-第八十四話- 台風の後の目覚め
永禄十三年 夏 下野 xxxx
「何で!何で私の大事なものをいつもあの女は奪っていくの!!」
「それがあの家のやり口なのさ」
「どうして!どうして私の居場所をいつもあの女は奪っていくの!!」
「それがあの家のやり口なのさ」
「何よ!あんたはそればっかり!私はあんたの言うとおりにした!」
「それがあの家のやり口なのさ」
「あんたの言うとおりに赤子の手の中から奪った!」
「それがあの家のやり口なのさ」
「うるさい!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!私の子供を返せ!!」
「それがあの家のやり口なのさ」
「……こんな事になるのならあんなガラクタを私の息子に持たせるんじゃなかった……」
永禄十三年 夏 古河 伊藤景虎
儂らが古河に到着した翌日の夜から、嵐による大雨は始まった。
台風と言えばの風の方はそれほどではなく、二日目の昼前後の二刻程じゃったろうか、それほど長くもなければ、強くも吹かなかったが……何より雨が酷かった。
強さに量、近年では、いや、儂の生涯でも初めてというぐらいの大雨だった。
古河に到着した儂らは、先ずもって、各城に早馬を飛ばして、周囲の村々に警告を飛ばさせることを徹底した。
また、低い土地に住むものには警告だけではなく、無理やり高地へ避難をさせることも指示をした。
大事な農繁期であるこの季節に、一時的とはいえ自分の土地から離れるのを嫌がった村人が多かったのだが、半ば強制的に、若干刀剣で脅しながら、無理やりにでも避難をさせた。
大洪水が起きると仮定すると、自然堤防の内側部分はまずもって水没するであろうからの。
死人が出てからでは遅い、ここは恨みを買ってでも避難をさせることが肝要じゃな。
そうして、予想通りというべきか、時間と共に強さを増し、一向に止む気配がないこの異常な雨の降り方に、初めは不満の声を上げていた村人たちも、徐々にその声の大きさを落としていった……。
そんな中、四日目の今日になって漸く降りが弱まったので、この古河に避難していた村人達も自分の家へと帰る所なのだが……。
「父上……さっき部下から報告が有ったけど、領内、特に武蔵と下総を流れる四大河川、多摩川、荒川、利根川、渡良瀬川の暴れ方は酷いよ」
「それらの支流部分でも洪水が起きましたし……また、それ以外の河川でも被害の規模は同じようです。酒匂川、相模川、鬼怒川、那珂川の水系でも被害は甚大……これでも自然堤防を強化していた当家の領内ですからね。周辺の国々はとんでもない被害に覆われていることでしょう……」
「当たっては欲しくなかった元の勘が当たってしもうたか……」
「雨は関東の北で集中的に降りました。それらはいずれも河川の上流に当たる部分。甲斐、信濃、武蔵、上野、下野……当家でも大々的な被害ですが、武田、長尾、佐竹……大変でしょうね」
詳しい報告は……聞かねばならんが、正直な所、聞きたくはない。
幸いにして、村人の避難を刀剣を使ってまで強引にした結果、死人が殆どでていないのが救いではあるが……田畑の復旧、街道の修理、流された家を建てる……復興に向かってやることが盛りだくさんじゃ。
「……そうだ!田畑と言えば、今年の収穫は……」
「絶望的でしょうね。各城に備えている蓄えと、高地での作物……風がそれほどではなかったので、ある程度は助かった果実等々で食い繋ぐ他無いでしょうね」
「後は船団が西国から食べ物を買ってこれるかどうかかな?きっと、信長なら動いているとは思うんだけど……兄上がいれば号令一つで日ノ本中から食糧を買い集めてくれるんだろうけど……」
太郎丸がおればか……確かにあやつのこういう時の行動力は信じられない程じゃったな。
「嘆いてばかりもいられないでしょう。先ずは被害状況の確認と、城の周辺の街道を直すことです。報告を迅速に集めるためにも、食糧の集積配布の為にも街道は重要ですから」
「そうだな。よし、清は事務方の者達を総動員して被害状況の確認。伊織は城と城を結ぶ街道の復旧の優先順位付けと、実際の復旧活動の指揮を頼む。儂は各城主達に連絡をつけ、二人の元に報告が集まる体制作りを急がせようぞ……勿来にも食糧の買付を依頼せねばな」
先ずは足を動かすことじゃな。
方向は間違えておらぬはず、後は進めるだけ進んで、少しでも後の被害を減らすことに尽力するだけじゃな。
永禄十三年 盛夏 勿来 伊藤元景
「信濃守様、取り敢えずは先物も含めて、買えるだけの米と麦は買っておいたぞ!堺の奴らも初めは伊藤家の足下を見おったが、砂糖や絵皿の利権をちらつかせたら、最後は尻尾を振って協力してきたわ!ざまをみろ、というやつだな!」
「助かったわ、信長。流石は尾張屋の吉法師ね」
「まぁ、なんだ。太郎丸は俺の無二の親友だしな、合力を誓っておいて、このまま勿来を見捨てるのは信長の誇りが許さん!それに信濃守様と仁王丸の説得に絆されたわ!あれほどまでに必要とされて、何も感じぬのは「うつけ」ではない、ただの愚か者だというものだ」
そう、あれから小名浜の代官所に駆け込んだ私と仁王丸は、嵐が過ぎ去るまでの三日三晩、信長と話し合ったわ。
途中からは阿南と蝶の差し入れてくれた、陳さんの弁当を片手に話し合った……というか、寝不足であんまり覚えてないけど、最後の方は秀吉や利家、村上の紅や獅子丸、悠や伊奈の者達、景宣や海蔵院衆、明からの渡来人達も交じっての大宴会……だったわね。
……まぁ、そのお陰で、太郎丸個人を慕って奥州に集まった人たちが、これからもそのまま奥州に残って、今後も東国の安寧と発展のために力を尽くしてくれると誓ってくれた。
あの時に仁王丸が、信長に会いに行くことを思い付いてくれなかったらどうなるか……考えるだけでも怖いわね。
「これで多少は目処がつくかしらね。関東も父上達が対処をしてくれたお陰で、人的な被害は最小限だったようだし」
「何より、伊藤家の城が軒並み高台に建てられていることが大きいと思いますな。そのお陰で、食糧も資材も流されずにすんでいます。他家は結構平城が多かったりしますからな……そういった意味では、厩橋城周辺の被害が少なかったことが奇跡ですな」
「高台での築城は太郎丸が口酸っぱく言っていたからね。洪水と地震に津波……人間の力で防げないけど、知恵を絞れば被害は減らせる、とね」
「ふっ。流石は太郎丸ということですかな、寝たままで目覚めぬ今でも、その知恵で皆を救って見せた」
どうでしょうね。流石にそれは言い過ぎって気もするけど……
「案外そうかもね」
うん。そう思うのも悪い気はしないわ。
ぱたたぱたぱた。
ん?誰かしら?阿南?
「義姉上!吉法師!旦那様が目を覚ましました!急いで奥の丸まで!」
ようやく目を覚ましたのね!
こうしちゃいられないわ!
信長も私を見て頷く。
さぁ、奥の丸まで全速力よ!
1570年 永禄十三年 盛夏 勿来
「いや、ご迷惑とご心配をおかけしました、姉上。信長も世話を掛けたな」
「何を言うか!?まずは奥方と、そして出浦殿に感謝の言葉を伝えい!」
「ははは。出浦殿には先ほどからな……しかし、毒というのはなんとも辛いものだな。こう、胸がきゅうっっ、となって息が出来ない状況が続いてきつかったぞ!」
あれが神経毒ってやつなのかな?
呼吸が出来なくなる怖さと息苦しさ、前回の死亡はトラックでの轢死だったから、ある意味一瞬の出来事だったからなぁ。
今回は徐々に苦しさが増して、視界が真っ暗になる恐怖との戦いだったし……。
まぁ、こうして生きながらえたことを感謝しよう。うん。
「……で、太郎丸、貴方の骨に残った毒のことは?」
「ああ、出浦殿から聞いたよ、姉上。……まぁ、無理をしなきゃ、そこまで短い余生ってわけじゃないようだし、これからは勿来で養生に努めますよ」
「そうしなさいな」
うん。そうします。
「で、その後の上杉家、長尾家は?あれから??」
俺が富山で、たまに意識を戻した時に聞いていたのは、簡単な事だけだった。
輝虎と主だった上杉派の重臣たちは、俺の暗殺を企てたかどで打ち首。
景貞叔父上が撤兵を最後まで見る形で現地に残り、容体が峠を越えた俺は姉上たちと共に武凛久で一足先に戻ってきた。
……というところだよね?
「長尾家は真田殿、直江殿、斎藤殿、柿崎殿の四人が纏める形に、当主は政景殿が付いているけど、今回の富山城での振る舞いから、年明け早々に隠居。跡目には嫡男の卯松殿が就かれる……十五六の若い当主の誕生ね」
「なるほど……で、撤兵の様子は?」
結果、一年以上に渡る東国の戦力空白が起きてしまったからな。
伊達家は北に張り付けている兵力は残していただろうし、言うても最上、大崎がいるからな、まぁ、大丈夫だろう。
関東にしても、伊藤、佐竹、里見以外の勢力は無いに等しいから、問題は無いだろうけど……松平辺りに組みする諸将が蠢いても厄介だよな~。
「その話に関連するところでは……太郎丸よ、実は何日か前まで大嵐が来おってな。それに伴う大雨で領内の河川が暴れに暴れてえらいことになっておる」
「え?今日なんかは結構暑いから、もう夏だよね?……何日か前?梅雨時に台風が直撃したの?」
「そんな感じね。梅雨の大雨が今年は酷いことになったわ。相模、武蔵、下総、上野、下野の河川は軒並み大暴れ。父上たちが迅速な対応をしてくれたおかげで、大惨事にはなっていないけれど、復興には時間がかかることでしょうね……」
関東水浸しか……。
「具体的には利根川とかなの?やっぱり、坂東太郎?」
「清からの報告では、利根川は川幅拡張工事と遊水池の造成がかなり働いて、利根川の当家の流域では問題は少ないみたい……」
「ん?当家の??」
「ええ、当家の……佐竹の江戸では高潮と合わせて酷い被害らしいわ。江戸城もだいぶ崩れたみたいで、傍から見た感じだと、城の放棄もやむを得ないほどの被害らしいわ……」
うわ……。
けど、そうか。上流の当家の領地で大きな決壊とか洪水が起きなければ、それだけの水が下流に流れるもんね。さらに満潮と重なれば、下流域、低地の江戸は水浸しか……。
って、ちょっと待てよ?
関東の洪水でなんか凄いことが起きたのがあったような?
なんだっけ?近現代の公害裁判でなんか……?
「暴れたのが南から、酒匂川、相模川、鶴見川、多摩川、荒川……」
「利根川、渡良瀬川、鬼怒川、なか……」
「そうだ!!渡良瀬川だよ!!足尾銅山!!!」
「「ん?」」
そうだ、そうだ、足尾銅山の鉱毒事件!
国と自治体に住友金属が住民と色々と揉めに揉めた公害裁判があったじゃないか!
「それは渡良瀬川も暴れたとの報告があったが、佐竹の江戸ほどではないとのことだぞ?」
「いや、渡良瀬川はそれだけじゃない!上流というか、奥羽山脈の南端の渓谷沿いの鉱山の鉱毒が田園地帯に流れ込んだら一大事だ!!」
「ん?毒だと?」
「そう。毒だ。なんというか……鉄なんかもそうだけど、特に銅や鉛とか……、これらの金属が人の体に大量に入ると一発で身体を悪くし、寿命を著しく削る。しかも、それらを含んだ土壌で育った農作物を食べることで人体に蓄積される……姉上!竜丸は厩橋に戻っていますか?」
「ええ、戻っているわよ」
「ならば、即座にこの旨を伝えてください!渡良瀬川の洪水で田に流れ込んだ土砂を必ず撤去するように、それらは決して腐葉土ではないので、村人が何と言おうと田畑に決して使わせないようにと!」
「わかったわ。それじゃ、ここは失礼して、下で即座に手紙をしたためるわね!」
姉上は俺の真剣さから何かを感じ取ってくれたのか、一目散に本丸に向かって走り出した。
ん?しかし、何でここに姉上が残ってるの?
わからないことは、知っていそうな人に聞こう。
「なぁ、吉法師。どうして姉上はまだ勿来にいるんだ?そこまでの大型台風、古河で指揮を執った方が楽だろ?」
「……阿呆が。お前のことが心配であったからに決まっておろう……と、それ以外では俺のことがあったのかもな」
「ん?吉法師の?」
「そうだ。俺がお前の死を契機に伊藤家から出奔するのではないか、とな。ついでに、俺が出てけば奥州に集まった異能の者達のことごとくが伊藤家を去るのではないかと……信濃守様と仁王丸殿が心配してたわ……結局、三日三晩に渡って俺を説得しおったぞ、あの二人は」
あ、そうか。
なんだかんだで、吉法師は俺と一緒に夢を追いかけるのが面白くて伊藤家にいるんだもんな……。
「そのような顔をするな。俺は別に薄情者ではないわ……それに、本人を目の前にして言うのも変な気持ちだが、お前が死んでも、信濃守様と仁王丸殿が一緒なら、中々に面白そうな夢を追いかけることが出来そうだと、その三日三晩の宴会で理解できたからな!」
「え、宴会!?」
「そうだ、豪勢な宴会だったぞ?最終的には陳さんが小名浜まで出向いてきてな、城と代官所の食料を使っての大宴会だ!盛り上がったぞ!……あ、そうそう、いつの間にか悠殿と伊奈の彦三郎が結ばれておったぞ?二人の間に子供も数人生まれておったわ!」
なんとびっくり!
ついこの間まで、奥州磁器、その磁器に絵を描いて絵皿として売りたい、と俺が依頼をした時も二人して、絵の方向性で大喧嘩していたはずなのに……。
複数の子供とか、その喧嘩をしていた時にはもう夫婦だったのか……やられたな。
せっかくの揶揄いチャンスを不意にしてしまった……。
「黙っていたのは、お主に揶揄われるのが嫌だったかららしいぞ。くくく。嫌われたもんだな」
「なぁに、適度に嫌われるのも領主の務めさ」
「ほぅ、それは俺が知らん領主の務めだな」
「「あ、あははは!」」
毒にやられた時にはきつかったが、こうして吉法師と笑いあえるまで回復できたことには、素直に神に感謝だよね。
ありがたや、ありがたや。
「おお、そうだ。お前も目を覚ましたばかりだからな。そろそろ休んだ方が良いとは思うが最後に一つだけ……二つか?まずはこの大雨で諸将の上杉家からの撤兵が遅れておる。信濃の千曲川の氾濫が凄くて、伊藤家、佐竹家が合同で街道の改修を一から行わねば戻れん状態らしい、忠清殿の報告では帰還は秋になりそうだということだ。また、松平広忠が伊那に兵を向け、その対処に忠宗殿が向かったが、こちらの撤兵も時間を食うておる」
「やはり、松平は蠢いたか……」
「どうであろうな。清康殿がどこまで噛んでいるかは疑問が残るが、まぁ、駿河方面の警戒はしておくに越したことは無い。表面上は惣領の立場から外された広忠殿の暴走だ……そして、もう一つは、雨で農作物が軒並みやられたのでな、堺の者達や博多の者達から大いに先物も使って米と麦を買いあさった。倉一個分ぐらいの金銀は使ったから、その事後承諾だな」
あ、そうか。
それほどの台風なら、今年の収穫は全滅に近いよな……。
「了解した。金銀は気にするな。全部の倉を空にして、さらに堺から金子を借りた、とかいうのでなければ気にするまでもない」
「っくくく。普通の領主は気にするなとは言わん額だと思うがな……まぁ、そんなところだ。報告は以上だからな、今はとりあえず休め。次に起きた時には、また違う報告ができるであろうからな」
「ああ、そうさせてもらうか……流石に身体がきつい……お!?そうだ、食料の買い付けだが……」
「なんだ?」
「あまり隣領からは買い付けるなよ?食い物が無くなって、自暴自棄になった国から攻め込まれでもしたら困る」
戦争の原因の多くは移民問題と食料問題だからな。
「ふむ……言われてみればだな。よし、商人どもには厳重に注意しておくか」
「ああ、頼む……」
ふああぁ。
だめだ、我慢の限界。寝る!
あとは姉上!仁王丸!ありがとう!!
はい!とりあえずの主人公復活回です。
毒にやられて、激しい運動は出来ませんので、今後は勿来で安静にしていてくださいね。
ということで、大型台風に刺激された梅雨前線が悪さをしでかしました。
関東水浸し!ついでに甲斐も水浸し!信濃も合わせて水浸し!極めつけは江戸城半崩壊!!
自然の脅威が半端ないということで!
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




