-第百十四話- 黒姫襲来
天正八年 春 鎌倉 伊藤景広
「平和とはなんでしょうか。ただ、いさかいが起きないこと、戦が起こらないことではありません。虐げられている者が黙って耐えて、何も争いがない。これは平和ではありません。人が互いの尊厳と価値を認め合い、こころ通い合わせ触れ合うこと。互いに生かし合う関係に生きること。これが平和ではないでしょうか。いっぽう赦しとは、自分のこころに相手を入れることといわれます。イエスは弟子たちをご自分のこころから追い出したことはありません。その意味で、デウスにとって、平和と赦しとは表裏一体です。だから、この弟子たちは、デウスの一方的な愛の力でデウスとの関係を取り戻させていただき、デウスとの平和を得ました。これが罪の赦しの体験です。こうして弟子たちは、復活のイエスによって取り戻したその平和を人びとにも及ぼす。これが弟子たちに託された罪の赦しの権能です」
から~ん。から~ん。
昼の中天を告げる鐘が鳴る。
「時間が来たようですね。それでは、本日の話はここまでといたしましょう」
フアン殿が十字を切って説法を終えられる。
今日も俺はマリアの付き添いで、鎌倉の教会に来ている。
マリアが言うには、今日はバザールなる日のようだ。どうやら、その起源は教会の門前市のような物らしく、信徒たちが作った産物を売ったりして教会の費えの足しとするようなことらしい。
門前市は神社でも寺でも行っていることだからな。
怪しげな商品を売るのでなければ、特に制限するようなことは無い。
伊藤家での門前市と言えば、棚倉・羽黒山での都都古和氣神社跡、棚倉鹿島神宮での門前市が、歴史、規模ともに一番大きい。
次いで、宇都宮二荒神社での門前市とここ鎌倉での鶴岡八幡宮寺の門前市といったあたりだろうか。
俺の城下だからというわけでもないのだが、鶴岡八幡宮寺の門前市は中々に立派だと思う。
なにせ、城下の源氏池、平家池から段葛を通り、砂丘の上にある二の鳥居から左右に分かれ、大仏と元八幡までの参道沿いに出店が立ち並ぶのだから。
そして、二の鳥居から、再建した海上の一の鳥居まで、砂丘から先の一帯は武家屋敷と椿畑が広がる。
父上がお好きだった椿畑は、ここ鎌倉では防砂林として機能しているのだ。
おかげで、厄介な海風が遮られ、砂丘から先の町の発展が順調に進んでいると、各村長らも喜んでおったな。
ただ、まぁ鎌倉の城下には農地などはほとんどないからな。寺社、商家に工房と旅籠。あとは、それこそ武家屋敷といった案配だ。
村長連中の喜びの声も、作物が潮風にやられなくなった、だとか、用水路が砂に埋もれないで済む、といったものではなく、店先が砂に埋もれなくなった……といったたぐいなわけだが。
なんにせよ、椿畑が城下の人々に喜ばれているのならば何よりだ。
「コンスル景広。お待たせしました。どうぞ、こちらへ……」
「うむ」
そうそう、今日はマリアに連れてこられただけでなく、獅子丸から呼び出され、その待ち合わせ場所として教会を使わせてもらっておる。
鎌倉や館山の城ではなく、大教会とも言えるここを使うということは、きっとヨーロッパのどこぞからやってきた者を俺に引き合わせようとのことなのであろうな。
父上はもっと、もっと多くの知識と技術を異国から取り入れることを考えているようだからな。
父上が大きくなられるまでは、この手の話は俺が窓口となる必要があるだろうさ。
……
…………
「へ~、ジパングには初めて来たわけだけれども……こんな立派な教会があって、しかもしっかりしたミサまで行われているとはね。レオンの手紙である程度は頭に描いてきたけれど……想像以上に進んだ国だってことか……」
む?どこのご婦人であろうか?
黒髪ではあるが……決して日ノ本ではお目に掛かれない感じのご婦人だな。
「なんだい?坊や。あまり、そう女性を見るもんじゃないと思うね。こちとら五十も超えてるから勘違いはしないが、そんなに熱い目で可愛い坊やに見つめられるのも照れちまうってもんさ」
「……姉上」
「いや、これは私が失礼をした。私は伊藤景広。ここ鎌倉の城主をしており、伊藤家のコンスルの内の一人でもある。ご婦人、よろしければお名前を教えては頂けないでしょうか?」
「おっと、これはこちらこそ失礼をしたね。私はエストレージャ・サンタクルス・デ・カディス。エスパーニャ王よりマルケス・デ・カディスを賜っている。……しかし、ジパングの人間にして、コンスルはカステリャーノがお上手だね。うちの亭主よりも流ちょうに話すんじゃないか?」
おや?父と信長殿が話しているのを聞き覚えてからは仁王丸とフアンから習った俺のスペイン語もそこそこだということか。これは嬉しいもんだ。
「私が仕えている伊藤家の方々は、ご当主の元清様初め、多くの方々がカステリャーノを話される。おかげでアルベルトを初めとする多くの船長たちが安心して寄港するということだ」
「なるほどね。申し訳ないけれど、レオンの手紙は話半分にしか受け取っていなかったけれど、あんたの性格は変わっていなかったということね」
「姉上……私はそう簡単に性格を変えることは出来ん。ある物をあるがままにしか記すことが出来ん」
「……ふぅん。そういうことなら、レオンが異国人ながら一城を任されているというのも本当のことなのね?」
「何度も言っているが、私は安房の国とそこの水軍を任されて長い。もう、足掛け十年にもなろうというものだ」
ほう。流石に父上の為されようというのはスペイン人でも解り難いものだったのだな。
レオンも手紙で経緯をしたためても、エストレージャ卿に納得していただけなかったというわけか。
父上の傾奇っぷりは日ノ本だけの基準だけではなかったと知れて良かった、良かった。
「とそんなわけで、レオンには当家の水軍提督として大いに働いてもらっています。故にご安心をなさって下され、レオンとマリア殿、沙良にはつつがなく、この日ノ本で暮らしてもらっております」
肉親を心配する情というものは日ノ本であろうと、ヨーロッパであろうと変わらぬということなのだな。うむうむ。
「……そ、そう。それは良かった……ごほん。では、話を進めましょう。私が今日ここにお邪魔したのは、先年に南米、カリブで大いに我が国を苦しめていた海賊共を討伐してくださったドン・慶次に報奨金と国王からの感謝状を渡すこと。……後はレオンから頼まれていた事への報告ね」
「おお、慶次殿への感謝状ですか。それは有難い。……まぁ、本人は書状などに興味は無いとは思いますが、報奨金は喜んで受け取るでしょうな。……何より、ありがたく受け取っておきます。ただ、本人は鎌倉ではなく勿来におりますので、エストレージャ卿のご予定如何では私の方から渡してきますが?」
「そう……う~ん、どうしようかしらね。時間はあるけれど……レオン。どうしたら良いと思う?」
「姉上。勿来に行きましょう。あそこは面白い場所です。私が心よりの忠誠を捧げた先代コンスル様は既にいらっしゃいませぬが、あのお方が心血を注いだ勿来の町を見て頂ければ、その一端は知れるものだと思います……その後に私からの頼みごとに付いてもう一度お考えいただいても構わないかと思います」
ふふふ。やはり獅子丸は父上にそこまでの思いをいだいておったか。
何やら嬉しいような、こそばゆいような感覚だな。
おお!そういえば、父上が生まれ変わったことを獅子丸は知らぬのであったな。
これは良い機会かも知れぬな。早速、信長殿に早船を出さねばな。
「それでは、今日明日は鎌倉で休んでもらい、明後日にでも勿来にお送りいたそう。それに沙良も勿来におるのだ。エストレージャ殿も赤子の頃よりお会いになられていない姪御とはお会いしたかろう」
「え?!サラは勿来なの?それを早く言いなさいレオン!……ではコンスル景広、諸々の手配はお任せいたします」
「承知しました。丁度黒狼丸の換装も終わり、勿来に持って行こうと思っていたところだ。もし良かったら、エストレージャ卿の船は横浜で点検に回すのが良いのではないか?ヨーロッパからここまで航海なさったのだ。戻られる前に諸々の点検をなさるが良いかと思うぞ?」
「そうですね……姉上、せっかくですので船を点検に出されては?」
「……船大工の腕は?」
「ホセのお墨付きの職人たちです」
「では、お任せしましょう。コンスル景広のご厚意に甘えさせていただきます」
こっくり。
俺は一つ頷く。
利益が九律波で航海していたのは見ておられるとは思うのだが……とはいえ、確かに自分の船を弄られるというのは微妙な心持ちになることは間違いないか。
俺も博多辺りで船の修理を……とでも言われたら微妙な心境になるかも知れぬからな。
1580年 天正八年 春 勿来
「サラはサラだけど、まさかカステリャーノが全く話せないとは思えなかったわよ?」
「しょうがないじゃない、伯母様。私が日ノ本に来たのは三歳ってところだもの。見た目はこんなはちみつ色の髪に翡翠の目をしているけれどね」
「う~ん。その髪の色と瞳の色はマリア様の血だからね。いいじゃないか、綺麗なものじゃないか」
……エストレージャ卿と沙良。
日本語とスペイン語で話しているはずなのに、なぜか意思は通じ合っている不思議。
これも肉親の間柄だからなのだろうかね。
「しかし……太郎丸様は太郎丸様なので?……私はそれほど敬虔な信者というわけではありませんので、こうした奇跡を目の当たりにすると……」
「どうじゃ?獅子丸?度肝を抜かれたであろう?俺も大層驚いたのだ、父上のお姿をこうして見た時にはな!」
なぜにお前がそうも得意そうなのだ?中丸よ。
「神仏の御意思は人間では計り知れぬということだろうさ。ともあれ、久しぶりだな、獅子丸。気が付いたらお前よりもだいぶ年下になってしまったが、これからも頼むぞ?」
「……は、ははっ!」
獅子丸の姉、エストレージャ卿は利益の海賊討伐の褒章を持ってきてくれたという。
その話を聞いた利益は飛び上がらんばかりに喜んだ。
実は、堺の商人達への配当を支払う段になって、諸々計算していくと、どうにも利益個人の分け前だけでは足りなくなって、かなりの額を個人的に支払う羽目になってしまったらしい。
足りない分は家から出すぞ、とも思ったのだが、信長と永福がそのやり方に断固として反対をした。
曰く、どうせ後日スペインから送られてくる物で補てんされるのだから、それまで耐えれば良いと……ただ、本当のところは、ここで懐の余裕が生まれてしまうと、間髪入れず、次は明に向かって船団を仕立て兼ねないから、少しは利益個人の財政状態を厳しくしておきたいとのことだった。
確かに、慶次郎印の倭寇とかは勘弁願いたいところだもんね。
「……太郎丸様」
「ん?なんだ?」
何やら、悩ましげな声を絞り出す獅子丸君である。
どうしたん?
「実は、姉上には信長様より相談を受けたことについての調査をお願いしておりました」
「ふん?調査とな?」
俺は小首をかしげ、ソファに悠々と腰をかけて、茶を楽しまれている親友様を見やる。
「ああ、あれだ、あれ。あれだろ?あれだ」
コイツめ……すっかり忘れているな。
「……ヨーロッパでの鉱山技師に関してです」
「おお!そうだった、そうだった。伊藤家の領内には数多くの鉱山があるが、どうにも本格的な開発を進めるには人員、特に技師が足りなくてな。ここはヨーロッパの先進技術を持った者達を大量に雇い入れることは出来ぬものかと獅子丸に調査を命じておいたのだ」
いや、その調査は有難いし、重要なことなんだから……忘れるなよ、吉法師……。
コイツってば、最近だいぶ横着になってきたよな?横着ポジは譲りたくないからな!
うろ覚え知識でこの世を生き抜くのは俺の役目なんだから……。
って、そのあたりに気が回る副官を用意しとかなきゃダメか。秀吉は俺が信長から引き抜いて一丸に預けちゃったんだもんな。
内政も出来るキレルる人材……信長公の両輪と言えば光秀と秀吉のイメージだけど。この時代の光秀って聞かないもんな……まぁ、いたとしてもだいぶ年齢が上だし、もう少し若くて切れるやつを探してくるか!どっかから、いつかね!
「で、どうなんだ?新天地を求める新教徒でそのあたりの技師とかいない?当家では信仰の自由を保障するよ?」
「……そうですな。そのあたりを踏まえた調査を姉上にはお願いしておりました。……姉上がいらしたということは何かしらの情報が手に入ったのでしょう。……ただ、私個人の意見としては、そのあたりの話をするのは、姉上に伊藤家の実情を見てもらってからが一番だと思っています。その後に、技師たちの受け入れ方法を探る……如何でしょうか?」
「如何も何も、吉法師が獅子丸を適任と信じ一任した話だ。その獅子丸がそう感じているのならば、獅子丸の言う通りに話を進めるまで。なぁ?」
「そうだな。獅子丸よ。お主が最善と思うことを思うままに為すが良いぞ。こうして、俺だけではなく、太郎丸の了解も取れたのだ。思う存分やるが良いさ」
「……忝いことです!」
うん。相変わらずに獅子丸君は感動屋さんだな。
俺も吉法師も細かいところは部下に丸投げ方式なだけなんだぞ?
……一応は丸投げ相手の力量は見るけどね?僕ら。
なんでしょう。手紙のやり取りだけで出ていた黒姫様。
弟にも会いたくなったので、日本まで来てみました。まぁ、当然、諸々の情報収集も目的なのでしょうがね。
今回の冒頭のフアンの話は、高円寺教会で行われた平林冬樹神父のヨハネ20・19-23から引用させて頂いております。
現代のイエズス会神父の話を天正期のイエズス会宣教師が話すということで……諸々、ご了承のほどを……。
第二部、ここまではゆっくりで進んでおります。一章、二章はゆったり目で流れるとは思いますが、どうぞよろしくお付き合いのほどを……。
今後もよろしくお願い致します。
m(_ _)m




