久瑠実が仕事場に来た日
今回は久瑠実があたしの撮影現場に来た時の話だ。あたしと久瑠実の関係が、がらりと変わった日だったな。
久瑠実があたしの仕事場に来ると宣言した数日後。さっそくたしは久瑠実に声を掛けた。
いつ来てもいいか、そんな感じの連絡だ。
“今週の土曜日、大丈夫?行けるなら迎えに行くけど。”
そんなメールを久瑠実に送ると、やっぱり数分後に返信が返ってきた。早いよな、返すの。
“大丈夫です。時間だけ教えていただいてもかまいませんか?”
あたしは少しドキドキしながら一日の大まかな予定を書いたメールを送る。
久瑠実はあたしが仕事してるところを見て、どう思うんだろうな。
当日の五時過ぎ。いつも通りマネージャーの五十嵐さんがあたしの家の前まで迎えに来た。
「おはようエコ。今日の体調はどう?」
「まちまち。良い方かな。」
久瑠実が来ることになって結構ドキドキして、あんまりよく眠れなかったのだが朝起きた時、割と寝起きは良かった。
なんとなくいつもよりやる気がある。やっぱり久瑠実の影響だろうな。
「久瑠実ちゃんの家によればいいのよね?ちょっと説明してくれる?」
「いいよ。行きながら、言うよ。」
「ありがと。さ、乗って。」
あたしは慣れきったマネージャーの車に乗り込み、定位置に座る。運転席の真後ろだ。
五十嵐さんのとなりは何となく恐れ多いからな。いつからか必ずここに座るようになった。
「さ、出発するわよ。方向はこっちよね?」
「うん、あってる。次右に曲がって。」
歩いて4分程度の道のりは車じゃ一瞬だ。すぐに久瑠実の家の前に着く。
久瑠実は玄関先で待っていた。
あたしは車のドアを開けて、久瑠実に挨拶をする。
「おはよう久瑠実。今日は来てくれてありがとな。」
「いえいえ。静かに見守っておりますね。」
静かに…まぁそうか。騒がれたらたまったもんじゃないもんな。
「ああ。ありがと。」
一通り普段と変わらないペースで会話をした後、あたしはイヤホンを耳に突っ込んだ。
いつもこうだ。出発したらすぐに、曲を聞きながら眠りにつく。
小さい時からの習慣でやめられない。こうやって寝ている間に、スのあたしが抜けていくような気がするから。モデルになるためだけに生まれてきたあたしになれるから。
だんだん意識が遠のいていく中で、久瑠実と五十嵐さんが話しているのが軽く聞こえてくる。でも、もはやもう聴き取れやしない。
肩を揺らす手の感覚。誰かが私の肩を揺らしているようだ。ゆっくりと目を開けるとそこには学校の友人の久瑠実の姿。
そっか。今日は久瑠実が見に来てくれるんだった。だから横にいるんだよね。そうだった、忘れちゃってたよ。まったく、馬鹿だなぁ。こんなことお母さんに言ったら、笑われちゃうんだろうな。
「久瑠実…、もう着いた?」
「もうすぐ着くようです。起こせと言われたものですから。」
五十嵐さんかな、久瑠実にそう言ったの。まあいいや。
「ああ、ありがと。」
眠いなぁ。
私は目をこする。
もうすぐ着いちゃう。仕事か、面倒臭いな。やめたいな。
一杯練習したけど、別に努力が無駄になったっていいよ。
…でもなぁ、やめたら多分お母さんにおこられちゃうね。
練習休んだ時も、一杯怒られちゃったから。
仕方がないから、今日も頑張ろう。
久瑠実が見ていてくれるなら、いつもよりもっと頑張っちゃおうかな。
撮影現場に着く。またここか。今日、お母さんはいないよね。
あれ…?そうだ、お母さんなんていない。来るはずがない。
だって昔の話だもん。お母さんがいちいちついてきていたのなんて。
小学校ぐらいの時の話じゃん。
私はいま、高校生。16歳だ。もう、親の意思で仕事をしているんじゃないんだ。
こうやって、ずっと昔のことをひきずっているから、長らく成長できなかったんだよね。
もうやめちゃおう。私の意思で、いやあたしの意思で。仕事しよう。
久瑠実がいる。きっと、いままでのままでいてくれるはず。だから大丈夫。
久瑠実。信じさせてくれ。あたし、もう昔のことは引きずらない。
言っていなかったけれど、あたしは仕事の時、子供の時の、練習づめで仕事があれば母親がついてきていた時の感情を引きずっていた。
そんな男みたいな話し方はするなと言われ続けて、無理やり仕事関係の時だけなおした口調。
それを仕事の時、使っていた。仕事の時のあたしはまるで別人だった。昔から変わらないねと言われた。ずっと変わっていなかった。
それを今日どうにかする。久瑠実が見ていてくれるから。大事な人が見ていてくれるから。成長して見せる。
マネージャーの横にいる久瑠実のもとに歩み寄る。そして、いままで仕事場では使ったことのない男まがいの口調でいう。心からの笑顔で。
「久瑠実、目をそらすんじぇねぇぞ?」
久瑠実はにっこり笑った。もういい。裏表分けるのなんてやめてやるよ。全部、あたしだ。エコは、あたしだ。エコは子供じゃない。あたし。
あたしはマネージャーと久瑠実を置いて先に現場に入り、一通り挨拶をしてから更衣室に入った。
ここには何度も来ている。小学生のころからのおなじみの撮影場所だ。
中にはいつものメイクさんが一人と、髪の毛をいじる人が一人。あとは服整えてくれる人。
「おはようございます。よろしくおねがいします。」
「おはようございます、エコさん。今日もよろしくね。」
とりあえず一つ目の服に着替えて、メイクをされる。所要時間は30分程度。業界では早い方らしい。
あたりまえだ。あたしの自慢の、ヘアメイクアーティストさん。スタイリストさんだからな。
準備を終えてカメラが待つ場所に歩みを進める。
足元は結構かかとの上がったヒールだ。こんなのは慣れっこだけどな。
こつこつと床とヒールをぶつけながら、堂々と歩く。こんなにすがすがしい気持ちで撮影に挑むのは初めてだ。
今日はどんな写真を撮ってくれるのだろう。とびっきりきれいにうつしてくれ。そうじゃないとファンに恥ずかしいから。
久瑠実が喜んでくれないから。
迷いなくポーズを決めていく。カメラマンさんはいいね良いねと言ってくる。当たり前だ。昨日までのあたしとは違うからな。
ライトがまぶしい。しかし心地がいい。
ここにいたい。初めてそう思った。
何回か衣装チェンジを挟みながら撮影は進む。今日は本当に流れがいい。あたしのやるきが違うせいか。
今までは絶対に思わなかった、楽しいという気持ちがこみ上げてきて、面白かった。
久瑠実はずっとあたしの方を見ていた。そうだ、見ろ。あたしは。モデルだぞ?
撮影は予定より大分早く終了した。達成感がすごい。
もとの服装に着替え、久瑠実のもとに行く。
感想を聞きたい。かなり緊張するけど、きっと大丈夫だ。久瑠実は信じていい人だ。
「そうだった…?」
返ってきたのは友人の久瑠実の声。ファンの声ではない。いつもどおりの、それだった。
「素敵でしたよ、映子ちゃん。映子ちゃんはやっぱり映子ちゃんですね…!!」
あたしの顔には笑みが浮かんだ。当たり前だ。久瑠実が、いつもの久瑠実だったから。
「ありがとう、久瑠実。見に来てくれて。今日は一段と頑張れた。」
そして、かわることができた。いろいろ吹っ切れた。
「そうでしたか。それはよかったです。お疲れ様です。」
久瑠実の声は落ち着く。やっぱりこれじゃないと。
普段のペースで会話を重ねていると、周りにいたスタッフたちがまじまじとこちらを見つめていた。
そりゃそうだろうな。あたしの素の笑顔とか、だれも見たことなかったもんな。
「すごいみられている気がするのですが…。」
居心地悪いよな。御免な、久瑠実。
「ごめん。あたしがこんな風に話してるのが不思議なんだろ。…帰ろう。」
「そうですね。」
五十嵐さんは準備満タンといった様子であたしたちを見ている。
さすが、あたしのマネージャー。
「映子ちゃん本当に素敵でした。エコさんの撮影というよりは、映子ちゃんの撮影に見えて仕方がなかったんですけどね。もう、エコさんとしてみることはできなさそうです。」
久瑠実が心配していた、エコにあたしがぶっ潰される状況は生まれなかったようだ。おかげで友達の久瑠実が横にいる。
「そうか。まぁ一人ぐらいあたしのことをそう見てくれているやつがいたほうが心地いい。」
もう久瑠実は必要不可欠だ。
あたしは久瑠実に笑顔を向ける。
「本当に仲がいいのね。久瑠実ちゃんに嫉妬しちゃいそう。」
マネージャーさんが冗談めかしてそんなことを言ってくる。仕方がない。あたしがかまってやるよ。
「五十嵐さん。あなたにもちゃんと感謝してますよ。」
初めてこんなこと言ったよ。今までは気恥ずかしかったし、親に手配されていると思うと気持ちが悪かったけど、今はそうじゃない。
この人はずっとあたしに尽くしてくれている。
「ため口は絶対使わないのね。」
恐れ多いんだよ。それはさすがに。
「プライベートと仕事の区別をつけないと、死にそうです。精神的に。」
「そうね。…ありがとう。エコ。」
三人でいろんなことを話しながら帰った。五十嵐さんと初めてまともに話したから、ちょっと変な感じがしたけど久瑠実がいたから会話は円滑に進んだ。
久瑠実は敬語を使うあたしが気持ち悪くて仕方がなかったようだけど。
久瑠実のおかげで、気持ちの悪い仕事モードのあたしは消えうせた。
もう、二重人格みたいなことには二度とならないだろう。
ありがとう久瑠実。大好き。
まだ続きます。




