-第百九十二話- 江戸御打ち入り
1589年 天正十七年 晩春 江戸
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴゅーい、ぴゅい!
おお、大手門の軒下に燕が巣を作っているのか。
季節も春だねぇ。
「やや!これはなんとしたことで!す、すぐにでもこの鳥めを!」
新築でぴっかぴかの江戸城大手門。
門前で足を止めて軒下の燕の巣を眺めていた俺を見て、門番がちょっとばかり方向違いの配慮を見せる。
「ああ、いいって、いいって。燕も子育ての間に軒下を間借りしているだけだよ、無益な殺生は止めておこう。それよりも新たに大御所様が居を移られるにあたって、子を育む渡り鳥が門にまで迎えに来てくれたのだ。これを吉兆と捉えずしてどうしようと言う?吉兆を廃するなど愚かなことだと思わないかい?どう?」
「はっ!若殿が仰せになられるのでしたら、そのように!」
どうにも門番が勘違いをして燕の巣を取っ払おうとするので、適当に吉兆とかの小話を作り上げてみた。
とっさの話にしては上手い事できたんじゃないの?
姉上が引っ越してきたばっかりなんだから、無駄な殺生はしないに限るさ。
「それよりも、荷物をとっとと運び込まないとね。荷車はどんどん上がって来るから頼むよ?」
「はっ!お任せください!」
かしこまって背筋を伸ばしつつ、深々と一礼する門番君。
まぁ、正直なところ君に任せる仕事は何にもないんだけど、無駄な殺生はしないようにとのことですね。
よし!
俺は一つ頷く。
とりあえず、荷物を姉上の屋敷、江戸城本丸内に持ち込もう!
「……しかし、どうして父上が荷車の管理を為されるんですか?!」
気分も新たに、それなりの高さがある本丸が立つ土地を見上げ、坂道を上ろうとしたところで、素朴かつもっともな疑問を美月が呈してくる。
「うん?理由??……理由は特に無いよ?強いて言えば、単に荷揚げ場を先に使わせてもらっちゃたから、そのお詫び的な感じかな?お手伝いするにもこの一台分ぐらいだしね!」
そう、この突発的なお仕事には深い意味も何もない。
ただ、そこの燕の一家にとっては、努力して作った巣と温めている卵を壊されずに済んだということにはなっただろう。
そこの門番も、俺がわざわざ姉上の吉兆とまで表現した燕の巣を取っ払うとは言い出さないだろうし、俺の言葉ってことで、同僚やら直属の上司やらには話をするだろう。
武家は代々、殺生を生業にしてきた側面も大いにあるわけです。
無益な殺生は真に慎みましょう。
これが俺のこの時代に生きるモットーである。
「そうですか!てっきり私は半日とはいえ、古河からの移動でなまった身体を荷馬車を押すことで改善しようとしてるのかと思ってましたよ!」
「……それはない」
うん、それはないな。
指の爪先、前髪の毛先ほどにも無い。
まったく、この手の運動一筋お馬鹿娘はどういう思考をしとるのよ……我が娘ながら、ちとびびるぞ。
「むぅ……そうですか、それは残念です!どうにも私は身体が固まってしまったようで……どこかで思いっきり刀を振り回したいものなのですが……」
……美月さんや、お止めなさい。
お前の鍛錬相手として、ぼろ雑巾のようになるまでしごかれるかも知れぬと、戦々恐々としちゃっているではないか、周りの人足さんたちが……。
「あれ?その声は太郎丸達が到着したの?」
大手門から本丸がある高台に上がる坂道をにぎやかに登っていると、何やらの物見やぐらでも建てるのだろうか、坂道からはちょっとした影になっている平らな一角からひょっこりと姉上が顔をのぞかせた。
一人で稽古でもしていたのであろうか、足軽袴に軍靴の装い、手には村正印の大薙刀をお持ちで、額にはうっすらと汗をかいておられる。
「はい、ただいま到着しました、姉上」
「はい!到着しました!伯母上!」
「そう、はるばる……って程の距離ではないけど、二人ともご苦労様。私も丁度、昼の運動が終わったところだから一緒に屋敷へ行きましょう」
俺達の挨拶に軽く頷きを返し、大薙刀をひょいっと肩に乗せ、俺達と一緒に坂道を登りだす姉上。
ひょいっと……というか、随分軽々と扱っているけど、その大薙刀ってそこそこの重量があるよね?
景能爺が打った業物だよね?
関宿の戦で使ってたやつだよね?
……あの時にちょっとだけ持たせてもらったけど、俺には到底扱えないと思ったほどの重量なのに……まったく、還暦越えたおばあちゃんが何をやって……って、痛い!
ぱしんっ。
扇子で頭をはたかれる俺。
何歳になっても、一回生まれ変わったぐらいじゃ、この扱いは変わらないようです。
輪廻転生を果たしたぐらいでは、伊藤家内での順位は変わらない模様。
「まったくあんたはいつまでたっても減らず口が絶えないわね。産まれてからざっと五十年は経っているんだから、もう少しは姉を敬うということを覚えなさい!」
「まったく……伯母上の言う通りですよ、父上。女性に年齢のことを言うのは失礼です!」
「は、はい……申し訳ございません」
素直に頭を下げるのが俺流処世術。
……だけど、俺、声に出してた?
ちと、不思議である。
伊藤家七不思議の筆頭は達人の驚異的な悟り能力だな。
「太郎丸は相変わらずだけど……だけど、どうよこの景色。すごく変わったと思わない?」
姉上は俺達の背、後方を指さしてそう言った。
扇子で打たれた頭をさすりさすり、俺は後ろを振り返る。
……確かに、ここから見る江戸は大きく様変わりしている……いや、目の前の景色は大きく変わった。
以前の江戸城、というか建っている場所自体は変わっていないんだが、それが信じられないような心持ちだ。
俺も何回も江戸に来たというわけではないのだが、記憶の中にある江戸城というのは、入り江の高台、それこそ前々世の灯台があるような、一種寂れた風景に建てられた、普通以上では決してないただの、十把一絡げの城だった。
それが、何だろう。
以前には城の目前にまで迫っていた海の面影はなく、代わりに城に隣接するのは石垣で囲まれた掘と建築中の武家長屋……ではなく、屋敷だな、あれは。屋敷自体は建てられてはいないが、その代わりに区分けというか、塀で敷いられた土地が広がっている。
海岸線は……そうだな、だいぶ遠くというか、ここからは一里欠けるぐらいの距離に見えるな。
しかも、そっちの方でも絶賛埋め立て工事中らしく、人足らしき者達がせっせと働いているのがぼんやり見える。
「……中丸も中々に立派な仕事をしたのですねぇ」
しみじみとそう思った。
そりゃ、今では薄くなってきた記憶の中にある東京の景色とは違うが、確かにここは東京、江戸なんだなと思う程度には面影を感じる。
「そうね……あの子ももう少し、関東の開発をしていたかったみたいだけれど、情勢がこうなってしまってわね。申し訳ないけれど、飯盛山城に入ってもらわなくちゃいけないもの」
そう、面倒な国際情勢というやつである……勿論、面倒な国内情勢もあるけどね!
天正十七年 晩春 江戸 伊藤元景
「さて、ちょっとばかり先々の話をしましょうか」
太郎丸と美月を屋敷の私室に呼び、今後の話をしようと思った。
どうにも今年、天正十七年は動乱の年のようね。
まだ春も終わっていないというのに、どうにも日ノ本のみならず、朝鮮や大陸にまできな臭い煙が見え隠れしている。
「そうですね、願わくば博多入りしている仁王丸、上様とも話をしてみたいところではあるのですが、そこは文でのやり取りで我慢することにして、今の当家を取り巻く状況を考えましょうか」
昔っから、太郎丸はこういう回りくどいというか、妙に芝居がかった話の仕方をやりたがるのよね。
困ったものだけれど、こっちも姉生活を続けてはや数十年、ここは無駄な指摘をせず、話を進めさせましょう。
「伊吹の東、東国に関しては、無事に先年の地震に因る被害も乗り越え、銀貨の流通も始まったことを受けて、大いに民も生活に「張り」を覚えているようで、土仕事も土木仕事も産物作りも、それらを扱う商いも大いに栄えています。また、四国連合の枠組み、当家、長尾家、佐竹家、伊達家の関係も佐竹家、伊達家の取り込み……と言ってしまっては聞こえが悪いのですが、名実ともに当家の縁者としての御三卿の枠組みへの移行が着々と進んでいます。輝宗殿は一丸と政子の間に生まれた男子を梵天丸と名付け、暗に伊達家惣領としての発表を行ないました。一方、佐竹家の義尚殿はここの所、体調が優れぬようで、太田城に籠り、家領の政務はもっぱら水戸城を佐竹家本城とした義宜殿が切り盛りし出しているとのことです」
そうね、東国については私も安心しているわ。
「長尾家とも……あの助平爺の秀吉が茶々殿と祝言を挙げることが決まってから、とんとん拍子に仲が深くなったものね。もう全く!」
「いやいや、伯母上!妹達からの文ですと、むしろ強引に押しかけたのは茶々殿の方だったようですよ?秀吉殿は全力で逃げ回ったが、最後は茶々殿の情熱にほだされた妹達の説得を受け入れた形で祝言を挙げたということですから!」
「……私もその文は貰ってるけど、五十過ぎの爺と二十前の娘よ?……正直、気持ち悪いじゃないの!」
「まぁ、年齢差については姉妹一同、伯母上と同じ意見ではありますが、ことは茶々殿本人の希望でしたから……」
そうは言ってもね!
この件については、直接に茶々殿と秀吉から話を聞かない限りは納得できないわね!
「藤吉郎へのお怒りはそのぐらいに……姉上、何と言っても好いた惚れたは他人がどうこう出来るものではありませんから……」
「……」
この件に関して、妙に達観した感があるのよね、太郎丸は……。
「ふぅ……この件は直接の釈明を聞いてから判断しましょう」
「いや、姉上。釈明って……」
きっ!
尚も何かを言い募ろうとする太郎丸を一睨みで黙らす。
「あ、はい。わかりました……」
よろしい。
「ごほんっ。……で、その話が決まった後、長尾家からは茶々殿を顕景殿の養女としてから嫁がせるのはどうかとの話もありましたが、これには藤吉郎が固辞をしました。当家に対する要らぬ気遣いだとは思いますが、あやつとしては浅井家の姫だけでもそら恐ろしいのに、それ以上に長尾家の姫を貰うなど身分違いも恐ろしくて到底出来ませぬと言っていましたが……まぁ、その所為でと言いましょうか、その代わりと言いましょうか、今度は長尾家から顕景殿の実子の香殿を是非とも伊藤家に嫁がせたいという話が上がりました。こちらは直江殿を通じての話でもあったので、越後長尾家とは縁が深い竜丸の息子二人の内、長子の竜清が娶る形で決まりました」
「竜清も今では父の元、祖父の元を離れて、諏訪で東山三国の統括の任を果たしているものね。長尾領とは長い国境を接しているのだもの。両家にとってもこの縁は大事にしたいわね」
当初は御三卿構想の一、尾張家の創設に当たっては竜清を尾張伊藤家初代に据えようかとの話も上がったのだけれど……景貞叔父上曰く、竜清は伊藤の一門末席として仕えさせるのが良いと言って、伊織叔父上の養子として諏訪に送った。
そして、竜丸の次男の義侠丸を景義として、尾張伊藤家初代に据えるとのことだ。
この辺りの判断は、二人の祖父であり、一門最長老である景貞叔父上のご裁量にお任せした。
人を見る目に関しては一門随一のお方だし、何より景貞叔父上は彼らの実の祖父なのだから。
「……で、話はそれにとどまらず、今度は茶々殿の妹、江姫を景義の妻にどうかとなりました。確かに年齢は似合いの二人ということでしたが、やはり浅井家は身代が大きいとは言え、長尾家の家臣筋。当家一門の男子で、ゆくゆくは尾張伊藤家初代となる景義の妻にするには、と、今度は顕景殿の養子として縁を組むことになりました」
「これで、輝虎殿の凶状以来の不信が続いていた長尾家との仲も、この三つの縁組により新たな関係に辿り着いたというわけね……でもこれでいいの?太郎丸?」
富山でのあれから二十年近くが経つ。
……それでも、今でも私は度々、あの北陸での陣の光景は夢に出て来る。
……竜丸は私以上の頻度で夢に見るそうだけどね。
「良いも何も、俺には輝虎殿を恨む気持ちはさらさらないよ。……前世でもそうだったさ」
静かに目を瞑って太郎丸はそう言い募る。
「あの時、輝虎殿は薬を盛られ、まともな思考が出来る状態ではなかった。……更には、実子の命を盾に取られていた。……今ではこうして……」
太郎丸は隣で居眠りを始めてしまった美月の頭を優しく撫でながら……。
「何の因果か、こうして俺には年上の娘たちも、息子たちもいることだからね。子供の命を取られた親がどういう気持ちになるかはよくわかるさ。……輝虎殿に対して含む気持ちはもうないよ。……まぁ、正直なところ、そのあたりの指図をした近衛の一族を許すことは決してできないっていうのはあるんだけれどね」
笑いながら太郎丸は言い放つ。
そうね……私も長尾家には怒りというよりも、なんとも形容しがたい、微妙な感情……としか言えないものしか抱いていない。
ただ、その一方で、近衛家には決して消えることの無い怒りがある。
たとえ別の血族が継いでとしても、近衛の家名復興だけは、私の生ある限り、決して許しはしない。
だって、どうせそのあたりの後継候補も所詮は藤原なんでしょうから。
ぱんっ!
「それはそうとして、おかげで東国は安泰というものさ!」
太郎丸は大きく手を叩き、そう締める。
びくっ!
「な、何事ですかっ?!父上!伯母上!夕餉の時間ですかっ?!」
太郎丸の手を打つ音にびっくりして美月が夢の世界からこちらに戻って来る。
まったくこの娘は……。
この様なれど、美月が伊藤家一門、家中含めて今代一番の剣の使い手だとは……本当に、人は見かけによらないものよね。
江戸も開発が進んだ中、姉上が古河より江戸に居を移しました。
当初は守谷の津に隠居城を建てる予定でしたが、佐竹との関係が変わったことと、東京湾(関東内海)を取り巻く重要度の変化からの江戸御打ち入りと相成りました。
中丸君は鎌倉から飯盛山に移っているようで、仁王丸君と一丸君は博多滞在中……はてさて、彼らはこれからどこに出張することになるのやら……。
あと、ここまででサラッと書いてあった藤吉郎君の嫁取が有りました。
この辺りは外伝のネタに出来るのかな?などとも考えております。
外伝と言えば、現状止まったままの景貞さんの後編二話も書き上げねばなぁ……。
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




