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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第一部- -第三章- 伊藤元景
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-第五十三話- 夏の気苦労、心配事

永禄二年 夏 古河 伊藤景虎


 「では、真里谷家と里見家、佐竹家との領地境は昨年に決めた通りの勇露川ようろがわ小櫃川おびつがわということでよろしいですな」

 「構いませぬ」「ああ、その通りでよろしい」

 「では、ご承知いただいたようなので、それぞれの書面に署名をお願いいたす」


 きっかり一年後。

 昨年と同じように佐竹義昭殿と里見義堯殿が古河に来て署名をしておる。


 領地境の結果は此度の戦の前も後も同じだとは言え、今回の衝突に至った原因は多少違うようだ。


 佐竹の後援により真里谷家を継いでおる信隆殿は六十も半ば、子は女子しかなく、しかも全員が嫁いでおって国元にはお一人もいない。


 年齢から将来の真里谷家が心配になった信隆殿は、昔に家督を自分と相争った信応のぶまさ殿の息子であるところの信高のぶたか殿に真里谷家当主の座を譲ろうと考えた。


 だが、信応殿は里見家に仕えている身の上、佐竹家に仕えている信隆殿が信高殿を養子に迎える事は難しい状況じゃ。


 更にややこしくなるのじゃが、この点を、同じく佐竹家の後援の下、千葉家の当主となっておる親胤ちかたね殿が自家の勢力拡大のために利用した。

 真里谷家の豪族どもを煽りに煽りおった。

 真里谷家には土地を治める能力はないので、真里谷一帯は千葉家こそが面倒を見るべきだ、などを佐竹家重臣へ讒言していたようじゃな。

 それは精力的に、形振り構わずに行ったそうだ。


 結果、真里谷家と千葉家云々の話ではなく、半年の和睦期限が切れた佐竹家と里見家がもう一度ぶつかる事態へと発展してしまったということだ。


 ……事後処理の和睦に付き合わされるこちらのことも多少は考えて欲しいものだが。


 「それでは、椎津城の領地には真里谷家の者を除いて、佐竹家、里見家ともに引いて下され。当家で見届けさせて頂いたのち、三通の念書に某が見届けの署名をして、両家に一部ずつお渡しいたし申す」

 「うむ」「ああ、わかり申した」

 「では、ご両名くれぐれもお願いいたす」


 念書の条件を確認し、最後は儂が頭を下げる形で会談は終わった。


 毎度毎度、このような揉め事の仲裁ばかりだと肩が凝ってしょうがない。


 こちらは、情勢が落ち着いたおかげで増えた、利根川、荒川、渡良瀬川流域の帰農民たちの管理で忙しいのじゃが……。


 伊勢家の苛政の下では多くの田畑が放棄され、多くの民が逃げていたのだが、当家の下でかの地域の情勢が落ち着くと、一旦逃げ出した民が戻り出した。


 逃げ出し先が当家だった者達に関しては人別帖が既に作られているので問題は無いのだが、甲斐や駿河、房総などに逃げていた民は帖の記載がなく、一からの記載ということで、伊織が古河に残しておる事務方たちが悲鳴を上げておる。


 儂は事務方が纏めた帖の記述のうち、土地と所有者が被っている部分の裁定をしなければいかん。


 これから、書斎に戻ればそのような書類との格闘が際限なく続くのか……気も滅入るというものよな。

 儂の娘婿となった大道寺政繁、三枝昌貞の両名が河越城周辺、岩付城周辺の裁定を頑張ってこなしてくれているので多少は楽ができるが……これが、全武蔵、全下総などと言われたら、流石に泣くぞ。この儂も。


 さて、この帰農民に関してだが、面倒ではあるが伊藤家にとっては有難いことも生み出しておる。


 ひとつ、田畑の物理的整理と人別帖の作成により、今までとは考えにならぬほどに田の単位当たり収穫量と総年貢が増えた。


 ふたつ、放棄された田に関しては、一から整地をやり直し、四角に近い形にして稲を等間隔に並べて植えるという方法で収量が信じられぬほどに上がった。

 これは景藤と景竜の献策なのだが、勿来での実施例があるとのことでこちらでも行ったのだが、初年度の収穫量の報告を聞いてびっくりしたわ。


 おかげで、今では上野、武蔵、西下総、相模を合わせると楽に三百万石を越えてくるのではないか?

 伊藤家の全領民、全兵士のすべてを満たしてもまだ余るだけの米が作られておる。

 しかも、人手が足りずにまだ手付かずの土地もたくさんあるのじゃ。

 石鹸の普及で子供も死なず、赤子も死なず、また年寄りも死なずで人口が増えておる伊藤家、数十年後にはそれらの土地にも手を付けられるような日が来るのかもしれぬな。


 しかし、人が増え、田畑が広がるとどうしてもそれらを管理する城が必要になる。

 当家の方針ではあるのだが、領民と当家の付き合いは、他家に比べると非常に濃密である。

 間に入る村長はおっても、村長領主がおらぬからな。年貢の取り立てから作物の換金までのすべてを城に付いた事務方がこなすことになっておる。

 ……城の数も足りんし、事務方の人数も足りぬ。


 事務方の補充に関しては、勿来で文がやっておるやり方を景藤より紹介され、去年から古河の近隣の寺の力を借りて事務方塾を作り、将来の事務方の人員補充を目指しておる。

 伊織辺りに言わせると、読み書きそろばんを既にできる者で三年、読み書きそろばんからの者で六年あれば、一通りの事務がこなせるようになりそうだということだ。


 事務方の人員不足に嘆き続けてきた伊織は泣いて喜んでおったわ。


 この塾の運営には近隣の寺も力を貸してくれるのだが、最も献身的に手伝ってくれているのは宣教師の「ふあん」じゃな。

 授業の合間に簡単な説法をすることを条件に、吉蔵のような人材を他国より連れてきておる。

 ただ、塾に学びに来ている者達を強制的に切支丹とはせぬこと、そのことを奴らは自身の神の名によって誓っておるが、多少はこちらの監視も必要じゃろうからな、事務方の仕事を教えることを名目に現職の事務方を交代で遣わせてもいる。

 ……そのおかげで、ただでさえ少ない人員がさらに少なくなっておるのではあるが、将来への確かな施策じゃ。今いる者達には城で事務仕事を頑張ってもらうしかないな。


 「待たせたかの?伊織、政繁、昌貞」

 「いえ、信濃守様。それほどでも」


 佐竹と里見の和睦仲介の後は、伊織達から城の建設候補とその計画について語らう会議じゃ。


 「時間が惜しい、早速説明を始めてくれ伊織」


 儂は席に着くと、茶を一口。急ぎ伊織に説明を始めさせた。


 「ははは。流石は伊藤家の当主。せっかちなのは我が家の業ですな!……では、早速ですが。まず近隣の農地状況、領民の年貢管理や換金所の利便性などを考えた場合の最大数は十一城」

 「十一だと!!」


 それでは、景藤も真っ青の築城ぶりではないか!


 「十一は最大の数です。正直な所、資金・資材・作業人員・事務方人員はその一切を考慮に入れておりません。まずは可能性と、将来的な要求とお考え下さい。北から、鉢形はちがた秩父ちちぶおし松山まつやま鴻巣こうのす柏原かしはら勝沼かつぬま石神井しゃくじい小野路おのじ小机こづくえ深見ふかみとなります。甲斐からの進入路を塞ぐという意味では、ここに三増峠みませとうげを加えて十二としても良いかも知れませぬ」

 「……ふぅ。改めて聞いてもとてつもない数じゃな」

 「念のために、これらの城を築くための資金と資材について景藤とも再計算してみたところ、一度には人員の問題から無理ですが、築くこと自体には、資金も資材も伊藤家に問題は全くないとの結論に至っております」

 「「…………」」


 儂も言葉に出来んが、政繁と昌貞は儂以上に度肝を抜かれておるな。

 儂はもちろん交易の結果や領内の市から上がって来る物の報告は受けてはいるのだが、こうした築城という目に見える大事業をただの一単位として使っているのを見ると、その規模に今更ながらに驚かされるというものじゃな。


 確かに、景藤からは信長が当家に仕官したことにより、交易の儲けが直接景藤の下に入ることになったとの報告を受けた。実際の額までは確定していないと言うておったが、伊織との試算ではとてつもない金額となるようじゃな。


 「十一、十二とは今の儂には、容易には考えつかぬ数字じゃが……これより先の道筋は如何に考えておるのだ?」

 「そうですね。まずは三か所ほどに城を建て、残りの場所には管理人員の確保が出来次第、順々に倉庫とその一帯を警備するための巡回兵を置きましょう。一から城を建てるよりは陣屋のような役割を持たせた建物を造るのが良いと考えます」

 「……では、その手始めの三か所はどこにする?」


 儂は伊織に問いながら目の前の机に広げられている地図を見つめる。

 三つというならば、北、西、南か。


 「まずは鉢形、忍、松山から一つ、次いで柏原、勝沼、石神井から一つ、最後に小野路、深見、小机から一つ。古河と河越の間に位置する鴻巣には陣屋を設け、事務方塾の卒業間近の者などを鍛える役割を持たせるのも面白いかも知れませぬ」


 伊織はその一つ一つを指し棒で地図を指しながら説明する。

 ……そうなるとだ。儂は自分の考えを述べる。


 「さすれば、まずは農地と領民の広がりだけで考えようではないか。北は松山、西は柏原、南は深見じゃな。何処も大河川は走っておらずとも、田の管理には必要なだけの川があるところで、農地は広く領民は多い。農作物の収集には便が良いであろう」

 「なるほど、某も同じように考えまする」

 「そうですな。作物を効率よく集めるにはその三点が最適かと」


 政繁と昌貞も賛成のようだ。


 「……なるほど。確かに農作物・・・を規準に考えるとそれが一番よさそうですな。それではこの三か所に城を建てることで作業に入ります」


 こうして、儂らの意見による三か所で築城を始めることにした。


永禄二年 盛夏 松山 伊藤景竜


 真夏の関東は暑い。

 こういう日差しが強い日に外へ出ると、やはり勿来は奥州なんだなと実感する。

 子供時代を過ごした棚倉はもっと涼しかった記憶ですね。


 「伊織叔父上、お時間を取っていただきありがとうございます」


 私は叔父上に一礼をした。

 篤延の一族を排除する方法をお爺様に相談したところ、「伊織と相談せよ。すべての責任は儂が取る」と仰られた。


 確かに、この手の話は伊織叔父上が一番得意かもしれない。

 父上もこういう話は苦手ではないと思うのだが、相談する前から答えはわかっている。

 「兵を集めて潰せ」と言うのだろう……。


 篤延は伊藤家に仕えている身なのだ。そんな外敵を排除するやり方や、謀反人の処刑をするような方法が取れるわけもない。もし、そのようなことをしてしまったら、家中に疑心暗鬼の種がばらまかれることになってしまう。

 大切なのは自他ともに納得できる大義名分を引っ提げることが大事なのだ。


 「景竜が気にする必要はない。ご隠居様から内々で話は頂いているので、今日景竜が私に尋ねたいことはわかっています……ここは松山城の築城現場で周りは開けていますが、建築の音がうるさく聞き耳を立てることは難しいですし、開けているので誰かが近付けばすぐに気が付きますからね。ただ、用心のために直接的な言葉は使わずにお願いしますよ」

 「はい。わかりました叔父上……では早速、彼らを本願成就が成ったと思い込ませ油断させるにはどうすればよいのでしょうか?」


 回り道をせず、直接に聞きたいことを尋ねた。

 伊織叔父上は見かけによらず、伊藤家随一の短気者だし、こちらがある程度省いた形で話しても、そこからすべてを理解されてしまう頭脳の持ち主だ。


 「簡単なことです。本願を成就させてしまえばいいのです……いいですか、人の集まった集団において、真に一つの目的を共有することは不可能です。必ず、一人ひとりの個人の欲望や考え方が混じり合うものです。ですので、こういう場合はその集団の目的を一つずつそぎ落としていき、最後に残る「芯」を探し出すのです。今回の場合ですとその「芯」の部分だけを実現させてやれば、彼らは本願成就と受け取り油断をすることとなるでしょう……まぁ、油断も何も本願が成就したわけですからね」


 そう言って、叔父上は人の悪い笑みを浮かべた。


 ……なるほど、全体は全体にならず、芯の部分だけが全体になるということか。

 また一つ教えられました。


 「今回の本質。それは何だと思いますか?景竜」

 「……やはり、彼らの栄達でしょうか?」

 「栄達……確かにそれもあるでしょう。権力を持ちたい、良い生活をしたい、虚飾を張りたい。どれも正解でしょうが、ではなぜ彼らは栄達を求めるのですか?それは何をすれば栄達となるのでしょうか?」

 「……何を持って満足する栄達となるのか、ということでしょうか?」

 「その通りです。今回の場合は彼らが何を見て栄達を夢見たかということです」


 ……何を見て?


 ……彼らが目にする栄達。それはやはり主家たる伊藤家の力だろう。

 古河公方と関東管領を従え、関東に覇を唱え、数十年前までは決して逆らうことのできない存在であった周辺諸将、しかも大身の家の和睦仲介までをも成す。

 更には、片手では済まない数の築城等を何ほどとも思わない財。


 「……当家への嫉妬がその原点というわけですか」

 「ええ。私はそうだと確信していますよ。嫉妬という感情は怖いものです。それはすぐに欲望と結びつき、如何なる理性をも黒い感情で塗りつぶしてしまう。景竜には必要ないかもしれませんが、我々もこのような感情に引きずり込まれぬよう、常々注意して行かないといけませんよ?」

 「はい」


 私が嫉妬するものとは何だろうか?若殿の頭脳だろうか?元姉上の剣術だろうか?

 いや、それらは嫉妬するのもおこがましいもので、私にはただの信仰の対象でしかないですかね。


 はい。

 若殿ではないですが、考えてもわからないものはわからないですね。また、今度考えましょう。


 「では彼らの嫉妬心を満足させることを見せてやれば良い、と……だが実はそのことが我々にとっては、どうでも良いことになってないといけない……」

 「そういうことですね。たぶん景竜もすでに考えていた事なのではありませんか?ただ、私と一緒で景藤が楽をする一方で、私たちが非常に苦労する羽目になることがわかりきっているので、どうしても心が拒否してしまっていただけだ、とね」


 そうですね。わかってはいたのです。

 ただ、若殿が満面の笑みを浮かべる反対側で、私と伊織叔父上の二人が最も苦労する未来が見えてしまうのですから、それ以外の方法を模索しようといらぬ努力をしてしまいました。


 そう、若殿が家督を継がなくとも伊藤家はどうということもないのです。

 大切なのは、若殿が伊藤家の方向性を語り、勿来で新たな政策を考え付き、それらを実行できるのであれば、それで当家は大発展を遂げて行くのですから。


 「それにここまでの配慮を主家が見せるのですから、それ以上に何らかの不満を見せた者達を排除したところで何の問題もありません」


 なるほど。同時に大義名分も得られる。


 「最後に一つだけ、では次代はどなたが?」


 これは是非とも聞いておかねばならないことです。

 信濃守様の次となると、父上と伊織叔父上で十違い。その下ですと……。


 「決まっています。景藤が私たちに丸投げをするように、景藤にすべてを丸投げする人ですよ」

 伊藤家は築城の業からは逃れられないようです。

 関東でも築城は続きます……というよりも、一行政単位として城があるのならば、人口の多い関東でその数が増えるのは当たり前のことですよね。

 土木奉行所の皆さん。頑張ってください。


 そして、築城現場ではブラックコンビが新たな計画を練り上げてる模様です。

 どうなることになるのでしょうか。


 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] 城を建てると聞けばぎょっとするけど、実際のところ、役所をつくってるんですよねぇ。
[良い点] 登場人物が生き生きしていて面白い。 [一言] 先代の黙認あっても勝手に後継を差配しようとする伊織や景竜のが問題ないですかね?当主の顔潰すほうがお家お騒動巻き起こすと思いますが。 >篤延は伊…
[一言] ”阿武隈の狼“完!新連載“阿武隈の娘”に乞うご期待! 真面目に後世歴史家を悩ませる歴史の特異点と化してる伊藤家 時代に則さないあらゆるネタの貯蔵庫、ネットでも大人気だろうな
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