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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第二部- -第四章- 伊藤景清
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-第百八十話- 伊藤景清

天正十五年 冬 堺 伊藤景基


 「では、正式に尼子殿は朝鮮への出兵を取りやめたということですね」

 「そうなるでしょうな。密かに買い集めていた弾薬、硝石の類いは先買い分は全て取りやめたそうですので……取次役を担っていた堺の納屋衆なんぞは大分大損をかかされたそうです」

 「そうですか……では、その売り先が未定となった商品は……」

 「ええ、景基様。俺達で買い取っておきましたよ」


 流石は信長殿ですね。

 きっと、中々の値で買い取りを取り決めたのでしょう。


 しかし、漸くですか……。

 李朝への直接介入は行わず、明朝との交渉を行うを第一とする。

 全大老たちとの間で話し合ったのは秋前ですが……まぁ、尼子家も始めた戦支度を終わらすのに、どうしても時間が掛かったということにしておきましょう。


 「来年に送る使節ですが、何処に向けて出すかは決まりましたかな?」

 「ええ、昨日の伏見での会議で決定しました。……使節は天津てんしん湊を目指します」

 「いきなりに明の都の喉元ですか……はっはっは!これは愉快ですな!てっきり他家の方々はもう少し、穏便に澳門やら南京あたりの湊を目指すことに固執すると思いましたがね」

 「そうですね……正直なところ、私もあの話の流れは意外でした」


 そう、此度の遣明使節団の行き先、候補は信長殿が挙げたように三つありました。

 ポルトガル商人が進駐している澳門。

 明の旧都であり、歴史的にも日ノ本と深いかかわりのある南京。

 そして、明の都である北京近郊の湊……今回はここから天津湊が選ばれたということです。


 当家は北京を推し、大友家と長曾我部家は澳門、長尾家は南京を推していました。

 徳川家は当家に下駄を預け、尼子家は何処も推さずに使節団それ自体に消極的な反対を表明していました。


 どうにも話は平行線をたどり、決着は年明けになるかと思われた時に、朝廷代表として来られていた関白の鷹司晴房たかつかさはるふさ殿の提案で話の流れが変わった。


 ……どうにも公家の方々からの意見に左右されるというのは、……我らとの過去が過去ですので、あまり気が進まないのですが、彼らが天台宗や真言宗に影響力を持ち、明と僧外交を細々ながらも続けていることは事実です。

 その一方で、我らも明人の商人やポルトガルを初めとしたヨーロッパの商人たちを通じて、明の各外港の総督宛などに接触をしていますが……。

 ただ、どうにも湊の総督程度では、明の情報を得ることには役立ちますが、北京の中にまで影響を及ぼすには時間が足りません。

 それこそ、今私たちと会話をしている者達に連なる人間が北京で力を付ける頃になれば話は別でしょうがね……それには時間がかかります。


 その反面で、どうにも関白殿が僧外交で繋がっている窓口は北京でも評判の高僧であるようです。

 特に、今の明の皇帝は医療と仏教に傾倒しているらしく、夜な夜な評判の僧を自室に呼び、問答と説教を繰り返しているとか聞きますので、どうにも、公家の僧外交は上手く皇帝の近くとの非公式なやり取りが出来るようですね。


 ……果たしてどこまでが本当かはわかりませんが。


 「……なるほど。では、その関白殿が齎した情報、その意見をもとに直接北京に近い場所へ使者を派遣すべきだ、となったのですな?」

 「ええ、関白殿の意見に賛同したのは徳川殿と長曾我部殿。……徳川殿はもとより、公家勢力とは繋がっているでしょうし、長曾我部殿は嫡男の輝親てるちか殿の妻に土佐一条家の姫を迎えていますからね。どうにも、関白殿とは事前のすり合わせが行われていたようにも思えます」


 公家の方々には遠くで幸せに生きていて欲しいのですが……やはり、すぐに影響力を失くすようなことにはなりませんよね。


 「日ノ本と中華は同格……故に正式な使者は北京を目指す、ですか……まぁ、なんですな。動機は違っても我らの意見が通るのならば良しとするしかないでしょうな!」

 「そうですね。我らも最初から北京を目指していたわけですし……というよりも、南京を本拠とする明人商人も、澳門を本拠とするポルトガル商人も、そのどちらをも信用しきれないからなんですが」

 「はっはっは!良いではありませんか、景基様。話はまだ始まったばかりです。北京が乗り気でないのでしたら、次の手として明の湊を抑えて行きましょうぞ。最初は向こうに敬意を表して都に向かうのです。その後に地方を回ったとて文句を言われる筋合いは有りませんな」


 そう、信長殿や上様はじめ、こちらで考えた通りの流れにはなっているのです。


 ……なってはいるのですが、どうにも公家発進というのが幾ばくかの気味の悪さを感じさせます。


 「ご心配なく!……とまでは言いませんが、俺が使節団の代表を務めるのですから、伊藤家の悪いようには持って行きませんとも!その点はご信用下され!……で、話は変わりますが、景基様は古河にはお戻りにならないので?俺の方は五日後に船を関東に回しますが、もしよろしければ乗船しませぬか?」

 「いや、今回は私が居残りを勤めましょう。上様と大御所様も関東に戻られるのです。一門の誰かが畿内に残らなくてはならぬのならば、今回は私になるでしょう」

 「そうですか……太郎丸も折角の晴れ舞台は息子に見て欲しいと思うのですが……」


 いや、それは無いでしょう。

 だって、父上ですからね。

 形には拘らないと思いますよ?


1588年 天正十六年 正月 古河


 はいはい。

 今年の正月から、俺の幸せな寝正月は終わりを告げました。

 来年からは面倒な宴やら式典への出席が義務付けられます。


 は~っ。

 本当に面倒だね。

 正月は孫家飯店で寝正月を決め込むのが最高なのにさっ!


 ぽかっ。


 「あいたっ!……何でしょうか?お婆様!」


 ぱかっ。


 ちっ!

 二度目の攻撃は前もって予想していたので、避ける気まんまんだったというのに……これだから達人は困るぜ。


 「馬鹿なこと言わないの!今日で太郎丸も元服なんだから、そんな辛気臭いため息とかしてるんじゃないわよ?」

 「いやぁ……だってさ、姉上。正直面倒しかないよ?一応は元服を迎えた惣領息子ってのは人生二度目だけどさ……って、人生二度目は変か……二度目人生?いや、人生は三度目の?」

 「……どうでもいいわよ。そんなの。……それよりもしゃんとしなさいな、しゃんと」


 まぁ、実際に元服の経験は二度目なので流れの把握はばっちりだ。


 伊藤家の場合、元服の朝は起床後に剣の師匠による朝の調練を行ない、その後に身を清めて白装束に身を包む。その準備が整ったら、家長から武家の覚悟を説かれ、伊藤家の歴史を確認する問答、そして切腹の作法を習う。

 ただ、この場合の切腹の作法ってやつは江戸期に成立した小笠原流の何ちゃらってもんではなく、身の処し方と責任の取り方、悔いの無い武家人生を送る心得、といったどちらかと言えば精神的な物だね。

 で、ここまでが午前中の儀式?作法?習慣?だ。


 ちなみに、前世の元服時の師匠は塚原卜伝様、家長はお爺様だったが、今生では師匠が輝、家長が姉上ってところだ。


 「もう……いいわね、太郎丸は二回目の元服で、共にお爺様から心得をつかわされたわけだから、こまごまとしたことは言わないわよ!?……伊藤家の者として、神仏に対し恥ずべきことは行わない、己の心を偽らない、そして武士の死とは死ではなく……」

 「「生である。如何に産まれ、如何に生き抜くかがすべてである」」

 「……」

 「でしょう?」


 うん。ちゃんと覚えてたね。

 武士とは如何に生きるかが全てであり、死の形を語るなど言語道断。

 正しいと思うことを正しく行えたかが全てである。


 この家訓いいよね。

 俺は好きだよ……なんといっても前々世でも似たような形で親父から教わったもんだしね。


 ただ、この家訓があるせいで、どうにもこれまでの伊藤家の歴史は負け方についてしまっているような気もするけど……まぁ、それはそれってことで!


 ぱかっ!


 「だから痛いって!……もう扇子で軽く叩いているとはいえ、達人の一撃はヤバいんだよ?」

 「良くわからない事を言ってないの!……ともあれ、……その心得を忘れない限り、伊藤家の血は貴方と共にある。これより伊藤太郎丸改め、伊藤景清いとうかげきよ伊藤藤太郎景清いとうとうたろうかげきよと名乗りなさい」


 声と姿勢を改め、居住まいを正した姉上。

 名を与えてくれた姉上に対し、俺は深く頭を下げた。


 「はっ!伊藤藤太郎景清、これより東国の安寧の為、一途に働くことを誓いまする!」


天正十六年 正月 古河 伊藤元清


 つつがなく、今日の儀式は終わった。


 これで、私の息子の太郎丸は景清と名乗り、名実ともに伊藤家の惣領となった。

 数年後には、私も景清に家督を譲ることになろう。


 ……振り返ってみれば、おかしな自分の人生だ。


 本来であれば私は三十三……この時代の数え方だと三十四か。

 まだまだ、ただの若造な気もするが、記憶の片隅には七十五で病死した爺の意識もある。


 ふんっ。

 二重人格というわけではないが、どうにもやりづらさがある。


 周りの者達は軒並み自分よりも年下であり、思考方法もやはり野蛮だ。


 とはいえ、私もあの戦争を幼少期に体験しているので、人を殺すことに禁忌を感じるというものは薄いし、人は飢えと孤独を感じると、どのような悪行にも手を染めるということを見知ってもいる。

 今でも、前世の大叔父が満州引き上げの時に体験したという朝鮮人から受けた仕打ちの話は、強烈に記憶に残っている。


 そのおかげで、太郎丸のように戦国時代の残酷さを感じてなお、理想を掲げて苦しむようなことはない。


 そう、それに、私に家訓を授けてくれたのは、柴田の爺様、柴田業篤翁だった。


 主家を助け、主家の理想の礎となる。

 そのために己の身を汚すことを恐れるな。

 戦え、負けるな、命を燃やせ、泥を啜ろうとも必ず敵を撃ち破れ、両手が切り落とされたら足で戦え、両足も切り落とされたら歯刃で敵を噛みちぎれ。


 そんな教えを受けて来た私が、大御所様の実子扱いとなり、今では伊藤家の当主だ。


 理想の礎と成れ、と言われ続けた男が、今度は急に理想を指し示せと言われても戸惑う。


 それこそ、七十五の爺の記憶を使えば幾らでもこの時代を導くであろう理想を考え付くことは出来る。

 だが、はたして、その思考から生み出される理想とは、本当に「理想」なのだろうか?


 私にはわからない。


 私には、あそこまで自分の想いを成し遂げようとする愛しい息子、太郎丸の真っすぐさが残念ながら理解できない。


 話を聞く限り、間違いなく太郎丸の前々世は私の死んだ時代と重なっていよう。

 そのような男が、天文年間の奥州に生まれ落ち、電気もガスも水道もなく、寒風吹きすさび、満足な食料も医療もない時代を生き抜く……。

 私の幼少期とは違い、あの時代の常識を抱えたままだ……また、私とは違い、あの悲惨な戦争を経験したわけでもない……。


 ぶんっ、ぶんっ。


 私は大きくかぶりを振る。


 わからない。


 私には太郎丸様ちちうえ太郎丸むすこの気持ちが推し量れない。


 ふぁさっ。


 「如何なされましたか?旦那様?今日は久しぶりに古河へとお戻りなのです。多少はお心を休めてくださいませ」


 妻の真由美が羽毛入りの打掛を羽織らせてくれる。


 自分のことばかり考えていたが、考えてみれば、真由美が一番心労を重ねているのかも知れんな。

 七十五の記憶を持った夫と、三度目の人生を歩む息子を持って……。


 「そうだな……」


 私はそっと妻の手に自分の手を重ねる。


 「そうだな……やはり関東はいい。古河にはお前がいる、家族がいる、一族がいる……その一方で畿内には誰もおらぬ。いるのは薄汚い野心を隠し持った魑魅魍魎ばかりだ……」

 「魑魅魍魎ですか……やはり旦那様も古河にお戻りになられた方が宜しいのでは?」


 真由美は何処までも私に優しい。

 景貞大叔父上に紹介されたあの日からずっとだ。


 「そうも言っておられぬさ。子供たちの未来も掛かっておるのだ。……ここは私が踏ん張らねばなるまい、多少は寂しかろうともな?」


 そう言って私は重ねた手に力を籠める。

 ……そうだな、言葉にして初めて感じたが、私は寂しいのかも知れぬな。

 畿内はやはり気が休まらん。


 「まぁ、まぁ……旦那様が私に甘えるとか、いつ振りでしょうね……」

 「揶揄うな……」

 「ふふふ。これでも嬉しいのですよ、何やら頼られているようで……そうですね、やはり、旦那様が飯盛山にお行きになられる際には私も付いて行った方が宜しいかも知れませんねぇ」

 「いや……」


 確かに真由美が付いてきてくれれば嬉しいが……。


 「いや、それは止めておいた方が良かろう。やはり、畿内は伊藤家の者にとっては鬼門、悪所だ。なるべくならば、近寄らぬが正解であろう」

 「それならば、旦那様こそ……」

 「いや、私は大丈夫だ。血で言えば二分の一、流れで言えば四分の一だ。これこそが、天が与えた私の役割なのであろう……」

 「……???……はぁ」

 「何、心配するでない。一丸兄上とも話おうてきたが、これからは中丸兄上も畿内へ来るような形とし、我ら兄弟三名が交代で飯盛山に滞在することとした。……これからは、この二年程にお主を寂しがらせるようにはならんさ」

 「あら、まぁ……それはなんとも嬉しいこと」


 そう言って、真由美は俺の肩に頭を乗せて来た。


 夫婦肩を並べて、古河で正月の月を眺める。


 ささやかな願いながら、これからは毎年、こうやって夫婦で月を眺めて行きたいものだ。


天正十六年 正月 xxxx xxxx


 「大老よ。これで良かったのでおじゃるかな?」

 「結構でございます。流石は殿下。お見事でございましたぞ!」

 「そうか……それは良かったでおじゃる。……なにせ、麻呂は兄弟、従兄弟たちの中でも年若い立場じゃからな。順番通りとはいえ……大任は疲れるのでおじゃる」

 「はっはっは!何をおっしゃられる。中々の役者ぶりにつき、某は心底感服致しましたぞ」

 「……そ、そうか……それは良かった。……で、良かったついでに、これである程度は援助を……」

 「ええ、当家からも上手いこと申し合わせておきましょう。淀川から巨椋池への流通路、その先の延長で京の町まで、更には東海道、中山道、山陽道、山陰道に北陸道。全ての流通路に京を通すように各家とも動きます故、これ以上、京の町が苦しむ形にはなりますまい」

 「さ、左様か!それは有難いのじゃ!これで兄上たちにも胸を張って報告が出来るという物じゃ!」

 「はっはっは!それは結構でございますな!……で、つきましては、その後は?」

 「その後??」

 「あ?!!殿下はお忘れで?!」

 「……じょ、冗談じゃ!冗談じゃ、覚えているとも!ようく覚えているでおじゃる!」

 「……それはよう御座いました」

 「た、大老もあまり麻呂を脅さないで欲しいでおじゃる……きちんと、我らで約束通りに国学の編纂、大権の由来と行使についての解釈は進めているでおじゃる。帝、王家は祈りを司り、公家が政を司るようにしてきたことは飛鳥の御世より行ってきたと再確認し、明文化しておる」

 「左様でございますか、それは結構なことです。これで日ノ本が古来より守ってきた国の姿に則って、武家が政を行なう。その道が認められますな?」

 「ああ、間違いないでおじゃる。政の大権は公家より武家に移り変わった旨の歴史編纂も進んでおる。北朝、南朝も大権の所有を争う物ではなかったとの解釈も朝議で話終えた」

 「それは、それは……では、これより先、皆様にはそれぞれの父祖の霊を祭ることと、文化の研鑽に励んで貰いたいですな」

 「そこは任せて欲しいでおじゃる。……麻呂たちはこの数年の間に再度学んだ。朝廷は政を司るには能わないのでおじゃると……」

 「……それは結構なことです」

 太郎丸さん、二度目の元服です。

 景清公のこれからに期待!ということと、この話から仁王丸君視点の解禁です。


 次章では渤海湾に黒船(蒸気機関はありませんが)来航ということでしょうかね。

 吉法師さんが大陸で暴れるのかどうか……ガンバッテシッピツシテイコウトオモイマス。


 次話で人物紹介と地図になりますが……第五章からは日本の白地図だけでなく東アジアの白地図を用意しなくてはいけないのかな?とも思っております。


 それでは!

 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 仁王丸元清さんの視点解禁! 元清さん、真面目ですね。 >「私には太郎丸様の太郎丸の気持ちが推し量れない。」 いいのよ。全てが分からなくっても、考えてくれるだけで。受け入れてくれるだけで。…
[一言] これで「信長の野望」から「蒼き狼と白き牝鹿」にゲームが切り替わっていくのですね!(違
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