19・ブラッド・スナイパー
――西暦2098年2月13日(木)AM0:37 相模湾――
「まさかこんな所に潜んでいたとはな。灯台下暗しとはよくいったものだ」
深夜の鎌倉の町に、海を見ている一人の男がいた。真冬の真夜中という最も冷え込む時間だというのに、そんな様子は微塵も感じられない。着込んでいるコートに刻印化されている刻印術によって冷気を遮断しているからだが、それぐらいの衣服は町のどこでも売っている。
男が異様に見えるのは、肩に担いでいる長い棒のような物を持っていることだ。
「距離は約10キロか。総会談の際に停泊していた軍船とほぼ同じ位置だが、だからこそこちらは真っ先に調べている。それを見越した上でそこに停泊するとは、完全に裏をかかれた。だが見つけた以上、任務は果たさせてもらうぞ」
男は肩に担いだ棒を右手だけで構えると、躊躇いなく引き金を引いた。
「……印子反応から察するに、船内にいるのは全部で27人か。思ったより少ないが、少数精鋭ということかもしれないな」
男が発動したのはイーグル・アイ、モール・アイ、そしてソナー・ウェーブの3種の探索系術式。手にした棒状の物は長銃状武装型刻印法具アサシンズ・シーカー。探索系に適性を持ち、刻印法具によって印子による個人特定すら可能とする暗殺者の目が、問題の軍船内部を見渡している。
その暗殺者の目が、ついに目標を発見した。
「夜だから油断があるのか、それとも夜だから外に出すことができたのか。どちらでも構わないが、目標の確保が最優先だな。残り二人のターゲットは……いないか。さすがにこれだけで作戦を遂行してるとは思えないから、別の場所に潜伏していると見るべきだな。こちらアサシン。ターゲットを確認した。見張りは甲板上に5名。ターゲットも出てきている。制圧は速やかに、そしてターゲットの安全を最優先で。以上だ」
「こちらアルファ1、了解。協力に感謝します、ミスター・アサシン」
「礼はいい。0045より援護を開始する。巻き込まれないように気を付けろ」
「了解」
男が連絡したのは、新たに刻印五剣士となったアルフレッド・ラヴレスだった。USKIA海軍の一部隊を率い、今回の作戦に積極的に参加することで問題解決に奔走したことをアピールし、祖国が国際社会から孤立しないように努めている。アルファ1とはアルフが率いている部隊につけられた部隊名であり、アルフのコールサインでもある。
「時間だな。聞こえるか?これより援護を開始する」
男はアサシンズ・シーカーに新たに印子を流し、発動させている探索系術式を照準に、その照準から刻印術を発動させた。発動したのは無性S級攻撃干渉探索系術式ニードル・ブラスター。大気から氷を生み出し、直径1マイクロメートル、長さ1センチメートルという極細の針と成し、命中と同時に爆風による衝撃波を発生させることで、体内の組織を破壊する。針の数は術者の意志によって無数に数を増やすこともできるし、探索系視野拡張という自身の特性と探索系遠隔照準というアサシンズ・シーカーの特性を活用することで、射程距離は視認できる距離ならば制限もない。
そのニードル・ブラスターが、探索系として使われていたソナー・ウェーブを照準にして発動したために、甲板上にいた人影は、ターゲットを除いて即座に全員が動くことを永遠に止めてしまった。
「こちらアルファ1。ターゲット確保に成功。アルファ4、5を護衛につけています」
「了解。すぐに回収を要請しておく。艦内にはあと21名残っているが、援護は必要か?」
「ありがたいが大丈夫です。ですが念のため、ブリッジにある機材を破壊していただけると助かります」
「了解。ブリッジ内を破壊するから、誰も近づかないようにしてくれ」
「了解」
見えない位置から見えない攻撃によって、姿を見せることなく確実に任務をこなす。残されるのは針に貫かれながらも鮮血を散らしながら息絶えた死体のみ。
これがブラッド・スナイパーの由来であり、射撃系の称号があれば真っ先にその名を連ねるとされている久世信人の戦い方だった。
「どうやら終わったようだな。雅人か?こちらは終わったぞ。ああ、彼も無事だ。これで飛鳥達の心配も、少しは払拭できただろう。いや、いなかった。わかっている。お前はしっかりと二人を守っていろ。ああ。それと、早く孫の顔を見せろよ?わかっている。ああ、おやすみ。……さて、尋問はUSKIAに任せて、今日は寝るとするかな」
息子との会話を終えた信人は、アサシンズ・シーカーを刻印に戻し、帰路へとついた。
――西暦2098年2月13日(木)AM7:37 鎌倉市民病院――
USKIA軍によって救出されたアクセルは、鎌倉市民病院の一室で眠っていた。昨夜遅くに、アルフの手によって運び込まれたアクセルは興奮状態だったこともあって、今は睡眠薬によって眠っている。ヒーリング・ルームの沈静作用も効果があったのだろう。
「バカな子ね……。だけど無事で良かった……」
無事に帰ってきてくれた息子の手を握りながら涙を流すイーリスだが、その顔には七師皇としての威厳はなく、母親の慈愛に満ちていた。
「ありがとう、アルフ君。本当にありがとう」
エアハルトはアルフの手を握り、心からの感謝を伝えている。
「お礼を言われるようなことではありません。俺は任務を全うしただけですし、その任務も尻拭いだったんですから。それに俺の部隊だけでは、おそらくこうも上手くアクセルを救出することはできませんでした」
「ブラッド・スナイパーか。噂は聞いていたが、君にそこまで言わせるとは……」
「さすがは雅人の父親ということなんでしょうね」
インセクターの軍船は、上杉をはじめとする刻印管理局が情報の洗い直しをしている際、偶然発見していた。それの情報をアルフに渡す際、日本側が用意した刻印術師が雅人の父、ブラッド・スナイパー久世信人だった。
本来信人は日本中を駆け巡る腕利きのビジネスマンであるため、こちらから連絡をすることはあっても協力を要請することは難しい。だが今回は、たまたま休暇で鎌倉に帰ってきていたために、一斗が協力を要請することができた。2月という時期にも助けられたといえるだろう。もし3月になっていたら、決算期と重なることもあって絶対に無理だ。
「それで、その……とても聞きにくいことなのですが、アクセル君はどうされるおつもりですか?」
アルフの疑問は当然のものだった。
アイザックによって拉致されたとはいえ、発端となったのはアクセル自身の行動だ。幸い大きな問題になる前に救出できたが、アルフとしては早すぎたのではないかと思えてしまう。拉致されるまでの数日の行動と救出直後の様子を見る限りでは、アクセルが反省しているとは思えない。
「政治には疎い私でも、アクセルの行動が国際的に大きな波紋を呼んでしまったことは理解している。刻印具は取り上げ、京都の連盟本部に軟禁することになるだろう。反省していないようなら、今度こそ命を失っても文句は言えない」
既に一斗には、ドイツ政府からの抗議文が送り付けられている。内容は何があってもアクセルを救出しろというものだが、その内容に怒ったのがドイツの七師皇だ。ドイツ政府によって結婚相手を決められたイーリスは自国の政府を快く思っておらず、だが立場上表だって反抗することもできなかった。
だが今回の件、ドイツ政府は突然アイザックと思われる男からアクセルの拉致を告げられ、ロクに調べることもせずに一方的に日本を糾弾したのだから、イーリスとしては我慢がならなかったのも仕方がないかもしれない。
この後USKIA政府からもドイツ政府に連絡がいくことになっているが、ドイツの対応次第では事態が悪化することも十分に考えられる。
「アクセル君の発見が早く、監禁場所にアイザックとラヴァーナがいなかったことから考えると、アイザックの目的はUSKIAとドイツ、そして日本の関係を悪化させることだったのかもしれませんね」
「どういうことだい?」
「アクセル君を拉致すれば、事情はどうあれドイツが日本を糾弾することはわかっていました。なにせ他国で七師皇の息子が拉致されたんですから、これはわからない話ではありません」
「うむ、それはそうだ」
「政治的な問題もあるでしょうし、その程度のことは日本も承知の上でしょうから、ここまではとりあえずよしとしますが、今回問題になるのはアクセル君の拉致を最初にドイツに伝えたのがアイザック・ウィリアムだということです。聞く限りではアイザックは善良な一市民を装っていたとのことですからね。ドイツも頭から信じたわけではないでしょうし、アイザックからもたらされた情報だったら日本を糾弾することもなかったでしょうが、結果的にドイツは日本からでもUSKIAからでもなく、第三者と信じている実行犯の言葉を信じることになってしまった。アクセル君が拉致されたのは動かしようのない事実ですからね」
アイザックの狙いはアクセルの命ではなく、アクセルの存在によって日本、ドイツ、USKIAの関係を悪化させることにあった。もちろん全て上手くいくとは思っていないし、アクセルに目を付けたのは偶然なのだから、失敗しても構わないぐらいの作戦だったのだが、これが思いのほか上手くいってしまったのだから、アイザックとしては笑いが止まらない状況だ。
「解決したのがUSKIA軍でもある以上、アイザックは大国の威信を回復するための手始めにすぎない、そういうことかい?」
「おそらく、としか言えませんが。もちろん穴もありますし、最初からアクセル君の拉致を視野に入れていたとは思えませんから、疑問がないわけじゃありませんけど」
信人が協力したことは、当然ドイツにも伝えてある。だが軍を動かしたUSKIAと、たった一人の刻印術師しか派遣しなかった日本では、ドイツはUSKIAに肩入れすることになるのは当然だろう。もちろん日本も刻印管理局を動かしているのだが、実際に救出したのがアルフという事実は変えられない。
「そう考えると、アクセルの救出は日本がするべきだったということになるのか?」
「わかりませんが、どこにアイザックとラヴァーナが潜んでいるかわかりませんし、討論会のこともありますから、日本は迂闊に軍を動かせません。ドイツもそのことは知っているはずですが、既に結果は出てしまっていますから、あとはドイツ政府がどう判断をするか……」
アクセル拉致の犯人がUSKIA軍から脱走し、国際手配もされている元七師皇、アイザック・ウィリアムだということは、ドイツ政府も知っている。だからUSKIAが解決するのは当然だと思っているドイツ政府高官もいるが、やはり七師皇、イーリス・ローゼンフェルトの息子が誘拐されたという事実に惑わされている。
「そのことについては考えがあります。ドイツ政府は反対するでしょうが、幸いにも前例がありますからそれで押し通します」
「わかりました。では自分は戻ります。ここは日本軍とUSKIA軍が合同で監視していますから、どうぞご安心ください。それでは」
日本は確かに迂闊に軍を動かすことはできない。だがUSKIA軍と合同で病院を監視し、要人を警護することはできる。というかしないと、国の面子にも関わってしまうため、派遣しないという選択肢はありえない。
アルフからすれば、今回のことはUSKIAの失態、というより恥部の暴走なのだから、出来れば自分達でケリをつけたいと思っている。だがそれが出来ないことも理解している。日本はもちろん、中華連合、アジア協和連合、フランス、ロシア、さらにはドイツまで巻き込んでしまい、それが公になってしまっているのだから、下手にUSKIAだけで処理してしまうことは、大きな禍根を残すことになり、最悪の場合USKIAが孤立する可能性すらある。
だからアルフだけではなく、USKIA軍は全力を以て今回の任務にあたっている。
「……ねえ、エアハルト」
「なんだい?」
「私は決めたわよ」
そしてイーリスも、決意を固めていた。息子、そして娘を守るために。




