-第四十一話- 銭の数が足りなくなりそう
弘治二年 正月 羅漢山 伊藤景虎
正月の羅漢山。
今年は数年ぶりに佐竹家、伊達家、長尾家、伊藤家の四家の当主が勢揃いした。
四家がそれぞれに天文年間で大きくなったので、ここで改めて今後の方針などを語り合おうとの次第となった。
随行の者達は、坂下の本丸内の大広間で宴を続けておるが、我々は羅漢山山頂、奥の丸にて会合を持つこととなった。
……晴宗殿は最後まで名残惜しそうに宴を眺めておったがな。
「時も惜しい。早速話し合いを始めようではないか!」
……やはり晴宗殿は一刻も早く宴に参加したいのか?
こう切り出し、とっとと話し合いを始めようとする。
ここは奥の丸の一室。
景藤が言う大陸式の部屋というやつだ。
円卓を中心に椅子が四脚配置されている。
また、円卓の中心にはくるくると回る小さな卓が付いていて、そこに茶の入った薬缶でも置いておけば、楽に自分で飲み物を入れることが出来るので、付きの者がいなくてもこうした会議ができる。
「では、一番話題が少なそうな当家から話をさせて頂こう。越中方面は神保家が治めており、当家とは特に諍いを起こしておらん。信濃方面は武田家が葛尾城までを北限としているので、当家は高井郡までのところを飯山城から差配しておる。関東方面は、沼田城を取り名胡桃・三国峠を使うことで、越後・上野間の行き来が楽に出来るようにしてある。会津方面は蘆名家が静かなものなのでここも平穏だな。ただ、庄内方面は大宝寺家からの救援がしばしば来る……伊達殿、これは相談なのだが、最上家を何とか抑えるか、平和裏に庄内を制圧できぬものか?」
うむ。忌憚ない意見を交換するためにこの四名だけで会ったわけだが、いきなり長尾殿から忌憚のなさすぎる話題が飛び出てきたな。
「庄内に関してはな……最上家に戦を止めろとは言えん。なぜなら、小野寺家と矛を交え山形盆地を統一する戦を最上家がしていた時に、大宝寺家は庄内の商人達に圧力を掛けて塩を止めたのだ。再度塩を止められては堪らぬので、大宝寺家は廃除をする……と最上家に言われては、当家として止めることは出来ん。せめて何もせずにいることぐらいしかできないのだ……」
「……なるほどな。晴宗殿の言で経緯はわかった。ならば大宝寺家と最上家の両家だけで決着を着けるのが正道であろう」
「長尾殿のご理解、痛み入る」
晴宗殿が軽く頭を下げ長尾家の話は終わりじゃな。
「では引き継いで当家、伊達家の現状をお話ししよう」
小机をくるくると回し、薬缶を手元に引き寄せながら晴宗殿が話し始める。
「当家に臣従しておるのは、最上家、大崎家、葛西家とそれらに付き従う土豪の者達だ。その中で、一昨年ぐらいから北上川流域が騒がしくなっておる。はじめは南部家と盟を結んだ斯波家が南にちょっかいを仕掛けてきた程度ではあったのだが、先年に南部家が斯波家の領域を攻め取ってな。今度は南部家自身が、北上川を下り、葛西家と周辺豪族の城を奪いつつ、一関まで押し寄せてきよった。こうなると、大崎家、葛西家はそれぞれの本城周辺の領地との境が南部家と接することとなり、日に日にこのぶつかり合いが大きくなって来ている一方でな……伊達家としても、やつらとは決着を付けなければいけない時期が来ているのではないか、と家中では話が上がっておる」
ふむ……ぽりっ。
お茶請けは黒磯から届いたばかりのぱたたちふれだ。
「春の田植え前までには、ある程度の決着をつけたいとは願っておる……話は変わるが、この菓子はしょっぱくて最高だな。伊藤殿、あとでお土産に頂けるかな?」
「解り申した……皆様にお渡しするよう伝えておきます」
ふむ。ぱたたちふれの魅力にしてやられたのは伊達殿だけではないな。「皆様に」と言った時、あからさまに長尾殿も佐竹殿も頬を緩めたぞ。
「では、次は当家、佐竹家から……当家は北と西は伊藤家と接しておるので、そちらに関してはまったく問題がない。久慈川、那珂川に次いで、近年では鬼怒川と利根川を使った商いも領内では活発となっている。で、この鬼怒川と利根川なのだが、宇都宮家と小山の古河公方様は静かなのだが、河越の伊勢家が、どうにも喉に刺さった小骨のように邪魔で仕方がない。伊藤殿と何度も追い払ってはいるのだが、当方の江戸城に寄せてくる西武蔵の拠点にもなっておるし、荒川を使えぬ原因にもなっている……当家が抑えても飛び地となって治めにくいので……どうか、伊藤殿に河越を抑えてもらうことは出来ないだろうか?」
佐竹殿の方から、かような提案を貰うとはな……。
以前は当家が領地を広げる話を持っていって、了解を得てから動いていたものだが……当家も大身の一つとなったのであろうな。
「なるほど……確かに河越を抑えてしまえば荒川も我らの道となり、江戸も更なる発展を遂げましょう……わかりました。西武蔵を抑える件、しかと当家にて行わせていただきましょうぞ」
「うむ。忝い。その折には南からの伊勢軍は当家が責任をもって多摩川で抑えさせていただき申す」
「よろしくお願いいたします」
後で、皆と詳しく武蔵統一の策を詰めねばな。
「それでは、最後は某ですかな……そうですな。伊藤家は北を伊達家と長尾家、南と東を佐竹家と接しております。こちら方面での懸念は蘆名家となりますが、彼らも長尾殿と伊達殿の睨みのおかげをもちまして、特に山を越えて問題を持ち込むようなことはございませぬ。武田家も信濃より碓氷峠を越えて関東に出張ってくるような真似はせず、静かなものです。そうなると、河越城周辺の伊勢家となりますが、先ほどの佐竹殿のお話しにあった通りに近々この対処を行います」
「となると、問題は終わりか?」
伊達殿は一刻も早く戻りたいのか……もはや、その気を隠しておらんな。
「問題、と言いましょうか。朗報には間違いないのですが……ここにきて金山の存在が報告されております」
「「金山か!」」
熱海の金山で合意をしておる伊達殿を除いて、長尾殿と佐竹殿は驚いておるな。
「どうやら棚倉の山中を源流とする久慈川から砂金が見つかるということで、もっか山に詳しいものを使って探しておるところです。また、先ごろ二階堂殿が動いたのも本宮近くの奥羽山脈に金山があるとの噂を信じてのことだったと、旧二階堂家臣が言っておりました。こちらの場所は大体把握できましたが、実際の埋蔵量に疑問がありますので、当面はそこで採掘を始める気はございません」
熱海の金山についてはこのような話で伊達殿とは合意済みじゃ。
「しかし……久慈川で砂金というと……」
まぁ、そうなるわな。
長尾殿は越後山脈と佐渡に数多くの金山・銀山が、伊達殿は米沢の裏手と阿武隈の北側に金山と銀山がある。唯一領内に金銀を持っていなかった佐竹家に金銀の話が降って湧いたのだ。
興奮するなというのが無理な話であろう。
「当家の山師が言いますに、久慈川の流れが急激に緩むところ、大宮あたりではそれなりに取れるのではないかと言うております」
「ほほぅ。久慈川は大宮で砂金か……」
佐竹殿は笑みが止まらぬご様子じゃ。
さてはて、四家ともにこのことが吉兆となることを祈るとしようか。
弘治二年 春 勿来
「銭……銭が足りない未来が見える……」
「なんと!若殿、当家は銭が無いのですか?南はいったいどうしましょう?……母上からお金を借りてきましょうかしら……」
「あ、いや、そうではない。十年二十年でどうこうなるものでもないし、当家の話ではない。領内に流通する銭が将来的に足りなくなりそうだと口に出たのだ……心配かけてすまぬな」
俺の何気ない独り言が、双子の世話をしながら、庭の椿を眺めつつの日向ぼっこをしていた阿南を慌てさせてしまったようだ……。
うむ。失敗失敗。
「兄様、銭が領内で足りなくなるとは?」
年が明けて十四となった清はうちの双子が可愛くてしょうがないのか、弟が出来た気分で姉風を吹かしたいのか、去年から付きっ切りで二人の世話をしてくれている。ありがたいことです。
双子は兄を一丸、弟を中丸と名付けた。
兄弟仲良く育って行って欲しい。
「ああ、領内……に関わらず、日ノ本で流通している銭は銅銭。ほとんどが明から持ち込まれた銅で出来た銭だ。金や銀なども商いでは使うが、こちらは商人同士などの大規模取引の時に重さを規準に使われる代物だ。これを「銭」とは呼べぬ……」
ここまでは大丈夫かな?とばかりに二人を見やる。
う~ん?阿南はギブアップ。女中たちと一緒に子供たちの面倒に戻り、清は興味津々で俺の話を聞いている。
清はこういう話が好きなのだな、いつかは嫁に……と父上は思っていたようなのだが、どうやら羽黒山城で姉上の背中を見過ぎたために、本人の将来の夢は名城主になること、夫は婿に取る!と宣言してはばからない。
先行きが心配である。
「でだ。この銭だが、当然の如く人が増えれば使う「銭」の量も増える。結果、領内で必要になる「銭」の量が増えるというもの……そして、伊藤家は先日河越城を落とし、武蔵を多摩の山すそに至るまで支配することとなった」
「なるほど!今回は領民が一気に増えた。今後の情勢を考えると領民は増えこそするが、減る傾向にはない。そうなれば、いつかは流れる「銭」の数が足りなくなると……。かように兄上はご心配なのですね」
「その通り」
どうやら、話が長くなりそうなので、俺は輝に茶を薬缶に入れて持ってきてくれるよう頼んだ。
伊奈一族と悠殿が作り出す磁器の薬缶……というか、大き目の急須。伊藤家での利用率爆上がり中の人気商品です。
とりあえず、俺は手招きをして清をソファの方へと呼ぶ。
「しかし、足りないのでしたら、我らで作ればよろしいのでは?」
俺の向かい側、一人用のソファに腰かけ清が質問を投げかける。
「その通り。最終的にはそれしか解決方法は無い。ただ、そこに至るまでには大きな問題がある」
「それは?」
「信用だ」
「??」
気が付いたら貨幣論入門講座か?
「つまり……銭一枚は幾らだ?」
「一文です」
「何故?」
「……あ!そういうことですか!皆が一枚一文だと思うので「銭」として通用すると!」
そういうこと。
戦国期の日本は初期貨幣経済だから、前世世界のような信用経済には程遠い。
だが、信用がない経済では貨幣経済は成り立たない。
この二つは完全に別物、完全なる進化形とかいうものではない。その概念は重なり合っているのだよ、と。
「当家で銅貨は作れるだろう。現実に景竜の厩橋城では銅の精製が行われているしな。だが、当家が作った銭を、誰が銭として、一文として使ってくれるのか?という問題だ」
「はいはい!当家が勝手に作れるのなら、当家の一枚を一文として使いたくない人たちが出てくるということですね!」
またまた、正解!
自分たちがこの国を治めているのだ!などと勘違い甚だしい方々からは横やりが飛んでくること間違いなし!
足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか足利とか!
まぁ、実際に足利将軍家も撰銭令とかで、大変にご苦労されているのはわかりますがね……。
「しかし、兄上。そうなると、当家の銭を信用してくれる人が増えれば銭として通用するのでは?さらに、今の銭より当家の銭をより信用してくれれば、当家の銭が一文ではなく二文にも三文にもなるのでは!?」
うむ、為替の概念にも近づきました!
「そういうことだ。だから、兄は銭が決定的に足りなくなる前に当家領内で銭を作りたくて堪らぬのだ……」
「……しかし、そうなると別の疑問です。どうして、今までは大丈夫だったのですか?清の知っている限り、伊藤家の領内ではどこに行っても銭が使えます。この間は黒磯に向かう途中の村で水を貰ったお礼に銭を使いました。領民のすべてが銭を使うとなると、今の領内を考えても銭は足りないのでは?」
うむ。実際の数字を見たわけではないが、清なりに当家の経済規模、その大きさをイメージ出来ているようだな。
ええ、その感覚は大事ですよ。
……阿南は息子たちとお昼寝モードに突入しているのか……と、輝よ、お前もか……。
「そうだな。当家領内で領民の誰しもが喜んで銭を受け取るのは、伊藤家の領内では誰もが参加できる市が各地で開催され、誰もが自分の好きに銭を使うことが出来るというのが一つ。もう一つは、当家がいろいろな形で銭を領民に配っておるからだな」
「配っている??」
「そうだ、配っておる。例えば伊織叔父上の土木奉行所では、日当の形を取り、様々な形で配っておる。後は、各城におる常備の兵共も日当……彼らの場合は十日単位で渡してはおるが、どちらにしろ配っておる。勿来で言えば、製塩所、窯、綿畑などの職人や人足にも配っているぞ」
「おお!働いてもらった分の日当も、確かに「銭を配っていること」に変わりがないのですね」
左様。対価であろうとなんであろうと、配っていることに変わりはないのですよ。
「後は、銭不足がそこまで深刻でないのには、当家では銭で年貢を取り立てておらぬというのもある。年貢は決められた割合での物納だ。これが銭の動きをおかしくしていない大きな理由の一つだな」
こっちを詳しく説明するには市場の原理とか、剰余の概念が出てくることになってしまうが……そこはざっくりと飛ばしてしまおう!
「頼朝公の鎌倉開府以来、年貢を銭に先に変えてから納めることが東国や京周辺で広まってはいるが、これはどうしても上手くは機能せん」
「……?どうしてでしょうか。結局、最後は銭となるのでしたら、変えるのが後でも先でも、その結果は変わらないのでは?」
「ああ、そうだな。後でも、先でも同じ比率で交換出来るのであれば、そこに変わりはない」
「あ!」
いやいや、清は経済に関するひらめきが強いな。
うん。良い城主になるぞ!(清の婿取りについて考えるのは……父上達にお任せしましょう……)
「そうだ。結局領民たちは領主や村長など、彼らが逆らうことが決してできない力関係の相手に物から銭への交換を頼むのだ。これではまともな交換などなされるはずもなし。まともな交換がなされないのであれば、領民もまともに年貢を納める気はしなくなる、最悪土地を捨てて逃げる。こうなると銭の流れが大いに滞ったり、止まってしまう。結果、本当に必要な数以上の銭が必要になってしまうのだな」
「なるほど。一見すると銭の数が少なくて済むように見えて、実は、流れてない分、もっと、もっと銭が必要になってしまうのですね。わかりました!」
……いや、一回の説明でこの辺りを理解するって、清さんあなた凄いですよ。
景藤さんはちょっとびっくりです。
あ、銅銭の数が足りなくなりそう。
急に気づきました太郎丸さんです。
河越城を落とし、多摩の山すそ近くまで領地が伸びてしまった伊藤家。
伊勢家による苛政によって領民の数が激減したとはいえ、武蔵は大国。人口は膨大です。
このまま関八州!などと言ったらえらいことになってしまいます。
さて、この時代、日本は一時的に中断されていた貨幣経済が復活し、さらに大加速していたのに中国からの銅銭流入が止まりつつあり、経済が涙している頃合いです。
最新研究では、この時期でも明では銅銭を造幣していたことは確かなものだとなっておりますが、日本向けには停止、もしくはごく少量のみの流入となっていたようです。
さて、太郎丸たちは如何にこの辺りを乗り切るのか?
課題ばかりが山積みですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




