-第百八十七話- 渤海湾海戦
天正十六年 冬 館山 十文字獅子丸
太郎丸様より預ったこの地、安房は、私の故郷と気候が似ている。
海沿いの暖かい日差しが、一年の殆どを通して降り注ぐ。海風は強く吹きつけ、意外と乾燥している。特に、海から直接吹いて来る風を遮る山を背にして造られた館山城周辺は、その傾向が非常に強い。
「あなた……今日は海風が強いのですから、そのように直接に浴びられては風邪を召されますよ?」
私は不意に外を、海を見たくなったので、奥の丸の館を離れ、本丸天守の窓を開けて望楼に足を踏み入れていた。
「なに……今日は満月が綺麗だったものでな。夜も更けてはいたが、どうしても月に照らされる海が見たくなったのだよ」
「そうですか……ねぇ、レオン一つ聞いても良い?」
窓枠に身体を預け、内海を眺めていた私の肩にそっと頭を乗せ、妻がそう尋ねる。
「何なりと。私は愛する妻に隠し事をするような男ではありませんから」
答えながらに、私は愛しい妻の美しい髪を一掬いし、軽い口づけを施す。
「ふふっふ。本当にレオンってば、私の髪が大好きなのね。……そうね、何年たっても悪い気はしないわね。……で、質問なのだけれども……レオン、貴方、私の為に一部の一族だけを引き連れて遠い異国のジパングに来たこと、この事を後悔はしていない?」
?
なにを言うのだマリアは?
いまさら、という思いしか湧かないが……。
今一つ、妻の真意が理解できない私は、そっと彼女の肩に手を乗せて身体をずらし、妻の瞳を覗き込む。
「……マリアがどういう気持ちでその質問をしているのか、正確にはわからないけれども……私の答えはただ一つ、そう、何の後悔もしていないよ。確かに、ここは異国だ。……そうだね、初めにアルベルトからジパングへの亡命の話を聞いた時には大いに覚悟を決めたものだったがね。エウロパの外、東の果ての島国……いくらアルベルトがジパングは良い所だ、伊藤家の領内は発展著しく、何の心配もしなくて良い、と言っても、その言葉の全てを信用することは難しかったからね。だけれども……」
エウロパの外、ムスリムの国々でもない、ポルトガルの不良商人どもが我が物顔で歩くアフリカの更に奥、インドやチナからも東の島国。
しかも、この百年程は血で血を洗う内戦に明け暮れているところだとも聞いていた。
そのように物騒な噂しか聞いたことが無い国、ジパング。
いくら、黄金郷との言い伝えがある国であろうとも、近づこうとは、更には移住しようなどとは、ついぞ考えついた事などはなかった。
「……だが、国王陛下の君に対する想い、何よりもサラに対しての執着はとても危険なところにまで達していた。あのまま、僕たち家族がカディスに居ては、アルベルトやアルバロにも迷惑をかけてしまっていただろう。……私もただ黙っていることはできなかっただろうから……最悪、一族を上げてムスリムの誘いに乗っていたかも知れない。そうなれば、レパントの戦は逆の結果になっていたかもしれないし、今のように落ち着いたエウロパというのはありえなかったかも知れない」
あの律儀で頑固者のアルバロは受けた恩義を守るため、とか言って、きっとスペイン海軍総督の地位を返上することは無かっただろうが、カディスに集っていた我が一族はこぞって旗を変えただろうな。
あの時の国王のやり方、我が一族に対する扱いという物には我慢がいかなかった。
国王が直接何かをしてきたというわけではないが、マドリーの宮廷官僚共の難癖、嫌がらせ……領民たちにも少なからぬ迷惑をかけてしまっていた。
「国王陛下に対しては何の忠誠心も残ってはいなかったが……私の決断によって、領民に嫌な目には会って欲しくなかったからね、今思い返してもアルベルトの提案に乗って良かったという物だろう」
「……その割には最後の最後まで、迷っていたようだけど?」
「それはしょうがないさ……今でこそ、君はこうして元気になったが、当時はあまり身体が強くなかった。幼いサラもいた。辺境の島国に来ることで身体を崩してしまうのではないかと怖くてどうしようもなかった……」
「……今考えると、私たちは要らない心配をしていたものね」
確かに要らない心配だった。
辺境の地で、満足な食事や暮らしが出来るか心配していたものだが……まったくの杞憂だった。
太郎丸様は立派な屋敷を一族の為に用意してくださったし、我らの腕を信用し、責任ある役目までをも任せて下さった。
更には、本国よりも立派ではないかと思えるような食事や住環境。
風呂も館に備え付けられ、清潔なバーニョも完備していた。
「……そう、言ってしまえば、私たちはエウロパよりジパングへ逃げてきたのだが……何の因果か、逃亡先の方がより良い暮らしが出来た……」
そう、何の因果という物であろうな。
私はちらりと、窓脇の卓上に置いた五通の手紙、その写しを見る。
「ん?レオン、それは何のお手紙なのかしら?」
「……いや、直接には関係ないことではあるのだがね。……上様からエウロパの諸王に充てた手紙の写しさ。わざわざ、こうして手紙の内容を事前に知らせて頂いている。……有難いお心遣いだ」
私たちサンタクルスの者達は余所者だ。
その余所者であり、一臣下でしかない我らにこうまでご配慮下さる……フェリペ二世には考えられないお心遣いだ。
「エウロパの……その……大丈夫だとは思うけれど……サラは……?」
そう、エウロパの王族の話となると、マリアはどうしても心配してしまうのだろう。
彼女自身に流れる血の濃さを考えれば、それは当然の心配事だ。
野心ある者がその血を手に入れれば、オーストリアとイスパニア、両方のハプスブルグの継承権を主張できてしまうのだから……。
「心配することは無いさ。私のマリア・ルイーサ。この手紙は、今後、友好的な付き合いをしていきましょうという単なる挨拶だけだよ。上様も大御所様も、もちろん当の太郎丸様もサラに流れる血を利用しようなどとはお考えではない」
「そう、……そうよね」
「ああ、そうさ……」
私はもう一度、マリアの髪を掬い口づけをする。
「我らは主家より絶大な信頼を頂き、こうして日ノ本の、東国の玄関とも言える安房の地を任されているのだ。ましてや、サラは長年の想いが叶って、太郎丸様の妻となっている。心配することは何もないさ」
「そうね、そうよね……貴方も私もサラも一族の皆も、全員が幸せに暮らしているのだもの、幸せ過ぎて心配になっちゃったみたい」
天正十七年 啓蟄 渤海湾 織田信長
面倒なことには、面倒なことが重なる。
まったく……。
「面倒なことよな!」
腹の中に溜め込みすぎるのも体に悪いのであろう。
無意識のうちに俺は大声で、心の内を表現してしまったようだ。
「……信長様」
俺が癇癪でも起こしてしまったとでも思ったのだろうか、重門が隣で恐る恐ると俺の方を見ておる。
「ん?」
「あ、いえ……その……対応をどのようにすればよろしいかと恩もいまして……」
「そうさなぁ……」
俺はそう言って伸びかけの口ひげを、もじょりもじょりといじりながら思案に耽る。
湯本の屋敷にいる間は、お蝶の奴がひげを蓄えることに反対するからな、こうして洋上では生えかけのひげを弄るのが癖になっておる。
「信勝、守隆よ。この状況どのように考える?」
俺はこのような面白き状況、水軍の若手共がどのように考えるか興味を持った。
意見を聞いたのは、清水信勝と九鬼守隆の二名。
信勝は伊豆衆の筆頭、清水康英殿の次男坊で、俺の信の字を賜りたいとの康英殿の願いから、信勝と名乗り、湯本の水軍砦にて修行をしておる二十半ばの若者だ。
一方、守隆は竹千代に敗れた志摩水軍の一族の内、徳川の軍門に降らずに志摩を去った九鬼嘉隆の嫡男で、当年十七の若者だ。
名古屋城下で浪人しておったのを景貞様が召し抱え、嫡男を俺に預けてきたという経緯だ。
「どのようにと申されましても……」
「こちらはたったの三隻、向うは五十隻は下りますまい……」
「ふむ、だがこちらは横浜雅礼音が三隻だぞ?向こうの五十隻はよくわからん舟であろう……」
「「ですが……」」
ふぅむ。
両名とも船の扱いと船員の扱いはそこそこできるが、やはりどうにもこのような場での判断は鈍いと見える。
正直、俺の問いの意味も理解しておらぬな。
「元吉殿は如何に思う?」
俺はそう言って、今度は四十がらみの男に尋ねる。
村上元吉、瀬戸内は村上水軍の内、大内家、毛利家、大内家、大友家と主家を次々と変えて来た能島村上の惣領だ。
現頭領は武吉殿であるのだが、武吉殿はどうにも病あつく、床を離れぬ体となってしまったらしい。
景基様と大友家の高橋殿の間では、武吉殿親子を湯本の紅殿の下に送って、伊藤家の造船技術と操船技術を学ばせる予定であったらしいのだが……そのような状況であるので、先ずは元吉を俺の下に送って操船技術を学ばせるところから始めよう、ということとなっていた。
「左様でございますな……当家の船だけであったのならば、問答無用で捨て置き、速度の違いで振り切ってしまえば問題なかったでしょうが、此度は雅礼音の操船に慣れておらぬ大友家と長曾我部家の者達もおります。何かの拍子で取り残されては面倒を生みましょう。見れば、向こうの船には満足な大砲も詰まれてはおりませぬな」
「ふむ……潰すと申すか」
「はい、それが宜しいかと」
「「……」」
なんじゃ。
俺と元吉の会話を聞いて、若い二人が青い顔をしておる。
まったく、だらしのないことだ。
「では、大友家と長曾我部家は後ろに控えさせて、この新海丸で潰してくるとするか」
「……某は後の政治のことはわかりませぬ。が、今の盤面を見る限りはそれが最善と見えます」
「……で、あるか」
ふむ、やはりこの男は俺の問いを理解しておるな。
蒼い顔をするだけの若者二人も、是非ともに元吉の所にまでは到達して欲しいものよ。
「……当艦だけで踏みつぶせ!」
俺は右手を上げ、そう命令を下す。
「「……はっ!!」」
ふむ。
青い顔をしていても、流石にこういう場面での動きは身に染みておるな。
信勝と守隆は一足先に俺の命を船長に伝えに走った。
一方、甲板に出て様子を見ていた俺は、ゆっくりと船尾楼中にある船長室へと戻る。
「幸いにして風は西から東。北に位置する敵船団には十分に当艦の弾を降らすことが出来ましょう。大砲も詰んでおらぬような船が雅礼音の相手は出来ますまいな」
「……で、あるか」
……
…………
「すべては教練通りだ。上下共に一四、七拾撃てぃ!」
どどどどんっ!
どどどどんっ!
新海丸は十二門の四貫砲が上下二段の二十四門、それぞれ両舷に備えてある。
我が軍では、一段十二門を三つに分け、三連撃ち、一連八門の斉射を常としている。
今回は、敵艦が小さく、数も多いので、前門と後門で標的を変える撃ち方である。
「続いて、二五、八拾一……撃てぃ!」
どどどどんっ!
どどどどんっ!
伝声管越しに、船長である岡本元頼も声が響き渡る。
「これが雅礼音の大砲の威力ですか……」
「教練では何度も見てきたが、実際の戦闘ではこうにも一方的に……」
甲板にいた時より、ずっと青い顔をしたままの信勝と守隆は声も絶え絶えに喘いでおる。
ばきぃ、ばきばきぃっ。
それなりに距離もあるこの新海丸の船楼にまで、敵船が砲弾を浴びて沈む音が聞こえてくる。
追い風をたっぷりと総帆に浴び、全速力で敵艦隊の眼の前を横切りながら、新海丸は四貫砲を浴びせ続ける。
海戦の当初、大友家と長曾我部家の雅礼音を後方に下げ、新海丸が西に大きく移動したのを見て、敵艦隊はこちらが逃げを打つとでも思ったのであろうな。
何やら甲板上で兵共が騒いでおったわ。
日本の艦隊を追い払ったとでも思って喜んだのであろう。
まったく、俺がそのように売られた喧嘩を買わずに立ち去るわけが無かろう……。
二家の船を後方の安全な場所に逃し、こちらが風上を十分にとったところで総帆にて攻撃開始。
向こうの艦隊は、天津の湊でよく見かける蛇腹の帆を立てた中型船を前列と中央に、一枚帆を二列立てた小型船がその間を埋め尽くすような形で並んでおった。
阮小六も使っておる明船はこの中型船だが……小型の方は何処の船なのであろうな?
地元の船……差し詰め朝鮮の船であろうかな。
「信長様っ!左舷掃射終わりました!次いで向きを変え、西に向かって右舷掃射を行ないたいと思いますが、よろしいでしょうかっ?!」
「……準備出来次第、右舷掃射を行なえ!」
「はっ!」
初めの内は三連掃射を行っていた新海丸だが、途中からは四連掃射に変更していた。
速度と命中率、そして敵艦の脆さから、途中で元頼が変更を行なっていたのだ。
「中型船の沈没に巻き込まれ、小型船も逃げようがなくなっているようですな。さらに、敵の指揮系統も混乱しているようで、逃走の決断も下せぬ模様です」
「……で、あるな」
ふむ。
まさに元吉が言う通りであろうな。
一目見ただけで、敵艦隊が混乱の渦に巻き込まれているのが、手に取るようにわかる。
もしかしたら、敵の頭領なり、指揮官は前列の船に乗っていたのかも知れぬな。
大海原で敵対行動をした挙句に……こちらからは攻撃されぬとでも思っていたのか?
俺としては、明朝の使者とでも名乗らぬ限りは、洋上の敵から喧嘩を売られて、買わずにいられるはずもないのだがな。
どどどんっ!
どどどんっ!
ばきぃ、ばきばきぃっ。
次から次に、敵艦が四貫砲の直撃を受け沈んでいく。
しかし、まともな大砲も詰んでおらぬくせにこちらに喧嘩を売るとか、正気なのか?こやつらは?
月明かりにてらせれたイケメンと美女の会話から一転、冬の渤海湾で吉法師さんが大砲を撃ちまくっております。
明朝の正式な所属やらを示すことをしなかった艦隊ですが、何処の誰なんでしょうか。
そして、その場にはいないもう二つの家の船は何処に??
真冬の渤海湾、海に落ちた船員の内、果たして何名が生き延びること叶うのでしょうかね。
今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




