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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第二部- -第五章- 血海血土
191/243

-第百九十一話- 海戦の結果

天正十七年 春 xxxx xxxx


 「拙僧はこれより天津へ渡る身、ありていに申せば忙しい身の上なのですが……」

 「はっはっは!そう言われても、こうして儂の求めに応じてお会いしてくださる。なんとも忝いことですな!」

 「……」

 「いやいや、何も和尚かしょうを揶揄しているわけでは御座いませぬ。もし、気分を害されたというのなら、平にご容赦を……」

 「……ご用件は?」

 「はっはっは!前置きもなく、早速ですかな?良いでしょう、良いでしょう。儂としても信長様を煩わすことになるのは心外の極みという物ですからなっ!」

 「……」

 「はっはっは!和尚よ、どうかそのように怖い目をされぬよう……何と申しましょうかなぁ……和尚が天津でお調べくださった尼子の件、諸々の材料が揃いましてな。上様にご報告をしたところ、大層ご立腹でした」

 「……上様が?」

 「ええ、どうやら懲罰軍を興すおつもりのようですな」

 「……そうですか、今度こそ座主に繋がる王家の旧い因習を絶てるということか……これで、拙僧も貴殿に遺憾ながらも影ながら協力してきたことが実ったということですか……」

 「いやぁ、和尚。それは早とちりですぞ?」

 「……早とちり?」

 「左様。上様が軍を興される。そのことに間違いはないでしょう。ただその軍の向かう先は和尚の希望とは少々違いますな」

 「……ぬ?」

 「軍が向かう先は京でも、比叡山でも、伯耆でも、出雲でもございませぬよ」

 「……では何処へ?」

 「朝鮮ですな」

 「朝鮮……ですと……?」

 「ええ、海を渡った日ノ本の隣国ですな」


天正十七年 春 天津衛 織田信長


 「織田殿、漸く此度の艦隊の裏が取れましたぞ!」


 士大夫の鏡とも言うべき林殿も慌てておるのだろうな。

 衣服を乱しながら、伊藤家の天津屋敷に走り込んできおった。


 さても、伊藤家の天津屋敷。

 昨年に俺が去り際に費用を林殿に渡してから数か月、約束通りに俺達が戻ってくるまでに、この二階建ての瀟洒な屋敷は完成しておった。

 今日一日は、一通りの海戦の後始末と、此度の滞在の荷ほどきを終えたので、ゆるりと町見物にでも出掛けようかと思っていたところだったのだが……林殿が至急のお越しだ。

 街の散策は後日に回す他あるまいな。


 残念無念、仕様がないので俺は手を振って人払いを命じる。

 室内に残すのは、今回所用で天津入りが遅れる随風和尚の代理通事、弟子の公風こうふう和尚かしょうだけだ。


 ……しかし、林殿は少々運動不足なのではないか?

 屋敷の前までは馬車で来たのであろうに、屋敷の玄関からここまでの距離を走っただけで、斯様に玉のような汗を顔中にかいておられるとはな。


 「まぁまぁ、先ずは落ち着きなされ、林殿。ほれ、ここによう冷えたさいだぁが有りますからな。ささ、先ずはぐいっと……」

 「で、では、ありがたく……」


 んぐっ、んぐっ、んぐっ、げふぅ~。


 そうよな、さいだぁを一気に飲むと誰でもげっぷが出てしまうものよな。

 いくら士大夫として取り繕った人でも、さいだぁのげっぷは止まらないということか。

 これは良いことを知ったわ。

 古河に戻ったら太郎丸に面白おかしく聞かせてやろう!


 「……こ、これはなんとも失礼を!」


 自分のげっぷを恥じ、なんとも顔を赤らめて頭を下げる林殿。

 そのような仕草は乙女にこそ似合うもので、いい年をした男がしてもなぁ……。


 恥じらう仕草か……年齢は別として、お蝶辺りがこのような経緯で恥じらうのであったら……。

 うむ、悪くないな、いやむしろ良いな!

 よし!湯本に帰ったら早速お蝶相手に試すとしよう!


 「いえいえ、お気になさらず。それよりも此度の裏と申しますと?」


 俺は幸せな妄想をほどほどに、目下の課題について林殿に言を求めた。


 「さ、左様ですな。……織田殿が先ごろ沈めた艦隊というのは、金州衛きんしゅうえいの駐留部隊を中心に、数隻の李朝の船を加えたものでした」

 「ほう……ならば、あの中型船はその金州衛の船ですか……で、失礼ながら、その金州衛というのは?」


 ふむ。

 やはり主力は明朝のどこぞの水軍か。

 しかし、あの装備と練度で正規軍とはな。

 これではヨーロッパの小規模艦隊が来たのならば、忽ちのうちに明の制海権などは奪われてしまうであろうな。


 「金州衛というのはですな、左様……地図で示すと、この遼東半島の突端に位置する帝の直轄地であり、渤海湾の入り口を北より守る要衝となります」


 林殿は部屋をぐるりと見まわし、明、朝鮮、日本が描かれている地図に歩み寄って、遼東半島の突端を指で指し示す。


 しかし、直轄地の軍が動いたのか?

 その割には所属を示す旗印は何も掲げていなかったな……。


 「直轄地となれば、此度の一件は朝廷の意向があったのですかな?」

 「そのようなこと!……お恥ずかしながら、直轄地の軍とはいえ、此度の金州衛海軍は我らの命ではなく、遼東軍閥……李成梁りせいりょうの命により動かされておりました……」

 「ほう……それは、なんとも、なんとも」


 明の東北は異民族が伸長し、侵入も古来より熾烈で、中華としても防衛の重要拠点となっているはずだが……そこの守将が中央の軍を己の手足が如く使うか。


 これは、噂以上に中央からの統制が執れておらぬな。

 金州衛、辺境には違いないが、都である北京順天府ほっけいじゅんてんふからはそう離れておらぬ地だぞ?


 「して、ここからは内密の話となりますが……」


 林殿はそう言い、改めて俺を見つめる。


 「ああ、ご心配なく。今回通事を務めておる公風和尚は信頼のおける僧侶です。特に我が主家、伊藤家の意に反するようなことはしませんよ」


 俺はそう言ってにっこりとほほ笑む。

 ……まぁ、半分以上は公風和尚への牽制だな。

 ふざけたことをしたら、伊藤家として対応するぞ!というな……。


 「そうですか……それならば……此度の一件、我ら大学士とは反目をしている三省六部の者達は日本の責を問うべきとの声が強いところは有りますが、その前段として、陛下の許しなく直轄地の軍を勝手に率いた李成梁こそを糾弾すべし!の声の方が強い状況です。更に、陛下御自身も、此度の李成梁の暴走については大層ご立腹で、即刻順天府に呼び出し自ら詮議にあたるとまでに仰せで……」

 「それはなんとも……林殿達も大変でしょうな……」


 これは同情に値するな。

 常は政務に関心が薄い皇帝が、急に熱を上げては……周りは対応に苦慮することになってしまうであろうさ。


 「それも仕事ですので……まぁ、そのようなことであり、また、陛下は李成梁への怒りと共に、その犯罪人の軍を討伐した織田殿初め日本の艦隊に深い感謝の弁を述べられておりました」 

 「そのようにお褒め頂けるとは忝い」


 うむ。

 皇帝その人が感謝までしているのならば、悪いことにはなるまいな。

 最悪、日本軍としての初戦は明軍相手になるかもしれぬと思っておったが……。


 「と、ここまでが現状報告と言いますか、当たり障りない部分になります」


 これで当たり障りないのか……なんとも明朝の考えは俺には理解しがたいものだな……。

 此度のことを日本に当てはめるのならば、さしずめ息子の信忠が勝手に七尾湾の艦隊を動かしたような物であろう?

 我らならば、発覚次第、あやつには腹を切らせることになるであろうが……。


 「で、ここからがややこしい事態のお話しになります。……具体的には二件ほど……」

 「お聞きしましょう……」


 俺は静かにうなずく。


 「先ほど、艦隊には李朝の軍船も混じっていたと申しました。……その船には李朝、朝鮮の有力者、安成日あんせいじつなる人物が乗っておりましてな。この男は李成梁の娘婿、その繋がりで現場におったのでしょうが……この男、海戦にて行方不明になっており、艦隊から逃げ延びた成日の息子が李朝の都の漢城まで辿り着き、父親の派閥の力を動かして朝廷から日本を糾弾すべしとの外交文書を出させることに成功しました」

 「ほう……明帝の意向を無視した軍に参画したことは棚上げして日本を糾弾ですか」


 これはなんとも滑稽な。

 しかも当の歯向かった相手、明帝へ文書を、しかも李朝の正式な文書を送るのか……。

 どうにも、俺には理解に苦しむ思考回路をかの国の人々は持っておるな。


 「朝鮮、李朝というのは、四書五経、朱子学発祥の我が中華以上に何と言いましょうか……歪んだまでに面子を気にする文化が根付いております。その文書中にもありましたが、中華を父とし、朝鮮を兄とし、倭を弟とするところ、何を以て、理不尽に長幼の孝を蔑ろにするのか?!……と言い募っておりましてな」

 「はぁ……いつから我らが李朝の弟に……とも思いますが、その言に沿えば、どのような解釈を施したら父に逆らった罪が無かったことになるのでしょうかな?」

 「それが彼らの面白いところですね。父たる中華はその寛大な心で息子を許すのが当然であり、父親の寛大さに疑いを抱くことこそが不孝にあたるのだそうです」

 「……呆れてものも言えませぬな」

 「まったくです」


 しかし、なんだ。

 そこまで李朝が阿呆なことをしでかしてくれたおかげで、こちらに明朝の不興が届かないのは、ある意味有難いとは言えるな。


 「彼らには現実が見えていないのです。……これは我らが朝廷の一部の者達にも言えることなのですがね。どうして、今のこの時点で中華と日本が顔を合わせ、長い時を掛けて話し合いを行なっているのかを理解できていない輩が多いのです。全くもって嘆かわしい。世は絶えず移ろい、流れているのです。歴史に学び、現実を見据えることを拒否し、己の心のみで完結を求めようとする痴人のなんと多いことか……と、いけませんね。話がずれてしまいましたか」

 「お気になされず……」


 林殿の愚痴は俺には良く理解できるからな。

 少年時代は周りの阿呆さに呆れかえっておったし、太郎丸に出会ってからはあやつの周囲以外の者達には辟易しておったからな。

 うむ、林殿の鬱憤は実に共感できる所だぞ。


 「つまり、此度の海戦で李朝の重鎮が死んだ。そのことで李朝は日本を糾弾している。だが、明朝としてはその話を取り扱う気は全く無い。……これが一つ目の件となります」

 「……理解しました」


 日ノ本の方ではどのようなことになっているのであろうな?

 もし太郎丸が単身で全ての差配をする立場だとすれば、朝鮮などは丸っきり無視してしまうのであろうが……上様や大老の各家、景基様やそのほかの家臣の方々の気性を思えば……。

 そうだな、今の李朝を潰す勢いの戦になろうな。


 「二つ目、こちらの方が我ら……いや、私としてはもっと深刻なのです……」


 おや?

 確かに深刻なのだろうが……。


 「此度の海戦で行方不明になったのは何も李朝の重鎮ばかりではありません。実は遼東軍閥の主、つまり李成梁その人も客人である満州族の首長と共に行方不明となっております。……開戦から今までにまったく音沙汰無しということは、彼らは死んでしまっているのでしょう」

 「……でしょうなぁ」


 彼らを葬った当人としてはそう答えるより他にない。


 「いやいや、織田殿を責めているわけでは御座いません。なんと言いましょうか……つまり遼東軍閥……違いますな、東北地方を守護する地位の者が死んだということです。この地位は空白にしたままでは東北地方の守りが機能しない」

 「なるほど……早速の代役を立てる必要があり、その任に……?」

 「ええ、私が内定いたしました。李朝への同調を見せた六部の者達への陛下の御不興から、軍務畑の役職が大学士に転がり込んできました。……織田殿にはお話ししませんでしたが、私の家は武門に連なる家でもありましてね。その縁を以て、此度は遼東郡司りょうとうぐんじ総督へ栄転することとなりました」


 なるほど。

 それが先ほどの笑みの原因か。

 ふむ。そう考えると、もしかしたら昨年に渡した銀貨、銀子も林殿の栄転に一役買ったのかも知れぬな。


 「栄転ですか、それはなんとも目出度いことですな。……しかし、私はここまで林殿を頼って話し合いを続けてきたのですが、仕様がないこととは申せ、なんとも寂しいですな」


 そうだな。林殿が移られるということは……。

 折角ここまでは上手くことが運んでいると思ったのだが、また別の人物との関係づくりを一から始めなければいけないのか……こいつはなんとも面倒なことよ。


 「その件なのですが、私が去年より日本の使節団の窓口として行っていることは、有難いことに高い評価を頂いておりましてね。陛下の御裁可はまだではありますが、大学士としては私をそのままの任に当たらせることで決まっております」

 「ほう?……すると、これからは、我ら日本の使節は天津ではなく、その遼東郡司に向かうこととなりますかな?」


 どうであろうな、今更ながらに都の咽喉に他国の軍勢、では正確にはないがな、そのような武力を近くに置くことに恐怖を感じたのであろうか。

 些か遅いとも思うが……。


 「この天津の館なども引き払うべきですかな?」

 「いやいや、そのような無体は申しません。何より、この天津衛から港に至る地域の開発は我ら明朝が日本の皆様にお願いしたものです。その開発もこうして善き方向に進んでいるというのに、それを放棄しろなどとは……それこそ痴人の妄言と言えましょうぞ」

 「それを聞いて安堵しました。率直に申しまして、ここに至るまでは、それなりの物を掛けておりますからな。また、日本に戻った折にも、追加の資材人材の目途を付けてきたところでしたので、それが無駄になるというのはとっても悲しいことですからなぁ」


 うむ。

 まったくもって悲しい。

 つい、怒りのあまりに明朝に喧嘩を仕掛けたくなるほどに悲しい出来事になってしまうからな。


 いやいや、そのようなことにならずに済むとは……、実に目出度いことよ。


 「こちらとしてお願いしたいのは、天津衛についてはこれまで通り、さりとてこれより先……そうですな、来年度、次回からの使節応対は遼東郡司……いや、金州衛にて行いたいと思っております」

 「ふむ……金州衛で……となりますと、彼の地も天津衛の様な開発をお望み……ということですかな?」

 「ははっは!これはなんとも身もふたもないことですが!」

 「はっはっはっは!まぁ良いでしょう。日本としても、自由に寄港できる湊が増えれば、それだけ明との交易も盛んになるという物ですからな。良いでしょう、良いでしょう。日本の使節の意思統一はお任せいただきましょうぞ!」

 「それはなんとも忝いことです」


 林殿は深く一礼をしたが、どうにもやり手のお方だな。

 自分の任地の開発を我らに行わせる腹積もりと見える。


 ただ金州衛の開発、これはそれほど悪くはない。

 先ほども言った通り、明での日本が使える湊が増えるのは純粋に有難いことだからな。


 遼東半島の突端である金州衛、北京順天府への玄関口である天津衛……地理上の動きを考えれば、次は山東半島の湊も使えるようになれば、渤海湾の動きは我らが制するも同じになる。


 なるほど、次の一手はそのあたりか……。

 面白い!

 真、この仕事には飽きるということが無いものだな!

 李成梁とヌルハチ。仲良く冬の渤海湾に沈んでしまいました。

 不慮の事故ということでお許し願いたいものです。

 吉法師を舐めていたというか、吉法師の気の短さを舐めていたというか、戦国武将の血の気の多さを舐めていたのか……理由は色々とあるのでしょうが、示威行為の代償は高くついてしまった模様。

 果たして、東北地方のこれからはどうなることやら……。


 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] 果たして、東北地方のこれからはどうなることやら……。 え!!根切りでしょwww 抵抗するアホゥ~は根切りして。従う者は教育して使い潰すだけでしょwww
[一言] ヌルッとヌルハチ君死亡…ホンタイジはまだ生まれてないし女真族はどうなってしまうんでしょうかね…
[一言] あっさりと明の滅亡ルートで大きな役割を果たしたメンバーが退場。 それにしても海には縁のなさそうな騎馬民族、船に乗るどころか偶発要素の高い海戦に居合わせる魔の悪さえ気にしなければ溺れてなくな…
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