第47話 叔父と姪の冷戦
激痛が額に走り、誠は目を覚ました。バスの車外はすでに闇に包まれていた。
「よう、起きたか」
かなめの顔と握りこぶしが誠の顔の前にあった。額にこぶを確認した誠は、だるさが消えたことに気づき、叫んだ。
「なんですか!この扱いは!いきなり殴らないでくださいよ!こっちは病人なんですよ!」
額を押さえながら誠は起き上がった。心配そうに見つめているカウラと目が合ってうつむいてしまう。
「起きて大丈夫?なんか体の異常とか感じること無い?」
アメリアはそう言うとポットに入れたコーヒーを紙コップに注ぐと誠に差し出した。
「どうにか……かなり楽になりました」
実際、誠はかなめに殴られた頭以外特に痛みも気持ち悪さも感じていなかった。
「大丈夫か?一人で歩けるか?」
心配そうにカウラがそう語りかける。誠はとりあえず立ち上がってみた。以前のような立ちくらみは無い。力が戻ったと言うように左手を握っては開く。
「顔色もよろしいんでなくって?不用意に法術を使ったとしても意外と回復力はあるようですわね」
そう言って茜は四人を見守っている。彼女の声で改めて周りを見回す。すっかり日は暮れていた。茜の前の席にはカラオケを続けて歌い疲れたサラとパーラ、それに本を顔に乗せたまま、ひよこが寝息を立てていた。
バスが止まり、運転していた島田は大きく伸びをした後、寝ている隊員達に気を使って静かに立ち上がった。
「すいません!荷物降ろすんで、残りの人も全員降りてくれませんか!」
運転席の脇に立っていた島田が叫ぶ。前の席の整備班員やブリッジクルーが背中に疲れを見せながら立ち上がっているのが見える。
「とりあえず行きましょ。今日の襲撃の話、隊長とランちゃんに報告しなきゃいけないし」
そう言うとアメリアが通路を歩き出した。カウラとかなめが続き、アメリアはとりあえず誠が普通に歩くことが出来るのを確認すると彼の後に続いた。
昨日出発した隊の駐車場に誠達は降り立った。もう10時を回っているのにハンガーに明かりがともっているのはいつものことだった。そしてこちらもいつものように電気がついていたのは嵯峨のいる部隊長室だった。
「西園寺さん。何が入っているんですか?このバッグ」
重そうに島田は荷物を取り出す。頭を掻きながらかなめはそれを受け取った。
「ああ、それにはちょっと物騒な物が入っているからな。アタシ等が襲撃された時、この中身があれば茜なんかの手を借りずに済んだのによう」
やはり予想通り銃器でも入っているというように、にんまりと笑うかなめを困ったように島田は見上げる。
「止してくださいよ、警察の検問とかがあったら止められて説教されますよ。私用で外出中に備品の銃器を持ち出したなんて……まあ、無茶ばっかの俺が言えた義理じゃ無いですが」
かなめは自分のバッグとその後ろの誠のバッグを取り出した。
「それじゃあ叔父貴の面でも拝みに行くか。今日の襲撃者について知ってることを全部吐かせてやる」
珍しくかなめの表情には焦りのようなものが浮かんでいた。
『——あの時、茜が来なかったら』
かなめはそう思い出しただけで、喉が焼けるようだった。急いで隊長室に向かうかなめに茜、カウラ、アメリアもその後に続いた。
誰もいないと思っていた管理部の部屋に明かりが灯っていた。中をのぞけばカウラを追いかけて旅行に参加した菰田が恰幅の良いパートリーダーの白石さんになにやら説教をされていた。
「アイツ、おばちゃん達に黙って参加したな。パートのおばちゃん達が今の時間まで残ってるってことは、たぶん第二小隊の設立に関して費用計算のシミュレーションとかの重要な仕事が溜まってるんだろ。白石さんを怒らすとあとでどうなっても知らねえぞ」
横目で絞られている菰田を見てにやけた顔をしながらかなめがこぼす。機動部隊詰め所には明かりは無い、そのまま真っ直ぐ歩くかなめ。隊長室の扉は半開きで、そこからきついタバコの香りが漂う。
「……例の件ですか?そりゃあ俺んとこ持ってこられても困りますよ。うちは探偵事務所じゃないんですから、公安の方に……って断られたんでしょうね、その調子じゃあ」
『駄目人間』嵯峨惟基は電話をしていた。そんな隊長らしい交渉をすることもあるものだといつも喫煙所でさぼっている嵯峨しか知らない誠は感心した。
「おい!叔父貴!」
隊長室の前に来るとかなめはノックもせずに怒鳴り込んだ。電話中の嵯峨は口に手を当てて静かにするように促す。カウラ、茜、アメリア、誠はそれぞれ遠慮もせずに部屋に入った。隊長室には先客と言うか、嵯峨を見守る誠達とは別の姿があった。
クバルカ・ラン中佐である。彼女もちっちゃな腕を組みながら隊長の大きな机の隣に置かれた小さな椅子に座って、難しい表情で電話口で理屈をこねまわす嵯峨を見つめていた。
「……そんな予算があればうちだって苦労しませんよ。わかります?それじゃあ」
嵯峨は受話器を置いた。面倒くさい。嵯峨の顔はそういう内容だったと言うことを露骨に語っているように見えた。
「東和の内務省の誰かってとこだろ?」
部屋の隅の折りたたみ机の上に並んでいる拳銃のスライドを手に取りながらかなめが口を出した。
「まあそんなとこか。さっさと帰れよ。疲れてんだろ?」
そう言って嵯峨は浅く座っていた部隊長の椅子の背もたれに体を投げる。
「もー遅せーんだ。家に帰って寝ろ。その分明日もきっちりしごいてやるから」
ランは外向きの笑顔で誠達にそう言った。
嵯峨とランのやる気の無い態度にかなめが机を叩いた。困ったように嵯峨は眉を寄せる。鉄粉でむせる誠を親指で指差してかなめが叔父である嵯峨をにらみつけた。
ランはと言えば多少、この合宿で誠達に何かあったことを悟って口を真一文字に結んでかなめをにらみつけた。
「じゃあ、こいつが疲れてる理由はどうするんだ?野球の練習で投げすぎたからとか海で遊び疲れたなんて理由は通用しねえからな」
かなめが誠の方を指さした。またいつもの叔父と姪の決まりきった喧嘩が始まった。そう言う表情でアメリアはため息をついている。
「俺のせい?」
そう言って嵯峨は頭を掻く。アメリア、カウラ、そして茜も黙ったまま嵯峨を見つめている。
「どう言えば納得するわけ?俺に言ってほしいこと言ってよ。俺も神様じゃないからそこまで察しは良くないんだ」
嵯峨はいつもの調子で詰問する気満々のかなめの顔を死んだ目で見つめる。
「今日、こいつが襲われた」
かなめはそう言うと誠を指さした。怒りに震えているその指先を見ても嵯峨のとぼけた表情は変わらなかった。
「そんなこともあるだろうね。『近藤事件』のヒーローだもん。ちゃんとサインはしてやったか?ファンは大事にしろよ」
相変わらずピントのぼけた話し方で嵯峨はその場を切り抜けようとする。
「自分を拉致ろうって奴にサインする馬鹿が何処にいるよ!襲ってきた馬鹿の身元。知ってるんだろ?だから茜が救出に来た。それも叔父貴の差し金だろ?いつもの事だ。アタシを馬鹿にするのもいい加減にしろ!今回の馬鹿は神前の事を何も知らないマフィア連中とは違って明らかに神前の能力を知った上で襲撃を仕掛けた。その言い訳、知ってるんだろ?しらばっくれるんじゃねえよ!いつもみたいに!」
かなめは視線の鋭さだけで部屋が凍るような雰囲気を帯びて叔父である嵯峨を見つめた。
「そうだねえ……知ってるような……知らないような……そんな話、明日で良いじゃない。早く帰んな。神前の奴青い顔してるぞ」
嵯峨は口を割るつもりはないと言うようにそう言った。
「だから何度も言ってんだろ?そいつに指示を出した奴の身元でもわかればとっとと帰るつもりだよって」
かなめは机に乗っていた拳銃のスライドを手に取る。彼女は何度も傾けては手で撫でている。嵯峨は頭を掻きながら話し始めた。
「たしかにお前さんの言うことはわかるよ。誰が糸を引いているのかわからない敵に襲われて疑問を感じないほうがどうかしてる。しかも明らかにこれまで神前を狙ってきた馬鹿とは違うやり口だ。神前の事を何も知らないマフィア連中とは違って明らかに神前の能力を知った上で襲撃を仕掛けた」
以前拉致された時の恐怖が誠を襲う。しかし、その恐怖の感じ方は今回感じた恐怖とは明らかに毛色が違うものだった。
「そうだよ。今度のは誠の馬鹿や叔父貴と同じ法術師だ。しかもご大層に『遼州を解放する為に力を貸してほしい』とかお題目並べての登場だ。ただの愉快犯やおつむの具合の悪い通り魔なんぞじゃねえ」
かなめはそう言いながら拳銃のバレルを取り上げリコイルスプリングを組み込み、スライドに戻す、スライドに装着する。
「予想してなかった訳じゃないよ。遼州の平均所得は例外の東和を除けば地球の半分前後だ、結局は世の中金だしね。分け前が少ないことで不穏分子が出てこないほうが不思議な話と言えるくらいだからな……しかも『近藤事件』で俺達遼州人にはとんでもない力が眠ってることが分かっちゃったんだ……『優生思想』に染まる馬鹿が居てもおかしくないよね」
そう言うと伸びをして大きなあくびをするのがいかにも嵯峨らしく見えた。
「そう言うこと聞いてんじゃねえよ。明らかに法術に関する訓練を受けたと思われる組織がこちらの情報を把握した上で敵対行動を取った。そこが問題なんだ……どう考えても一月や二月で思いついて仕掛けてきた奴じゃねえ……かなり前々から訓練を受けてた奴だ」
かなめはそのまま嵯峨の机のそばに行って中の部品を手に取る。いくつか机の上に置かれた拳銃のフレームから、手にしたスライドにあうものを見つけるとかなめはそれを組み上げた。
「つまりだ。わざと分からないふりをしている叔父貴にはっきり言うとだ!かなり以前からアタシ等も知らない法術に関する知識を豊富に持ち、さらに適正所有者を育成・訓練するだけの組織力を持った団体が敵対的意図を持って行動を開始しているって事実が、何でアタシ等の耳に入らなかったかと言うことが聞きたくてここに来たんだよ!」
かなめは拳銃を組み上げてそのまま静かにテーブルに置いた。かなめの手が嵯峨の机を再び叩いて大量の鉄粉を巻き上げることにならなかったことに誠は安堵する。その様子を黙って見ていたランもかなめに多少の学習能力が身に着いたことがうれしいようで口元に笑みまで浮かべていた。
嵯峨は困ったような顔をしていた。誠はこんな表情の嵯峨を見たことが無かった。常に逃げ道を用意してから言葉を発するところのある隊長として知られている。のらりくらりと言い訳めいた言動を繰り返して相手を煙に巻くのが彼の十八番だ。嵯峨は珍しく明らかに答えに窮したように少しだけ目を伏せた。
嵯峨惟基が目線を下に落としただけで、隊長室の空気が変わった。
それは『誤魔化し』ではなく、『重たいものを飲み込むような沈黙』だった。
「どうなんだ?心当たりあるんじゃねえのか?」
かなめがさらに念を押す。隊長室にいる誰もが嵯峨の出方を伺っていた。誠を襲った刺客。前回は嵯峨が行った誠の情報のリークがきっかけだった。そんな前回の事情があるだけに全員が嵯峨を不信感を漂わせつつ、にらみつけていた。




