-第百八十四話- 宇都宮競馬
1588年 天正十六年 秋 宇都宮
「秋高くしては塞馬肥ゆ……ですかな?景清様」
「杜甫の言うところの外敵はいなくなって久しいけれど、牧の管理を誰に任せるかの問題がね……」
「左様でございますな……鶴樹様は我が父よりはお若いといえど、既に七十、先月亡くなられた亀岡斎様とは同年の弟ですからな……」
この時代の医学水準を考えると、七十っていうのは大した長生きだとは思うんだけれど……やはり身内の死というのは何度経験しても堪える。
現段階の伊藤家領内は、領民の平均寿命も、他領に比べれば長いんだろうけれども……、なんだろうね、今以上に寿命を延ばしていくには医学の発展が必要なんだろうか。
外科療法や理学療法……細菌学とかの発展も必要になるのか?……そのあたりってどうなんだろうね。
医学史の知識は殆どないから、いつ頃にそのあたりが発展していくのかわかんないよ。
たぶん、前々世の世界では二十世紀から飛躍的に進歩したとは思うけど……とりあえず、学者ではない俺に出来ることは、勉強をしたいと志す子供たちが安全に勉強に打ち込める世の中を作って行くしかないか。
戦乱を遠ざけ、経済を安定させ、十分な食料と衣服・住居を領民が持てるようにする。
後は無用な差別や偏見をなくし、広く勉学の向上に努めることが美徳であるという環境づくり……。
異国の学問をしていたからと村八分にされたり、打ち首になるような習俗を持たせないようにすること。
「子曰、民可使由之、不可使知之」
「ぬ?論語ですかな?」
「ああ、ちょっとね……一応は色々と自分なりには考えているんだけれど、領民というか、皆が理解するのって難しいよね」
「そりゃ、景清様の考えは中々に突拍子もないことばかりですからな。儂の爺様も太郎丸様が幼い頃よりお側に付き従ってましたが、毎回毎回、楽しそうに振り回されておりましたぞ?……ちなみに、今回の領内の収穫祭に合わせた大馬攻め大会も、中々に大変で……少しばかりは儂も爺様の気持ちを理解出来申したかな?」
……いや、それはごめんね、忠清。
今日は……というかこの十日程は、領内各地の牧から選りすぐった軍馬を、ここ宇都宮に新築した軍馬教練場に集めて、大馬攻め大会を開いている。
まぁ、なんだ。
簡単に言ってしまえば、ここ宇都宮に競馬場を造って、競馬を開催しているというわけだ。
「……鶴樹の叔父上も床に伏せる機会が多くなってしまったので、本人も後継者を確と定めたいと仰せだからな。う~ん、那須や信濃に加え、奥州各地では大いに牧を運営しているが、どうにも狼牙丸の様な名馬が産まれるのは伯父上が直接に見ておられる白河の牧ばかりだからな……」
「確かに……われら安中の者達も良馬、名馬を産するべく日々研鑽を重ねてはいるのですが、どうにも鶴樹様の牧以上の馬は中々に……馬格は儂が幼い頃に乗っておった馬たちに比べれば、大いに立派な物となりましたが、やはり速度や持久力、何より賢さが白河の馬に比べますと……」
「当家が東国を征することが叶ったのはひとえに騎馬の力によるものだからな……」
「左様です。天文の頃に太郎丸様が思いつかれた、騎馬を集めて戦ったらどうか……その案をもとに練られた伊藤家必勝不敗の策ですからな!」
忠清からそう褒められてしまっては恐縮だが、ようは兵種ごとでの部隊編成をしてみたら?と爺様に伝えてみただけなんだよな。
確か、なんかの軍記物で、上杉謙信が強かったのは兵種ごとで部隊編成を行なえた強権を有していたから……とか、何とかを読んだ記憶があったものだから、それを口に出してみたんだよね。
これが、伊藤家が守護大名やら戦国大名だったら実現不可能に近かったんだろうけど、幸いにして当家はちっぽけな屋敷一つの武家だったからな。
手元にある兵は、伊藤家、安中家、柴田家の三家が個人的に養っている者のみ。
豪農、郷士、村長の徴募兵を使ってなかったおかげで、それ以降の核となる編成が行えたのは僥倖だよね。
なんやかんやで、それらを核にした軍政が、それ以降に領地が東国一帯に拡大をしてもうまく機能して今日に至る、と……。
関宿の戦いの時も思ったけど、騎馬のみでの部隊による突撃とか、鉄砲隊の編成が成されていない時代では、反則級の強さだったよなぁ。
中国史における騎馬隊の強さがなるほどと思えるものだったよ。
「っと、そろそろ今日の最終競走ですかな?」
「お?狼牙丸と美月の出番か!?」
「はっはっは!ここまでの競争では中々に人気が薄い馬も勝ってはいましたし、投票の方も分かれていたので成立はしておったのですが、如何せんこの競争ばかりは狼牙丸と美月様の人気が高すぎて投票不成立になってしまったそうですぞ?!」
「そっか……それはなんとも、俺の愛馬が……」
ええ、ただの鶴樹叔父上の「後継者決定馬攻め大会」では面白くなかったので、軽く制限付き勝ち馬投票券の仕組みを試してみたところ、家臣、領民に他家の古河屋敷の者達が大挙してやってきて、宇都宮競馬を満喫している。
……いや、満喫という言葉を越えているような熱狂ぶりだな。
一応は、高額投票や、付けでの投票、呑み行為は禁止させてはいるが……差しでの賭けまでは口を出せんからな、他家の上級家臣たちの間では、当人同士での賭けがお盛んらしい。
昨日の最終競争では、政子と義宜殿がそれぞれ愛用の腰の物を賭けあったらしいしい……。
伊達家と佐竹家の当主同士で何やってんねん……。
結局、その競争では二人が賭けた馬は一着を取れなかったので、引き分けということになったそうなのだが……いやぁ、青い顔して俺の所にまで伊達家古河奉行の景綱が駆けつけてきた時には、何事かと思ったもんさ。
伊達家当主代々に伝わる一振りと佐竹家当主代々に伝わる一振りを賭けてたとか……。
「勝っても負けても大騒ぎなってしまいます!景清様!どうかお知恵を貸して下され!!」
……うん。
あの時の景綱はまじで涙を出していたね。
政子と義宜が賭けていたのは、どちらもが俺の中の本命馬じゃなかったから、「一着を獲れなければ引き分け、ということにしておけ」とだけ伝えたんだよね。
その言葉を聞いた景綱は本当にほっとしたというか……たぶん、俺がいかさまを仕掛けると思って安心したんだろうな。
……くっくっく。
発馬表には、生産牧と担当者の名前、攻め手の名前しか書いてないもんだから勘違いしたのかも知れんが、その競争には鶴樹叔父上が心血を注いで編み出した配合の妙、その結晶たる馬が走っておったのです!
白河産でなく、三坂産だからといって、そして牝馬だからといって甘く見たな!
景綱よ、狼牙丸の血を無礼るなよ、と言ってやりたい。
狼牙丸の娘、椿姫を実力で負かす馬など、日ノ本中から探そうとしても、そうはおらんぞ?
結果、椿姫が圧勝して、景綱はそっと胸をなでおろしたということさ。
「っと、そろそろ各馬が発馬線上に差し掛かりますぞ?」
忠清は双眼鏡を覗き込みながらそう伝える。
どれどれ……。
俺も自前の双眼鏡を手に持って覗き込む。
宇都宮競馬場、一周半里左回り、多少右手前側が膨らんだ土の楕円形競争路である。
流石にまっ平らな土地を造るのは時間と銭の無駄なので、多少の高低差は残したままである。詳しく測量はしてないが、目測で十尺少々はあるだろうな。
競争路全体は掘り起こした土のままだが、発馬線、到達線の部分にだけは石灰壁を使って、白い線を造り、審判団が勝敗の判定をしやすくしてある。
前々世の様なゲートシステムなんかは作りようがないもんで、競艇方式というか、発馬線の三町ほど手前から全馬一斉に動き出し、ある程度速度を上げながら一列に発馬線を越えたところで、競争開始としてみた。
確かに、今回の競馬大会は鶴樹叔父上の後継者探しではあるが、やはり攻め馬は兵の調練の一環でもあるわけだから、騎馬隊として運用する上での点は抑えさせてもらっている。
騎手である攻め手も、伊藤家の騎兵として通用する腕前でなければ話にならんからな。
競争方法を相談した忠宗からも、業平からも「それは、善き調練ですな!」とのお墨を頂いたもんだ。
どっどどどどおおっど!
どどっどおどどっどどどど!
十頭立てを規準に競争を組んでみたのだが……いやはや、たった十頭とは言え、伊藤家の領内から選りすぐった優駿たちは馬格が素晴らしい!
響き渡る馬蹄の迫力たるや……うむり、観客も大満足である。
開催初日こそ、関係者ぐらいしか競馬場に近寄ってこなかったもんだが、今では噂が噂を呼び、近隣住民のみならず、そこそこ遠方からも競馬を一目見ようと宇都宮に集まっている。
おかげで宇都宮城下は大層な賑わいで、旅籠に飯屋、土産物屋に異国の出張商館やらが大層な商いを行なっているという。
そう言えば、旅籠にあぶれた人々が、一泊の宿を社寺にまで求めているので、対応に大わらわだと宇都宮殿も嘆いておったな……。
次回は事前に知らせろ、と脅されてしまったしね……。
くわばら、くわばら。
天正十六年 秋 古河 伊藤元景
「……宇都宮ではだいぶ盛り上がったそうじゃないの?それで、叔父上の後継者は定まったの?」
私は若干恨めしそうに、そう太郎丸に尋ねる。
不甲斐ないことながら、どうにも、夏から秋へと季節が変わるところで風邪を引いてしまい、私は競馬に参加することが出来なかった。
本当だったら、最後の競争は美月と追い比べをしたかったというのに……。
「正直なところ、びっくりするぐらい盛り上がってしまって……集まった皆からは、是非とも、来年もやってくだされと懇願される始末でして……姉上、来年もやっていいかな?」
「別にそれは構わないと思うけれど……それよりもさっきの質問。叔父上の後継者は?」
「ああ、それはなんというか……」
なんというか?
「決まりませんでした!」
明るく言えば良いってもんじゃないわよ?太郎丸。
「いや、何というか、どうにも今の段階では叔父上と他の牧では差が激しくて……そのような状況で、たった一人を牧奉行に据えるというのは非常に難しいと考えたんだよ」
「なるほど……」
「ええ、景清様の言う通りなのです。大御所様。……これは業平殿や城の事務方共とも相談したのですが、当面はこの年一回の攻め馬大会を宇都宮で開き、各地の牧同士で切磋琢磨させ、その中から牧奉行たる者を探し出して行くのが良き策だと考えました」
そう言って、忠清が頭を下げる。
……いいわよ、別に。
この程度では太郎丸の暴走とも言えないし、忠清の監督がどうこうという物でもないでしょうから。
それに、日ノ本の状況は落ち着いてきているとはいえ、海の向こうはどうにもきな臭いものね。
戦の供えたる、牧の強化は必要なことよ。
「あとは、伯母上。この攻め馬大会ですが……その、費えのほんの一部程度の銭が集まれば御の字と思っていたのですが……」
「ですが?」
親子揃って、妙に口の動きが重いというか鈍いわね。
中丸が言いよどむってどういうことかしら。
「額の制限を付けたはずの勝ち馬投票券の売れ行きが予想以上に大きく、今回の大会の費えどころか、幾つかの牧を丸々一年養えるほどの額が集まってしまいました……」
「……」
聞き間違えかしら?
「……太郎丸?」
今度は責任者の口から説明させましょう。
「確かに、投票の額に制限は設けたのですが、集まった者達の熱意凄まじく……とんでもなく儲かってしまいました……」
「……」
ただの博打になっては駄目だと口を酸っぱく言っていたのに……。
ええ、わかってはいる。
太郎丸も中丸も忠清も、三人そろって申し訳なさそうな顔をしているし、本当に意外な結果だったのでしょう……。
でもね、私は伊藤家が賭け事の胴元になるようなことには納得できないわよ?
「……私が言いたいことはわかるわよね?」
そう言って私は三人も睨みつける。
「「……はい」」
「……ならば、良いわ。次回以降は気を付けなさい。そして、今回の銭。費えに充てる分以外はうまい事領民に戻せるような取り組みを考えなさい。いいわね?」
「「はっ!!」」
当家の領内では、賭博自体を大きくは取り締まっていない。
だが、完全に領民の自由に行わせてもいない。
常設賭博場の開設は許していないし、見つけ次第取り締まっている。
許可を与えているのは、各地での市の開催に合わせての少額の賭博場のみ、もちろん無許可のものには厳しく対応する。
ただ、幾ら取り締まっても賭博自体は無くならないものね……。
そういった意味では、せめて我らの手で多少は管理した物を作ることは、領民の息を抜くことにも、必要なのかしらね?
私は特に賭博はやらないからわからないけれど、好きな人は本当に好きだものね。
鶴岡斎の大叔父上なんかは賭け事が大好きで、鹿島神宮の市が開かれると、いそいそと賭博場へと通っていたものね。
「……まぁ、良いでしょう。これからは忠清ももっと厳しくそこの親子に監視の目を向けなさい。太郎丸も突飛なことをしでかすけれど、中丸も中々に突飛なものだから……頼んだわよ?」
「はっ!必ずや、大御所様のご期待に応えます!」
……本心からの返事ではあるのでしょうけれど、どうにも安中の者達は揃って太郎丸には甘いから……。
まぁ、良いでしょう。
太郎丸も中丸も、二人の性根は信頼してますからね。
「では、この件はここまでにして、次に三人と話をしたいのは信長から届いた書状に付いてよ」
そう、本題はこっちだったのよね。
「吉法師の?……一応、俺の方にも文は届きましたが、何ぞ姉上の元に届いたものには難問でも有りましたか?」
「ええ、基本的には明の大学士、林文鴎殿との間で交渉は円滑に進んでいるとのことだったわ。ただ、この部分ね……」
そう言って、私は文の後半部分を差しながら三人に見えるような向きにして文を出す。
「明朝は日本国が天津衛に商館を築くことを認めるだろう、但し、その条件として、数年以内に澳門を越える商いの町として天津衛を栄えさせること。それが成し得ぬ場合は、古来よりの伝統にのっとり、倭国は明に朝貢を行なうこと、違えた場合は元朝の故事をもって相対せざるを得ぬと……ですか」
「元寇……日ノ本を攻めることも厭わずということですか……実際にそれだけの力が今の明朝に残っているとは思えませぬが……」
「いや、中丸よ。確かに明朝には戦を継続する力は残っていないかも知れんが、ポルトガルあたりの商人達に利権をちらつかせれば、一度や二度の侵攻が行える程度の船と鉄砲弾薬は準備出来るかも知れんぞ」
「……ポルトガル製の武器ですか……面倒ですな。戦えば、我が方が敗れるとは思えませぬが、ポルトガル製の大筒は飛びますからな。当たり所が悪ければ地上の砦や湊、町々にも被害が出るやも知れませぬ」
どうやら、この手の疑念は太郎丸へ充てた文には書いてなかったようね。
……太郎丸に心配をさせたくないということなのか……いや、もしかしたら、この程度は太郎丸に伝えるまでもないと考えたかも知れないわね。
または太郎丸の暴走を警戒でもしたかしら?
「して、景清様は、この話を聞いて何ぞ策でも浮かびますかな?」
「……そうだな。……まぁ、実際に澳門を越える云々は評価のしようがない部分だから、結局はそれなりに町が繁栄して、多くの異国商人が立ち寄って商いをしてればいいんじゃないか?」
「……簡単そうに言うってことは、何かしらの考えがあるのね?」
「ええ」
事も無さげに太郎丸は答える。
「簡単なことです。ようは、我らだけで手が足りぬなら、他所からも手を借りれば良いのですよ。伊藤家だけで足りぬのならば他家の力を、日ノ本だけで足りぬなら異国の力を借りればいい、と俺は考えます」
なるほど……そういうことなら、飯盛山に居る仁王丸にも盛大に働いてもらいましょう。
国外とのやり取りは仁王丸の得意分野だものね。
家庭の事情と言うやつで、少々間が開いてしまいました。
遅ればせながら、184話お届けします。
さて、今回は競馬回?ってところです。
騎馬隊による武力で東国制覇を成し遂げた太郎丸達伊藤家、その辺りのちょっとした所を書いてみました。
……本当はほんの触りだけの予定が、気付けば1話丸々に近く……いやいや、すいません。決して二つ目のプラチナgetの為にゴールドシップを育成し過ぎた影響とかジャナイデスヨ?
思い起こせば、明朝への使節団が出発してから、夏が過ぎ秋に……ここまで吉法師さんは出張しずっぱりのようですが彼方ではどの様なことになっているのやら……。
今後とも宜しくお願い致します。
m(_ _)m




