魔物
読んでいただきありがとうございます。
キリがいいところで切ったため、短めです。
気力だけで立ち上がったフェリシアは、這うようにして森の中を再び彷徨い始めた。身体が思うように動かないので、意識を飛ばしそうになったら近くの木に寄りかかりなんとか意識を保つ。
今すべきなのは、何よりも水の確保だ。食糧がなくても暫くは生きられるが、水がなければ生きていけない。耳を澄ませて森の気配を探っていると、遠くの方で微かに水音らしき音が聞こえた。
(あっちだ!)
心臓が跳ねる。水を口に出来るかと思うと、途端に喉の渇きが強まる。
残念ながら駆けだしたい気持ちに身体はついていかないが、先程までよりずっと速いペースで足を動かせていた。
何度か立ち止まって耳を澄ませる。極限の状況に置かれたフェリシアは、すべての感覚が通常の何倍も過敏になっている。微かな水音を頼りに移動してきたが、ゆっくりと、確実に水音に近づいている。
永遠にも思える長い時間そうしていたように感じるが、実際のところは数時間程度だろう。急に視界が開けたかと思うと、木々の間、びっしりと赤い苔の生えた石に挟まれるように沢が走っていた。
この時ばかりは身体の痛みも忘れて、沢へ駆け寄る。幸いというべきか、森に生えている植物と違い、水まで赤く染まっているなんてことはなく、透明で飲んでも平気そうに見えた。一口掬って口に含むと、渇いていた身体にゆっくりと水分が染み込んでいくのが分かる。そのまま両手をコップ代わりに水を飲み干す。ショルダーバッグから水筒を取り出し、中身を満たそうとした所で、ふと視線を感じた。この森に入ってから、初めての感覚。
冷や汗が背中を滑り落ちていく。
恐る恐る顔を上げると、目の前にそれは居た。フェリシアの身長程もありそうな、大きな生き物。
捕食中だったのか、鋭い鉤爪にはぐったりとしたウサギらしき動物を加えている。
(鷲……? いいえ、違う!)
一瞬、巨大な鳥かと思ったが、四足歩行の獣のような下半身を見てすぐに違うと思い直す。
重量感のありそうな体躯。背中には身体の半分程の大きさしかない翼。よく見ると大きな嘴には血が付着している。
(なに、この生き物……。)
これまで見たことのない、不気味な生き物だ。まるで上半身と下半身で別々の生き物を繋ぎ合わせたような、奇妙な醜悪さ。その鳥とも獣ともつかない謎の生き物が、ギラギラと瞳を光らせ、その視線を一直線にフェリシアへ注いでいる。
べしゃり、という音と共に鉤爪で握っていた獲物が地面に叩きつけられる。捕食の対象が、ぐったりしたウサギからフェリシアに変わったのだ。
今此処で目を逸らしたら、確実に襲い掛かって来て殺される……。
目を合わせたまま、フェリシアがじりじりと後退すれば、その分、獣がこちらに近付いてくる。
パキリ、とフェリシアの踵の下で地面の小枝が音を立てた瞬間、一人と一匹の均衡が崩れた。ブオン、と音を立てて翼を広げたかと思うと、避ける間もなく鷲に似た鋭い嘴が眼前に迫っていた。
(殺される――っ!)
そう思った瞬間、庇うように前に突き出した右腕から、マグマのように熱い何かが凄い勢いで飛び出していく。
(また、あの時と同じ――!?)
グルゥアアアアアアアア!
気付けば、身の毛もよだつ叫び声を上げ獣が白い炎に包まれていた。
「同じだ……あの時と……」
呆然とその様を見詰めながら、脳裏に襲われた小屋で起こった光景を思い浮かべる。
あの時と同じで、白い炎は周囲の木々に全く燃え移らないばかりか、足元は沢の中に浸かっているにも関わらず、炎は消えるどころかその勢いを増していた。
唯一違う点といえば、目の前の炎の勢いはあの時よりも強く、ほんの十数秒の短い時間で奇妙な獣を燃やし尽くしてしまったことだが、ダインらに襲われた時のフェリシアは、動転して彼らの最期を見届けた訳ではないので気が付かなかった。
「――やっぱり、私だったんだ……」
ははは、と、自分が泣いている自覚のないままにフェリシアは笑っていた。
アレは自分がやったんじゃない。ああなったのは自分のせいではない、と、ずっと自分自身に言い聞かせていた。そうしないと、自分がどうなってしまうか分からなかったから。
フェリシアにとってあれは悪い夢のようなもので、認めなければいつか存在を忘れられる気がしていた。
――化け物!
こびりついたルークの声が耳にこだまする。
シスター達を束ねるノースマルゴの修道女長は、孤児達が何か悪さをする度に言っていた。
「嫌なことから目を逸しても、自分からは逃げられない。たとえ他の誰も見ていなくとも、神はあなたを見ている」
そしてこの後、「だから自分にもそれを見守る神にも恥じない生き方、胸を張れる言動を心掛けるのです」、と続くのだ。
今の状況はまるで自分の狡い考えを見透かされ、どこに逃げようが自分の行いから目を背けることは許さない、と神に突き付けられているようだった。
「ハハ………なんだ、そっか……。私って、化け物だったんだ………」
喉の奥から迫り上がる衝動のままに、その場で吐く。ごぼり、と口こら溢れたそれは、真っ赤な血の色をしていた。意図せず魔法を使い身体に負担を掛けた上、身体の中で解放されそこなった熱が外に出ようと暴走しているせいで体内が傷付けられているのだろう。
その熱の正体がきっと魔力なのだ、と、今のフェリシアはもう素直に受け入れられた。
身体が熱い。どこもかしこも痛くて堪らない。
身体を支えているのも辛くなり、フェリシアはその場に倒れ込んだ。
まるでそよ風のように、沢を流れる水が頬を撫でていく。
このまま、自分の汚い所全て、洗われて綺麗になればいいのに。
「疲れた……」
身体の欲求に抗うことなく、目を閉じた。
次に目を開けた時、この異質な森の外から助け出されているとは、夢にも思わずに。




