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魔法薬師シェリー=グリーンのパン屋めぐり  作者: 光延ミトジ
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16/26

第16話:冒険者ライル=クラム・前


 シェリーの眠りは浅い。だからこそ、異変に気づけた。


 日付けが変わった頃――不意に彼女の意識は浮上した。目を開けて、ベッドを降りる。隣のベッドではライルがぐうぐういびきをかいて眠っていた。ヴァンの姿はない。まだ帰ってきていないようだ。もしかすると今夜は村長の家に戻っては来ず、夜が明けて村を出る頃に合流するつもりなのかもしれない。


 そんなことを考えながら客室の窓際へと足を進めたシェリーは、外を見て、目を丸くした。


 遠くに火の手が上がっている。村が燃えていた。周囲はもちろん、オレンジ栽培を主要産業にしているだけあって村の中にも緑が多く、さらに木造の家が建ち並んでいる集落だ。風向きによっては、あっと言う間にこの場所にまで炎が届くだろう。ぞわりと、背筋が粟立つ。


「っ、ライルくん起きて!」


 少年が眠るベッドに駆け寄り、小さな肩を激しく揺すった。


「ぅ……?」


 同じ屋根の下で暮らす関係だ。ライルの寝起きが良くないことは知っている。強めにもう一度揺すれば、ライルは薄っすらと目蓋を持ち上げた。意識が混濁しているのか、とろんとした目をしている。シェリーは小さな肩に触れたまま「火事よ」と短く告げた――瞬間、ぱちりとライルの目が開いた。少年が慌てて飛び起き、彼女の手は肩から離れる。


「か、火事!?」

「ええ。窓から見えるわ」


 ライルはカーテンが開いたままの窓へ目を向けると、ベッドから飛び降りた。


「シェリーさん、着替えて。早く出るぞ」

「え?」


 彼は真剣な顔をしている。緊張感のある固い声だが、普段のおどおどした感じはまったくない。そのことに驚くシェリーをよそに、ライルは話ながら行動を始める。


「寝間着で逃げると危ない。機動力とか。怪我とか。途中で動けなくなるかも。火の手はまだ遠い。着替えるくらいの、余裕はある。だから、着替えたほうがいい。あと、荷物、全部おれが持つから。シェリーさん、急いで」

「え、ええ……!」


 言葉を紡ぎながら服を脱ぎ捨てるライルは、危機対応の手順が頭に入っているのだろう。テキパキ動いて荷物をまとめている。今の彼の雰囲気は同居する年下の少年ではなく、護衛任務中の冒険者のそれだった。


 準備を終えたライルは勢いよくドアを開けると、大声で「火事だーーー!!!」と叫んだ。その声で村長の家の中がだんだん騒がしくなっていく中、シェリーは言われた通り手早く着替える。これまでにライルと同じ部屋で服を脱ぎ、着替えたことなどないが、照れくさいなんて言っている場合ではない。寝間着はそのまま脱ぎ捨てて、後ろを振り返る。


 ライルはシルバーベルが入った大きな籠を背負っていた。籠の左右に長い牙をくくりつけており、持ち出す必要のある三人分の貴重品も合わせれば、かなりの重さになっていそうだ。けれどシェリーは、その荷物を半分持つとは言わない。足を引っ張ることになると、今回の依頼を通じて身に染みてわかった。


「シェリーさん、行こう!」


 彼に続いて客室を出る。玄関までの通り道でもライルは「逃げろーー!!」「火事だぞーーー!!!」と声を挙げていた。バタバタと、荷物を抱えた村長と息子夫婦、その子供たちが部屋を出てくる。シェリーとライルは一家と共に家の外へ逃げ出た。


 村は蜂の巣をつついたような騒ぎの中にある。シェリーが予想した通り、今夜は風向きが良くないようで、火の手の回りが嫌に早かった。


(こんな時にヴァンさんは何してるの……!?)


 彼ひとりでも逃げることは可能だろう。シェリーはライルと逃げて、安全な場所で合流するという選択もある。けれど、彼の安否を確認できないまま逃げることには躊躇いがあった。普段、月光水草の煙草を燻らせて、あまり動かない人物が一日中行動していた。その上、少しではあるが酒を飲み、おそらく体力を消耗する性行為をしている。もしかして、動けなくなっているのではないか……と、悪い考えが浮かんでしまうのだ。


 村長の息子は、自身の妻と子供たちに避難するように言うと、すぐさま村人の誘導をはじめた。立場には責任が伴うのだ。老いた父――村長に代わり、一番危険な場所で、一番大きな声を挙げている。村長も村長で、男手を集めてさっそく消火活動にあたろうとしていた。


「シェリーさん」

「ええ、行きましょう」

「カナリアとダイスをつれて――」


 ライルは鎧馬を繋いでいる厩舎へ向かおうする。シェリーは彼のあとに続いて進もうとし――その時。混乱と喧騒が渦巻く村に、空気を引き裂くような女性の悲鳴と子供の泣き声が響いた。そう遠くない場所からだ。踏み出そうとした足を思わず止めてしまうと、ライルも同じように動きを止めた。


(今のは……?)


 シェリーは正しく方向を把握できないが、ライルは違うらしい。燃える村のほうを見た彼の目を追うように、そちらを向いて――息を呑んだ。


 何かを喚き散らしながら中年の大男が近づいてくる。燃え盛る炎を背にした男は血走った目を見開いており、煤か土かで薄汚れた衣服を身に纏っていた。手には、刃物を持っている。火の揺らぎを鈍く反射させて、武器というよりも凶器と表したくなる禍々しさだ。そして何よりも目を引いたのは――片手で抱えた、この村の女の子だった。


「っ、やめて! 娘を離して!!」

「うっ……ママーー!!!」

「うるせえ! 黙らねえか!!!」


 瞬時に状況は理解できた。


 明らかに興奮した様子の大男が、泣き叫ぶ子供を乱雑に抱えている。凶器のナイフなど使わずとも、男がその太い腕に力を込めれば子供の細い首など簡単に折ることができるだろう。母親の女もそれがわかるから、顔面を蒼白にして恐怖に震えながらも、男と相対している。けれど我が子の喉元に凶器がふたつもある状態では、一定以上の距離から先へは近づけない。たとえそれが男を興奮させる一因になると理解していても、声を張り上げて、子供を離してくれと繰り返すしかないのだ。


 異変に気づいた村人たちが現場を囲む。きっとそれは悪手だ。血走る目を忙しく動かす大男が、焦燥に駆られているのが手に取るようにわかった。なぜ、子供を抱えているのか。あれはまるで、人質のようだ。疑問を覚えるシェリーの隣に、ライルが立った。


「あいつ、たぶん、盗賊だ」

「……え? 盗賊って……もしかして、隣の村を襲って、逃げていたっていう……?」


 一昨日、村に足を踏み入れた日の夕食で、村長がしてくれた話を思い出す。ライルが眉を寄せて頷いた。


「うん……この村に、そいつらを追ってる、冒険者パーティがいるって話……」

「確か、この村を拠点にして残党を探し回っているのよね」

「そう……そいつらが、ヘタうったのかも……メイブの森でも、街道にでもなくて……盗賊をこの村に、追い込んでしまった、とか」

「っ、じゃあ、この火事も……?」

「もしかしたら……」


 外見が全てではないけれど、大男は盗賊と言われれば納得の風貌だ。心身共に追いつめられた盗賊の残党が、村に火を放ち、女の子を人質にしている。人質を取るくらいなのだから、何かしらの要求があるのだろう。


 騒ぐ大男の存在は、村人の避難の足も、消火の手も止めてしまっていた。無理もない。小規模の長閑な村だが、村長へ情報を即座に報告するシステムが機能しているほど、住民の結束力は強い。人質にされている女の子のことは、村人の誰もが知っているに違いない。だとすれば、心配して動けなくなるのも当然だ。


 女の子が恐怖で泣き叫んでいた。その子の、これまで気丈に振る舞っていた母親もついに涙をこぼしている。大男は唾を吐き飛ばしながら激昂して「馬を用意しろ!」「金を持ってこい!」と怒鳴っていた。避難の陣頭指揮を執っていた村長の息子が駆けつけ、震える女性の前に立つ。


「わかりました! 金も馬も用意します! ですから、どうか、その子を解放してやってはください!」


 彼は毅然とした口調で交渉にあたるが、興奮して頭に血が昇った男には通じない。むしろ逆効果だろう。いっそのこと、交渉などせずに目の前に金と馬を持ってきたほうがいいのかもしれない。けれど、村が燃えている状況で金を集め、馬を火の手の近くへつれてくるのは困難だ。それに――その間に、男が凶行に走らないとも限らないのだ。


 どうするのだろう。何か解決策はあるのだろうか。シェリーが目を離せずに固唾を飲んで見ていると、不意に隣からローブをくっと引かれた。


「っ……ライルくん……?」

「行こう」

「え?」

「火の手が、もうそこまできてる……シェリーさん、ここも、危ない」

「でも……」


 シェリーは村の人間ではなく、女の子のことは名前すら知らない。関係ないと言ってしまえばそれまでだが、自分たちだけ脱出することに、躊躇してしまう。ライルを見つめれば、小さく首を横に振られた。


「火が、迫ってる……それに……村にいる、盗賊の残党が……あいつだけとは限らない……」


 ライルの言葉にシェリーは青灰色の目を見開く。


 火事と盗賊の脅威が迫る中、村人の緊張と恐怖が渦巻く現状に感化されて、どうやら自分も平常心ではなかったようだ。盗賊の残党が大男ひとりだとすっかり思い込んでいた。無法者の仲間が、今もどこかで様子を観察していて、逃げるタイミングを見計らっているかもしれない。


「あいつ……ひとりくらいなら、おれが、制圧できる……でも――」


 左右に振れることも、逸らされることもなく、ライルの三白眼がシェリーを捉えていた。


「おれが、飛び出して……シェリーさんを、ひとりにするのは、良くない……だって、おれ、シェリーさんの護衛だから」

「ライルくん……」

「それに……制圧するのなら、籠も……シルバーベルも、置いて行かないと、だし……そんなことして、何かあったら、せっかく採取したのがダメになる、かも……」


 年下の少年は、シェリーよりも遥かに冷静に状況を見ていた。Bランクに近い冒険者だと知っていても、そのことを正しくは理解できていなかったのかもしれない。おどおどした、緊張しいの少年だと思っていたのに、自分よりも余程しっかりしていて、落ちついて判断している。


 それがわかってしまった以上――ライルが、経験豊富な冒険者だと認識してしまった以上、シェリーはもう何も言えない。もしも彼を一緒に暮らす年下の少年と認識したままなら、シェリーは『わたしは大丈夫だから、女の子を助けに行って』と言えただろう。しかし今はもう、そんなことは口が裂けても癒えない。


 シェリーは気持ちを落ちつかせるように息を吐く。


(きっと、ライルくんにとっても、望む決断じゃないはず)


 父親とのやり取りを見ていれば、彼が無邪気で負けず嫌いで、素直な子だとわかる。シェリーへの接し方を見ていれば、緊張しいで照れ屋さんの、それでいて人を気遣える子だとわかる。真面目に鎧馬たちの世話をする穏やかな姿を見ていれば、心根の優しい少年だとわかる。一緒に暮らして、近くで見ていたのだから、当然だ。


 だからこそ、シェリーは迷いや苦悩が顔に出ないように、表情を取り繕って――


「そうね。行きましょう」


 その場を去る決定的な言葉を、彼女は自分で口にした。


 思うところがないわけではない。けれど、自ら危険に飛び込んで行く無謀な人間にも、あるいは、状況を理解できずに正義感を振りかざす護衛対象にも――なれない。護衛してくれている相手が、よく知っている、好ましい人物であるのなら、余計に。迷惑をかけたくもないし、危険な目にも遭わせたくなかった。


 平静を装って、泣き喚く女の子たちに背を向けようと、足を動かして――


「――オ、オヤジ……?」

「え?」


 ライルが小さく呟くのが聞こえた。シェリーは一歩踏み出した足を引いて、再び騒動のほうへ目を向ける。そして飛び込んできた光景に青灰色の目を見開いた。


(ヴァンさん……?)


 燃え盛る炎の中から、ヴァン=クラムが悠然と歩いてきた。右手には剣を持っている。腰に佩いていたものだ。左手には男を掴んでいた。襟首を持ってズルズルと引きずってきている。乱雑な扱いをしているところを見ると、火事で取り残された村人ではなく、盗賊の仲間なのかもしれない。


 ヴァンが手を離し、男を地面に投げ出しや。固い地面に身体を打ちつけた男は「うぐ……」と呻き声を挙げる。やはり随分と荒い扱いだ。目を血走らせて興奮していた大男は、後ろから聞こえた男の声に勢いよく振り返った。


「なっ!? オルグ!?」


 地面に投げられた男を見て、大男の顔が驚愕に染まる。名前を知っていることからして、大男の知り合い――つまるところ、地面で伸びている男も盗賊の残党なのだろう。


 ヴァンが首を鳴らした。口の片端を器用に持ち上げて、皮肉るような笑みを浮かべている。制圧のために剣を振り回したからか、いささか気分を高揚させているようだ。彼の表情に、獰猛な獣が重なった――






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