第14話:メイブの森・中
シルバーベルの採取を終えたシェリーたちは、森を出るべく帰路についていた。往路と同様、鎧馬のカナリアに跨ったライルが先を行く。シェリーはヴァンと鎧馬のダイスに同乗し、後ろの彼に身体を支えてもらう体勢で、揺れに身を任せていた。
前を行くライルは姿が隠れるほど大きな籠を背負っている。その中には採取したシルバーベルが湿った土ごと入っており、相当な重さになっているだろう。けれど少年は不満をこぼすことなく、むしろ「もっとおっきな籠、持ってきたら良かった!」と度々口にしていた。もう何度目かのその言葉に、後ろでヴァンがフッと笑う。
「魔法薬師のやり方だな」
「え?」
どういう意味だろうか。シェリーは顔だけ振り返る。
「薬草やらなんやらの採取の依頼を冒険者が請けたら、あそこまで丁寧な仕上げにはしねえ。かさ張って荷物になるだけだからな」
「そうなの?」
「おう。よっぽど太っ腹の依頼主なら報酬を上乗せしてくれるだろうが、ンなのはマレだ。向こうにしても、できるだけ安く済ませられるにこしたこたぁねえ」
シェリーが魔法薬師として、冒険者ギルドに依頼を出すことはほとんどない。庭の薬草畑か、薬草問屋かで、手軽に入手できる素材で事足りるからだ。特殊な素材が必要な、特殊な魔法薬を調合せずとも、生計を維持することは可能だった。今回が特別なのだ。
冒険者ギルドで依頼を出し、どの程度の報酬を支払うのか――あまりに高額の依頼料では、精製した魔法薬をよほどの高値で売りさばかない限り赤字になる。裏を返せば、薬草採取などは玄人の冒険者が引き受ける案件ではなく、経験を積みたい新人や見習い冒険者が請け負う案件なのだろう。数をこなしたい時に、丁寧に時間をかけて、低報酬の案件を達成することは、おそらくないのだと予想がつく。
(それに……)
今回シェリーがしたように、適切に処理されて、丁寧に運ばれた薬草なら、依頼主に渡すよりも薬草問屋に持ち込んだほうが実入りがあるはずだ。わざわざ手間をかけて、荷物をかさ張らせ、細心の注意を払って持ち帰るのと、むしり取って懐に入れて持ち帰るのとの報酬金額が変わらないのなら、冒険者が後者を実行するのも頷ける。今後、ギルドに依頼することがあれば、採取方法まで指定したほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、シェリーは鎧馬に揺られて来た時と同じ道を辿った。
朝早くに通った道を改めて見るとは、とっくに日が昇った今だいぶ様子が変わっている。周囲が明るくなったことでメイブの森の雰囲気も明るくなった。輝く日差しが木漏れ日として降り注ぎ、照らされた緑がきらきらと輝いていた――幅広の急流の比較的、水かさが浅い場所を渡って、しばらく進んだ頃――
「あ?」
「っ!!」
ヴァンが鎧馬の手綱を引く。ほとんど同時にライルも鎧馬を止めて、後ろのシェリーたちを振り返った。
「どうしたの?」
緊張感が走った、真剣な顔のライルを見て、シェリーは首を傾げる。ライルは何も言わない。彼女は後ろのヴァンを見たが、彼も特に何を言うわけでもなく、息子に向けて顎をしゃくっていた。ライルが頷く。
そして彼らは、止めていた鎧馬の足を再び進めさせ始め――その時、森のどこかから女性の悲鳴が聞こえた。
「え? 何?」
突如聞こえた悲鳴に困惑したシェリーは周囲を見渡してみるが、異変はどこにも見当たらない。目に映る範囲で何か起きているわけではないようだ。
(……って、ふたりとも……)
彼女は気付く。
困惑しているのは自分だけで、ヴァンもライルも平然としていた。ライルのほうはどことなく緊張感を拭いきれていないようだが、背後のヴァンは今までと変わらず、シェリーの腰を抱き寄せている。
「ねえ、今の悲鳴って……」
「気にすんな」
「……もう気になってる場合は?」
「無視だ、無視」
「ヴァンさん」
女性の悲鳴が聞こえてきて、一般人が無関心でいられるものだろうか。もちろん時と場合にはよるが、少なくとも現状、シェリーは無関心でいられない。話をそらすためか、まともに取り合おうとしないヴァンの名を、彼女は咎めるような声音で呼んだ。
彼は眉を寄せて面倒だと言わんばかりの顔をした。だがしぶしぶといった様子で口を開く。
「あー……どっかの誰かが魔獣に襲われてんだよ」
「……近くに魔獣がいるの?」
「ああ。いるぜ」
なんでもないようにヴァンは肯定した。
人間の悲鳴が届く程度の距離に魔獣がいる。それを知ったシェリーの顔が強張る。そんな反応を見て勘違いしたのか、ヴァンは自身が咎められていると思ったのだろう。渋い顔で「あー」だの「いやー」だの、言葉にならない声を発していた。そして言いわけをするかのように言葉を続ける。
「なんだ、そういうもんなんだよ。冒険者ってのは。それに今は仮にも護衛任務中だからな。護衛対象引っ張って魔獣ンとこ行くわけにもいかねえし、こっちの護衛の数を減らして、向こうにひとり派遣するってのもありえねえ。わかるか? 依頼者の安全第一だ」
言葉数が多いヴァンが珍しく、つい笑ってしまう。すると自然とシェリーの身体の強張りも解けていった。
「ヴァンさん、わたし、べつに咎めたりしてないわよ?」
「ああ?」
眉を寄せるヴァンの――シェリーの腹に回っている彼の手に、手を重ねる。
「もしもヴァンさんが、わたしが『魔獣に襲われている人を助けないから咎めている』と思ったのなら、それはあなた自身がそう思っているからじゃないの?」
「ンなことねえよ。俺ぁ、ベテランの冒険者だぞ。そんな甘っちょろいこと考えるわけねえだろ」
「ふーん」
「いやいや、本当だって」
「誰も嘘だなんて言ってないでしょう?」
シェリーがくすくす笑いながら言うと、ヴァンが肩を竦めた――のと、同時だった。再び女性の悲鳴が聞こえたかと思うと、空気を震わせて、木々を揺らすほどの、獣の咆哮が森に響き渡る。
「オヤジ、近いぞ」
いつの間にか、前にいたライルが鎧馬を退かせて隣に来ていた。
「道変えるか? 待つか? それとも――追い払うか?」
「どうしたい、シェリー?」
「わたし?」
急に話を振られて目をまたたかせる。
「わたしが決めるの?」
疑問を口にすれば、ヴァンは「ああ」と頷いた。
「報酬も出してくれるわけだしな。お前さんが雇い主だ。どうしたいかを言ってくれれば、雇われた俺らはできる限り応えるぜ」
「なんだか、責任重大ね」
迂回して帰る、あるいは、しばらく待つ――その選択をすれば、悲鳴の主は魔獣に殺されてしまう。それはあまりにも後味が悪く、ことあるごとに思い出す、苦々しい記憶になりそうだ。とはいえ、わざわざ危険に飛び込んで行くのにも躊躇いがある。正確には、飛び込むのではなく、飛びこませる、だ。自分が妙な正義感に駆られて、クラム親子を危険に晒すのは、いかがなものだろう。
ヴァンとライルの視線を感じた。
シェリーは口を閉じてしばらく考え――
「魔獣、どうにかできそうなの?」
やがて、ふたりにそう問いかけた。
「うん」
「まーな」
なんでもないような、あっさりとした返事が返ってきて、なんだか拍子抜けだ。迷っていたのはなんだったのだろう。シェリーは小さく息を漏らすと「様子を見に行きましょう」と告げる。
「う、うん! 行こう……!!」
無茶はしないで、と続けてはみたが、鼻息を荒くするライルにどれだけ伝わっているかわからない。後ろからかけられた「お人好しめ」という声は、聞こえないフリをした。
鎧馬の足並みが早くなる。腰を抱き支える腕に力が込められたのがわかった――
しばらく駆けると、悲鳴の主と魔獣の姿が見えた。
(二足歩行の、猪……!?)
魔獣の姿はまるで、威嚇して立ち上がる熊のようだ――否、その猪らしき魔獣は熊よりも遥かに巨大で、強靭な四肢を持っている。頭部は猪に似ており、口からは上向きの牙が二本生えていた。魔獣が筋肉質な丸太のような腕を振れば、近くの木が圧し折れる。獣の咆哮が空気を震わせた。
「オヤジ、暴猪だ」
「見りゃわかる」
ぼうちょ、とシェリーは口の中で転がす。
「素材としては見たことがあるけど、動いているのは初めて見るわ。熊みたいね」
「熊より遥かに凶暴だ。太い腕でぶん殴って、獲物をぐちゃぐちゃにして食っちまう。それに見た目より俊敏だ。一対一で正面からやり合うには、それなりの経験と力が必要だな。その点――」
深い森の中で、魔獣から逃げようとしては阻止され、必死に抵抗しているのはふたり組の女性だ。はたと、シェリーは気付く。どことなく見覚えのある女性たちだった。
「宿にいたねえちゃんたちか」
ヴァンの呟きが聞こえて、彼女も思い出す。
水魔法で遠距離から攻撃している、長い髪の女性は初めて見る顔だ。だがもうひとりの、暴猪を相手に短槍で対抗しているショートヘアの女性は見たことがあった。宿で男の冒険者ふたりと話していた人物だ。現在地を考えると、村長が話していたシルバーベルの採取に来た冒険者パーティとは、彼女たちのことだろう。
「おい、ライル」
彼が息子の名を呼ぶ。
「わかってる。おれが行くよ」
軽く、足音もなく、鎧馬のカナリアから降りたライルは、背負っていた大きな籠を地面に置いた。そしてマントの下に手を入れて、腰に差していた二本の武骨なナイフを掴む。少年の手には似つかわしくないと思う反面、妙にしっくりとくるような気もする。ライルはナイフをくるりと一度回し、地面を蹴った――
え、とシェリーが声を漏らすのと同時、そこにいたはずの少年の姿が消える。次の瞬間には、ライルの刃は暴れ猪の背を裂いていた。魔獣の鮮血が噴き出す。
(いつの間に……)
素人が目で追うことのできない速度だった。
「すごいわね……」
「ケッ、まだまだだ。浅い」
「え?」
「あんなのは皮膚を撫でただけだ。筋肉は断ち切れちゃいねえし、無駄に興奮させるだけの悪手だな。俺だったら腕を切り飛ばしてた」
「……張り合ってる?」
「ああ? ガキと張り合ってどうすんだ。事実を言ってんだよ」
まだまだだ、とヴァンは鼻で笑って言うけれど、シェリーの目にはライルの戦いっぷりが相当なものに映る。
彼は小柄な体躯を活かし、俊敏な動きで魔獣を翻弄していた。まるで羽が生えているかのように軽々と宙を舞い、武骨なナイフを振り回している。暴猪の太い腕を危なげなく避けながら――計算か、偶然か、魔獣を女冒険者から引き離していた。
「ライル!!」
後ろのヴァンが声を上げる。
「風はもっと、薄く、鋭く纏わせろ! 制御が甘いぞ!」
「わかってるよ!! オヤジは黙って見てろ!!」
こっちを振り向いてギャンギャン言い返すライルの傍で、暴猪が腕を振り上げた。完全に少年の視界の外だ。
「ライルくん!」
思わずシェリーが名前を呼ぶと――
きいん、と金属が擦れ合うような音が響いた。そして、ライルの武骨なナイフの刃が一瞬、揺らいだように見え、次の瞬間――暴れ猪の太く禍々しい腕が切断され、宙に弾き飛ばされていた。
魔獣の悲鳴に似た咆哮が響き渡る。
「フン、できるなら最初からやれってんだ」
ライルの武骨なナイフの刃が薄い風の膜に覆われていた。
五属性に分類された魔法の内、水の魔法、雷の魔法、土の魔法、火の魔法は形となってそれが見える。けれど、風の魔法だけは目に見えない。例えば草刈りをしていて、刈られた草が舞い上がるのは見えたとしても、草を刈る風の刃を視認することはできないのだ。
だが、ライルのナイフの周りには風の薄い膜が張っているように見えた。つまり見えているのは風ではなく、視認できるほど高濃度な魔力ということになる。一か所に圧縮するのは、魔力の制御能力が高くなければできない、高等技術だ。それを十二歳の少年が軽々とやってのけていた。シェリーは「すごいわね……」と、先ほどと同じ言葉を、違う温度でポツリと漏らした。
そのあとはライルの独壇場だ。まるで空中を駆けるかのように跳ね回り、俊敏な動きで暴れ猪を切り刻んでいく――そして、あっさりと仕留めてしまった。あっと言う間のできごとに、戦闘の素人であるシェリーはもちろん、冒険者の女性たちも目を丸くしていた。
ライルがシェリーたちのほうへ戻ってくる。
彼女はヴァンの手を借りて鎧馬を降りた。駆け寄ってきた少年の前に立ち、彼の上から下を見て、今度は下から上を流し見る。
「怪我はない?」
「っ、だ、大丈夫!」
「そう……良かったわ」
シェリーはホッと胸を撫で下ろして微笑む。ライルは動き回っていたからか頬を紅潮させたまま、三白眼を泳がせていた。
「ライルくん、本当にすごかった。わたしなんて目で追えなかったわ」
「あ……う、うん……それよりっ、シェリーさん! 暴猪、解体する?」
「解体……」
暴猪の牙は完全に乾燥させてから粉砕すると、鎮静効果や血管の収れん効果のある止血剤の材料になる。牙だけではない。内臓には高い滋養強壮効果がある。凶暴な暴猪を仕留めるのは難しいことから、市場ではそれなりに高値で取引されていた。
シェリーは少し考えて、頷く。
「牙だけ切り落としてくれるかな?」
「内臓、は?」
「今回は諦めましょう。持ち帰る準備を何もしてきていないわ」
シルバーベル採取の準備はしてきたが、魔獣の内臓を保管できる容器はない。特に臓物系は適切な保管をしなければ腐らせてしまうだけだ。そうなれば、素材によっては毒素が発生しかねない。
「切り落とし方は――」
「知って、る! ねっ、根本を、ちょっと肉が残るくらい……!」
「え? ええ、そうよ。経験があるの?」
「ん! 前に一回……だから、任せて……っ!」
言うが早いか、ライルが牙を切り落としに向かう。
それと同時に、冒険者の女性たちが近付いてきた。遠距離から攻撃を仕掛けていた長いブロンドの髪の女性と、近距離で戦闘を繰り広げていた短い金髪の女性だ。近くで見るとふたりはよく似ており、どちらも整った顔立ちをしている。彼女たちのぷっくりとした厚い唇が、こちらを――ヴァンを見て、弧を描いた。




