20・生成要請
――西暦2098年2月14日(金)PM18:17 源神社 居間――
アクセル奪還の翌日、アクセルの身柄は再び鶴岡八幡宮に移された。
アクセルがアイザックに利用されたことで、日本とドイツ、そしてUSKIA上層部は緊張状態に陥り、他国も軍に警戒態勢を発令するほどになってしまっているが、アクセルはそれすらも認めようとはしていない。完全に意固地になってしまっているが、どこかで自分が死ぬこと、殺されることはないと思っているようだとは、監視についていたアルフの弁だ。
そんな中アクセルの母でもあるドイツの七師皇イーリスは、ドイツ政府が日本、並びにUSKIA政府にアクセルの身柄を最優先にするよう命令に近い要求を出していることに憤慨し、七師皇の立場を返上し、日本に亡命する用意があることを全世界に公表した。
イーリスは若い頃からドイツ最高峰の刻印術師であり、ドイツでは唯一の融合型刻印法具の生成者でもある。そのため交友関係も制限されていたし、結婚相手まで勝手に決められてしまった。幸い夫のエアハルトは知らない男でもなかったし、仕事も家庭も大切にしてくれているが、それとこれとは別問題だ。
そして今回の件、アクセルが暴走してしまった原因は、ドイツ在住時、ドイツ政府が子供達を過剰なまでに保護していたことが挙げられる。イーリスもエアハルトも医者という職業に就いているため、娘や息子と過ごす時間は普通の家庭に比べると少ない。幸い娘のリリーは素直な子に育ってくれたが、アクセルはそうはいかなかった。ドイツでも政府が揉み消したと思われる事件を、イーリスはいくつか知っている。
イーリスの日本亡命の件は既に他の七師皇にも伝えられており、日本の七師皇でもある一斗は苦い顔をしていた。ただでさえ刻印神器が国内に潜んでいるというのに、更なる問題を追加するなというのが一斗の本心だ。亡命するなら別の国にしろと面と向かって言ってのけもしたが、今は来日中であり、さらに日本には親友の菜穂もいて、極めつけに日本は世界でも一、二を争う刻印術大国なのだから、他に選択肢はないとあっさりとかわされたが。
「そういうわけだ。ドイツの動き次第ではあるが、ローゼンフェルト家は日本に亡命してくることになる」
「……」
「マジかよ……」
いきなり実家に現れた一斗にそう告げられた飛鳥と真桜は、何と言ったらいいのかわからなかった。
それもそうだろう。いきなりドイツの七師皇が一家総出で日本に亡命してくることになるかもしれないなど、下手をすれば現在進行形の問題より厄介なことになりかねない。というかその問題と同時進行など、普通に厄介事もいいところだ。
「アクセルの件は、それ程大きな問題だったということね。私としてもこんなことになるとは思わなかったから、謝ることしかできないわ」
イーリス達も事情説明のために源神社にやってきているが、あくまでも亡命は最終手段だと言う。最終手段でありながらもっとも現実味が高い選択肢でもあると言われてしまったため、飛鳥も真桜だけでなく、修練のために源神社に来ていた久美や雪乃も本気で頭を抱えている。
「……それで、ドイツ政府はなんて言ってきてるんですか?」
「今のところは何も。さすがにイーリスが、一家揃って亡命すると言い出したのは予想外だったようだ。まあアクセルの件は、俺やイーリスを除いた七師皇の総意を通達してあるから、余程のバカがトップでもない限り、前言は撤回されるだろう」
「前言っていうと、日本の刻印術師が何人死のうが、アクセルの命は絶対に守れっていうあれか?」
アクセルはドイツ国内でも多くの問題を起こしていたが、その問題はドイツ政府によって全て隠蔽されている。それがアクセルの増長を促しているのは間違いなく、イーリスは何度も政府に苦言を呈しているが、受け入れられたことはない。正確には担当している一部の高官が握り潰しているのだが、イーリスからすればその高官を好きにさせている時点で、ドイツ政府に対する信頼は落ちる一方だ。飛鳥の言う前言―いかなる犠牲を払ってでも、アクセルの安全を最優先とすること―も、その高官が一方的に突き付けてきているのだから、イーリスとしても堪忍袋の緒が切れたということなのだろう。
「その通りよ。言ってるのは一部の高官なんだけど、そいつらを放置してる時点で、ドイツ政府は信用できない。結果次第じゃ、本当に私達は日本に亡命するわ」
イーリスの決意は固い。娘のリリーは今日から源神社に、イーリスとエアハルトは鶴岡八幡宮に厄介になる予定となっている。アクセルが鶴岡八幡宮に軟禁されていることもあるが、現在ラピス・ウィルスに感染している敦やさゆり達は鎌倉市民病院に入院しており、源神社よりも鶴岡八幡宮の方が近いということも理由だ。
対してリリーは、適正的にも戦闘向きではない。だがイーリスとエアハルトはラピス・ウィルス感染の治療のために来日していることもあって、直接娘を守ることは難しい。だからこそ源神社に滞在することになっている。
「まあ、そういうことなら」
「だね。オウカもいるし、雅人さんやさつきさんもよく来てくれるから、大抵のことなら何とかなると思う」
「むしろこれだけのメンツがいて何ともならなかったら、どこにいても一緒でしょうからね」
現在の源神社には、飛鳥と真桜はもちろん、ロシアの七師皇でもあるニアの愛娘オウカがホームステイしており、久美、雪乃、瞬矢、瞳、勇斗も泊まり込んでいる。さらに討論会の準備と雪乃の護衛を兼ねて刻印五剣士のアーサーまで滞在しているし、他の五剣士もよく顔を出す。
つまり源神社には過剰とも言える戦力が集中しているため、生半可な戦力ではどうすることもできない。だからイーリスも、安心して娘を任せることができている。
「まあリリーのことは、しっかりと護衛しておくよ。で、親父。アイザック・ウィリアムやアゾットの生成者は見つかったのか?」
「残念ながらまだだ。ただ福島沖で、所属不明の軍艦が確認されている。だが確認のために派遣された海上保安庁を振り切り、北に逃走したそうだ」
「それ、怪しすぎない?」
「あからさますぎるぐらいにな。現在アルフ君に確認してもらっている所だ」
既にアイザックはUSKIA軍から完全に切り捨てられ、国家反逆罪で国際指名手配までされている。そのためもあってか、アイザックはUSKIAからの補給は一切受けられなくなっている。
にも関わらず、アイザックはおろか配下のインセクターの動向までが不明な現状は、日本国内に手引きをしている人物がいると推測される。さらにアイザックは七師皇にまで上り詰めた超一流の刻印術師でもあり、刻印神器アゾット生成者のラヴァーナも一緒にいると目されているため、世間一般には知らされていない。
だが軍や警察は厳戒態勢をとっており、休日を返上して任務に当たっている状態が続いている。
「アルフさんに?ああ、連中が使ってる軍艦はUSKIAのだから、アルフさんからUSKIA海軍に問い合わせてもらってるってことか」
「そういうことだ」
「代表、日本国内にいると目されている、アイザック・ウィリアムの協力者はどうなったんですか?」
所属不明船のことはUSKIAからの情報待ちになるようだが、そちらより問題なのは日本国内にいる協力者の存在だ。アイザックに付き従う者がどれだけいるかはわからないが、少なく見積もっても数十人はいると予想されているため、下手をすれば企業が関与している可能性も十分にあり得る。
「残念ながら手掛かりすらない。疑わしい者は何人かいるが、本人はもちろん、直近の部下が動くことはあり得ないからな」
「それはそうだが、だからと言って何もしないわけにはいかないだろ?」
「その通りだが、厄介なことに有力な政治家と懇意にしている輩もいてな。明確な証拠が出ない限り、迂闊に手出しができない状況だ」
「また面倒な……」
刻印術師は政治には興味を持たない者が多いが、全員というわけではない。少数ではあるが政治の世界に進出する刻印術師もいるし、江戸時代にも大名として名をはせた家もあると言われている。
現在一斗が疑っている最有力人物は、数年後には選挙に立候補するとも噂されているため、迂闊に手を出せば政治家からの圧力がかけられることは想像に難くない。政治家が圧力をかけてこようと連盟は突っぱねるし、事実として南徳光をはじめとした過激派に対する行為を問題視してきた政治家も存在する。その政治家は南の所業が明らかになるに至り、政治家生命を完全に断たれたが。
「まあ政治家どもも無能ばかりではない。連盟が目をつけていると知れば関係を断つ者も出てくるだろう。それにその人物のために多くの生成者、ましてお前達を敵に回すような度胸は日本政府にはないさ」
一斗の言う通り、日本政府の全てが無能ではない。第三次世界大戦を経たことで、当時の中国や朝鮮寄りだった最大野党や共産主義を標榜する者はほとんどいなくなった。だが規模を縮小したとはいえ、左翼派の政党は現在にも存在しており、今も神槍事件において使用された神槍ブリューナクを批判し、手放すよう主張している。
だが与党はもちろん、多くの野党はそんなことは考えてはいない。特に与党の上層部は、生成者が飛鳥と真桜だということを知っている。さらに政府は、雅人やさつきが二人に盾としての忠誠を誓っていることも知っているのだから、アイザックに協力している人物の肩を持つことは考えられない。
「飛鳥君や真桜ちゃんを敵に回すということは、七師皇や三華星、五剣士まで的に回すことと同義ですからね」
「もちろん私達もですけど。というかアイザック・ウィリアムに協力してる人って、本気で何を考えてるのかしら?」
久美の疑問はもっともだが、それは飛鳥にもわからない。定番だと金や権力が目的となるのだろうが、国際指名手配されている者を支援するなど、発覚した場合のリスクがあまりにも大きすぎる。
「メリット、デメリットの問題ではなく、脅迫されていたり弱みを握られていたりといったケースも考えられる。もっともその場合でも、罪は免れないが」
「ですよね」
飛鳥はもちろん、現七師皇の一斗も政治には興味がない。
アクセルの件が問題になっているのはわかるし、結果ローゼンフェルト家が日本に亡命してくるとなれば、日本とドイツの関係が悪化するしかないということは理解できるが、その先は政治家の領分だとも思っている。それにこの問題はドイツの決定によって大きく結果が変わるのだから、現時点で七師皇の総意を表明している刻印術師ができることはない。あるとすれば、イーリスに代わる新たな七師皇の選出ぐらいか。
「それでは本題に入る。飛鳥、真桜、ブリューナクを生成してくれ」
「は?本題?っていうかブリューナクをだと!?」
「な、なんでなの!?」
一斗のセリフに驚く飛鳥と真桜だが、これは無理もない。
確かに一斗から重要な話があると聞かされてはいたが、その話はローゼンフェルト家のことだと思っていた。それが本題でないとなれば、ふつうは驚くだろう。
「ニアやリゲルが言っていたんだが、刻印神器は互いの位置をある程度知ることができるようだ。もっともそのことを知ったのは、ここ一年ぐらいのことらしいが」
飛鳥と真桜が刻印神器ブリューナクを生成したのは、今から2年半程前になる。刻印術師優位論者に誘拐された大河と美花を救うために生成したのが初めてになるが、その事件は連盟にとっても政府にとっても、さらには刻印術師優位論者にとっても大きな問題を孕んでいたため、表沙汰にはならなかった。そのためニアやリゲルだけではなく、七師皇も雅人が解決したとしか聞いていない。
だから神槍事件においてその存在を正式に公表された神槍ブリューナクは、七師皇にも大きな衝撃を与えていた。
さらにそのブリューナクは、魔剣事件や総会談襲撃未遂事件でも生成されていることもあって、神器生成者達も大きな関心を寄せている。
そして先の平家事件において、ニアの魔剣レーヴァテインとリゲルの魔槍ゲイボルグは、ブリューナクが関門海峡近辺で生成されたことを知り、それを確認するために互いが生成されたことも感知していた。
故に先日、ブリューナクとアゾットが日本、鎌倉市内で生成され、戦闘まで行っていたことも感知してはいたのだが、生成されない限りは場所を特定することができないこともあって、二人も言い出しにくかったらしい。
「そんなことができたんだ……」
「けど親父、聞く限りじゃ生成されないとわからないんだろ?それなら俺達がブリューナクを生成しても、結果は同じじゃないか?」
「その意見には同意だが、こちら側には刻印神器が四つもあるし、内一つはアゾットと同じ魔剣、一つは対の属性を持つ聖剣だ。四つ揃えば完全には無理でも、大まかな潜伏場所ぐらいは絞り込めるかもしれない」
「だから飛鳥君と真桜ちゃんにも、近いうちに召集がかかることになっているのよ」
驚きが重なる。四つの刻印神器が揃うということは、それぞれが実際に生成するということを意味する。そんなことが行われるのは、間違いなく世界初の事態だ。
「つまり……ブリューナクだけじゃなく、ゲイボルグやレーヴァテイン、エクスカリバーまで生成しろってことか!?」
「そうだ。これは先の七師皇会談で正式に決まった。前世論の討論会のこともあるから、明後日には実行に移してもらう」
「同時に雅人君達刻印五剣士、雪乃ちゃん達ヴァルキュリアも護衛として参加してもらうことになったわ。これはブリューナクの生成者が、未だ公式には非公開になっていることも理由ね」
「わ、私達もですか!?」
「そうだ。目くらましの意味もあるが、君達の実力を評価してのことでもある。井上君や一ノ瀬さんのことがあるから、四刃王や秋本君を動かせないという理由もあるが」
一斗にそう言われ、雪乃も久美も一応ではあるが理由は理解できた。理解できたが、それでも簡単には納得できそうもない。
アゾットを除く全ての刻印神器が一堂に会するなど、間違いなく初めての事態なのだから。




