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神官は、愛しい人に裏切られて……朽ち果てる。

 




 日に日に、自分がおかしくなっているのに、エルムは気づいていた。



 覚えていないが、毎夜毎夜嫌な夢を見る。

 目覚めているのか、寝ているのか。

 その境界さえも曖昧な毎日。

 自分が喋っているはずなのに、自分じゃない誰かが喋っているような時だってあって。

 エルムは日の日に、自分が自分じゃなくなっているのに気づいていた。

 だが、そんな彼の恐怖に比例してティターニアの笑みは深くなっていく。更に美しくなっていく。

 まるで、それは恋い焦がれているような……愛しい人を待つような笑み。

 自分に向けられている笑みなのに、エルムは酷く苛立ってしまう。


 まるで……自分じゃない自分に向けられているようで──……。


 そして……そう感じたのは、間違いではなかったらしい。



 エルムの運命が尽きる日。

 その日がついに、きてしまったのだから──……。











「うっ……ぐっ……!ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっ!」



 慟哭が、響く。

 エルムはベッドの上で喉を、身体を、皮膚を掻き毟りながら暴れまくっていた。



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっっっ!」



 まるで熱い鉄を飲み込んだかのような、火で炙られているような熱さと痛み。

 体内で熱が暴れ回り、彼の身体を壊して始めていた。

 どうして急にこうなったのか?

 どうしてこんなに痛いのか?

 エルムは悲鳴をあげながら、ベッドから床へと落ちる。

 それと同時に、頭の中で声が響いた。


『痛っ!?おいおい、オレの身体になんだから優しくしろよ〜』

「うぐっっ!?」


 咳と共に血を吐き、エルムはぐわんぐわんと揺れる頭を押さえる。

 すると……その手に重ねるように、優しく手が重ねられた。


「…………ティター……ニア……?」

『うふふふっ、やっと貴方に会えるのね』


 蕩けるような笑みに、背筋がゾッとする。

 無意識に身体が震えてしまう。

 だが、エルムの口は勝手に言葉を紡いだ。


『待たせたな、ティターニア』

『いいえ、本来ならもっと時間がかかったんだもの。全然、待ってないわ』


 愛おしそうに触れる手。

 いつもなら嬉しくて仕方ないのに、今は何故か恐怖しか感じない。

 ティターニアは震えるエルムを見つめ……柔らかく笑った。


『ありがとう、エルム。貴方のおかげで、わたくしの愛しい旦那様を取り戻せるわ』

「な、に……を──………」

『あぁ、ちゃんと説明してやれと言われていたんだったわ』


 ティターニアの背に妖精の羽根が現れ、その存在が妖精女王のモノへと変わる。

 そして、彼女は胸に手を添えて微笑んだ。


『わたくしの名前はティターニア。妖精の女王。貴方が分かるように言えば、魔物よ』

「っっっ!?」


 エルムはギョッと目を見開く。

 今まで、彼の知識の中にある魔物とは知能が低く、人々を襲うケダモノでしかなかった。

 しかし、彼女はどうだろうか?

 その姿は羽根がある以外、人間と変わらない。それどころか、会話だって可能なほどの知能がある。

 エルムは、自身の常識が崩れていく気がした。


『ねぇ、ご存知?何故、魔物が人間を襲うのか。始まりは貴方達が原因だと、知っている人はどれだけいるのかしら?』


 ティターニアは語る。

 魔物が人を殺すのは、報復なのだと。

 人間達の暮らしを豊かにするために……素材を取るために、魔物達は殺されたのだと。

 ゆえに、魔物達は同胞を殺した人間を、殺そうとするのだと。


『始まりは魔物の死体が良い素材だと知ってしまったこと。それから、人間達は自分達のために無残に魔物たちを殺していったわ。酷いわよね。殺さなくても……素材を与えられる魔物だっていたのに。人間達は容赦なく殺していった。今、貴方達が敬っている竜も……幻竜様も素材のために、ご両親を人間に殺されたそうよ?』


 その事実にエルムは驚かずにいられない。

 自分達が信仰する竜すらもかつての人々か殺してきただなんて……信じられなかった。信じたく、なかった。


『殺されたら、殺し返そうと思うのは普通よね。だって、貴方達人間も……大切な人が殺されたら、やり返すでしょう?』

「そ、んな……」

『でも、ね?貴方がこんな目に遭っているのは、それが理由じゃないの』

「…………………え?」


 エルムが目を見開く。

 そんな彼に……ティターニアは、告げた。



『こうなったのは………貴方が、竜を殺したのが原因なのよ』



 ゾワリッ……。


 背筋が凍りそうなほどの威圧に、エルムはガクガクと震え出し、ティターニアは勢いよく振り返る。

 そこにいるのは薄っすらと笑みを浮かべるミスティと、その背後に立つマキナ。

 ミスティはクスクス笑いながら、エルムの前に立った。



「うふふふっ。()()()、初めまして」



 楽しそうな声なのに……その声を聞くだけで、身体が痙攣けいれんしたように震える。

 エルムは荒い息を吐きながら、目の前の人の姿をした化物を見つめた。


「……あ、な……た……は……」

「ミスティ・ドラグーン。いらない令嬢と言えば分かるかしら?」


 神官であっても、ドラグーン公爵家の捨て置かれた令嬢の話は聞いている。

 特に目立たない、平凡な令嬢だと聞いていたが……エルムは〝これはなんだ〟と思わずにいられない。


 異常なほどの美しさ。


 異常なほどの不気味さ。


 異常なほどの恐怖。


 これが、平凡な令嬢だとは……思えない。


「あはははっ、痛い?地を這うその姿、蛆虫(ウジムシ)みたいで似合ってるわよ」


 ミスティの金色の瞳が、瞳孔の開ききった瞳が爛々と輝く。

 そして、にっこりと微笑んだ。


「ティターニアとの生活はどうだった?幸せだった?楽しかった?私、見てたのよ?幸せそうな笑顔だったわね?ティターニアに優しくしてもらって、嬉しかったでしょう?その温もりを知って、愛おしく感じてたでしょう?でもね………」


 ミスティは笑う。

 そして、彼の首をグイッと片手で掴み持ち上げた。



「ぜ〜〜んぶ、貴方じゃなくて愛しい旦那様に向けた感情だったのよ?」



「かはっ……!?」


 ギリギリと首が締まり、呼吸がままならなくなる。

 細腕の令嬢でしかない彼女の握力とは考えられないほどに、異常で。

 エルムは、何が起きてるのか分からない。


「段々、自分が自分じゃなくなりそうだったでしょう?それはね?ティターニアが貴方のことを魔物化させていたからなの。貴方の肉体に〝妖精の核〟が埋め込まれているからなの。ティターニアの愛しい旦那様の核よ?」


 本来、フェアリーとは霊的存在であり……基本的には、物理的な肉体を持たぬ精神(アストラル)体だ。

 そして、フェアリーはそれぞれ〝核〟が存在しており……それが無事なら何度だって生き返ることができる。

 普通ならば、植物の魔力が満ちた場所でかなりの時間をかけて再生させるのだが……今回は、エルムの身体を魔物(フェアリー)化させて核を埋め込み。エルムの身体を媒介に、核の人格──ティターニアの夫を蘇らせるのが目的だったのだと、ミスティは告げた。


「普通に復活させようと思ったら、凄い時間がかかるわ。でも、聖なる者が苗床になれば、とても早くコトが進むの。まぁ、そうよね?綺麗なモノが穢れるのだから、凄い力が生じるのは当たり前よね?だからね?ティターニアが貴方に優しくしていたのは、自分の夫を復活させるためだったのよ」


 エルムは言葉を失っていた。

 今まで、ティターニアが優しくしてくれていたのは……エルムを利用して、自分の大切な人を蘇らせるためだったのだと。



 愛しい人が、そんなことをしていたなんて……認めたく、なかった。



「う、嘘、だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁあっっっ!」

「あはははっ!嘘じゃないわよ!見てみなさいよ!貴方の身体!ほら、皮膚が剥がれ始めたわ!」

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっ!?」


 ミスティの指摘と共に、皮膚がボロボロと落ち始める。

 今まで神殿で暮らして怪我らしい怪我をしてこなかったエルムは、生皮が剥がれる痛みに頭がおかしくなりそうになる。

 それほどまでに痛かった。

 いっそ、意識を失えたらどんなに幸せなのか。

 なのに、意識が失えない。


「あははは、僕が《精神干渉》している以上──そう簡単に意識を失える訳ないじゃないですか」


 残酷なその言葉は、絶叫をあげるエルムには届かない。

 皮膚が剥がれ落ちた後は、血がボタボタと滴り落ち……ミスティの肌を、髪を、服を、全てを赤く染めていく。


「うふふっ!あはははっ!」


 血塗れになったミスティが手を離しても……エルムの肉体は、宙に浮いたままだった。

 彼はその場で、更に苦しむ。



「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっ!」



 抉られるように筋肉が地面に落ちていく。

 内臓が零れ落ちていく。

 骨がガシャガシャと音を立てて、地面に叩きつけられる。



 最後にそこに……残ったのは………。

 エルムではなく──美しい羽根を持った青年。



 ティターニアと同じ燐光を放つ琥珀色の髪。

 柔らかな緑色の瞳をゆっくりと開き……彼は思いっきり、腕を伸ばした。


『うわぁぁ〜……やっと!やぁっと動けるようになったぜ!』

『オベイロン!』


 ティターニアが彼に抱きつき、オベイロンと呼ばれた妖精も抱き締め返す。

 二人は互いに見つめ合いながら、柔らかく微笑んだ。


『ありがとな、ティターニア。オレのために……人間なんかの世話を焼いてくれてよ』

『いいえ……いいえ!貴方を取り戻すためなら、わたくしはどんなことだってするわ!貴方のためならっ……憎き人間の相手だって、苦痛ですらなかったんだから!』


 オベイロンはそんな妻の言葉に、蕩けるような笑みを浮かべる。

 そして……ミスティとマキナの方へと視線を向け、恭しく頭を下げた。


『これも全て、お二人のおかげだ。ありがとう』

「うふふっ、構わないわよ。だって、私はあの神官に復讐したかっただけだもの。好いた女に裏切られたアイツは、とっても悲しかったでしょうねぇ」


 ミスティは地面に落ちたエルムだった肉塊を見つめながら、笑う。

 マキナもそんな彼女に優しい視線を向けながら、答えた。


「僕もお嬢様を楽しませるためですから。それに、魔物化して器にするのは……ほら、よくある話ですから。そんなに感謝しなくても、ね?」

『………幻竜様がどれだけ永い時を生きていられるかは分かりませんが、少なくともわたくしは魔物化なんて初めて聞きましたわ。もし知っていたなら、とっくに行なっていますもの』

「……………おや。時代の流れってヤツですかね……?」


 マキナは、若干遠い目をする。

 ミスティはクスクス笑いながら、オベイロンに聞いた。


「あの神官の精神はどうなったの?」

『まだ微かにオレの中に残っている。これから、愛した女(ティターニア)他の男(オレ)と仲睦まじくしているのを見せつけて、もっと精神的に追い込んでいけばいいのか?』

「えぇ、そうして。その意識が死ぬ瞬間まで、苦しませて」


 ミスティの冷たい笑みに、ティターニアとオベイロンは身体を硬直させる。

 そんな二人を見て、マキナはクスクスと笑った。


「君達には協力してもらいましたから、見返りを用意しなくてはいけませんね。神殿に圧力をかけてフェアリーを襲えないようにしておく感じでいいですか?」

『『え?』』

「まぁ、多少《妖精の燐光》を提供してもらうことになると思いますけど……全滅するよりマシですよね?」

『…………本当に……そんなことが、できますの?』

「あははは、誰にモノを言ってるんですか?」


 マキナはスッと目を細めて笑う。



「僕は《迷霧の幻竜》ですよ?」



『『っっっ!?』』


 その時、ティターニアとオベイロンは初めて知った。

 彼が古き時代から生きている、竜であることを。



 《迷霧の幻竜》──そのあだ名を持つ竜は、この世界の創造に関わっている《破滅の邪竜》の配下に属する存在だ。



 人間達は既に《破滅の邪竜(彼の存在)》を忘れているようだが……霊的な存在として半不死身でもあるフェアリー達は、その存在のことを忘れていない。

 では、この少女こそが……あの、《破滅の邪竜》なのか?

 そんな声に出せない疑問は、ティターニア達の心境を敏感に感じ取ったマキナによって否定された。


「確かに、僕は《破滅の邪竜》勢力に属してますけど……お嬢様は《破滅の邪竜》ではありませんよ?そもそも、ラグナ様は男ですし。花嫁様と箱庭に引き篭もってずっと万年新婚夫婦やってるんですから……こんなところに本竜ほんにんがいる訳ないでしょう」

『え、あ……そう、なの……か?』

「えぇ。まぁ一応、お嬢様は《破滅の邪竜》の系譜ではあらせられますけど。今回は……まぁ、色々とご縁があって正式に僕がお嬢様の下僕になっただけです。…………というか、君ら。詳しい話、知りたいんですか?知りたくないところまで知ることになりますよ?」

『『っ!!』』

「我が身がかわいいなら……余計なことは、知ろうとしないことです。この話はここまで──……それで構いませんよね?」


 にっこりと有無を言わさぬ笑顔でそう告げるマキナに、ティターニア達は何度も頷く。

 改めて……ティターニア達は、自分達がとんでもない存在と関わっていたのだと、今更ながらに気づいたのだった。


「とにもかくにも。折角の再会を邪魔するほど無粋ではありませんので。本日はそろそろお暇させていただきます。フェアリー狩りに関する詳しい話はまた後日、ということで。ではお嬢様、帰りましょうか」

「えぇ。またね?ティターニアとオベイロン」


 ミスティ達は軽やかな足取りで、簡易箱庭から消え去る。





 残されたティターニア達は……(ミスティ)達が気まぐれを起こさなかったことに。

 殺されなかったことに安堵しながら……簡易箱庭から出て行った。





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