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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第一部- -第四章- 狼旗流転
67/243

-第六十七話- 東国の海路

1563年 永禄六年 夏 古河


 こうして、古河で降将と面会するのは何回目だろうな……。


 「伊藤家の皆様には初めてお目見え致しまする。氏康が息子の藤田氏邦ふじたうじくにでござる。これよりは伊藤家の臣として命を懸ける所存。何卒よろしくお願いいたします」


 三国連合も崩壊が間近ということか。

 ついに当主の息子が降ってきた。

 相模で伊織叔父の配下となった風魔の面目躍如といったところなのか、伊勢家の切り崩しが進んでいる。


 「……私が元景である。以後よろしく頼むぞ」

 「はっ!必ずや信濃守様のお眼鏡にかなうような働きをしてみせまする!」

 「当面は伊織の下で相模の開発を担って欲しい。領内にはまだまだ開発せねばならぬ土地が多い。また、民の流入も止まらぬので、彼らを受け入れるための国づくりが必要とされているのだ。伊織叔父上頼みますよ」

 「承知仕りました。氏邦殿、お聞きの通り、わたしの下で働いてもらうことになる。よろしくな」

 「ははっ!」


 昨年よりじわじわと東へ進出した松平家は、とうとう駿府を落とし、今川義元を蒲原かんばら城へと追い詰めた。

 蒲原城へは伊勢家も伊豆から援軍を出して、なんとか粘ってはいるが……如何せん次回の大規模攻勢があった場合は守り切れないだろう。


 その後は、全今川領を吸収し、四国太守となった松平家が伊豆に殺到する。

 そのようなことになったら、伊勢家に明るい未来は来ないだろうからな。

 非嫡子の氏邦は早めの決断をしたということだろう。


 風魔の報告では、今後芋づる式に伊豆からの降将が来る、としているらしい。

 伊豆衆の清水殿じゃないが、土地と切り離せないタイプの将も降ってきそうで、個人的にはどうしたもんやら、である。


 いっそのこと、伊豆は当家で抑えちゃった方が早いのかなぁ?

 いまだと、内応に次ぐ内応で大した戦もせずに落とせそうだけど……。

 海路的にはアリなのかな?……よう、わからん。後で吉法師に聞こう。


 「伊勢家とは長年敵対してきた儂らが聞くのもなんじゃが、大丈夫なのかの?伊勢、今川、武田は」

 「はぁ、何と申しましょうか……今川は年を越せないでしょう……ほうj……伊勢家からの援軍で、蒲原城に寄せた第一波ははじき返したようですが、第二波以降の攻勢には敵わないでしょう……また、伊勢家もその後には松平に飲まれるか、伊藤家に頭を下げるかの二択になるかと思われます。唯一の例外は天然の要害である甲斐に籠っている武田家ですが、こちらとて後数年は持ちましょうが、いずれ……。所詮、甲斐一国で養える民と兵は周辺に比べれば微々たるもの、巻き返しは不可能かと存じます」


 爺様の問いに氏邦殿ははっきりと答えたね。

 まぁ、今の情勢を冷静に見渡せば、三国連合に未来はない。

 あとは、如何に無駄な血を流さずにことを治めるかといった段階だよね。


 「左様か……戦の勝敗は武家の常。敵方である今川、伊勢、武田を助けることは出来ぬが、流れる血が少なくなる方法があれば、儂らとしても出来る限りの協力をしよう」

 「ご隠居様に斯様に言っていただけるとは……ありがとうございます」

 「では、そのあたりのことは相模に戻ってから話し合いましょう」

 「はっ!」


 一礼して氏邦殿は下がって行った。


 「ふぅ。二十年前、いや、十年前でも考えもつかなかった事態になったな。甲相駿の三国同盟が跡形もなく消えるか……」

 「兄上の仰るとおりですね。棚倉だけにいた頃では、日の出の勢いの伊勢家が佐竹家を飲み込む日が来るのではないかと怯えていたものですが……」


 景貞叔父と伊織叔父。

 両者とも十代になるかならずやで、関口と社山という二つの山砦に詰めていた人たちだ。

 大身、大名などでなくとも、奥州南部近辺の周辺諸将によってであっても、簡単に、それこそ吹けば飛ぶように小さかった伊藤家、その前線を支えてきた人達だ。

 感慨はひとしおなのだろうな。


 「そうよのぅ。今川と伊勢という足利に繋がるものが西から攻め寄せてきた。東国諸将は内部分裂ばかりで対抗すること敵わぬ……その現実を見せつけられていたからのぅ。こうして東国勢力が盛り返し、関東以北に奴らを立ち入らせぬ様になるとは……確かに感無量ではあるが、本当に西からは次々と侵略者が現れるものよ」

 「今川、伊勢、武田……その流れから見れば源氏の流れであるはずの三家が、なにゆえか西からの侵略者となってしまったのか……頼朝公と義経公の故事ではありませぬが、やはり、京には魔物が住んでおるということですかな?父上」


 伊能忠敬が日本を測量するまでは正確には解っていないのだろうが、それでもこれまでの時代の人々も関東平野が日本最大の平野だと認識していたのだろうか?

 それとも、単に頼朝以降の鎌倉、東国の大きさで認識しているのかな?

 どちらにしろ、コルテスとピサロばりの精神性を持って関東に攻め入るのはお止めいただきたいものです。そのまま西で逼塞していてもらいたい。


 「であろうな……まぁ、今後とも当家はそういった化け物共とは一線を画していくしかあるまい。幸いにして、関東の乱れは収まりつつあり人は増えておる。我らは我らで太平の道を切り開いていくだけじゃな……とりあえずは目の前の課題じゃ。氏邦殿の次からも降将は来そうなのであろう?伊豆をどうするかの意見を聞きたい。元景はどうじゃ?」

 「私は特に伊豆の地を治める利点は思いつきませんが、東国の海を安定させるということなら伊豆を一つの境にするのは一案だとは思います……いやね。なんだか太郎丸の考えがうつって来てるわ」

 「ははは。まぁ、良いではないか。一番身近な姉弟じゃからな。思考も似るというものじゃ。して、景藤は如何に考える?」


 おっと、質問が飛んできたね。


 「そうですね。姉上の言う通り、伊豆……しいて言えば下田にいる伊豆衆の水軍は配下に治めたいですね。外洋船団の水夫・兵員の問題もありますし、船長を任せられるだけの人物をどうにか確保したいですね……ただ、正直に言うと、駿河の河東の土地はいらないんですが」

 「確かに箱根の向こうではあるが……御厨から南にかけてはそれなりの田畑が広がり、それなりの人が住んでおるぞ?韮山の城は良城と聞く。沼津の湊もあり、色々と都合が良いのではないか?」

 「確かにある程度の利点はありますが、御厨と韮山だけですと西に弱いので富士川……いや、潤井うるい川あたりに城が必要になりそうなのが……気になります」

 「ふむ。河東で対峙するとなると相手は松平かそれ以上の勢力となるか……確かに河東だけで養える兵数での足止めは厳しいのぅ」


 ええ。そう思うんです。

 言うても沼津は駿河湾側の湊、伊藤家の兵力を河東に展開するには、足柄か箱根を越えなければどうにもならない。

 吉原や富士宮は郷士の勢力が強いと聞くし、色々と面倒事が起きそうなんだよね。

 だがそれでも……。


 「それでも……それでも、姉上が先ほどおっしゃった東国の海路安定というのは、河東安定の負担を考えてもあまりある利点になるとは存じます」

 「ほう。で、結局のところ、景藤はどっちだ?伊豆が欲しいのか、欲しくないのか?」

 「……はっきりと言ってしまえば、河東と伊豆は欲しくありませんが、下田は欲しいです!」


 湊と伊豆水軍衆の魅力満載の下田は、出来ることならば手元に欲しい。領地の維持が困難な田畑はいらない。

 これが偽りのない率直な気持ちだね。


 「……ならば、潤井川を境に松平と話を付けましょう」


 おっと、ここにきて伊織叔父からの思いがけない提案。


永禄六年 夏 古河 伊藤景貞


 「松平と話を付けるか……さすれば、確かに守りの兵は減らせるであろうな。ふむ、何かしらの情報が入ってきておるのか?伊織よ」

 「ええ、ご隠居様。風魔よりの報告ですが、どうやら松平がここにきて東への野心を抱いたのは、領内の一向宗の突き上げが強烈であったのだと……さらに言うならば、その後ろには摂津の本願寺の強い意向があるようです」

 「摂津の坊主が、どうして松平を東に急かすのだ?」


 思わず声が出てしまったな。

 しかし、解せぬものは解せぬ。


 「どうにも書状攻勢を掛けている室町公方や関白と同じ理由のようで……東国の武力を持って自分たちに都合のよい畿内を作りたいと望んでいるようです」

 「なんじゃ……あいつらの権力争いか……畿内の者どもにとって、東国はよほどに旨そうなニンジンにでも見えるのかの?」

 「かもしれません。して、その摂津の本願寺ですが、現法主の妻が今は断絶している公家の出だとか。どうやら、東国の兵を餌にその家の再興を叶えたいのだと噂されております……」


 公家の権力争いか……あいつらは右を向いても左を向いても藤原なのに、どうしてそこまで互いの足を引っ張り合うのかわからんな。

 結果としての一族での殺し合いを平然と行っているくせに、直接的な所では自分たちは一切出ずに周りを使ってことを成し遂げようとする。

 たまには自分で刀でも持って殺し合いをしてみればいい運動になろうものよ。


 「公家と言えば……小山から書状が来ておったな。どうやら、先年に柴田の里で発見された公家武将は久我晴通こがはるみちであろうとのことじゃ。長尾家に近づいておる関白の叔父で源氏長者の血筋の久我を継いだ者ということだ」

 「……それはなんとも……色々と面倒なことですな」

 「なに、よくわからん公家どもの争いには近づかず、降りかかる火の粉だけを払っておれば良いのではないか?俺達が京に近づかなければ、奴等の興味も次第に西に向くであろうさ。松平も一向宗のそのような腹積もりでせっつかれただけならば、足利の名門今川を切り従えたことで満足してくれるのではないか?こちらが西に興味を持たなければ、奴ら自身が西に向かえることになるだろうさ」


 ふむ。この点で考えると潤井川で境を設けるのは、こちらの意思表示には丁度良いのかもしれぬな。


 「景貞は簡潔に言うてくれるな。だが、その通りか」

 「そうなりますと、吉原衆を緩衝地帯に興国寺あたりの砦を城にするのがよろしいかと。潤井川を境とすることで松平と和を結び、蒲原城に近い場所に城を置かないことで、敵意がないことを示す。さすれば万事うまく行くのではないかと思います」


 ほう。景竜のやつめ、俺と同じ考えに至ったか。


 「……良い案だと儂は思うが、元景はどうじゃ?」

 「私は伊藤家が箱根の西に領地を広げるのには気が進みませんが、愛鷹あしたか山を目安に東西を分けるのは良い落としどころかと……太郎丸、悪いけど信長に伝えて松平との話を纏めて頂戴。条件の細かいところは任すから、富士川から愛鷹山の間で東西を分けるように進めて頂戴」

 「はっ、わかりました。では、そのように松平と話を進めてまいります」


 そうか、信長は松平とは因縁深き間柄であったな。

 最終的には悪くない関係性を結んでいたというし、その任が悪い結果になることはあるまい。


 「では、韮山城と伊豆を抑える方策を話そうではないか?伊織よ、氏邦殿以外ではどのような案配なのじゃ?伊豆に兵を向けるとして、どのような反攻があると考える?」

 「正直な所、伊勢が集めた軍勢は蒲原城で松平軍に潰されるでしょうから、我らが伊豆に進駐するときには、まともな戦力を整えることは出来ますまい。単純な兵力でしたら小田原に集まっている兵だけで事足りますが、松平に余計な欲を抱かせぬため、伊勢配下の者達の心を砕くため武蔵からも兵を集め、圧倒的な数の差を見せることこそ、最も少ない流血でことが収まりましょう」


 まぁ、そうなるか。

 俺も出たかったが、下野は遠いからな、そりゃ時間と物資の無駄であるか。


 「相分かりました。それでは、伊織叔父上には相模から一万、昌貞には西武蔵から一万、政繁には東武蔵から一万の計三万で伊豆の平定に向かってもらいます。叔父上、総大将をお任せいたします」

 「はっ。信濃守様からの御命令、確と承りました!」


 陣立ては決まったな。

 これで、今年も下野は田畑に牧場の管理が進むということだ。


1563年 永禄六年 夏 勿来


 「なるほどな、太郎丸の説明は良くわかった。愛鷹山で東西を分けるのも松平としては願ってもないところだろう。俺がその使者になることもよくわかる……よくわかるのだが……」

 「だが?」

 「……太郎丸よ。儂の妹の市が松平でやらかしておることを忘れておったろ?あやつは今も勿来の奥の丸で、子供たちの世話という名の遊び相手をしておるぞ?」

 「あ!」


 はい。太郎丸さん失念してました。

 当主の嫡孫(?)をおもいっきりタヌキ呼ばわりしたお方が当家にはおりました……。どうしようか?


 「そんな、どうしようか?と言いたげな顔をするな、俺の方が聞きたいわ!」

 「あれだよな……吉法師が松平に行ったら、間違いなくお市の話になるよな?」

 「なるな」

 「息災か?から始まって、誰ぞ、決まった相手でもみつかったのか?って聞かれるよな?」

 「なるな」

 「どうしよう?困ったよな?」

 「知るか!俺の方が聞きたいわ!!」


 あら、やだ。吉法師さん逆切れ?


 「……あいつは年も離れている妹なので、可愛いことに違いは無いのだが、どうしてこうも面倒事を引き起こしてくれるのやら……」

 「まぁ、なんだ。俺の場合は姉には面倒事を起こされるが、妹は一切の面倒事を引き起こさないので、お前の気持ちはようわからん。すまんな」

 「……その言葉は謝っておらんぞ?」


 まぁ、そうですね。

 だって、謝ってませんしね。


 「まぁ、そう落ち込むな。今しがた思いついたのだが、お市に良い相手がいて婚約でもしたと伝えておけば良いのではないか?流石に、五六年前のことを持ちだして、相手の決まった姫をどうこうとは言わんだろ。ただの挨拶の話題で終わるだろうさ」

 「おお、それはそうであろうが……肝心の相手は誰にする。お主が立候補するか?」

 「いや、俺ではまずかろう。三人目の側室では体裁も悪かろうし……景竜の室は虎だが、お市なら正妻になってもおかしくないかな?……あとは、忠清の嫡男の忠法ただのりはどうだ?お市のいくつか下にはなるが、安中の直系嫡男で中々の美少年だぞ?面食いのお市でも合格が出るのではないか?子供部屋に入り浸っているなら、面識も多いだろうしな」

 「ふむ。悪くないな……では、ちと聞いてくるか。今は子供部屋に居るだろうしな」


 行ってらっしゃい。

 その間に、俺は茶でもじっくりと飲んでみるか。


 ふぅっ。


 うむ。うまい。

 販売用の一級茶を外れたものを炒って、ほうじ茶を作ってもらったのだが、これが滋味が深くてうまいのだ。こうすることで収穫した茶を余すことなく現金化できるというので、狭山の台地は一面の茶畑になりつつあるという報告だ。

 どうやら多摩地区は一大茶産地になりそうだ。善き哉、善き哉。


 どどどどっど。


 「駄目だった!」


 走りこんできた吉法師さん。


 「駄目だったの?」

 「駄目だった……しかも本人を前にして、「市はのっぺり顔は好みではございません!」と言い切りおった。あれでは、忠法のやつは落ち込んで今晩は寝付けんぞ!」

 「じゃどうすんだよ!」

 「しらん!」


 あら、やだ。

 吉法師さん何度目の逆切れ?


 「知らんが……お市本人は「景竜様になら喜んで嫁ぎます!」と言い放ちおったわ。何番目の側室でも良いらしいぞ」


 ……お市の面食いは凄いのね。

 たしかに、景竜は一族随一の美形ではあるが……妻帯者やで?知らんけど。


 「……一応、話はしてみるよ。馬を飛ばせば五日ほどで返事が来るだろう。その間に吉法師は使者に赴く準備を進めておいてくれ」

 「わかった。大砲を積み終わった武凛久の一番艦を使うが構わんよな?」

 「おう、構わんぞ。せいぜい松平をびっくりさせてきてくれ!」

 「任せろ!俺は昔から人を驚かすのが大好きな上に、どうやら得意なようなのでな!」


 そうでしたね。吉法師さんは五百年後にも伝わる傾奇者でございましたね。


 ……ちなみに、竜丸からお市を正妻に迎える旨の書状が届いたのはきっかり五日後のことだった。

 結局のところ北条家からの降将が絶え間なく来そうなので、伊豆も抑えることとなりました。

 相模湾以東はこれで平和に船が動かせますかね?南部領を除いて!


 あとは懸念の市の嫁ぎ先が決まりました。

 伊藤家随一の美男子竜丸の正妻の座を奪ってしまいました。結婚の同意理由が「顔」というのも素晴らしいところです。今後もその素直な心を大事に生きて行ってください。


 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] あら?伊豆の金山には旨味がないと…… ふむ?
[一言] 確かに4カ国太守とはいえ本国と尾張に一向宗の大規模な拠点があること思えば順調に拡大する要因として彼らとの協調路線はほぼ必須ですね。 気になるのは一向宗と姻戚つながりのある武田家の存在を松平…
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