7. 美嘉(みか)
2008.12.19 19:27
電車の扉が開いてプラットホームに踏み出すと、容赦ない寒風に晒された。コートの前を合わせて、マフラーで口元を包む。
仕事を早めに切り上げ、他の乗客に混ざって改札を目指す。アスティの喜ぶ顔が脳裏に浮かんで、自然と早まる歩調。こういう時には、周囲の乗客達も自分に似た心境で家路を急いでいる様に見えてしまう。我ながら、単純な思考回路だと思うが、悪い気はしない。
改札を抜けたところで、ポケットの中の携帯電話が振動する。誰だろう。液晶ディスプレイに表示された名前を確認して「おや」と思う。
「もしもし」
「あたし。ねぇ、いまどこ?」
「日本」
「いや、違うくて。まだ職場?」
「いま帰りの電車降りたとこだよ。どうした?」
「いま、虎鉄にいるから」
「……はぁ?」
「きて。いますぐ」
どこか拗ねた様な口調で一方的に用件だけ告げて、通話が終わる。相変わらずなヤツだ。相手の顔を思い浮かべて苦笑いが漏れる。会うのは正月以来だから、ほぼ一年振りか。
鉄板料理の店「虎鉄」の扉を開くと、通話の相手はカウンターでビールジョッキをあおっていた。マスターがチラリとこちらに視線を向けて、微かに頷く。
「リクルートスーツか。お前のそういう格好、初めて見るな」
「今晩、泊めて」
「……は?」
「だから。アンタの部屋に泊めてって」
「おい、急だな。どうした? 就職活動か」
「そんなとこ。どこも採用絞っててウンザリ」
「まぁ、確かに大変そうだな、今年は」
「そうなの。疲れてるのにわざわざ顔見に来てやったんだから。泊めてよね」
「……あー いや、今夜はちょっと無理だわ」
「なんで」
「駅前にビジネスホテルあるだろ。ホテル代、出してやるから、そこに泊まれ」
「だから、なんで」
「……それは」
お冷とおしぼりを差し出すマスターに、身振りですぐに出て行くことを伝えて辞退する。珍しくひょうきんな表情で含み笑いをしながら、奥へ消えていくマスター。
「なによ。女でも連れ込んでるの?」
「人聞きが悪いな」
「あ、その顔。図星でしょ」
「……正解」
「はぁー アンタもそういう年頃か」
「いや、フツーだろ。ってことで、今夜は無理だ」
「わかった」
「物分りが良くて助かる」
「すぐ行こう。ダッシュで行こう。是が非でも泊めてもらうから」
「お前、コミュニケーションスキル低いだろ」
意地悪そうな笑みを浮かべたまま、スタスタ歩く就活生。店仕舞い中の商店街のシャッター音をバックミュージックに、何とか思い留まらせようと説得を試みる。しかし、結果は惨敗。そう、昔から言い出したら聞かなくて、オレが折れることが多かった。
「わかった。降参。もうわかったから」
「わかればいいのよ。で、どんな人なの」
「あー そうだな、会社員……かな。この前仕事辞めて、いまは無職だけど」
「ふーん。どんな業界?」
「んー 金融系」
「え、ヤバい人じゃないでしょね?」
「いや、ヤバくない。全然ヤバくない。フツーの人……でもないけど」
「なんなの、その歯に物が挟まったみたいな喋り方」
「何でもイエス・ノーで片付けない。日本人らしくて良いだろ」
「イミフ。何系? 綺麗? 可愛い?」
「……どっちか言うとマネキン系かな」
「なにそれ。わけわかんないんだけど」
「まぁ、会えばお前もわかるよ」
そうこう言ってるうちに、オレのマンションに着いた。エレベーターの中で深呼吸。すーはー。あからさまに不審そうな視線が横から刺さっているが、大丈夫。大丈夫なはずだ。廊下を進むと、見慣れた自室の扉が見えてくる。
「おい、わかってるだろうな。ヘンなこと言うなよ」
「大丈夫だって。これでも就活生のマナー講座受けてるんだから。挨拶バッチリだし。安心しなさいって」
「はぁー 気が滅入るわ」
「さっさと開けなさいよ、ドア」
観念して、キーケースから鍵を取り出す。扉を開くと、中から人が近付いてくる気配。あぁ、そうだよね。そりゃ、いるよね。ってか、事前に電話しとけば良かった。
「孝臣、おかえ……り?」
「えーっとな、美嘉、こちらアストリッド・エクダールさん」
オレに向かって腕を伸ばした体勢のまま、首を捻っているアスティさん。頭の上に浮かぶ「?」マークが視認出来そう。ってか、冬なのになんでタンクトップとショートパンツ姿なんだ。寒さセンサー搭載してないのか。
で、オレの後ろで固まってる突然の訪問者。まぁ、所詮は社会の厳しさの片鱗にしか触れていない就活生。マニュアルに載ってない事態に反応出来なくても仕方ないか。
「で、アスティ、これ、美嘉。オレの妹です」
親族ってなんで急に来るんでしょうね……




