公爵子息への、復讐の始まり
「キャァァァァァァァァァァァァア!」
侍女の叫び声が響くと同時に、悲鳴が連鎖する。
きっと、今日は騒がしくなるだろうと思いながら……ミスティは目を覚ました。
「おはようございます、お嬢様」
「……………おはよう」
ふわりと微笑んだ彼女は、マキナへ向かって腕を伸ばす。
彼はそれに答えるように、ゆっくりとミスティを抱き起こした。
「……お嬢様?」
だが、ミスティはそのまま彼から離れようとしない。
それどころか、至近距離で彼女は笑った。
「昨夜、私が寝てからもこの屋敷で情報収集を頑張ってくれたみたいね?」
「…………おや。お気づきで?」
「流石に気づくわよ。貴方の随分と私のために働いてくれているんだから。そんな貴方に……貴方の献身に。私は報いを返すべきだと思ったの。だからね?マキナ。ご褒美をあげるわ」
「…………ご褒美、ですか?」
唐突な言葉。
怪訝な顔をする彼の頬を、ミスティは指先で撫でた。
「えぇ。私が与えられるものなら、なんでもあげるわ。それが主人というものでしょう?」
ぞわりっ……。
背筋が粟立つ感覚に、マキナは目を見開く。
その金の瞳は、まるで爬虫類のように細まっており……興奮を隠せていない。
彼は「はっ……」と小さく息を吐いて、困ったように問うた。
「それ、は……」
「なぁに?いらない?」
「欲しいに決まってるでしょう!?あぁ……あぁっ!僕をっ……僕を捧げた主人に褒美を頂けるなんてっ……!そんなっ……そんなっ、下僕冥利に尽きるようなことをっ……!!」
マキナはとろとろに蕩けた顔で、ミスティの首筋に頬を擦り寄せる。
熱い息を吐きながら、微笑む。
マキナはミスティの僕だ。
全てを捧げ、使い捨てられても構わないとすら思っている。
だが、だからと言って僕だからという理由で主人の全てを許す訳ではない。
主人にとって何が一番最良なのか──。
それを選べるのが、優良な僕というもの。
ゆえにマキナは、ミスティにとっての最善を選んできた。
そんな彼に、主人がご褒美をくれるなんて。
なんて幸福なんだろう。なんて喜ばしいことなのだろう。
マキナは蕩けた笑顔で笑う。
「さぁ、マキナ?貴方は何が欲しいの?」
クスクスとミスティは笑う。
その目は何もかも見透かすような瞳。
マキナはそれを見て、目を見開いた。
「……………お嬢様」
「なぁに?」
「…………もしかして、バレてました……?」
「あら?やぁーっと白状する気になったのかしら?」
ニヤリ……。
ミスティの笑みにマキナは脱力して、ミスティを抱いたままベッドに倒れ込んだ。
──撃沈、である。
「いや、あの、そのですね?」
「マキナって私に全てを捧げるとか言っておきながら、勝手にご褒美をもらって……楽しかった?」
「…………うぐっ。ご、ごめんなさい……」
そう……マキナは、ミスティが寝ている間に勝手にご褒美をもらっていた。
いや、ご褒美なんて言うより……無体を働いていたとも言える。
勝手にミスティの部屋に侵入し、彼女のベッドサイドに侍り、勝手にベッドに同衾したり……キスしたり。
そう、色々、していたのだ。
「そんなことをした理由は?」
「お嬢様に触りたかったからです」
「あら、素直ね。じゃあ、なんで寝てる時に触っていたの?」
「…………一応……僕は僕なので。主人にキスとかしちゃダメかなぁと……」
「寝てる時もそうよね?」
「……………えぇ……まぁ……でも、なんでか分からないけど、触りたかったんです。お嬢様の温もりが欲しくて……我慢できなくて」
マキナは顔を赤くして弁明する。
そう、我慢できなかったのだ。
ミスティといる時間は、マキナにとって大切な時間で。
共にいるだけで、胸が暖かくなる。
だけど、彼女が無防備なところを見ると……熱量を増す。
身体の奥、胸の奥が熱くて。
触れたくて、ミスティの熱が欲しくなって。
堪らなくなってしまう。
だから、彼女が寝ている間にそれを紛らわせるように触っていた。我慢できずに触っていた。
寝ている間は、きっとミスティも気づかないだろうと。
だが、そんなことはないのだ。
ミスティは竜になった。
五感だって敏感だし、侵入者の気配に気づかないはずがない。
だから、ミスティは早々にマキナの行動に気づいていた。
殺すつもりなのかと思っていたが……向けられる感情は、負の感情じゃなくて。
自分を求めるような切望感。
負の感情じゃないなら別にいいかと放置していた彼女が、今更そのことを口にした理由は──。
マキナは、ゆっくりと起き上がると……頭を下げる。
そして、静かに告げた。
「どのような処罰もお受けします」
「ふぅん……」
ミスティも起き上がり、頭を下げるマキナの首を撫でる。
そして、彼の耳元で囁いた。
「なら、今度は私が貴方に触る番ね」
「…………………………へ?」
ミスティは、彼の頬を撫でる。
柔らかな灰銀色の髪を梳いて、首筋に顔を寄せ……その匂いを嗅ぐ。
指を絡めて。身体を預けるように傾けて。マキナの熱を、全身で感じる。
マキナはそんなミスティの様子に……硬直した。
「………………えっと……勝手に触れたのに、殺さないんですか?」
「別に殺さないわ。マキナに触られるのは気持ちいいって言ったでしょう?でも、マキナばっかり触るのは狡いと思うの」
「………………………うわぉ」
「それに、次からは起きてる時でも触れていいわ。私だってマキナに触れたい。寝ている間に勝手に触られるより、ずっといい」
誰からも必要とされなかったミスティと、大切なものを持ったことがなかったマキナ。
互いに全ての本性を晒す関係は、互いに全てを信じることができるということ。
それは、酷く安心するのだ。
壊れていようと、血に染まっていようと。
狂っていようと、憎悪に染まっていようと。
互いに互いがおかしいから、受け入れることができる存在。
そんな存在を〝好き〟にならないはずがない。
だが、鈍感な二人は胸の中に満ちる暖かさが、〝好き〟といえ感情だと気づかない。
何かを好きになったことがないから、気づけない。
ゆえに、本能に任せて行動する。
それが、マキナの夜の接触の原因だった。
だけど、それだとマキナばっかり満たされるだけで……ちゃんと彼に触れられないミスティにはつまらない。
だから、彼女も本能に任せて起きてる時に触りたいと言ったのだ。
「…………んんっ。なんですかね……?なんか、顔が熱い……」
「ふふっ……奇遇ね?私も、よ」
「本当……なんなんですかね、これ……」
「さぁ?でも、結構心地いいわ」
「…………ですね」
互いに真っ赤な顔を向けて、見つめ合う。
ドロドロに蕩けた金色の瞳。
そのまま、流れに任せて……ゆっくりと、顔が近づき………。
──ドンドンドンドン!
騒がしいノック音で、二人は動きを止めた。
『至急、食事の間にと。当主様のご命令です』
どうやら侍女がミスティ達を呼びに来たらしい。
例の玄関の死体についてだろう。
ミスティとマキナはニヤリと笑い、互いに頷く。
「えぇ、直ぐ向かうわ──────復讐を始めるために、ね?」
最後の言葉は、マキナにしか届かなかった──。




