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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第二部- -第六章- 浄土求道 
233/243

-第二百三十三話- 痴人の夢

天正二十三年 秋 武昌府 伊藤景基


 湖広の中心地は武昌府ぶしょうふの外れ。

 兵馬はかなり前に、陸路で広州に戻っているので、ここに残っているのは私自身と数名の護衛のみだ。


 「それでは、景基殿!お世話になり申した!どうかご武運を!」

 「景基殿!貴殿のお話しは某の心に深く刻み込みました。……この別れは束の間のものと思っております。景基殿……いや、師父!どうぞ……ご壮健で!」

 「こちらこそ世話になった……」


 長江沿いの湊での別れ、そう、別れ……いつの世も別れというものは寂しいものだ。

 特に異国で出会い、気脈を通じた者達と別れるのはなんとも寂しいものだな……ものなのだが……。


 「間違いなくお主達との別れは辛いのだが……その……な?……あそこで張り切って船荷の点検をしている女性にょしょうをどうにかすることは出来んのか?」

 「「妹(姉)をどうこうなど出来ませぬ!!」」


 ……嫌にきっぱりと言い切るではないか。


 「聞けばしん家は代々の武家。しかも千年にも繋がる名家というではないか……」

 「確かに秦家は忠州ちゅうしゅうでは名家ですが、まぁ名前だけの家でございますよ!」

 「左様。古い家ではありますが、今は小さな村の寄り合いのしがない取りまとめ役の様な地位。どうか、師父はお気になさらず!」


 満面の笑みで気にするなと言われても困る。


 「聞けば、戦で亡くなった彼女の夫は一国一城の主だったと言うではないか?さすれば、彼女には守るべき領地なるものがあるのではないだろうか?」

 「いや、それは妹の夫の家の領地ですな。……正確に言うと、朝廷よりの官位に基づいたものですので、領地とは違うのですが……。どちらにせよ、妹とは関係が薄い場所ですな。妹は秦家の女子です」

 「それに姉には子がおりませぬ。子がいれば話は違ったのでしょうがね。いずれにせよ石砫せきちゅう家が差配すべき場所。変に秦家が出しゃばっては、纏まるものも纏まりませぬよ。……それに大きな声では言えませぬが、義兄の千乗せんじょう殿は立派な大丈夫でしたが、その親族というのはどうにも……。此度の朝廷からの命にも兵だけを出して一族からは誰一人として兵役に出してはおりませぬ」

 「それよな、民屏みんべいよ。あの一族はどうにも自分の懐を温めるのが好きな類いらしいからな。その点からも義弟の正義感が煙たかったと見える。……ふん。これも良い機会かも知れぬな。今までは妹の為をと思って、当家も助力をしてきたが、これより先は故郷のことのみを見守って行くとしようか!」


 何度聞いたかわからぬ親戚への不満だ。


 有難いことに、当家は親戚にも恵まれているからな。

 政子の実家の伊達家とも、鈴音の嫁ぎ先の佐竹家とも良好な関係を続けている当家では、少々理解が及ばぬところなのであろうか?


 ふぅ。

 これは致し方なしのことなのであろうか。


 私は何度目かのため息と共に、がくりと肩を落とす。


 「師父、どうかそのように落胆為されずに……」

 「左様。妹はあれで弁えた女子ですからな。徒に景基殿のお家に波風は起こさぬでしょう!……たぶん」


 そうか、「たぶん」なのだな。


 「兄上!……いや、その師父。……そ、そう!姉上は師父も戦場で見られた通り、非常に武略に長けた人物です!天下に大事を成される師父の元に在ってこその逸材だと私は信じております!」


 私も、その点に疑い様は無いと思っている。


 衛州で初めて出会った時もそうだった。

 わずかばかりの気配から軍の位置を察知し、確かな状況判断から、その軍が味方であると判断した。

 そして、移動中、作戦中の軍を率いながらも、途中で現れた友軍に向けて見事に敵兵を誘導して見せた。

 あの動きは生半可な者に出来る業ではない。その軍略は、私の知る日本のどの武将よりも鋭いものかも知れない。


 「だがな……」


 そう、だがななのだ。


 「景基殿!身内贔屓と言われましょうが、あれほどの器量良し。そのような女子に迫られてどうして拒否を続けるのですか?」


 いや。私は、良玉りょうぎょく殿が器量良しだからこそ避けている。


 「師父!ここは腹を括った方が良いと思いますぞ?……なんと言っても姉上は、こうと決めたら、梃子でも動きませんからな。……これもそのような女子に見初められたのが運の尽きとでも思って下され」


 武士に運の尽きなどと言わないで欲しいところだ……。


 たったったった。


 「どうしたのですか?兄上も民屏も?男同士だけでいつまでも別れを惜しむとは、なんともだらしないことですよ?景基様も私も同じ世界に生きているのです。いつの日か、再会する機会はきっと訪れることでしょうに!ここは笑顔ひとつで別れるのが好漢というものでは?」

 「「は、はぁ……」」


 まさか、「君のことでもめていたのだ」と本人を前に言うのも憚れるので、私たち男三人は揃って言葉を濁してしまった。


 「景基様の任地は広州です。ご実家も海を渡った隣国の日本ではないですか?ポルトガルに嫁ぐというものでもないのですから、どうかそのように嘆かないで下さい!私の為を想って、ここは笑顔で別れを演出してください!」

 「「……」」


 もう、「嫁ぐ」のが前提なのだな。


 私は既に三人の妻を抱える身なのだが……。


 いや!

 ここは良玉殿に圧されてはいかんな。

 古河、江戸で留守を任せた政子。壱岐で帰りを待ってくれている顕子と有の為にも、律するところはきちんと律さねばいかんな。


 「では、兄上、民屏。これにて御免。また再会致しましょう!……景基様。参りましょう!」


 屈託のない笑顔で兄弟に別れを告げ、良玉殿は蒼天の如き曇りなき眼を以て私を見上げる。


 ……


 済まぬ、政子、顕子、有……。

 私はこれから負け戦に向かう羽目になるかも知れない……。


天正二十三年 秋 遼東郡司 織田信長


 「少々込み入った話がしたいのです」そう林殿に言われ、俺は彼と轡を並べ、遼東郡司を出て遠乗りへと出ていた。


 城を出て真っすぐ西へ乗り込むこと数刻。

 小高い丘に登り、小休憩を取ったところだ。

 馬は配下の者に預け、我らは二人で丘の頂に床几を広げて、そこに腰かける。


 丘より更に西を望めば遼河りょうがが広がり、その大河の両脇には休耕中の畑が見て取れる。緑に見えるのは、何かしらの野菜か、それともヨーロッパより渡来したシロツメクサなる下草であろうか。


 ともあれ、ここならば「込み入った話」とやらを行なっても問題は無かろう。

 林殿の護衛も、俺の護衛も丘のふもとに待機し、丘の上までは一騎たりとも登っては来ない。


 「まず……織田殿には、我らが考える「中華」を簡単にでもご理解してもらいたいのです」

 「ふむ」


 正に、「ふむ」だな。

 俺も中華に関わってはや十年というところか?

 今では日本にいる時間よりも、金州衛はじめ、中華の東北地方に滞在する時間の方がはるかに長い暮らしをしておる。

 それなりの時間を経て「わかってきた」つもりではあったが、こうして明朝の重臣である人物から直々に言われると、何やら構えたくなるものがあるな。


 「そう、「中華」とは国であり、文化であり、概念です。黄河の流域の「中原」に集まった人々が共に抱く「得体の知れぬ何物」か、です」

 「……」


 これは太郎丸の言う「哲学」とやらだな。

 俺もこの辺りの話題は嫌いではないので、興味深く林殿の言葉を聞かせて頂くとしよう。


 「肥沃な大地に人と物が集まる。物が足りなくなっては周辺に拡大する。幾千年と続けられた人の営みは、飽くなき拡大を生んで来ました。ですが、その拡大は人の膨張を伴って生まれた物である以上、人の数が減れば拡大の圧力は減じます。その繰り返し、「中華」はその歴史を繰り返してきました。……史家は端的に「分裂と統合」と呼び習わします。……そう、この遼河流域に暮らす民をもを統合を志す「中華」の一員と呼んでしまっては、彼らは困ってしまうでしょうがね」


 遠くの畑で農作業に勤しむ人影を眺めなら、林殿は笑みを浮かべてそう話す。


 確かに東北地方が「中華」とは、俺もちと違和感を覚えるな。

 俺達の施策を以て、多くの中華の流民たちが居付いたここ数年ではあるが、土地の者達が使う言葉は俺が和尚たちや林殿から聞き学んだ明語とは大分違う。

 食事もそうだし、服装も大きく違うな。


 天津衛と金州衛という、海を渡っただけの二つの都市間でも習俗が違うし、無論、明の都である順天府は他所とは大きく違う。


 ……南の出身と言っておった阮家の装いも違ったな。あやつの博多の館はここいらでは見かけぬ丁度ばかりだったわ。


 「して、この「分裂と統合」ですが、この二つの動きは正反対の事を意味していますが、大局的に見れば生じる現象は同じです」

 「……「戦」……ですかな?」

 「その通りです。どちらも戦乱の世を意味します。この国は……いや、「明」は先帝の頃よりその分裂期へと立ち入っておりました。ですが、上柱国じょうちゅうこく張様のご活躍により、今上帝の御世になり、分裂の為りは潜め、穏やかな時代が中華に流れるかに思われました」


 きーっ、きーっ。


 渡り鳥であろうかな?

 高くもなく、低くも無い心地よい鳴き声を奏でておる。


 「されど、その思いは虚しいものでした。……変化は国の外からやって来たのです」


 雅礼音を率いて天津衛に乗り付けた身としてはどうにもこそばゆい話題よな。


 「ああ、どうか勘違い無き様。私は織田殿に恨み言を言うつもりなどはありませんし、どちらかと言えば、日本の方々がこちらにやってこられる前の時間の話です」

 「ほぅ?」

 「それに、そもそもが上柱国様の立て直しの礎となった物は、西方人が齎した膨大な量の銀なのですからね。あの銀が無くては上柱国様の行った税制改革は実現しなかったでしょう……つまりは歴史の流れなるものは、数名の人の努力でどうこう出来るものではなかった……ということなのでしょうね」


 外からの「影響」というやつも、どこからどこまでが「影響」なのかということよな。


 人の流れを押し止めることなどは出来ん。

 水の流れの如く、どこかで堰き止めた水は、いずれその堰を破って流れる。

 堰き止めた水量が大きければ大きいほどにその勢いは増すというものだ。


 とは言うても、明に流れておった銀の流れを変えたのは太郎丸と俺だからな。

 このことが混乱を中華に齎したと言われては、二人して肩身が狭い思いでもしようぞ。


 「残念ながら、今の中華は明確に分裂期へと突入しています。……ですが、救いは大乱が頻発することなく、順天府を初め、中原では落ち着いたものであるのが有難いことですね」


 西と南の反乱は大層な規模だと聞くし、朝鮮では数万の明軍が敗死した筈だが……それでも「大した物ではない」と言えてしまうあたり、中華の規模、彼らが感じている大きさというのは俺には実感出来ん。


 「このまま中原で落ち着いた善政を続けていれば、大いに中華は落ち着きを取り戻せたでしょう。この中原、人が住むための土地には広大なものが在ります。食料事情は湖広の米がありますし、織田殿が拓いたこの遼東、遼西の麦もあります。排泄の問題も金州衛で行われている管理方法に学んだことで、格段の改善が見えましたからね。この先、何百万、何千万の民が中原に増えようと問題は無いことだったでしょう……」

 「……それがどう変わられると?」


 責められたところでどうということは無いのだが、我らの活動をある程度には評価して貰っているのは嬉しいものだ。

 明朝それ自体は正直どうでも良いが、大地に暮らす民には幸せになって欲しいところだからな。

 民政に役立つ何物かを齎せられたというのならば、これは大変に結構なことだ。


 「西の乱が要らぬ余波をまき散らしました」

 「余波?」

 「呼和浩特ふふほとが……彼らが西の寧夏鎮ねいかちんの乱に加勢を決めたことに怒った陛下の命により、呼和浩特は焼け落ちました」

 「なんと……」


 呼和浩特と言えば、先年にユージェニー殿の案内で慶次郎が訪れた都市ではないか。

 中々に見事な城塞都市であったと、あやつめが自慢げに吹聴してきたので、次こそは俺自ら訪れてやると心に誓っておったのだが……そうか、焼け落ちたか。


 「正直、呼和浩特には何の落ち度も無かったことです。ただ、寧夏鎮に居る哱拝ぼはいが己の出自に従って援軍を草原の民に求め、幾つかの部族が呼応し、その集合場所として利用したこと以上の意味はなかったのですが……」

 「とは言っても、呼和浩特は敵軍の集合地点だったのでしょう?つまりは敵拠点を潰すこと。これは軍略上ままあることでは?」

 「それはその通りです。ですが、呼和浩特は城塞都市とはいえ……我ら中華の民、織田殿ら日本の民が考えるような拠点とは意味が違うのです。草原の民は草原の民なのですから」

 「石の都は家ならず……ですかな」

 「左様です」


 これも慶次郎が旅先で聞いてきたことであったな。

 草原の民は、その草原こそが故郷であり、家である、と。

 決まった場所にある石の街は、通商、交易、交流の場であって、人が生を営む場所ではないのだと言う。


 「草原の民の拠点はその広大な草原そのものです。彼らの拠点を潰すというのは、その草原を破壊しなければなりませぬ」

 「それはなんとも……夢物語の類いですな」


 今の俺は、小さな尾張の、更に狭い一地方の領主の小倅ではない。

 濃尾よりも広大な関東を知り、関東よりも広大な東北を知り、東北よりも広大な世界を知っている。


 つまり、草原を破壊することなどは不可能であるということを知っている。


 良い意味でも、悪い意味でも、太郎丸との一度目の別れを経験するまでは、俺に「不可能」なことなどは無いと信じ切っておった。

 だが、太郎丸と再会し、俺の身、人の身には限りがあり、人の及ばぬ何物かがこの世には存在するのだと知った。

 この世の理では当たり前のものが、人の身では当たり前ではありえないものが在るのだ。

 そう知った時に、俺は一つの殻を破った気がした。

 物事の果てを知った時に、俺はその果てを乗り越えたのだ。


 くくく、自分でも何を考えておるかようわからんな。


 「ははは。織田殿、どうか痴人の夢を笑わないで頂きたい。……世の中にはそういう類いの人物も居るということです」

 「これは申し訳ない」


 別に林殿の言を笑ったわけではないのだが、ここは素直に頭を下げておこう。


 「して、具体的な御相談事というのがこの先でして……」

 「拝聴いたしましょう……」


 ここまでは流暢な語り口であった林殿が一拍置く。


 聞き様によっては朝廷批判とも言えるような話もあったと思うが、それよりも言いよどむ案件とは、はてさて一体?


 「この度、勅命を受けました。東北地方に集まる全兵力を以て、元を名乗る蒙古を征討せよ……と」


 なる程な。

 この勅命が林殿をして「痴人の夢」と言わしめたのか。

 押しに弱すぎる一丸君と厄介毎に巻き込まれる吉法師の回でした。


 後元の滅亡。

 中華の史書による草原の民への評価です。

 果たして、異なる思想を持つ両者にとって、事象は一つといえど事実は一つなのでしょうかね?


 そして、物語のプロットに置いていた北伐案件!

 ようやく実現が近付きましたよ!!


 いやぁ、長かった(笑)


 本当でしたら、215話あたりになる予定だったんですが、大きく伸びてしまいました!

 おかげで220話で完結するはずの第二部がだいぶ伸びてしまいました(汗

 今更二部六章を分割するのもなんだなと思い、このまま二部終了までは六章のままで行きたいと考えております。はい。


 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m


P.S. ここ最近プラチナが取れません。ゴールドとシルバーばかりで落ち込みます(涙

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