2・入学式
――西暦2097年4月10日(水)AM8:20 明星高校 校門前――
「あっちは刻錬館。講堂はこっちだよ」
「すいません、ありがとうございます」
同じ中学から進学してきたであろう数人の女子生徒に講堂までの道を教え、真桜とエリーは新入生を見送った。
「やっぱり講堂がわからないっていう新入生が多いわね」
「さっきも刻錬館に行っちゃった新入生がいましたもんね。もうちょっとわかりやすくすればよかったのに」
「本当よね。あ、ちょっと待って」
「どうかしましたか?」
「あの子じゃない?久美の弟」
「……本当ですね。一人みたいですけど」
「待ち合わせしてる感じじゃないわね。ちょっと久美に聞いてみるわ」
誰かと待ち合わせをしているのか、それとも別の理由があるのか、それはわからない。なぜなら久美の弟――京介は視線を彷徨わせているというわけではないからだ。
「お待たせ。どう?」
「待ち合わせっていう感じじゃないですね。何してるんだろ?」
「久美に聞いたんだけど、久美の中学から進学する子ってけっこう多いらしいわ。ほら、あそこの中学だって」
「あそこって……材木座中学?近いですね。進学してくる子が多いのもわかるけど……」
久美の出身中学である材木座中学校は、明星高校からも見える。そのため進路先に選ぶ生徒も多く、明星高校は私立であるにも関わらず、約三割の生徒が材木座中学の出身だ。
「友達も何人か進学してきてるらしいわ。だからやっぱり、待ち合わせなんだろうけど……でも確かにそんな感じじゃないわよね」
同時に明星高校は、刻印学を本格的に取り入れている高校でもある。刻印学はどの高校でも教えられているが、明星高校は探索系と無系以外の5系統のうち3系統を選択科目として選ぶことができるようカリキュラムが組まれている、全国的にも珍しい高校だ。そのため県外から進学してくる生徒も少なくない。
「まあいいわ。困ってるようでもないし、私達は移動しましょう」
「そうですね。って、あれ?」
「こっちに来るわね」
「はじめまして、水谷京介といいます」
「は、はあ……」
「先輩、俺と結婚してください」
「……え?」
「ちょ、ちょっと待って。君、何言ってるの?」
真桜もエリーも、何を言われたのか、全く理解できなかった。だからエリーが聞き返してしまっても、それは当たり前の話だ。
「先輩に一目惚れしました。だから俺と結婚してください」
「悪いけど、私、彼氏……婚約者がいるから。それじゃね」
いきなり求婚されるなど夢にも思わなかったが、真桜は飛鳥以外の男と結婚するつもりはない。ましてや友人の弟だろうと、初対面でいきなり求婚してくる相手など、論外だ。冷却された思考で瞬時に判断を下し、真桜はこの場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってください!そんな奴のことなんか、すぐに俺が忘れさせます!だから俺と!」
「ちょ、ちょっと!何するの!離してよ!」
だが京介は真桜の手を離さない。
「婚約者なんて、しょせんは親が勝手に決めた相手じゃないですか。どうせつまらない奴なんでしょう?」
「この……!いい加減に……」
「京介!あんた、何してるのよ!?」
久美の介入がなければ、真桜は久美の弟が相手だろうと、容赦なく刻印術を発動させていただろう。
「げっ!姉ちゃん!?なんでここに!?」
「それはこっちのセリフよ!いきなり何言ってるのよ!馬鹿じゃないの!あれほど言ったのに、いきなり問題起こすなんて、何考えてるのよ!?」
「べ、別に俺はふざけてなんかないぞ。大真面目だ。問題でもないだろ」
「大問題よ!とりあえずこっちに来なさい!入学式が終わるまでは、私が直接監視するからね!」
「や、やめてくれ!何が悲しくて姉ちゃんと一緒に入学式に出なきゃいけないんだよ!?」
「あんたの都合なんて知らないわよ!いいからキリキリ歩きなさい!ホントにごめん、真桜!馬鹿な弟が迷惑かけちゃって!エリー先輩、望先輩も、すいませんでした!この子は私が、責任を持って監視しますから!」
久美は真っ赤になっている。昔から思い込みが激しく、自己の考えを貫くことが多い弟だったが、まさかいきなり真桜に求婚するとは思わなかった。しかも新入生だけではなく、在校生すらもが何事かと見つめている。在校生達は、いきなり真桜に求婚した新入生に憐みの眼差しを向けていたが、新入生達は何がなんだかわからないという顔をしている。これで京介が、今年度最大の問題児だということがほぼ確定してしまった。
その京介は、久美に引きずられるように講堂に向かっている。
「えっと……真桜ちゃん。大丈夫?」
「……大丈夫に見えます?」
「そうよね……。久美がイヤな予感がするって言うから来てみたけど、まさかこんなことになってるとは思わなかったわ」
「違います!あいつ、飛鳥のことを、つまらない奴、って言ったんですよ!?許せると思います!?」
「……そうなの?」
「言ったわね。もうちょっと来るのが遅かったら、間違いなく天罰が下されてたわよ」
「そっちの方が良かった気もするけど……とりあえず今日のところは、久美に免じて見逃してあげるしかないでしょうね」
「見逃す?誰を?何で?」
「だから落ち着いてよ、真桜ちゃん!今日は久美が、責任持って監視するって言ってくれたんだから!」
自分達に向けられているわけではない。だが真桜の視線には、絶対零度の冷気が宿っている。殺気がないだけまだマシだが、口数も少なく、そんな視線にさらされては、たまったものではない。
「ごめん、望!今日はこっち手伝って!」
「その方がよさそうね……」
エリーは言外に、自分だけでは真桜を抑えきれないと言っている。それは望も同意見だった。
さつきが卒業した今、真桜の暴走を止められるのは飛鳥しかいない。だがその飛鳥も、真桜がいきなり求婚されたとなれば、平静ではいられるわけがない。しかも京介はかなり強引だった。あれでは真桜だけではなく、飛鳥の暴走すら引き起こしかねない。
エリーも望も、早急な対策が必要だと判断し、議題の最優先事項にすることを決意していた。
――AM11:00 明星高校 風紀委員会室――
「ほんっとうにすいませんでした!」
あれからは特に問題もなく、入学式は無事に終了した。だが久美は、その問題を起こしたのが実の弟という事実に、頭を下げることしかできないでいる。
「事情は聞きましたから、それは別にいいんですけど……」
「久美、次にお前の弟が真桜に手を出したら、俺は黙ってるつもりはないぞ?」
予想通り、飛鳥の額には青筋が浮かんでいる。それもかなり大きい。
「もちろんよ。トラウマでもなんでも、好きなだけ植え付けちゃって。なんなら、再起不能にしちゃってもいいから」
「しっかし、よりにもよって真桜ちゃんに求婚するとはな。お前の弟って、よっぽどの命知らずなのか?」
「もう噂になってるわよ。明星高校のベスト・カップルに求婚した新入生がいるって。自殺志願者なんじゃないかって言われたわね」
飛鳥と真桜は昨年度の明星高校ベスト・カップルに選ばれていた。選ばれたと言っても投票があったわけではない。新聞部が恒例行事として取材を重ね、アンケートまで行った結果だ。だが同時に、デンジャラス・カップルにも選ばれている。飛鳥と真桜だけではなく、風紀委員会に在籍している刻印術師が生成者だということは、2年生も3年生も全員が知っている。風紀委員会に籍を置く刻印術師は男子一名に対して女子が四名。風紀委員会の生成者カップルと言えば、それは飛鳥と真桜のことを指す。つまり選ばれた理由は、生成者二人を同時に敵に回すから、という理由が大多数だった。神槍事件において、生成者の力はイヤというほど思い知らされた直後だった、という理由もある。
「なんとでも言ってください。もうあの馬鹿がどうなろうと、私は知りません」
久美は入学式が終わるまで、本当に京介から目を離さなかった。そして終わると同時に首根っこを掴み、強制的に自宅まで連れ帰り、先程戻ってきたところだった。
「でもなんでいきなり求婚なんかしたの?思い込みが激しいって言ってたけど、それにしちゃ強引だったわよ?」
「……目が合ったって言ってました。もちろん真桜は辺りを見回してただけなんですけど、本当に一瞬だけ、京介と目が合ってたみたいなんです」
「それだけなのかよ!?」
「はい。それで運命を感じたとか、わけのわからないことを言ってて……。真桜には飛鳥君がいるって何度も言っても、耳を貸さないし……」
「意固地、ってわけでもなさそうだな。もしかしてお前の弟、優位論者なのか?」
「いえ、それはなさそうです。友達は術師じゃない子ですから。昔っからなんです。思い込んだら一直線で、自分の考えを曲げなくて。私だけじゃなく、お父さんやお母さんも手を焼いてるんです」
「優位論者じゃないなら、とりあえずは一安心か。強烈なトラウマを植え付けて、考えを修正させた方が手っ取り早そうだな」
「その程度で変わってくれるなら、いくらでもやってほしいわよ」
優位論者は風紀委員にとっても完全なる敵だ。よほどのことがなければ和解など成立しないだろう。大河にとっても師匠の仇であり、もし久美の弟が優位論者なら、こちらから手を出していたかもしれない。だがそうでないなら、飛鳥や真桜にトラウマを植え付けてもらった方が早い気がする。どうやら久美も同意見のようだ。
「何にしても明日ね。みなさん、準備だけはしておいてください」
「わかってるよ」
「こんな早く、これを使うことになるとは思わなかったけどな」
「でもこれ、別の意味で使いにくいですよね……」
「そうよね。なにせまだ、一週間も経ってないんだから……」
風紀委員が目にしているのは、それぞれの刻印具に組み込んだ久世夫妻への緊急ホット・ラインのアドレスだった。飛鳥と真桜の暴走を止めることができるのは雅人とさつきだけであり、現在の明星高校にはそんな猛者は存在しない。そのためにさつきは、留年しようかと考えたことがある。さすがにそこまでさせるわけにはいかないと全員で止めたが、今では留年してもらった方がよかったかも知れないと思う。だが逆に、さつきならばあの場で即座に、再起不能に追い込んでいた可能性も高い。さつきにとって、真桜に手を出す輩は敵だ。強引に真桜に迫った京介を敵と認識されても不思議ではないし、むしろ当然だろうと思う。それはこの場の全員が身に染みて理解している。
そのさつきは、先週雅人と結婚式を挙げたばかりの新婚さんだ。だが新婚早々に大変申し訳ないことだが、万が一のために構築されたホット・ラインは、思ったよりも早く活用されそうだ。
「お願いします。それを使うぐらいなら、本当に再起不能にしちゃってください」
久美は新婚のさつきと雅人にまで、迷惑をかけたくない。むしろ再起不能になってもらった方が、性格が丸くなるんじゃないかとさえ思える。少なくとも自分は、弟のことで新婚の先輩達の手を煩わせるつもりなど全くない。失礼にも程がある。久美は本気でそう考えながら、家に帰ったら弟にきつく言い聞かせることを心に決めた。
――PM3:15 源神社 社務所――
「へえ、そんなことがあったんだ」
「よりにもよって真桜に求婚するなんて。久美の弟、とんだ命知らずね」
明星大学の入学式は来週のため、立花さつき、改め、久世さつきは、夫の雅人と共に源神社の社務所で事務作業をしていた。だがあまりにも不機嫌な顔で帰ってきた二人に、さすがに驚いた。
「今夜は水谷家で家族会議が開かれるでしょうね。久美は再起不能にしてもかまわないって言ってましたけど」
仮に家族会議が開かれてなくても、飛鳥は京介の態度次第では、本気で再起不能にするつもりだ。直接会ったわけではないが、真桜に手を出すなど、あまりにも不愉快だ。真桜は直接的な被害を受けただけではなく、飛鳥のことまで馬鹿にされたのだから、許す理由など微塵もない。明日から授業が始まるのだから、嫌でも顔を合わせる機会が増えるだろうことは想像に難くない。それならば早めにケリをつけるに越したことはない。昨年度に巻き込まれた数々の事件から得た教訓だ。
「早ければ明日には解決するだろうけど、あたし達も行った方がいいかしらねぇ」
「そうしたいところだけど、俺は明日、管理局に行くことになってるからな」
「そうなんですか?また何か問題が?」
「いや、神槍事件で明星高校と飛鳥、真桜ちゃんを守った功績から、昇進させてくれるらしいんだ。俺としてはそんなものに興味はないんだけど、結婚したわけだし、もしかしたら後々役に立つかもしれないからね」
「昇進ってことは、少尉ですか。おめでとうございます」
「ありがとう。そんなわけで明日は、どうしても管理局に行かなきゃならない。もちろん何かあったら話は別だが」
「久美の弟が相手なら、あたしだけでも十分お釣りが来るわよ。せっかくの叙任式をドタキャンなんかしたら、いつまで経っても昇進できないんじゃないの?」
雅人は源神社のすぐ近くに、新居を購入していた。まだ大学生の身で新居を購入など、普通ならば考えられないことだが、雅人は軍だけではなく、連盟にも所属している一流の術師だ。それだけではなく、時々テレビにも出演しているし、取材も受けている。そのために家一軒購入するぐらいの資金はとっくに貯めてある。
だが同時に、一家の大黒柱となったこともまた事実。今はまだ学生の身であるために、准尉という特別な階級と待遇だが、卒業すればそうはいかない。准尉は少尉と曹長の間という階級だそうだが、待遇は左官クラスにも匹敵するらしい。管理局は雅人の卒業と同時に、待遇はそのままで二階級特進させるつもりでいる。だからこその待遇らしいが、この度の昇進で雅人は少尉となる。それが二階級特進となれば、一気に階級は大尉となる。
他の軍人の皆様からすれば破格すぎる待遇に文句を言う者もいるわけだが、軍の上層部としてはこれぐらいは必要だと考えている。複数属性特化型刻印法具 氷焔之太刀もさることながら、既にソード・マスターとして高い実力と実績を示している雅人をただの一兵卒として扱うなど、対外的にも具合が悪い。
「それじゃ悪いが、明日は管理局に行かせてもらうよ」
「すいません、結婚したばかりだっていうのに、厄介なことに巻き込んじゃって……」
「別に厄介事じゃないさ」
「そうそう。なるべくあたしは手出ししないようにするけど、状況次第かしらね」
昨年度のような事件がそうそうあっても困るが、雅人はそのために、かなりの頻度で明星高校に顔を出していた。在校生の問題に首を突っ込むつもりはなかったが、刻印術師優位論者だけではなく、国防軍過激派までが絡んでいたのだから、むしろ学校側としても雅人の来訪、対応は非常にありがたいものだった。今回はそれに比べれば問題は小さいが、飛鳥と真桜が絡むとなれば話は別だ。問題の大小は関係ない。既にさつきの顔は、真桜の盾としての、一流の刻印術師のものとなっていた。




