら首だけで振り返り「ライルくん、行こう」と声をかけることくらいだ。
俯いたままの少年の足が、一歩、前に進むのが見えた。そのまま二歩目を踏み出すのを見て、ひとまず、シェリーはホッと胸を撫で下ろす。ライルには一緒に帰る気があって、ヴァンもそれ自体は受け入れている。前を向いて、背の高い彼の後頭部をじっと見据えた。視線に気づいているらしい。ヴァンの歩みが、ほんの少しゆっくりになる。
(そういうことじゃないんだけれど)
と、思いはしたが、それを含めて、何も言えない。身体を繋げる関係だとしても、それはよその親子の問題に口を挟んでもいい免罪符にはならないのだ。相談を受けたわけでもないのに、他人が家族の話に口を出すのは図々しい行為だ――と、彼女は思っている。
けれど、とはいえ、同じ家に住んでいる同居人としては、重い空気や雰囲気の悪さを家まで持ち込んでほしくはないのだけれど。どうしたものかと長く息を吐き、吸い込めば――焼けた家屋と灰の香りが混じった、水の――雨のにおいがした。




