5・日本刻印術連盟
――西暦2096年8月1日(水)14:39 護刻院神社 日本刻印術連盟本部――
日本に住む刻印術師の総本山、日本刻印術連盟は京都の護刻院神社境内にある。代々護刻院神社で神職を務めてきた鞍馬家が宮司となり、表向きの行事を担当している。無事に花火大会が終わり一息つけたと思っていた矢先に、いきなり連盟本部へ呼び出されたのだ。他でもない父に。
「お待たせ、二人共」
「さつきさん、もう終わったんですか?」
「ええ。何とかってところだけど。それより雅人は?」
呼び出されたのは飛鳥と真桜だけではなく、さつきと雅人もだ。四人とも呼び出されてしまっては、神社に誰もいなくなってしまう。
だがその程度のことは想定済みだ。代理(?)としてさつきの兄 立花 勇輝が送り込まれた。今頃勇輝は社務所辺りで、慣れない事務作業に四苦八苦していることだろう。
「終わった直後に親父に呼ばれてました。かなり不安そうな顔してましたが」
さつきより一足早く用を済ませた雅人は、すぐに代表に呼ばれた。だが面会時間まではまだあるため、突然の呼び出しは不審でしかない。事実として雅人は、本気で嫌そうな顔をしていた。
「……気持ちはわかるけど、まさか本部でそんなことはしないでしょ」
「そう思いたいんですけど……」
「前科が多すぎます。いっそのこと、それを理由に解任してもらってもいいぐらいです」
掛け値ない飛鳥の本音だった。
「辛辣ねぇ。だけどそうなったら、鎌倉に戻ってくることになるんじゃないの?」
「ぐ……」
ぐうの音も出ない、とはこのことだろう。確かにその場合、両親とも源神社に帰ってくることは確実だ。
「さつき、終わったのか。合格したのか?」
そこに雅人が戻ってきた。
「おかげさまでね。雅人も合格したんでしょ?」
さつきと雅人は何かの試験を受けていたようだ。だが連盟からの呼び出しが急だったこともあり、用意も準備も対策も、何もできていなかったはずだ。それでも合格したのはさすがだろう。
「なんとかね。それより代表が呼んでるよ」
「代表が?あたし達を?なんで?」
「そこまではわからないな。一時間後に執務室まで来てくれとだけしか聞いてない」
雅人が何の用で呼ばれたのかはわからないが、伝言を頼まれたのはおそらくついでだろう。
「……雅人さん、呼ばれたのは俺達四人だけですか?」
だが飛鳥は怪訝な表情を浮かべている。
「ああ、そうだよ」
「なら、考えておく必要がありますね……」
「そうね……。普通なら芸がないと言いたいところだけど、逆に裏を掻かれる可能性はあるものね」
「さすがに連盟本部じゃ……とは言えないな。幸い時間はある。執務室の見取り図もあることだし、対策を考えておこう」
「賛成です」
執務室襲撃を企てているようにも聞こえる会話だが、誰もそんなことは考えていない。むしろ警戒している側だ。連盟本部という多数の刻印術師が訪れるこの場所でするべき会話ではないが、四人とも気にした気配はない。気にする余裕もない、と言う方が正解だろう。四人は対策を練るため、境内に軒を構えている茶店に足を向けた。
――PM16:00 日本刻印術連盟 執務室――
「久しぶりだな、飛鳥、真桜。元気だったか?」
「……その前に親父、聞きたいことがある」
言葉と裏腹に、してやったり顔をしている父だが、飛鳥の額にはとても大きな青筋が浮かんでいる。
「お前がパパにか?珍しいじゃないか。言ってごらん?」
「誰がパパだ!一度も言ったことないだろ!」
冷静になろうとした飛鳥だが、やはり無理だった。殺意のゲージは一気に急上昇だ。
飛鳥達の目の前にいる、人を食ったような顔をしているこの男こそが三上 一斗。飛鳥の父にして真桜の義父であり、連盟の代表でもある。
「……お父さん、私達が聞きたいのは、なんでここに大河君と美花がいるのかってことだよ」
執務室にいたのは一斗だけではなかった。驚くべきことに大河と美花の姿がある。この二人がここにいるなど、予想できるはずもない。だがその理由は、他ならぬ大河の口から語られた。
「俺達が貰った刻印具の経過報告とカスタマイズ、アップデートのために呼ばれたんだよ」
理由そのものは納得できるし、当然とも言えるものだった。
「いきなり小父さんに呼ばれたから何事かと思ったけど、当たり前の話だったから来たの。こんな罠があったなんて思わなかったけどね……」
美花も全て理解できたようだ。
「何で私達に隠す必要があったの……?」
真桜の疑問も当然のことだ。一緒に呼びつければいいだけの話であり、別々に呼びつける理由はない。
「もちろん、ダディから可愛い娘へのプレゼントに決まってるじゃないか」
だから一斗のセリフに、一同揃って脱力していた。
「ダディって誰よ……」
「私達、プレゼントだったのね……」
「人扱いされてなかったのかよ……」
もはや誰も口を開く気力すら残っていなかった。
「おいおい、久しぶりに顔を合わせたのに、随分だな。まあいい。いくつか伝達事項がある。座りなさい」
言葉と裏腹に満足げな表情を浮かべた一斗が、着席を命じた。
「……それで親父、大河と美花を呼びつけた理由はわかったけど、なんで俺達も呼びつけたんだよ?」
「さつき君の刻印宝具の報告。そしてさつき君、雅人君の再試験だ」
「さつきさんの宝具はわかるけど、再試験って何なの?」
「必要性は感じられないよな」
「俺もそう思う。なにせ二人共、密かに仕込ませておいた最上級難度の試験を、あっさりとクリアしていたからな」
さつきと雅人が眩暈を覚えて倒れそうになったとしても、誰が責められるだろうか。
「初めて受けた試験ですから、あれが普通だと思っていたんですが……」
「あたしもです……。そんなもの仕込まれてたなんて、夢にも思いませんでしたよ……」
「お父さん……さつきさんと雅人さんに恨みでもあるの?」
「あるわけないだろう。さつき君も雅人君も、クリアできるだろうことはわかっていたからな。さすがにあんな簡単にクリアされるとは思ってなかったが」
「もういい……。ならなんで、俺と真桜まで呼ぶんだよ?」
「パピィに会いたい頃だと思ったからだ」
一斗は即答した。
「思ったことねえよ!それにパピィってなんだよ!ふざけんなよ!」
だから飛鳥は、思わず叫んでいた。真桜も真っ赤にした顔を両手で覆っている。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい、と本気で思っている。
「……代表、そろそろ本題を」
「そうだな。飛鳥に付き合っていたせいで、余計な時間を食ってしまったようだ」
何かが切れたような音が聞こえた、と言われても、空耳だと言い切ることは誰にもできなかっただろう。
「殺す!ぜってー殺す!!」
「落ち着け、飛鳥!話が進まねえだろうが!!
「そうよ!だからリボルビング・エッジなんか生成しないで!!」
誰がどう見ても、話を逸らせていたのは一斗だ。だが責任を押し付けられた飛鳥は、どれだけ文句を言っても言い足りない。ゲージがあれば既に振り切っているであろう殺意が、リボルビング・エッジの生成という行動へ繋がっても不思議なことはない。そんな飛鳥を、大河と美花が必死になって止めている。
「おふざけはここまでにしよう。雅人君、さつき君、大河君、美花ちゃん。すまないがこれは家族の話でもある。付き合わせてしまってすまないが、境内の茶店で待っていてくれ。請求は連盟宛てで構わない」
一転して真面目な顔になった一斗に、さすがに全員が驚愕している。だが同時に事の重大さを悟ることになった。
「わかりました。それでは失礼します」
一礼し、さつき、雅人、大河、美花は執務室を出ていった。豹変と言い切れる父の態度に、さすがに飛鳥の怒りゲージもゼロまで低下している。
「親父、何かあったのか?」
「ああ。明星高校の2年生に、神崎 優菜という女子生徒がいる。会ったことはあるか?」
間違いなく本題。それも四年前、飛鳥の母と真桜の父が亡くなったあの事故の話だ。
「夏休みに入る前、俺と一緒に巡回していた先輩に投擲状消費型を投げてきた。狙いは俺だったと思うけど」
「あの子がお前にか?そんなはずはないんだがな……」
「それだけじゃない。モール・アイとドルフィン・アイを使う術師の先輩達が、彼女の存在を感知できなかった。確か神崎先輩は、術師じゃなかったよな?」
「その通りだ。当時の代表が、あの事故に不信を抱いて調べてくれた。神崎優菜の家系は刻印術師ではない。なぜあの事故を起こしたのかも、お前達に説明した通りだ」
「だからあの事故で天涯孤独になった神崎先輩を、連盟が保護したんだったよな」
「やっぱりあの事故のことで、私達を恨んでいるの?」
飛鳥も真桜も、事故の詳細を知っている。だから優菜ことを恨んでなどいないし、むしろ彼女も被害者だと思っている。優菜がどう思っているのかまではわからないが。
「違うとは言い切れない。何度か会っているが、複雑そうな顔をされるからな。当たり前の話だが」
微かな苦笑を浮かべながら、一斗はその時の様子を思い出していた。
「もしかして親父、神崎先輩には真実を伝えてないのか?」
「高校を卒業したら話すつもりだ。それまでは伝えるべきではないと思っている。問題が大きいからな。飛鳥、お前はそれが間違ってると言いたいのか?」
「わからない。だけど、春の事件は知ってるだろ?」
「報告は受けた。渡辺征司の監視も続けている。そうか。お前は彼女の背後に、何かがいると思っているのか」
「可能性じゃなく、現実の問題だろ。術師でもない人間が、先輩達のモール・アイとドルフィン・アイの監視網から逃れられるわけがない。俺のドルフィン・アイでもわからなかったからな」
安西のモール・アイ、雪乃のドルフィン・アイはまだ拡張の余地があるとはいえ、高校生としてはかなり高いレベルで行使されている。風紀委員にとって毎年一番忙しいと言われる試験明け週間で、飛鳥も真桜もそれを実感している。だが優菜は、そんな二人の探索系術式はおろか、飛鳥のドルフィン・アイを以てしても所在不明になることがあった。一流の術師であっても難しいというのに、ただの高校生にできることではない。
「お前のドルフィン・アイから逃れるとなると、相当厄介だな。わかった。早急に手配しよう」
「渡辺征司の監視の強化もな。雅人さんから聞いてるかもしれないけど、かなり面倒なことになりそうだからな」
「そちらは既に対処済みだ。管理局も動いている。雅人君とさつき君も同様だ」
「雅人さんとさつきさんも?どういうことなの?」
「九月から渡辺征司を復学させる予定だ。その際、監視を二人に引き継ぐ。今日ここへ呼んだのはそのためでもあるからな」
「九月って早すぎるだろ!それ以前に、あいつが更生するわけがない!」
「俺も直接会ったから、お前がそう思う気持ちも理由もわかる。だが連盟にも連中の手が回っていてな。俺のところへ話が来た時には、既に結論が出されていた」
「そんな……」
「誰だよ、そんな結論を出したのは?」
「北条時彦」
短く答えた一斗に、飛鳥も真桜も驚きを浮かべ、声を荒げていた。
「北条って、まさか、あの!?」
「粛清されたって聞いてたのに……」
「粛清されたのは時彦の父親だ。時彦はUSKIAに留学していたため、あの件に関してはアリバイが成立しているからな。それに時彦はまだ若い。渡辺征司の件は、北条の名を利用した一派と連中の利害が一致したためで、時彦は関わってはいない」
「じゃあ北条は、渡辺の件を知らないってことか?」
「断言はできんがな。だが仮に知っていたとしても、時彦にはそこまでの力はない。雅人君同様、若手の中では有数の実力者だが、それだけで連盟は動かないからな」
「利用するだけ利用して、いざとなったら切り捨てるってこと?連盟にもそんな人達がいたなんて……」
「それだけ刻印術師優位論の問題が根深いということだ。連盟にもそう唱える術師がいないわけじゃない。それどころか優位論者が議員になっているからな。連盟議会もよく荒れているぞ」
さすがに想定外だった。連盟に刻印術師優位論者はいないと、飛鳥も真桜も思っていただけに、一斗の話は驚き以外の何物でもない。
「それ、大丈夫なのかよ?」
「そうよね。私達にだって危険だってわかるわよ?」
「今の所はな。お前が渡辺征司を拘束してくれたおかげで、今は大人しくしている。しかも理由が理由だったからな。いかに優位論者でも、庇いだてすることは自殺行為だと理解しているさ」
誠司は衆人環視の中、さしたる理由もなく、いきなり鬼切丸を生成し、飛鳥に襲いかかり、返り討ちにあった。負けただけなら無理やり理由をこじつけることもできただろうが、多くの生徒の前で生成したという事実はいかんともしがたい。一人二人なら買収なり恐喝なりで抑え込むことも可能だが、あの時食堂にいた生徒全員となると、とても無理だ。
「じゃあ、連盟の対応が遅れたのは……」
「察しの通りだ。まったくもって情けない話だが、だからお前達が中華街で暴れたことが、問題にならなかったとも言える」
一斗の答えに、飛鳥も真桜も複雑そうな表情を浮かべた。
――PM16:46 護刻院神社 境内 茶店――
「おう、飛鳥。もういいのか?」
「ああ。ってさゆり?何でここに?」
一斗との話を終えた飛鳥と真桜は、雅人達と合流するために境内の茶店へ足を運んだ。だがそこで二人を待っていたのは、雅人達だけではなかった。
「みんなが連盟に来るって聞いたから、顔を見にきたの。受けたい試験もあったしね」
「試験って、許諾試験?何を受けたの?」
「それは秘密よ。って言っても、土属性だっていうことはわかってるだろうけど」
「そりゃな」
「一ノ瀬は土属性の適性が高いのか。勇輝と同じだな」
「あれ?勇輝さんって火じゃなかったんですか?」
「確かに火も得意で攻撃系特化っていう特性があるから勘違いされがちだけど、兄さんの生来の特性は土属性かつ干渉系よ」
さつきの兄にして雅人の親友 立花勇輝は、刻印宝具こそ生成できないものの、若手の中では有力な術者として名を上げられている。さつきの兄だけに手も口も悪いが、飛鳥や真桜にとってはもう一人の兄と言える人物であり、今は源神社で苦手な事務作業に悪戦苦闘しているだろう。
「さつき先輩、お兄さんがいたんですね」
「たしかさゆりもお兄さんがいるって話よね。同じ妹同士、話は合いそうだわ」
「ですね」
飛鳥も真桜も雅人も、果ては大河や美花までも何か言いたそうな顔をしている。特に大河と美花にとって、立花兄妹は師匠とも言える存在であり、大河は土、美花は火という特性上、勇輝の指導や助言は、連盟謹製刻印具を使うために大いに役立てられていた。さつきとよく似た―さつきが勇輝に似たと言うべき―さっぱりとした性格のため、男女問わず人気も高い。
だが兄妹揃ってトラブル・メーカーでもあるため、修行の合間に散々引っ張り回されたという過去もある。それは飛鳥と真桜も同様で、親友である雅人に至っては日常茶飯事だった。さらにさつきは姐御肌的な性格が知られているし、飛鳥と真桜を弟妹と言い切っている。さゆりの兄のことは知らないが、さつきが妹だということを知っていても、疑わずにはいられない時もある。
「そういえば、小母さんもここにいるんでしょ?私達昨日から来てるんだけど、全然会わなかったわ。どこにいるの?」
不意に美花が話題を変えた。息子、娘の親友ということで一斗とはよく顔を合わせていたが、母は一度も見ていない。確かに不自然な話だ。
「そう言えば見てないな。飛鳥、聞いてないのか?」
「いえ、何も。親父の相手で、それどころじゃありませんでしたから」
飛鳥を薄情者、とは言えないだろう。執務室でのやり取りを見ていれば、それも無理もないというものだ。
「でも叔母様なら顔ぐらい見せるだろうし、確かに不思議よね。何だか嫌な予感もするけど……」
さつきの一言に、さゆりを除く全員が頷く。
「連盟のど真ん中で、そんなこと言っていいんですか……」
だからさゆりは、呆れることしかできなかった。




