23・姉弟
――西暦2097年8月7日(水)PM1:19 明星高校 校門前――
久美は今日も、源神社へ向かっていた。久美の実家は明星高校に近く、源神社へ行くには、必ず校門前を通り、西材木座駅から湘南電鉄を利用しなければならない。歩いていけなくもないが、徒歩一時間はさすがにキツい。フライ・ウインドを使えばさほど時間はかからないが、街中で使えば、すぐに通報されてしまうし、柴木署長からのお説教が待っている。だから夏休み中に運転免許を取得し、簡易二輪ぐらいは買うつもりいる。それがあれば、源神社まで行く時間も短縮されるし、電車代もかからない。
その簡易二輪は生活型刻印具の一つで、飛鳥やさつきが所有している小型四輪より価格が安い。戦前はガソリンが使われていたが、大戦によってほとんど枯渇してしまった。そのため現在の自家用車の燃料は、電気、水素のハイブリッド・エンジンを主動力とし、運転手の印子を副動力としている。
ハイブリッド・エンジンといっても、刻印化されたフライ・ウインドが発動するまでの間、自家用車を動かしているだけなので、走行中はあまり使われない。ガスト・ブラインドも刻印化されているため、刻印エンジンと呼ばれており、電気や水素、運転手の印子が続く限り、走行できるという特徴もある。さらにフライ・ウインドに熟練すれば、電気や水素の消費量を抑えることもできるため、同じ車種であっても、運転手によって燃費や走行限界距離がかなり異なる。電気は自宅やスタンドで充電するしかないが、水素は風属性術式か水属性術式を習熟していれば、刻印燃料資格士という資格を取る必要があるが、自分で補充できる。だが試験の難易度はかなり高く、A級術式にさえ匹敵すると言われている。ちなみにタイヤがないのに二輪や四輪と呼ばれているのは、刻印術が実用化される前の名残だ。
それはそれとして、いつもなら自分一人で駅まで歩いているのだが、今日は一人ではない。
「京介、どこまでついてくる気?」
「源神社までに決まってるだろ」
「あんた、まだ飛鳥君の課題終わらせてないでしょう?」
「そ、それは……」
京介は飛鳥の課題を終わらせるまで、源神社へ来ることを禁止されている。何度か行ったことはあるが、それは許可が出たり、事前に連絡が取れなかったため、やむをえなかったという事情がある。だがそうでもなければ、即座に追い返される。実際追い返されたことも、一度や二度ではない。
「瞬矢君のこともあるから、焦る気持ちはわからないでもないけど、焦ってもいいことは何もないわよ」
瞳の弟、瞬矢はかなりの頻度で源神社に顔を出している。京介達と同じ課題も出されたが、瞳に教えられていたこともあり、現在は非適性属性術式の攻撃系と防御系術式の構築を行っている。そしてそれが、京介をさらに焦らせる結果になっていた。
「う、うるさいな!姉ちゃんだって焦ったことあるだろ!」
「そりゃね。だからこその助言よ。そもそも瞬矢君の事情は、あんたにも話したでしょ?」
「聞いたけどさ……だからって……」
瞳は先日から、源神社でS級術式の開発に取り組んでいる。瞬矢も勇斗が可愛いので、面倒を見るために訪れているが、源神社にいるのは飛鳥と真桜だけではない。特に志藤、安西、聖美の三人は今もバイト中であり、瞳の後輩でもある。そのため勇斗や瞬矢のことも可愛がってくれている。さらに瞬矢は、京介と同じく、まだ飛鳥の課題を終わらせてはいない。にもかかわらず、来ることを許可されているのだから、京介にはそれが妬ましく思えてしまう。
「まったく……。それで、どこで悩んでるの?」
「え?」
「飛鳥君の課題よ。どうせ、非適性属性の防御系ってとこでしょ?」
「な、なんでわかった!?」
「あんたの苦手な系統だからよ。それに加えて非適性属性って言われたら、悩むのが当たり前じゃない。あんたはすぐに、結果を求めすぎなのよ」
「え?」
久美は何度も、口を酸っぱくして非適性属性の習熟をするよう、京介に言っていた。だがその京介は、飛鳥に課題を出されるまで、ほとんど修練はしなかった。
逆に浩や瞬矢は、非適性属性はもちろん、非適性系統の習熟も怠らなかった。それが今という結果につながっているのだが、京介にはそれが納得できない。
「刻印法具は才能だけでも、どんなに努力しても生成できない。だけど生成してからの方が、はるかに大変なの。あんたは才能に頼りすぎて、努力を怠っていた。それが今という結果を生み出しているのよ」
「そ、そんなことはない!」
「飛鳥君に言われるまで、非適性属性の修練なんかほとんどしてなかったじゃない。逆に浩は、適性属性だけじゃなく、全体的にバランスよく修練をしていたから、今のあんたより強くなっちゃったのよ。今はまだ手が届くかもしれないけど、このままじゃいずれ届かなくなるでしょうね」
京介の才能は自分より上だと、久美は思っている。去年までは自分と変わらない精度の術式を行使していたし、その自分が風紀委員に推薦されたのだから、努力さえ怠らなければ、自分などはすぐに追い越されるのではないかと焦りもした。久美の幸運は、飛鳥や真桜という稀代の刻印術師に出会えたことだ。
「俺が……浩に……?」
「それよ。確かにあの子は先祖返りだけど、私達と出会わなければ、そんなことを意識することはなかったかもしれないのよ。むしろ私達には、浩を刻印術師の宿命に巻き込んでしまった責任があるの。あんたはそれを考えたことがあるの?」
「そ、それは……」
「なんて偉そうに言ってるけど、私だって飛鳥君や真桜に出会わなければ、考えなかったかもしれない。今だって、二人のおかげで強くなれたって思ってるわ」
「生成もか?」
「ええ」
神槍事件や魔剣事件など、七師皇や三剣士が出張ってくるような大事件に巻き込まれた久美だが、クリスタル・ミラーの生成、クリスタル・ヴァルキリーという称号も含めて、今では自信につながっている。それが今の久美だ。さゆりや雪乃、敦も同じだろう。
「……」
「京介、結果だけを求めるのはやめなさい。努力もせずに結果なんて出ないし、せっかく一流の術師が教えてくれてるのに、焦って無駄にするなんて、もったいないわよ」
「別に焦ってなんて……」
京介の言葉には力がない。自覚があるのだろう。入学当初は学年トップの術師だった京介だが、今では浩や瞬矢にも追い抜かれてしまった。それが焦りにつながっているのは間違いないが、おそらくそれだけではないだろう。姉である久美には、それがよくわかる。
「いいけどね。それで、何のご用かしら?」
「え?」
自分に向けられた言葉ではない。久美の視線は自分の後方に向けられている。久美の視線を追うと、そこには一人の男が立っていた。
「気付いていたか……」
「私達のことを調べれば、家族構成の点から私を狙うだろうってこと、けっこう簡単にわかると思うけど?」
男はどう見ても日本人ではない。おそらく、いや、間違いなくUSKIAの軍人だろう。
「さすがに気付くか。しかも俺にも気付かないようソナー・ウェーブを使っていたとは、ただでクリスタル・ヴァルキリーの称号をもらったわけではないようだな」
「い、いつの間に……」
水性C級探索系結界術式ソナー・ウェーブは、指定した対象の周囲へ警戒網を張り巡らせる術式であり、惑星型のような球形を取る。条件を設定することで、人ごみの中でも使うこともでき、生じた波紋を辿ることもできるため、有用性は高い。そのソナー・ウェーブを発動させていたなど、京介はまったく気がつかなかった。
「覚えたばかりの私の術式で探知されるなんて、追跡が下手なのか、あるいはバレても構わないと思ってるかのどっちかね。どうせ後者なんでしょうけど」
久美は探索系の有用性を、風紀委員会の活動を通じて理解していた。だから先日試験を受け、ソナー・ウェーブを習得したばかりだ。ちなみに敦も、サラマンダー・アイを習得したと言っていた。
「覚えたばかりだったか。その点だけは不覚だと言っておこう。だが確かに、バレても構わんさ。むしろいつ気付いてくれるのか、不安になっていたところだ」
「なら、もうしばらく放っといてもよかったかしら。でも家からずっとだもの。さすがに限界だったわ」
「お互い様、といったところか」
「女子高生を尾けまわしておいて、お互い様ってことはないでしょう。それに用があるのはあなたじゃなく、そっちの人でしょう?」
「それも気付いていたか」
「ソナー・ウェーブの境界ギリギリを歩いてれば、誰でも気付くと思うわよ」
「もっともだ。出てこい」
周囲の景色が歪み、影から一人の男が現れた。どうやらシャドー・ミラージュを使っていたらしい。だがその男は北欧系ではなく、どう見てもアジア系だ。
「日本人……?」
「俺は……俺はぁぁぁっ!!」
「な、何っ!?」
「あ、あいつ……なんか変だ!」
「京介!名村先生か井上君を呼んできて!それまでは抑えておくから!」
ここが明星高校の前だったことは幸運だった。夏休み中とはいえ、卓也は出勤しているはずし、敦は部活がある。四刃王となった卓也や敦となら、この場を切り抜けられる。久美はそう考えた。
「な、何言ってんだよ!姉ちゃん一人じゃ無理だ!俺も残る!」
だが京介は、久美の指示に従わなかった。虚勢を張っていることは一目瞭然だが、それにしても頑な過ぎる。まるで入学前に戻ってしまったようだ。だが今は、そんなことを考えている余裕はない。
「あの人が変だってわかってて、なんで言うこと聞かないのよ!」
「俺は足手まといなんかじゃない!生成できなくったって、飛鳥先輩に鍛えてもらったんだ!あんな奴、すぐに倒してやるよ!」
「やめなさい、京介!」
だがそんな京介をあざ笑うかのように、日本人と思われる男は刻印法具を生成した。
「なっ!?」
「こ、刻印法具!それも……二つも!?」
男が生成した刻印法具は剣状と拳銃状の二つだった。
現在日本で複数の刻印法具を生成することができるのは、飛鳥と真桜だけだ。しかも二つとも武装型などということはありえない。複数の刻印法具はどちらも形状が異なる。それが複数生成の利点であり、特徴でもある。
だが久美が躊躇したのは一瞬。事情は後回しでも構わない。今はこの場を切り抜けることが大事だということを、今までの事件で学んでいる。問題なのは生成と同時に発動されたヴィーナスの結界によって、京介共々閉じ込められてしまったということだ。
「う、うわあああああっ!!」
「ば、馬鹿!やめなさいっ!!」
だが恐怖に駆られた京介は、次々と術式を発動させ続けた。しかし効果がない。それどころか、正常な判断すらできなくなっている。
「くっ!京介!落ち着きなさい!!無闇に発動させても、印子を消耗するだけよ!」
京介が発動させ続けている術式は水属性のみだが、以前より精度は上がっている。だが恐怖に負けた京介は、自分だけではなく久美さえも巻き込んでいた。
「わあああああっ!!」
「仕方ない!」
久美はクリスタル・ミラーを生成し、京介をウォーター・チェーンで拘束し、ネプチューンを発動させた。
「ほう、A級を習得していたか。さすがにやるな。だがお前の相手は俺じゃない。やれ」
「俺に、指図……するなぁぁぁぁぁっ!!」
男が発動させたのはアイアン・ホーン、クリムゾン・レイ、ウイング・ライン、水性B級対象攻撃系術式スリート・ウェーブの四つの攻撃系術式。クリスタル・ミラーならば跳ね返すことは難しくはない。
「リフレクト!」
久美はすぐさま跳ね返した。ただ跳ね返しただけではなく、アイシクル・ランスとニードル・レインも織り交ぜている。同時にアクア・ダガーを発動させ、クリスタル・ミラーに氷の刃を纏わせた。
「ほう、そんな特性があるのか。珍しいものだな」
「それはどうも!あなたに言われても、嬉しくもなんともないけど!」
久美は氷の槍となったクリスタル・ミラーを地面に突き立て、フロスト・イロウションも発動させた。アクア・ダガーとフロスト・イロウション、そしてミスト・アルケミストを同時に使用することで、久美は絶対零度に近い冷気を生み出し、襲ってきた二人の男を拘束するつもりでいる。
「ぐっ!これは……まさか、絶対零度!?」
「私はまだ、そこまでの冷気は操れないわよ。ヘリウムを固体化させるのが精一杯」
「ほとんど絶対零度じゃないか。クリスタルにはこういう意味もあったわけか」
「さあね。だけどあなたはともかく、そっちの人は大丈夫じゃなさそうね」
「そのようだ。だが、頭を冷やすには丁度いいだろう」
「何をする気?」
「さてな」
「なら、力づくでも答えてもらうわよ!」
久美はトルネード・フォールとスノウ・フラッドを同時に発動させた。雪の竜巻がうねりを上げながら、男達に襲い掛かっている。
だが男は動かない。諦めているわけではない。むしろ逆だ。久美は取り押さえたままの京介にチラリと目を向けると、コールド・プリズンまで発動させた。
「水属性のB級術式を、ここまで使うとは……これはさすがに想定外だな。だが時間のようだ。残念だったな」
「えっ!?」
久美は驚愕した。今発動させている術式はネプチューン、トルネード・フォール、スノウ・フラッド、コールド・プリズン、ミスト・アルケミスト、フロスト・イロウション、アクア・ダガー、ウォーター・チェーンの八つ。ネプチューンとアクア・ダガーを除く五つの術式は男達の動きを封じ、ウォーター・チェーンは京介を抑えている。
だがネプチューンとアクア・ダガーを除く術式が、二つの刻印法具を生成した男によって、いとも容易く吹き飛ばされた。いや、ネプチューンもだ。刻印を撃ち抜かれた。だが余波によって、男も軽くない傷を負っている。
「まさか……!こんな無茶苦茶な破り方をするなんて、命が惜しくないの!?」
男はダイヤモンド・スピアを発動させ、ネプチューンをはじめとした、久美の術式刻印を全て撃ち抜いた。いくつもの術式を同時に破壊したため、余波は大きくなり、相乗効果によって、絶対零度の冷気となった。普通の人間や並の術師ならば、それだけで命を落とすだろう。
久美はスプリング・ヴェールと風性C級広域防御系術式カーム・キーパーの積層術を、自分と京介の周囲に発動させ、余波を防いだ。だが余波はすさまじく、無傷というわけにはいかなかった。
「俺は……俺が……俺こそが、最強なんだぁっ!!」
「なっ!!」
男は久美にバリオル・スクエアとスカーレット・クリメイションを発動させながら、突っ込んできた。このままでは二つの術式を久美が跳ね返すと同時に、右手の剣状刻印法具で斬られるだろう。久美はもちろん、男もただでは済まない。本当に命を捨てて襲い掛かってきているようにも見える。
久美はすぐに思考を立て直し、ガスト・ブラインドを発動させた。風の壁によって突進の勢いを削がれた男は、跳ね返された自身の術式をそのまま浴びてしまった。そこに再び、トルネード・フォールとスノウ・フラッドを発動させた。雪の竜巻に捕らえられた男は、徐々に平衡感覚を失い、冷気によって身体の感覚まで麻痺し、やがて意識まで失った。
だがそこに、致命的な隙が生じた。
「ゲホッ……ゲホッ!」
「ね、姉ちゃん!!」
「危ないところだった。まさかそいつを倒すとはな」
もう一人の男が発動させたダイヤモンド・スピアが、久美の腹部を貫いていた。
「クリスタル・ヴァルキリーがここまでの実力を持っているとなると、レインボーやオラクルも同様だと思う必要があるな。さすがに計画の見直しが必要か」
「お前!よくも姉ちゃんを!!」
「強がりはよせ。声が震えているぞ」
京介はまだ混乱していた。目の前で姉が重傷を負わされたという現実を前にしても、声が震え、足が動かない。だが退くことだけはできない。京介はブラッド・シェイキングとアイシクル・ランスを、久美を撃った男に向けて同時に発動させた。
「まだまだお姉ちゃんの足下にも及ばないな。お姉ちゃんが行けって言っていただろうに。お前が誰かを呼びにいっていれば、お姉ちゃんは死なずに済んだのになぁ」
「勝手に……殺すんじゃないわよ!」
「ほう、生きていたか」
腹部に刺さったダイヤモンド・スピアは既に消えている。だが受けた傷は本物だ。久美はクリスタル・ミラーで体を支えながら、ハート・ウォーターで止血し、コールド・プリズンを発動させた。
「京介……無理、するんじゃ……ないわよ……」
「ね、姉ちゃんこそ!そんな身体で無茶してるじゃないか!!」
「む、無茶でも、何でも……あの男を、生きて返すわけには……いかないのよ!!」
「くっ!なんて精度だ……!これでまだ、高校生だと!?」
コールド・プリズンが男の周囲の大気を氷らせている。コールド・プリズンは大気だけではなく、物質そのものを凍てつかせる。そのため相克関係を無効化する術式でもあり、土属性に適性を持つこの男も、かなり動きを封じられている。
「これで、決める!!」
そして久美は力を振り絞り、ノーザン・クロスを起動させた。
「う……うううっ……うううおおおおおおおおっ!!」
だが発動する寸前、倒したはずの男が立ち上がり、ヴィーナスを発動させた。
「嘘……でしょ!?」
「隙ありだ!」
そんな久美に向かって、再びダイヤモンド・スピアが発動された。
「や、やめろぉぉぉっ!!」
だがそんな京介の悲鳴に応えるかのように、突然ヴィーナスが割れ、久美と京介を守るように、強固な結界が展開された。
「なっ!?」
ダイヤモンド・スピアは結界に防がれ、ヴィーナスは何事もなかったかのように消え去った。男が驚くのも無理はないだろう。
「久美さん!」
「下がれ、京介!」
「い、井上先輩!?」
上空から現れた敦が、バスター・バンカーを構えながら降下してきた。その先にいたUSKIAの男は、敦のアンタレス・ノヴァによって、この世から跡形もなく燃え尽きた。
もう一人の男は、雪乃のエアマリン・プロフェシーによって捕縛され、アーサーのエア・ヴォルテックスによって再び意識を奪われた。
「久美さん!」
「傷が深い……!雪乃さん、結界を!」
「わ、わかりました!井上君、この人をお願い!」
「了解!」
アーサーの指示に従い、雪乃はエアマリン・プロフェシーとニブルヘイムを同時展開させ、外部からの干渉を遮断する結界を作り上げ、敦はライトニング・バンドで気を失った男を縛り上げた。それを確認すると、アーサーはウェザー・イリュージョンとヒート・ヘイズに刻印融合術を発動させた。
「我は聖剣エクスカリバー……。久しいな、アーサー」
「あれが……聖剣!」
「刻印神器の一つ……エクスカリバー……」
雪乃や敦も驚いているが、二人はブリューナクを、敦はダインスレイフも見ているため、腰を抜かすまでにはいたらなかった。だが京介は、初めて刻印神器を見た。こんなところで刻印神器を拝めるとは思ってもおらず、完全に腰を抜かしてしまった。
聖剣エクスカリバーは世界で初めて生成された光属性の刻印神器であり、魔剣レーヴァテインや魔槍ゲイボルグに次ぐ、三つ目の刻印神器でもある。
「挨拶は後だ。エクスカリバー、グレイルを使う。対象は彼女だ」
「これは珍しい。あの日以来、一度も我を生成しなかったそなたが、我を生成したばかりか、我を頼るとは」
「言うな!僕はグレイルを使うと言ったはずだ!」
「心得ている。いつでも使うがよい」
「よし!グレイル!」
アーサーの発動させた光性神話級支援系対象治癒術式グレイルが久美を包み、腹部の傷をふさいだ。対象術式であるグレイルだが、その光は周囲の者をも癒す。京介もその光を浴び、傷が癒されている。だが同時に、敦が拘束している男の左手にも反応を示した。
「え?これって……まさか!?」
「雪乃さん?」
「どうしたんです、委員長?」
「やっぱりだわ!」
雪乃はクレスト・レボリューションを発動させ、読み取った刻印をワイズ・オペレーターに記憶させると同時に刻印に干渉し、男から無理矢理刻印を引き剝がした。あり得ない現象を前に、敦もアーサーも、そして京介も驚きを隠せていない。
「こ、これは……!?」
「な、なんなんだ……これは!?」
「……刻印後刻術よ」
「なっ!?」
「なんですって!?」
自分で言っておきながら、雪乃自身も困惑している。禁忌の術式とされてから数十年。まだ続けられていたとは思ってもいなかった。
「この人にも見覚えがあります。名前は村瀬 燈眞。私より二つ年上の生成者です」
「に、日本人なんですか!?」
「ええ。後刻印は引き剝がせたから、後遺症の心配はないと思うんだけど……。それよりアーサーさん、久美さんは?」
「え?ああ、はい。グレイルが間に合いました。しばらくは安静にしてもらう必要がありますが」
「すごい術式ですね。さすがは神話級」
「あ、ありがとう、ございました!」
「京介君は大丈夫そうね」
「ですね。それじゃあ、お説教タイムだな」
敦も雪乃も、久美が京介を巻き込んだとは思っていない。刻印術に自信を持っていた京介だが、入学した瞬間、飛鳥によってその自信を砕かれた。最近では浩や瞬矢にも追い抜かれ、刻印術師としてのプライドは既にズタズタだ。
そんな京介が、素直に久美の指示に従ったとは思えない。
「それは……私の役目、よ……」
「水谷、気がついたのか?」
「意識なら、ずっと、あったわよ……。アーサーさん……ありがとう、ございます……」
「間に合って良かったです」
「委員長も、井上君も、ありがとう……」
「礼はいらねえよ」
「そうよ。私も井上君も、たまたま学校に用があっただけだから」
「おかげで、私は命拾い。さて、京介……」
「……」
「って言いたいけど、ちょっと辛いかも。飛鳥君に、お願いしておくわ」
「え……?」
アーサーのグレイルによって傷はふさがったが、失った血液は戻らない。そのため久美は、まだ身体を起こすことができない。それに飛鳥に任せた方が、京介のためになりそうな予感がする。
「アーサー……あの娘を、必ず守るのだぞ」
「雪乃さんを?もちろんそのつもりだが……どういうことだ?」
「刻印後刻術を見抜き、後刻印を排除するなど、並の腕ではない。誰が狙っても、おかしくはないということだ」
「確かに……ワイズ・オペレーターだけじゃなく、そんなことまでできる術師なんて、聞いたことがない」
アーサーも刻印後刻術のことは知っている。だがグレイルってを使っても、後刻印を排除することはできないし、何より後刻術だと見抜けなかった。そんなことができるのは、七師皇イーリス・ローゼンフェルトぐらいだと思っていたし、そのイーリスであっても、簡単ではないだろう。だが雪乃はやりとげた。しかもワイズ・オペレーターは、完全生成されていない。
(我にも予感はある。三条雪乃ならば、あるいは……)
「ん?何か言ったか?」
「気のせいだろう。アーサー、あまり長時間、我を生成しておくわけにはいくまい?」
「わかってる。それじゃあ」
約一年ぶりのエクスカリバーとの会話だったが、まだぎこちなく、アーサーから頼ったことは初めてだった。だがあのままでは、久美は確実に術師生命を奪われていただろう。雪乃と敦がいたことは、アーサーにとっても救いだったと言える。
「アーサーさん、今の話は……」
「聞こえてしまいましたか。みっともないところを見せてしまいましたね」
「いえ、そんなことはないですよ。エクスカリバーまで生成してくれて、ありがとうございました」
「久美さんがスプリング・ヴェールとエアー・シルト、それにハート・ウォーターを使ってくれていたからですよ。そうでなければ、間に合わなかったかもしれません。それにしても、久美さんにここまでの傷を負わせるなんて……」
「それに刻印後刻術か……。まさか、まだ続けられてたとはね……。おっと、委員長、そろそろ結界を解かないとヤバいですよ」
「そうね。久美さん、すぐに救急車を手配するから」
「大丈夫、ですよ」
「京介、ここで見たことは、他言無用だぞ。特に、エクスカリバーや刻印後刻術の件はな」
「わ、わかりました」




