-第二百四十三話- 【外伝】 阿武隈の娘 後編
天文七年 晩春 棚倉
「元よ。相済まぬが一つ訪ねても良いかの?」
お爺様がこの時間に何の用でしょう?
今は習字の授業中、館からは川の向こう側にあたる常隆寺で手習いを受けているのに……。
珍しいよね?わざわざお爺様がこんな時間に、こんな場所まで……。
「なんでしょうか、お爺様」
字を教えてくれているお坊さんに一つ頭を下げてから、わたしは縁側に顔を出したお爺様の近くへと歩いて行った。
「いや、なに。昨日から白毛の村長の娘の南が家に帰ってきていないというのでな。南とは仲の良い元なら、何ぞ知っているのではないかと思ってここに来たのじゃが……。その顔では、元は何も知らんようじゃな」
「……はい。ここのところは習いごとの休みが無くて……。最後に会ったのは梅に怒られた正月後の時が最後かと……」
え?
なに?
良く分からないけど、南ちゃんが家に帰っていない?!
「そうか……それは邪魔をしたな。何か思い出したことがあるのなら、習い事が終わって館に戻った時にでも話してくれると嬉しい。ではな、習字を頑張るのだぞ。行基上人ゆかりのこの寺でお主もしっかりと学ぶのじゃぞ」
「はい……」
わたしの混乱した頭では、そう答えるのが精一杯だった。
……南ちゃんがどこにいるかわからない??
その日はそれからというもの、まったく頭が働かずにお坊さんからもずっと叱られっぱなしだった。
夕餉も大好きな猪肉だったはずなのに、味も何も覚えていない……。
ちゅいー、ちゅいー、ちっちち。
山の鳥でも館に降りてきたのかしら。
混乱したままの状態で寝床に潜った私だけど、どうにも鳴き声が気になって眠れやしない。
南ちゃんが見つからない……どうして?あの南ちゃんなのに!
しっかり者で、美人で、優しくて、いい匂いがする南ちゃん……どこにいるの?!
南ちゃんと最後に会ったのは、正月が過ぎて何日か経った一日。そう、白毛の村で一緒にきのこ汁を飲んだ時だ。
あの日は、梅にこっぴどく叱られて……そのおかげで、その日から今日までずっと習い事。
館と常隆寺を往復するだけで……。
そういえば、どうしてあの日はきのこ汁を作ってもらったんだっけ?
たしか、太郎丸が産まれたばかりで館は忙しなかった。
お客さんも沢山来ていて、わたしは窮屈な挨拶に飽き飽きしてて館を抜け出した……。
そうだ、麓の里で南ちゃんと待ち合わせて、市が開いているからって八槻社に向かったんだった。
そこで出会った牛蛙が気持ち悪くて、結局、市の中には行かずに帰った……。
まさか、南ちゃんは市へ行った?
確か、一昨日から市が八槻社で開かれていたはず……。
こうしちゃいられない!
がばっ!
わたしは掛け布を吹き飛ばして起き上がる!
袴を穿いて、厚手の打掛と毛皮の外套を羽織る。
手ぶらじゃだめか……。
得意の薙刀は武器庫に仕舞われているので持ってはいけないが、床の間には去年にお爺様が贈ってくれた太刀と脇差が置いてある。
流石に太刀は重くて動きにくくなっちゃうから、脇差だけをもってそっとふすまを開ける。
館の人間に気付かれるわけにはいかないので、そろっと移動しよう。
ん??
夜も更けているというのに、だいぶ館の裏手の方が騒がしい。
あの辺りは、家臣の屋敷や兵の修練所やらがあるあたりのはず……何かあるのだろうか?
まぁ、ちょうど良いっか。
離れたところが騒がしいのならば、わたしが抜け出すのには絶好の機会だというものだ!
今日は満月ではないけれど、十分に見通しが効く程度には月明かりが出ている。
わたしはいつもの脱出路を使うことにした。庭木を伝って塀を越え、南側の斜面を駆け下りて麓へと出る。
そこからは大回りになるけれど、館側の山すそではなく、一度久慈川を渡って常隆寺側の山すそを北へと大回りをして八槻社に向かう。
急いではいても、息を上がらせることがないように、しっかりと腰を落として走る。
……着いた。八槻の社だ。
……?変ね。
いくら市の開催期間だとはいえ、ああも夜間に入り口の明かりをつけるものなのだろうか?
不思議なものだが、入り口に人の注意が集まってるのならば、好機!
裏手の竹やぶ側から侵入しよう。
塀が新しく造られたとはいえ、周囲のすべてが塀で覆われているものでもない。
かさっ、かささっ。
音をなるべく立てないよう、葉が風で揺れるのに合わせてかき分けていく。
……まいった。
思いつくがままに八槻社まで来てみたのは良いけれど、南ちゃんがここにいると確認したわけでもないし、思っていた以上に八槻社は広かった……。
どうしようかな?
ゆっくりと竹藪を掻い潜りながらも、軽く立ち止まってしまった。
ぎゅふふふ。
ああ、いやだ。
歩みを止めたわたしは、突然にあの牛蛙の鳴き声を思い出してしまった。
寒気を感じて完全に立ち上がってしまう。
「きゃ~!」
ん?女性の悲鳴?
確かに聞こえた!場所は……明かりのある方ではないけれど、竹藪を抜けた先の……その裏手の辺りの建物の方かな?
人の気配は近くに感じないけれど、どうにも嫌な予感がする。
十分に気を付けながら、闇の深い建物の影を選んで進もう。
「きゃ~!!」
今度ははっきりと聞こえた!
目の前の屋敷、低い塀に囲まれているここだ!
ふん。漆喰でつるつるになっているのなら別だけど、こんな凸凹した土壁なんて、何尺あったとしても登るのは苦じゃない!
自慢じゃないけれど、これでも叔父上方から山猿呼ばわりされる程度には木登り、崖上りはお手のもんよ!
「黙れ!この売女が!この儂に可愛がられるという栄誉を頂きながら、なんだその反抗的な目は!!こうしてやる!こうしてやる!!まったく童の癖にこんなに良いものを!!!」
裸になった牛蛙が屋敷の中で大声を挙げながら蠢いている。
何よあれ?気持ち悪いったら、ありゃしない……って、あれは南ちゃん!!!
牛蛙は裸にした南ちゃんに覆いかぶさり、南ちゃんの顔を殴りながらもぞもぞと蠢いている!!
許さん!!!
わたしは塀から飛び降り、一目散に南ちゃんに駆け寄る!
おちつけ!叔父上からは口酸っぱく教わった。
人を殺すにはきちんと急所を狙わなければいけない。しかも、刀というのは使い方によっては簡単に折れてしまうし、刃も鈍る。
狙うのは、内腿、腋の下、内股、首筋に心の臓。
刀は振るのではなく突く、そして的確に筋を切り裂くべし。
移動の音はさせても余計な声は出さない!
「ぎゅふふふ。ふ?な、なんだお前は!!」
牛蛙に剣術のたしなみは無いようね、慌てるだけで何もしない。
しかも身体を起こして急所をわたしに晒している。よし!殺せる!!
脇差を抜いてしかっりと首筋を切り裂く!
びしゅっ!
飛び散る牛蛙の血。
どさっ。
「南ちゃん!南ちゃん!!大丈夫!!」
わたしはただの物になり果てた牛蛙を蹴り倒して、南ちゃんを抱き起す。
「わ……わたしはだいじょうぶ……大丈夫だから泣かないで、元ちゃん……それよりも早く逃げなきゃ。この辺りには沢山の男の人がいるの、皆、刀を持ってたわ。いくら元ちゃんが強くても多勢に無勢?元ちゃんまで捕まっちゃうわ。早く逃げて……ね?逃げて?」
確かに、今の騒動で人が来ている気配……ここにいたら南ちゃんを盾にされちゃう!
「すぐに迎えに来るから、それまでの辛抱だよ、南ちゃん!いいね!」
武器の予備に丁度よさそうな脇差が床の間に飾ったあったので、それを失敬して部屋を出る。
集まってくる前に刀持ちの数をこちらから減らしてやる。
「ん?どうしたんだ??あの助平親父め、一人で商品には手を付けるなとあれほど言っておるのに……」
不用意に近づいてくる刀持ちを廊下の角で待ち伏せ、すれ違いざまに首筋を下から切り裂く。
驚いたもう一人の股を軽く切り上げ、倒れこんだところを後ろからしっかりと切り裂く。もちろん首筋をだ。
先ずは二人……。
近くに人はいない……とりあえずの安全を確認して、ほぅっと一息。
息は付いても、やることだけはやっておかないと危険だ。
倒した男から刀を鞘ごと引き抜いて、近くの無人部屋へと放りこんでおく。
これも叔父上から学んだことだ。
「味方の武器は増やせ。敵の武器は壊せ」
壊すのは無理だから、隠してしまいましょう。
「うわああああ!」「敵襲だ!!!」「出会え、出会え!!!」
近くの部屋の最も光が当たらなそうな隅っこに刀を放り終えたと同時に、遠くの方からけたたましい怒声が鳴り響いて来た。
ん?何??
わたしではないよね。外の方から争う声……。
わたしは周りを確かめながら、ゆっくりと喧騒の方へと近づいていく。
「こんのぉ糞坊主共!!人の領内で何をしておるか!!」
「いや、父上。ここは別に我らの領地というわけでは……」
「うぉぁっらぁ!野武士風情が何を生意気な!!我ら武士に敵うと思うてか!!!!」
あれは、爺様に父上……叔父上方も……。
館が騒がしいと思ったら、どうしてここに……。
平家の真紅の旗。
真紅の旗を掲げて、五十人ほどの伊藤家の兵が社の者どもを切り伏せていく……。
人数は少ないながらも、甲冑を纏ったお爺様達は粗末な為りをした社の者共を敵ともせずに戦っていく。
一方で八槻社側は混乱の極みにでもあるのだろうか、武器を手にした連中が思い思いに伊藤家の兵に切りかかり、逆に簡単に切り伏せられていく。
ごうっ。
遠くの方では建物に火が付いたのだろうか、なにやら季節に似合わぬ熱までをも感じる。
「危ないぞ!そこな童!!……ん?元!!!なんであなたが!!いや、それよりもここは危険です。わたしと一緒に外に出ますよ!」
建物の柱の影から、ぼうっとみんなの戦ぶりを呆けて眺めていたわたしの肩を掴んで伊織叔父上が声を掛けてきた。
あれ?伊織叔父上?
伊織叔父上の端正な顔立ちも、戦の火と血で中々に壮絶なものに……って、そうじゃない!
「お、叔父上!こちらに!み、南ちゃんが!!」
「?!白毛の娘ですね?どこです!案内しなさい!」
「こ、こっちです!」
はっとわたしは我に返り、南ちゃんのところまで急いで叔父上を連れて行く。
屋敷の中に、敵はもういないのだろう。人気のない屋敷内を奥へ、奥へと足早に進んでいく。
「み、南ちゃん!!」
やっと、最初に侵入した部屋へわたしたちがたどり着いた時。
そこにはとんでもない光景が広がっていた。
南ちゃんは床の間に飾ってあった太刀を取り、自分の首元に押し当てていたのだ。
えっ??
「ご、ごめんね。元ちゃん……わたし汚くなっちゃった……もう、生きていたくないよ……」
「な、なんで?南ちゃんは汚くないよ?……わたしの大好きな南ちゃんだよ?」
「だめなの……もういやなの……いきていたくないの……なくなっちゃったいの……」
「南ちゃん駄目だよ。そんなものから手を放して?ね?危ないよ?」
「ごめんね……ごめんね……」
「なんで謝るの!!南ちゃんは南ちゃんで、わたしの大好きな南ちゃんだよっ!」
「ごめんね……ごめんね……」
ぶっ……ぶしゅ。
「ああ!南ちゃん!!!」
刀を首に押し当てた南ちゃんに駆け寄る。
「駄目、駄目だよ南ちゃん!!まだ、わたしたちは子供なんだよ!大人になってないんだよ!!どうして……どうして?!」
「もとちゃん……わたしのだいすきできれいな……お坊様が言ってた……人は生まれ変わるんだって……次にもとちゃんに会う時も友達だ……よ?」
「駄目、駄目!!!!みなみちゃ~~ん!!!」
な、なんで……?
……
…………
わたしはあったかい南ちゃんの血の中でずっと泣いていた。
ずううっと、ずっと、泣いていた。
そして、気が付いたら屋敷の自室で寝ていた。
ぴちち。ぴちっちち。
雀の声。朝になったの?
「起きましたか、元?」
「ああ、伊織叔父上……ということは昨日のことは夢?」
「……」
ああ、叔父上のその苦しそうな顔でわかりました。
あれは本当のことなのですね。
「元には全てを話しましょう……あれは……」
伊織叔父上の話を纏めるとこうだ。
八槻社に新しく来た別当はただの悪人だった。
水戸の商人と手を組んで、顔立ちの良い娘を拐かし、堺やら京やらどこぞに売り飛ばす組織に属していたのだ。
付近で童の拐かしが多発しているとの訴えを聞いた父上たちは、家を挙げて調べをしていたのだそうだ。
その結果、早々に八槻社の者達へと辿り着き、万事準備を整え、昨日の夜に乗り込んだということだった。
「では、どうして南ちゃんは?八槻の市に行かなければ??あの日にわたしが市に行くことに賛成しなければ?八槻で市が行われていることを知らなければ??みんながもっと早く悪人を殺していれば??」
ああ、駄目だ。色んなことが頭をぐるぐる回る。
涙も止まらない……。
「元……」
慰めてくれようとしているのでしょう、叔父上がわたしの肩をそっと……。
(ぎゅふふふ)
「いやっ!!!」
気が付いたら、わたしは叔父上を突き飛ばしていた。
「あ、いや……そういうのではなく……なんだか、怖くて……」
少し寂しそうな顔をしていましたが、叔父上は優しい声色で話しかけてくれます。
「大丈夫ですよ。あなたは今少し寝ていなさい。寝て起きて……お腹が空いたら梅に声を掛けると良いでしょう。……それでは、お休み」
そう言って伊織叔父上は物音立てずに立ち上がりました。
すうっ。
静かにふすまが閉められます。
なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!
こんな理不尽がまかり通る、これが戦国の世だということは勉強してわかっていた。
けど!それでもやっぱり、こんな残酷なことが起きるなんておかしいじゃない!
南ちゃんは何の罪もない、とってもいい子だったじゃない!!
この世には神様も仏様もいないの!!
しーん。
誰もいない。
私一人だけの部屋。
静寂が身を包む。
……そうね。
ようやく私は理解した。
この世が汚いというのなら、私が力づくで綺麗にしてやるしかないのだ。
この私が二度と南のような子が生まれないようにしてやる。
今に見ていなさい!
まずは叔父上達の下で剣の修行と政の勉強ね。
このままの私では力不足だ。
どんな理不尽も跳ね除けるには力がいる。
私たちによる、伊藤家による平かな世……子どもたちが笑って幸せに暮らせる世、なんとしても、必ず叶えてやるわ!
姉上の決意が生まれた話でした。
南ちゃんの魂も無事に生まれ変わって、来世では姉上と仲良く暮らしていると思われます。
追記:AI的な奴で姉上を書いてみました。




