第21話 裸と命と銭湯の距離感
「……これ、やっぱり損だったんじゃないか?遼州人はモテない宇宙人。こんなチャンス、滅多にない。……でもアメリアさんが絡んでた時点で、どうせろくな目には遭ってない……命、惜しいし……いや、アメリアさんが噛んでたってことはどうせろくなことにならないんだから……」
誠はこの夏で24歳を迎えた童貞男子として女性の裸を見る機会を喪失したことに、後悔の念を抱きながらついそんなことを口にしていた。廊下から外の窓を見れば沈みつつある夕暮れが見える。
『確かに危なかったかもしれないな。今回の旅行には菰田さん達『ヒンヌー教徒』の人達がついてきている。カウラさんと一緒にお風呂に入ったなんてバレたら……最悪殺されるよな』
常に痛い視線を投げてくるカウラを神とあがめる三白眼の野郎共を思い出しながら自室に入った。
島田も菰田もはまだ帰ってきてはいなかった。誠はアメリアの言った大浴場に行こうと着替えとタオルを持つとそのまま廊下を出た。
知り合いがそれぞれ仲間と一緒にいる事実を知るとどうにも寂しい。
『やはり断らない方が……どうせこんな機会滅多にないんだから……いや、しかし命は欲しいし、命ほどじゃなくてもこれ以上トラブルに巻き込まれるのは沢山だ』
誠は後悔の念に思考を支配されながらエレベータで一階のロビーに降りる。
「神前曹長!」
ロビーで手を振るのは司法局実働部隊技術部の秘蔵っ子で技術部整備班で唯一の未成年者の西高志兵長だった。後ろでそれを小突いているのは、菰田主計曹長だった。いつものことながら威圧するような視線を誠に浴びせてくる。それぞれの手には手ぬぐいと着替えが握られていた。
「もう行ってきたんですか?露天風呂」
誠の言葉に西がニヤニヤ笑いながらうなずいた。
「はい、行ってきました。僕は産まれも育ちも甲武の軌道上の宇宙コロニーなんで温泉なんて滅多に来れないんで本当に感動しました!ありがとうございます」
宇宙の国である甲武国の平民出身の西にとっては温泉など高嶺の花どころか、本来であれば一生体験することのできない経験だったに違いない。誠は西と同じくその『もんじゃ焼き製造マシン』体質から旅行とは無縁だった自分の境遇を思うと先ほどまでの後悔の念を忘れて西と同じくうれしい気分になれた。
「いやいや西君。お礼を言うのは僕じゃないでしょ。西園寺さんに言ってよ。このホテルのオーナーの主君は西園寺さんなんだから」
本当にうれしそうな西を見ながら誠はそう言って笑顔を浮かべて見せた。
「ここら辺は相当深く掘らなきゃ温泉なんて出ないのに……結構いい風呂だったぞ。それにしても神前。貴様は今までの時間何をしてた?風呂に来るにしては遅い時間じゃないか」
先ほどのかなめの貴賓室でのやり取りをまるで知らない菰田がそう言って疑いの目を誠に向けてきた。
「僕はベランダで夕陽見てただけで!裸もチラとも見てませんからね!誓って!」
おそらく先ほどまで誠がカウラと一緒にいたなどと言う事実を菰田が知ったら殺されるに違いない。誠はそう思うと背筋が寒くなるのを感じた。
「裸?誰の裸だ?まあいいか。いい風呂だった。貴様は車に酔うからな……幻影でも見てたんだろう」
そう言って菰田は誠の失言に特に突っ込まずに笑い出した。誠はこの時ばかりは自分の吐瀉癖に感謝せずにはいられなかった。
「そう言えば島田さんは?まだサラさんと一緒に『青春ごっこ』してるのかな?」
誠は西にそう尋ねてみた。もう夕暮れも沈みかけて二人のキスもしない甘酸っぱい恋愛を楽しむ『青春ごっこ』も終了している時間である。ロビーに帰ってきていてもおかしくない。
「僕は見てませんよ。それに野暮なこと言っちゃだめですよ!きっとまだグリファン少尉と夕陽を見て『青春ごっこ』を愉しんでるんですよ」
西はそう言うとにんまりと笑う。男子下士官寮の恋愛禁止の鉄の掟の中にあって寮長の島田はその寮長特権でサラとのラブラブ生活をエンジョイしていた。
「餓鬼の癖につまらんことを言うな!それにあんなものは子供の遊びだ。なんでも二人はキスさえしたことが無いらしいぞ。『硬派』も考え物だな!全く馬鹿馬鹿しい」
そう言って菰田は天敵の島田を笑い飛ばした。
「それじゃあ、僕は部屋に帰るんで」
そう言うと西は菰田を置いて横にあった階段を上ろうとした。そんな西を羽交い絞めにする集団が突如現れた。
「野球部の荷物の整理がまだなんだ。西、部屋に帰る前にやっといてくれよ」
西を取り押さえたのは菰田の取り巻きの整備班員の一人がそう言った。
「一応、着替えとか持ってるんで……後になりませんか?」
お人好しの西にも都合と言うものがあった。着替えを置いてくるくらいの時間はあげては良いんじゃないかと誠も思っていた。
「お前は一番階級が下なんだ。だから今すぐやれ。それより俺達は女湯の前にしばらく立つことにする。これは犯罪行為ではない。中には入らないんだからな!ベルガー大尉に湯気が当たったお湯は神聖だからそれを浴びた女共にもそれと同じ神聖なカウラ大尉の湯気に触れた女湯の空気にも、神の気配が宿っている!それを『外から』味わうのだ!」
五人の整備班員の先頭に立った菰田がいつもの変態性を発揮してそう言い切った。
誠は菰田のこう言う階級をかさに着て威張り散らすところもまた菰田の嫌いなところだった。
西を取り囲んでいる五人の整備班員は整備班の中でも島田とはあまり反りの合わないメンツで、誠にとってはあまり関わりたくない連中だった。
『ヒンヌー教団』
彼等、菰田一派のことを司法局実働部隊の隊員達はこう呼んだ。
アメリア曰く『筋金入りの変態』と呼ばれる彼等は自ら『カウラ・ベルガー親衛隊』と名乗り、犯罪すれすれのストーキングを繰り返す過激なカウラファンである。
カウラの愛車である『スカイラインGTR』にGPSを内緒で取り付けてその行動を逐一監視していた事実がランにバレて謹慎処分を食らった事が有ってもまだカウラへのストーキング行為を諦めない変態の集団だった。
出来れば係わり合いになりたくないと思っている誠だが、経理の責任者の菰田に提出する書類が色々とある関係で逃げて回ることも出来なかった。
今回の旅行でも、本来は菰田は管理部長代理としての業務があるので休みが取れないところを、パートの責任者の白石さんに仕事を押し付けてやってきたほどのイカレた人物である。
他のヒンヌー教徒達も技術部内の主要なポストに付いているのでシュツルム・パンツァーのパイロットとしてどうしても話をしないといけない機会は多々あった。
逃げようとしても逃げられない環境に珍妙な思想に染まった犯罪者すれすれの集団がいる。誠はその事実を彼らを目の前にして再認識すると同時に先ほどのアメリアの提案を受けていた自分がどうなるかを想像して恐怖した。
『ここでこの人達に出会うとは……これでカウラさんと風呂に入っていたら……本当に殺される』
菰田達の視線が誠には本当に痛く感じる。先ほどまでの事実を知らないから痛い程度で済んでいるのであってこれがその事実を知っているのであれば、鉄拳制裁の雨が誠に降り注いでいたことだろう。
「どうしたんだ?何か心にやましいことでもあるんじゃないのか?貴様の事だあの美しいベルガー大尉に迷惑をかけたに違いない。何をした?正直に吐け」
いぶかしげに黙って突っ立っている誠の顔を菰田が覗き込んでくる。悟られたらすべてが終わる。その思いだけで慌てて誠は口を開く。
「なんでもないですよ!なんでも!僕は一人で部屋にいて退屈だから風呂でも入ろうかと思って出てきたんです!じゃあ僕も風呂行こうかなあ……」
そう言うと誠はぎこちなくぎこちなく、まるでロボットのように右手と右足を同時に出して歩き始めた。
「そっちはフロントだぞ」
ガチガチに緊張している誠を見る目がさらに疑いの色を帯びる。
「そうですか?仕方ないなあ……」
誠は逃げるようにして菰田達がやってきた露天風呂のほうに向かった。菰田達『ヒンヌー教徒』の目から逃れることができて、誠は漸く安心してほっと一息つくと窓の外の庭園に目をやった。
窓越しに見える内庭の日本庭園を抜けて風情のある数寄屋造りの建物が露天風呂だった。
女湯の中でははしゃぐ声がしているところから見て、まだブリッジの女性クルー達が入っているのだろう。誠は寂しさに耐えながら、静かな男湯の脱衣所に入った。
ここもまた一流らしく落ち着いた木と竹で出来た壁面のかもし出す優雅なたたずまいを感じる脱衣所で服を脱ぎ、タオルを片手に風呂に向かった。
「あら、神前君じゃないの?やっぱりお風呂?」
そう声をかけてきたのは水色のショートカットの髪をなびかせている浴衣姿のパーラだった。隣には一緒に入ったらしいひよこの姿もあった。
「そうです。菰田先輩が言うにはかなり大きくていいお風呂らしいんで……パーラさん、女風呂はどうでした?」
誠は他意も無くそう尋ねた。
「本当に良いお風呂よ。お湯も良いし、全く生き返るわ。なんでも西園寺さんの被官でも平民としては筆頭格で遼州星系の各地にリゾート施設を所有している人が建てたんですって。だから気が利いてる訳よね。このホテルはね、普通のホテルとは逆なのよね。普通のホテルって男風呂の方が広いじゃない?まあ気を利かせて時間を決めて女風呂と男風呂を入れ替えてるところもあるみたいだけど」
あの可哀そうな西と同じく面倒ごとを押し付けられることが多く、隊員達にはあまり心を開かないパーラだが、彼女もこの『特殊な部隊』では常識人とされる誠には心を開いてそう言った。
「はあ、そういうもんなんですか……僕は旅行に行った経験がないんでホテルについてはあまり……」
その持ち前の車酔い体質から旅行と言うものをしたことが無い誠はパーラの言葉にただだあいまいな返事をするしかなかった。
「それがね、なんでも男風呂の倍の広さがあるらしいのよ、女風呂は私も連休とかに温泉に行くこともあるんだけど、こんなに広いお風呂は初めてよ。ああ、男風呂は普通の大きさらしいけど」
少し呆れたような調子でパーラはそう言った。
「なんでもここのオーナーさんが主君の西園寺さんに気を使ってそうしたらしいんです。このホテルは本当に西園寺さんが東和に勤務するためだけに作られたホテルらしくて。だから少しわがままなところがある西園寺さんが入っても怒られないように女湯を大きく作ったらしいんですよ」
驚きの表情を浮かべながら語られるひよこの言葉に誠はかなめの『お姫様ぶり』に言葉が無かった。確かに自己中心的なところがあるかなめが男湯より狭い女湯に入るなどと言うことを許すはずがないことも容易に想像がついた。
「でもかなめさんを気遣ってのことだったら隊からもっと近いところに作ってくれればいいのにねえ。移動に一日がかりなんて、思い立ったらすぐ来るって訳にはいかないじゃないの。私もかなめさんの顔で安く泊まれるなら連休の度にここを使うのに」
パーラは旅好きらしくそう言って旅とは無縁の誠に愚痴った。
「じゃあ、僕の行く男風呂は狭いんですか?」
誠は少しがっかりして湯上りの髪を整えているパーラにそう言った。
「女湯は岩づくりの露天風呂で見事な石庭を通っていくことになるんだけど……」
パーラはそう言っておくれ毛にてをやった。
「え、風呂って露天で、しかも庭を通っていくんですか?銭湯と全然違う……!」
誠の間抜けな発言にパーラは大きくため息をついた。
「そんな……近くのスーパー銭湯に行くわけじゃないんだから。でも男湯は、そんな洒落た造りじゃなくて檜造りの渋いお風呂らしいわよ。そういうの、年配の金持ちとか好きなのよね。落ち着いた雰囲気ってやつ。……まあ、私は景色さえ良けりゃ文句はないけど。まあ、いいお湯だったから私はどうでもいいけど。それじゃあ私達は部屋に戻るわね」
パーラはそう言うと残念そうな表情を浮かべている誠を置いて廊下を歩いていった。
「檜のお風呂か……初めてだから……狭くても我慢しよう。きっと実家の近くの銭湯よりは大きなお風呂のはずだ。なんと言っても『大浴場』って名前なんだし、きっと……銭湯よりは広いはず。うん、たぶん」
誠は先ほどのアメリアの提案を断った残念さを引きずりながら男風呂へと足を向けた。




