-第八十二話- 嵐の予感
永禄十三年 夏 勿来・湯本 伊藤元景
「よ~し!そっとだぞ!そっとだ!」
「持てたか?お前らそちら側は?!」
「持てたな!では行くぞ!それ!!」
あれから駆け付けてくれた関白殿下の懐中薬で、太郎丸の症状は最悪の状態からは脱した。
意識が戻るときもあるし、目の力もあるのだけれども、一日の大半をこうして全く動かないまま静かに眠っている。
「何とか後見様を勿来までお連れすることは出来ましたな。信濃守様」
「……やめなさい、竜丸!こういう時まで繕ったしゃべり方をされるのは好きじゃないわ!」
「……わかりまし、いや、そうですね。姉上……何とか太郎丸様を勿来までお連れ出来ましたが、これよりいかがします?」
まったく!竜丸も情けないわね。
一人で関白殿下を富山まで連れてきたのには感心したのだけれど、こうして太郎丸が動けない以上は、私たちで何とかするしかないじゃないの。
「まずは城まで連れて行き、阿南らにも面会してもらいましょう。越中方面に残っている兵は景貞叔父上が、信濃方面は忠宗が率いているし、越中から戻っている兵達は忠清が率いているから、軍事面に関しては問題なしね」
「補給も撤退中の分は配備が終わっておりますし、長尾殿もあれから我らの言うことを聞いてくれましたから……」
「当たり前よ。あれで話を聞かないというのなら一戦してやるってものよ……」
太郎丸は二人で面会中に輝虎に刺された。
死ぬ前に話したい事があると言われ、出てきた太郎丸を隠し持った懐刀で一刺し。
とっさに避けたようだけど、懐刀……というよりも鎧通しね、あの切っ先の細さと深さは……それに脇腹を軽く刺された。傷口は本当に大したことがないのだけれども塗ってあった毒を身体の中に入れるあの絡繰り……完全に輝虎は太郎丸を確実に殺す為の用意をしていた。
「ふぅ。本当に近衛の人間が太郎丸を殺すためだけにあれだけの用意をしたの?長尾を乗っ取るというのはわかるけど、太郎丸を毒で暗殺するって発想がわからないわ。正直な所、家中の人間だからこそ、太郎丸の存在が大切だけれども、伊藤家の支配体制を見れば太郎丸一人が倒れたとしても東国支配が揺らぐようなものでもないのに……」
「……姉上、そのあたりはゆっくりと城に入ってから考えましょう。叔父上方やお爺様を初めとする方々は既に勿来城に入られているようですから……」
「そうね、今は太郎丸を安静にしてあげることが優先ね」
畳の上に寝かされている太郎丸は、ここ湯本は小名浜にある水軍砦から軌道台車に乗せて勿来の倉庫街へ、そこからは獅子丸が発案した馬車にのせて運ぶ。
城下の武家屋敷まで来たら、もう一度畳を担いでもらって坂道を上がる。
奥の丸の南門まで来れば後は少し、皆が待っている勿来城……もう少し寝ていなさい、太郎丸。
……。
…………。
「して、太郎丸はいかような状態なのじゃな?盛清殿」
出浦盛清、真田殿が太郎丸の看病のためにつけてくれた人で二十代中盤と言ったところかしら。真田殿に仕える戸隠衆の嫡男ということだわ。
有難いことに、彼の指示で毒の吸出し、解毒剤の使用が行われ、太郎丸がここまで回復することが出来た。
「私は医師ではないので詳しいところは解りませぬが、それでよろしければ」
「おお!もちろんじゃ!」
「では……後見様は輝虎の一撃を躱しはしたのでしょうが、左わき腹……いや、腰のあたりと言った方がよろしいでしょうな。腰を刺されました。おかげで臓腑を傷つけられることもなく、その後にすぐ毒と判明したので、吸出し作業も迅速に行われたのですが……」
「「ですが?」」
この辺りの説明は何回も受けているので、竜丸と私は一字一句覚えている……。
まったくもって上杉と近衛は忌々しい。首を取るだけでは気が収まらないわ!
「腰の骨に刃が達し、骨に毒が塗り込まれております……傷口を開いて骨を削るなどといった医術を施せるような人物がいるはずもなく……時間と共に意識は普通に取り戻すことになりましょうが、骨に達した毒を除去することはかないませぬ」
ばたっ。
「み、南ちゃん!しっかりして!」
阿南が気を失ってしまったわ……清に支えられている……清、意識を失った人をそんなに揺らしちゃだめよ。
「……では景藤は、儂の息子の太郎丸は助からんのか!!」
「……某も主、真田幸隆より後見様の回復に努めるよう命を受けております。最善を尽くさせては頂きますが、こればかりはなんとも……」
「いや、出浦殿、息子の景虎が声を荒げてしまい、申し訳ござらん。これも息子を案じる余りとお思い許されよ……この通りじゃ」
父上も最近は年のせいか、気の昂ぶりを抑えるのが難しくなってきたようね……まぁ、私も第一報を聞いた時は、越中と山城を火の海に沈めて、人っ子一人残らず燃やそうとしたものね。
こればっかりは責める気にはならないわ。
「いえ……某にも生まれたばかりの息子がおり申す。年は違えども、その心はわかるつもりです」
「忝い……では、話は戻すが、太郎丸は時間さえ経てば意識は戻る。されど体内に残った毒により寿命は短い……そういうことか?」
「はい。どれほど……とはわかりませぬが、残念ながら……」
ばたっ。
「は、母上もしっかりして!」
今度は母上が気を失って清に寄りかかってしまった……だから清、意識を失った人をそんなに揺らしちゃだめだってば。
「状況は解り申した……出浦殿、誠に忝い。この伊藤景元、伊藤家を代表して真田殿のお心遣いに深く感謝するとお伝え願えるだろうか」
「当然でございます。必ずや、私の口から殿にお伝えさせていただきます」
「そうか……重ね重ね有難い。それでは、少々儂らで話し合わねばならんこともあるので席を外させてもらう。出浦殿には申し訳ないが、何日かはこの城に滞在し太郎丸を見てやっては頂けぬであろうか?もちろん、儂らの方から真田殿には連絡させていただくし、お礼もさせて頂く」
「お気になさらないでくだされ。もとより殿から、そのように命じられております」
お爺様は深く頷くと、再度、出浦殿に頭を下げた。
ざっ。
父上や私も含め、一同が深く出浦殿に頭を下げる。
そうしてから、部屋には輝だけが残り、後の者は全て部屋から出る。
途中では一切喋らず、皆が静かに本丸に移動していく。
永禄十三年 夏 勿来 伊藤景元
「まったく、太郎丸め!敵地で油断しおってからに……死に瀕した病床の敵将だとて、相手は敵の総大将、そのようなものと二人っきりになるとは!」
「まぁ、景虎もそのように責めるな。あやつは根っから優しい奴じゃからの。死に瀕した男の願いを断れんかっただけじゃろうて……さて、家族の感傷はこの際は切り捨てて、今後の伊藤家を考えて行かねばな……元、竜丸よ。お前たちは儂らよりも衝撃を受けてから時間も経ち、多少はそのあたりについて考えておったであろう?如何考えておる」
二人は妻の阿南を除けば、一番近しい人物じゃ。また、太郎丸が毒に倒れてから意識を取り戻した際にも言葉を交わしているとのことじゃし……。
「太郎丸が心配していた事は、まず、兵をいち早く領内に戻すこと。武凛久船団初め、当家の商いの道をいつも通りに動かすことです。一門の一人二人が死んでも、伊藤家の支配が盤石であるとみれば、余計な考えを抱く者も、誰かしらの策に踊らされている者もなりを潜めるだろうと……私もこの意見には賛成です」
ふむ。まさに定石というか、奇を衒ったこともないので、皆が考え付くことであろうな。
「で?この意見、というからには、別の意見には反対なのか?」
「……反対というわけではないのですが……」
「姉上が言葉を濁しておられるのは、次代について、一丸と中丸、そして仁王丸に関しての話です」
元が言いにくそうにしとるのを見て竜丸が言葉を引き継いだな……なにやら、太郎丸を含めた三人の絆が童の頃に戻ったようじゃ……いかんな。儂も年のせいか、関係ないところで涙もろくなる。
「三人を早々に元服させ、一丸を勿来城主にして奥州統括を、中丸を鎌倉城主として水軍統括を……そして、仁王丸を伊藤家の惣領とするのが良いと……また、それに箔付けをするため、形の上で姉上が寅清を娶り夫婦となることで仁王丸を正式な子とするのが良いとも……」
「形だけなら、別に寅清と夫婦になる必要はないでしょう!」
「ああ……なるほどな……確かにそれは元にはひっかかりを覚える個所ではあろうが……」
「ふむ、それでいいのではないですか?」
ここまでは黙っておったが伊織のやつめ。涼やかに言い放つではないか。
「仁王丸は柴田業清と兄上の庶子の杏の息子。仁王丸自身は産まれた時から太郎丸の子として養育を受けてきましたが、形としての伊藤家当主とは言え、担ぐに当たって元の養子というだけでは少々心もとないのも事実。それが元の婿の実子となれば、それこそ「形」の上では文句なしとなりましょう。で、本人たちの意思はどうなのです?太郎丸がそういうからには、ある程度は話が当人たちにも回っているのでしょう……そうですね、三人を呼んできませんか?」
なるほどな……確かに、太郎丸が言い切るにはそれなりの根拠があるか……。
「どうだ、元よ?伊織の言う通り、三人を呼んで話を聞いた方が良いと儂は思うぞ?」
「……そうですね。父上のおっしゃる通り、まずは本人たちの意思を皆で確認しましょう。彼らも十六です、自分の意見は持っているでしょうしね。竜丸、三人を呼んで来てもらえるかしら?」
「はい。姉上。すぐに……」
言うや、竜丸は部屋を出、もう一度奥の丸へと向かって行った。
「後は、上杉征伐の結果じゃが……三人が来るまでに詳しく聞いても良いか?」
「はい……まず、越中ですが、輝虎の凶行が行われてすぐ、輝虎に近かった重臣は尽くが捕らえられ、こちらへの恭順の意思の有無に関わらず、輝虎自身を含め、首を刎ねました。以後は、直江殿が富山城に残り、越中・加賀・能登・飛騨を統括することで進んでおります」
「…ふむ、加賀については越後衆の切り取り次第の状況で、現地の反上杉の諸将と争っておると報告を受けておったが?」
金沢に城を築き、北条殿、新発田殿らを筆頭に当地の地侍達や一向僧侶たちと争っていると聞いていたがの。
上杉派悉くというのならば、彼らも生きてはおるまい?
「ええ、二条関白殿下が薬を融通してくれる条件に、加賀から一向宗勢力の尽くを追放して欲しいと依頼してきましたので、景貞叔父上には太郎丸の件で収まりがつかぬ下野軍と奥州軍をもって加賀平定をしてもらっています。相手は烏合の衆ですので、遠からず一向宗の駆逐は終わるでしょう。一向宗の駆逐を終え次第、叔父上は現地を柿崎殿に引き継ぎ、関東へ戻ってくることになっています」
「加賀にいた上杉派の諸将は?」
「一向宗討伐に協力の返事をしなかった新発田親子は捕らえた後に斬首、それ以外は北条殿はじめ、こちらに協力してきておりますので、直江殿にすべてを預けております。あれから、そのあたりが大きく変化したとは思いませんし、早馬での報告もありませんでしたので、柿崎殿が上手く吸収しているのでしょう」
なるほどな。
新発田は当家の柴田とは遠からずではあるが、決して血の交わりがあるわけでもないので、気にするまでもなしか。
「では、兄上の帰還は秋も深まった辺りとなってしまいますかな?」
「そうですね。叔父上もそのぐらいを予定すると言っておりました」
「……となると。先ほど到着した勿来水軍を除く、上野軍に下総・武蔵軍は来月当たりの帰還と?」
「はい。忠清が率いて春日山城を通り信濃を越えて戻ってくる手筈になっています」
ごごごごごうぅ!
遠くで雷でもなっておるのか?
心持ち、風も強くなってきた様子じゃな。
皆も音が気になったのか、外を見やっておるな。
「あ、そう言えば。これは、太郎丸の座艦である黒狼丸の船長に聞いたのですが、どうやら数日中に嵐が来そうな潮と雲の様子だと……天候に関しては信長とも話をしたのですが、梅雨のこの時期に台風でも来ようものなら雨が強くなり、川がおかしなことにならねば良いのだがと……」
確かに、大雨はで氾濫でも起こしたら溜らぬな……ん?
「父上!叔父上!太郎丸が心配なのはわかりますが、お二人だけでも今から早急に古河へと戻っていただけませぬか?贅沢を言えば、上野と相模にも人が戻ってもらいたいところはありますが、お二人が古河におられれば、どのような事態になろうとも対応は出来ましょう」
「!!なにやら、勘働きをしたと申すか!」
「はい……遠雷の音にこの話題。私もそれに合わせて嵐と大雨の会話を思い出しました……ここは直感に従いたいと思います」
うむ!わかった!
これまでも元の直感には助けられて事が多いからな。
それに、船の男たちは天候を読むに鋭いからな、専門家の話はしっかりと受け取るが吉じゃ。
「残念ながら儂の老いた体では、今から急いでは、上野に戻る前に身体をおかしくしてしまいそうだしの。竜丸と元は、一丸たちの件が片付くまでは勿来にいた方が良かろう……景虎、伊織よ。奥の丸から清を連れて、いち早く古河に戻り嵐、水害への対策を指揮せよ!」
「「はっ!」」
なんとも、踏んだり蹴ったりじゃな。
しかし、大雨か。
関東も数多くの暴れ川を抱えておるが、当家の数年に渡る治水で多少は暴れ具合も弱まってくれておるとありがたいのじゃが……そういえば、信濃の千曲川も相当な暴れ川として有名じゃな。忠清ならば心配はないが、帰還の兵共もすんなりとは関東へは戻れんのではないであろうかの。
ふむ。まぁ、嵐に関しては景虎たちに任せ、まずは次代の問題を儂らは整理せねばならんな。
梅雨前線を刺激する台風。
現代とは黒潮の温度と流れが違うとは思いますが、マニラ-アカプルコ貿易の資料によると、暖海水はそれなりに日本に近いところを流れています。
大事にならないことを作者は祈っております。(まぁ、展開は考えちゃってるのでアレですけどね)
この八十二話より第五章開始です。一応は五章で第一部が完結することは問題ないでしょう!
(タブン……)
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




