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阿武隈の狼  作者: 平良中
-第二部- -第一章- 伊藤太郎丸
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-第百十六話- 古強者の思い出

天正八年 秋 田老 安中忠豪


 「忠豪様!御命令通りに高台に柵を作ってはおりますが……ここは高所に平地部分が少ない土地柄です。作れるのも柵が精々……十分な兵舎長屋や館、湊の施設はやはり海岸近くに作った方が……」

 「ばっかも~んっ!この不心得者が!伊藤家の城は高台に造るべし!これは亡き景藤様が厳に守られた伊藤家の築城方針じゃ!高台の城は水を得やすく、特に沿岸部の町は津波から領民を守るべく、家々、長屋は高台に建てるべし。この金言を守れずに片喰の旗を立てられると思うな!わかったか!」

 「は、はは、はい~!」


 ふん。

 最近の事務方は手抜きが多くて困る。

 伊藤家の城は高台に作る。……例外は景竜様が入られている厩橋城ぐらいの物だ。

 上様と大御所様がおられる古河城であっても小高い丘陵地に建て直しておるというに。まったく……。


 しかし、それも栓無きことか。

 見ればあの事務方は二十そこそこ。伊藤家が大いにその命運を掛けた戦を行なってきた時代を知るまい。


 ……そうだな。

 初代様や爺様が命を捨てる覚悟で戦った伊達との戦などはもう四十年近く昔のことなのか……。

 あの戦は儂も十七八か。初陣こそ近隣豪族や武装村との小競り合いであったが、……あの戦こそが真の意味での初陣であったな。


 ふむ。今にして振り返ってみれば、あの戦は当初から晴宗殿の命を受けた鬼庭殿と中野殿が当家に負けるため、政敵であった稙宗殿の兵と将を損なわせるための策であったのだ。

 くくく。そんなことは露知らずの我々は、初代様を初め皆が決死の覚悟。己が死のうとも、大いに損害を出させて、後の講和を有利に進めてみせよう、という気概に満ちていた。裏を知っていれば、要らぬ覚悟ではあったかも知れぬが……いや、やはりその覚悟を見せた我らの奮闘ぶりを以て、伊達家も当家を武家として扱うことにしたのであろうな。


 「……忠豪様、先ほど部下が訪ねて来たと思いますが、どうか平地での作業のお許しを……」

 「っか~~っつ!喝っ!」

 「ひ、ひぃっ!」

 「何度も言わせるな!儂は此度の久慈城建設に至るまでの先遣隊を率いるよう、その全権を上様と大御所様から頂戴しておる!伊藤家の信頼にこの忠豪がそのような妥協を許すと思うのかっ!儂の命令はただ一つ!高台に長屋と柵、館を建てよ!武具食料の貯蔵庫も同じだ!何度も言わせるな!時間はかかっても構わん!それまでこの地を死守できるように兵を率いてきているのがわからんのかっ!」

 「は、っはぃ~っ!直ちに~っ!」


 まったくもって最近の事務方は成っておらん。

 危機意識が全くもって欠如しておる。

 う~む、今度の上役は三十そこそこか?

 それでは、あの関宿の激闘を知らぬのであろうな。

 伊藤家の命運を掛けたあの戦いを。


 あの頃の伊藤家は勿来で景藤様が全力で稼いだ銭を使って兵を集めておった。

 領民から招集できる兵ではどんなに頑張っても一万そこそこだったであろうな。

 田畑を満足に整えられるのは勿来、棚倉、白河、那須……その程度であった。

 今は儂が見ておる袋田城などは、忠孝叔父がそれこそ銭雇いの兵を集めて詰めておった。父上の詰めておった三坂城も同じような状況であったな。

 両城とも、城の近くにはちょっとした里しか存在せず、食料も、武具も馬も全て棚倉や羽黒山からの輸送に頼って生活しておったものだ。


 そんな中に起こった佐竹家と伊勢家の戦。


 当時の佐竹家は常陸を何とか制圧できたかどうかという状況で、どう見積もってもその時に動かせる兵は一万と少しであったろう。そんな中、義昭殿は周辺の諸将を上手くまとめ、何と二万五千の兵を動員出来た。

 対する伊勢家は三万を向かわせる。


 ふむ。大身の余裕だな。あの頃の伊勢家は伊豆・相模・武蔵に下野の大半。動かせる軍勢は優に五万は超えたであろうな。実際に三万の外で、当家の古河への急襲に対して一万五千の兵を向かわせておる。

 どう考えても万全の態勢、必勝の構えだな。本軍で敵主力を撃破し、一軍を以て敵の援軍を抑える。

 儂が氏康の立場でも同じ策を採ったであろう……。

 更に氏康が非凡なのは、開戦前に佐竹方に付いておいた諸将を内通させておったことよ。

 逃げるのが困難な湿地帯を戦場に指定しておいて、内応の罠に敵将を誘い込む。

 今思い返しても、どうして義昭殿が領内に生還できたのか不思議でならん。


 まぁ、これほど万全の構えを敷いていても思い通りにならないのが戦というものだな。

 ここで氏康の予想外の動きが二つ出て来る。


 一つが景貞様の援軍、那須勢五千の存在だ。

 朝景殿が大御所様に語ったところでは、氏康はどうやら古河足利、山内上杉、宇都宮の三家に対して、伊藤家の那須勢を足止めすれば、本領は安堵するとの旨を予め書状にして送っていたそうだ。

 本当のところは朝景殿も幼少であったため、小山殿からの伝聞でしか無いようだが、氏康が贈った安堵状は彼らにとっては怪しい部分が多かったそうだ。要するに、三家で綺麗に分かれているのではなく、微妙に重複した部分があったのだと……。


 伊勢家としては佐竹・伊藤連合軍を倒した後は三家を個別に平らげるつもりで、三家の結束が産まれないように手を打ったのだろうが、それが伊勢家にとって悪い方に流れたということだ。

 三家はお互いに信用できないので、城を留守にすることが出来なかったということだ。

 それを見越した景貞様は、二代様の計画よりも多数の兵を率いて那須を出立、佐竹方の森山城救援に向かったということらしい。

 景貞様は、「三家の内、一つでも動けば俺は五千を集められなかった。正直生きた心地がしなかったわ」などと仰っていたが、本心では三家の動きを読み切っておったのであろうな。流石は素晴らしい軍事の才能をお持ちのお方だ。儂も景貞様にあやかりたいものよ。


 かような五千の援軍を携えた森山城を見て、伊勢家の追撃兵はあっさりと引いて行った。


 ……ふん。しかしこの追撃の兵は七八千と言うではないか、悔しいが流石は氏康よな。

 柔軟な思考の元、一瞬で主力と抑えの兵の配置を変更してしまった。……おかげで景貞様は関宿の決戦には参陣出来ず、圧倒的少数の兵で景藤様と大御所様は伊勢軍を共に迎え撃たねばならない状況となってしまった。


 「あ、あのぅ。忠豪様……おっしゃられるように高台に諸々を作るには人手と道具が……」

 「っか~~っつ!喝っ!」

 「ひ、ひぇっ!」

 「時間はかかっても良いと言っておろうが!土木作業員で人手が足りなければ兵から人手を集めれば良い!更には近くの集落からも銭を使って集めることが出来ようが!お主のその頭は空っぽか!!……忠峰!」

 「はっ!」

 「この事務方の要望に答えて、兵を組み分けし、土木作業を手伝わせよ。また早池峰の長老にも文を出して助力を要請してくれ」

 「はっ!直ちに取り掛かります。大叔父上!」

 「うむ」


 手前味噌ではあるが、流石は安中の者だな。

 忠惟も良い息子を持ったではないか。


 そう、良い息子と言えば、流石は景藤様であったな。

 あの関宿の大戦、その初戦の相模からの兵を主力とした伊勢軍一万五千を撃ち破った采配など、忠嘉のやつめが嬉しそうに何度も話をしおるから……あやつとの酒席の度に、儂はあの時、父上と古河城の攻略に回されたことを悔しがる羽目になるのだ。


 そう、初戦の一万五千の目的は当家とは戦をせず、遠巻きに牽制することがその役目であった。

 つまり、氏康が下総で義昭殿の首を挙げるまでの時間稼ぎだな。

 その命令通りに、一万五千は伊藤家の包囲から距離を取って布陣を開始したそうだ。

 しかし、その「戦わなくて良い」という命令が一瞬の油断を生んでしまったのであろうな。見事に陣立ての異様さを看破した景藤様は、全軍で建陣中の伊勢軍を急襲した。


 戦は無いと思っていた軍、勝ち戦だと思っていた軍、そして、他国での防衛戦に向かぬ領民兵で編成された軍。これらの要因が複合し、伊勢軍一万五千は抵抗らしき抵抗が出来ずに霧散した。


 これには氏康も肝が冷えたであろうな。

 万全の構えを取ったはずが、東と西で崩されたのだ。今にして思えば、自分が率いている伊勢家の主力軍は健在だったのだ。一度本領まで兵を引いて、態勢を立て直してから軍を興せば、当家も古河を放棄しなければいけなくなったであろうがな。


 万全の構えを敷いていたが故の判断間違い……いや、間違いというほどであったのか?

 うむ。わからんが動揺と不安は襲っていたのであろうな、その後の軍の動かし方は、積極と消極が入り混じってどうにもちぐはぐであったからな……。


 おかげで、古河城を落とし終え、関宿の決戦へ父上の一軍が間に合ったのだから。

 ふふっふ。あの五百には儂もおったからな。

 儂らの一撃が戦の最後を決定づけたと言っても過言ではあるまい。


 「た、忠豪様!それではこれより、さ、作業を開始しますので、忠豪様達には移動天幕でお休みを頂きたく……!」

 「っか~~っつ!喝っ!」

 「ひ、ひぃっ!」

 「初代様よりこの方、片喰の旗の下では大将こそが汗をかくのが習わしじゃ!お前らは斧を持って来い!取り合えず、建物を建てるための造成。そのために山の木を切って行かねばならんからな!わかったら、斧を持って来い!」

 「は、っははぃ~っ!」


 うむ。北に斥候は充分に放っておる。

 南部家がこちらに兵を差し向ける動きはすぐに知れよう。それまでに少しでも有利な陣地を造らねばな。まさに、関宿で景藤様が見事な陣を構築したことが勝因となったようにだな!


天正八年 冬 諏訪 伊藤伊織


 「では、正月の古河にて盛信の仁科家相続を認め、新たに穂高に築城する城に入ってもらい周辺の村々の統括を頼みます。よろしいですね」

 「「おお!」」「「おめでとうございます!」」「これは目出度い!」


 甲斐武田の復活というわけでも、甲斐源氏云々というわけでもないのですがね……。

 逆に、奥州安倍氏にも通じ、平氏としての流れが強い家名であると思いますが、どうなんでしょうか。


 ……四国連合に最後まで抵抗した甲斐武田の血を残しながらも、伊藤家に近い家名を相続したことで、伊藤家家中での地位を……ということでしょうかね。


 いや、単に、自分の元主筋が厚遇されたと受け取って喜んでいるのかも知れません。


 「築城の普請奉行は昌幸が取ります。落成後は穂高城城代として盛信を、深志城城代として一条竜信いちじょうたつのぶを置きます。二人とも叔父甥として協力し、地域の発展に努めてください」

 「「ははっ!」」


 一条竜信……もとは信龍のぶたつと名乗る晴信の異母弟です。

 勝頼が諏訪家を継ぎ、諏訪勝頼と名を改めるに従って、自分も伊藤家の臣としての名を名乗りたいと願い出てきました。その思いを面白いと、兄上が「竜」の字を与え、「龍」を「竜」に変え、頭に持って来たということです。


 しかしこれで甲斐武田の血筋で、諏訪の上原から、深志を通って安曇の穂高までの城の城代が占められますか。

 俺が諏訪に入るので、ちょうど良い重しと地縁を混ぜた動きが出来そうですね。甲府には新たに井伊の直政が入りますし、……東山三国は伊藤家としては新しい土地です。人もなるべく新しいものを混ぜ、地域の活性化を図りたいところですね。

 東山三国が活性化すれば、その流れは当然の事、美濃にも波及し、斎藤家にも良い刺激となるでしょう。その刺激が更に長野家まで普及すれば、如何な徳川と言えど、不穏な考えを抱くことは減るでしょうからね。


 「また、神保長住、長城兄弟には深志から頚城郡の西、姫川沿いの街道、川道の整備を命じます。盛信、竜信の二人と協力してことに当たりなさい。北陸道の延伸は直江兼続殿が注力して行うとのことです。長尾領を横断する北陸道と当家の東山道を繋ぐには、飛騨の吉城郡の東西と信濃の安曇郡がその入り口となります。二人にはこの二郡の街道整備を命じますので、しっかりと働いて下さい」

 「ははっ!伊織様の御命令通り、かの二郡の街道整備、どうぞ我ら兄弟にお任せください!」


 こくり。


 良い、決心をした顔ですね。

 「自分たちは領主一族だ」などといったふざけた心持だったら当家での居場所を消してしまうところでしたが、そのような心配はないようですね。

 「領主」ではありませんが、地域の街道整備という一番地縁が大事な役職を割り振ったのです。彼らも当家が配慮をしていることはわかったのでしょう。


 ……良いことです。お互いの為に。


 「次いでは、飛騨。三木家からは巴殿……でしたな。家督を継がれてる弟御は如何されたかな?」


 確かに、小太郎からの報告では先代の良頼よしより殿に一番愛されていたのが、長女の巴殿であったとは報告を受けていますが……。


 「……お恥ずかしいことです。当家の弟二人、頼綱と顕綱の二人は折り合いが悪く、家督は年長の頼綱が継いでいるのですが、どうにも……」


 おや?どうにも不満を抱えていそうな感じですか。

 ちらりと、脇に控えている小太郎を見やる。


 ……小さく首を振っていますね。


 ふぅ。時間が全てを解決してくれるような感じではない、ということですか……さりとて、俺に進言、報告を特段にすることでもなかったということですか。


 しかし、事は公になってしまった。

 当主の姉である巴殿がこうして、諏訪城の評定の席で発言したのです。この発言を聞いた者達は東山三国の要の者達ですからね。


 「……巴殿。これは私からの命と心してください」

 「……はい」

 「頼綱、顕綱の両名は共に、この正月、古河に赴きなさい。また、それに先立ち師走の末にはここ諏訪城に参すること。違えた場合は、わかりますね。それ相応の処分を下すことになります」

 「……はい。……ただ、一つだけ」

 「なんでしょうか?」


 別に首を取るつもりはありませんよ?……まだね。


 「弟たちは諏訪にある当家の屋敷に滞在することが叶いましょうか……?」

 「……」


 別に脅したつもりもないのですが、……まだ、二人が兵を集め出したとかではないようですしね。

 国元の館に籠るぐらいで一々成敗していてはこちらの仕事がなくなりません。


 「巴殿。伊織様は譲歩しておられるのだぞ?二人が相争う姿勢など、下らぬものを捨てるならば良し、とおっしゃっているのだ。……儂の方からはっきりと物申そうか?師走の末日までに二人とも諏訪に来て頭を下げよ。さもなくば儂が甲斐・信濃の兵を預かり二人を飛騨の館から引きずり出すまでだ。お分かりですかな?」

 「はっ、はいっ!わ、私のほうから弟たちには必ず!どのようにしても、二人を諏訪に連れてまいります!」

 「……よろしい」


 これでよろしいですかな?とばかりに俺の顔を見る勝頼。


 まぁ、問題は無いのですが、少々脅かし過ぎですね。


 ……けど、事の推移は勝頼が言ったようになるでしょう。

 当家としても、飛騨の狭い領地内で兄弟喧嘩をされては困ります。兄弟同士での殴り合いの喧嘩ならなんの問題もありませんが、兵を集めてのこととなれば話は変わってしまいますからね。

 多少、手荒な手法を取らざるを得ません。


 こう見ると、東山三国の内政と軍政はいち早くまとめ、当家の一門衆を頭に、真田家の元に武田旧臣が実働を担う形で固めなければいけませんね。

 今のところ、甲斐と諏訪、千曲川流域は問題ないのですが、伊那と飛騨、こちらを纏める人材を見繕う必要がありますね。

 正月早々にでも、元景と元清に相談することにしましょう。


 ……しかし、これでは俺が小田原に戻ることはできませんね。

 相模、伊豆、駿河は別の者達に任せましょうか。

 はい。安中の古強者の回想でございます。

 こちらも、北条家視点での文章が無い分、相当に彼らの評価が低い感想などがありましたので、ちょっとだけそのあたりのことを書いてみました。

 伊藤家との抗争に敗れた結果、「大名」としての地位は失いはしましたが、血は面々と残っていますからね。

 また、東の足利勢力を西から派遣されてきて鎮圧・制圧・虐殺した手腕は大したものです。


 作中世界での敗因は単に戦略構想と外交手腕。

 北条家だけに相手を絞れた佐竹・伊藤連合に対して、国力は大きく上回りながらも兵力を集中できなかった北条家。問題はその一点だけでしたね。まぁ、北条家の当初構想では、佐倉周辺に一大決戦場を構築したつもりだったのですが、太郎丸が相手にしなかっただけです。

 雪斎さんが十年早く三国の同盟を成し遂げていたら話は大きく変わったのでしょうが……それ以上は言わずが花ですかね。


 結局の所、ある程度の高等教育を受けていた太郎丸さんの「戦争」に対する認識の深さが時代的に突出していた、ということですね。


 今後も楽しんでもらえると信じて。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] 高台移転した東日本大震災被災地も世代交替すると便利な平地へ行っちゃうのでは、そういう時にこんな頑固ジジイが居たら良いんですが。
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