17・大国の亡霊
――西暦2098年2月12日(水)AM10:32 鶴岡八幡宮――
前日の放課後に行われたアクセルと彰の模擬戦は、彰の圧勝で終了した。骨折した右足を狙うアクセルをあしらいながら、正面から打ち破った彰だが、残念ながらアクセルは敗北を認めなかった。そのため母であるイーリスによって、今は鶴岡八幡宮に軟禁されていた。
もし脱走したりすれば犯罪者と同じ扱いになり、抵抗すれば命を奪われることもやむなしと世界刻印術総会談で定められているのだが、まさか自分の息子がそんなことになるとは思ってもいなかった。
だからアクセルにはしっかりと言い聞かせてはいるのだが、おそらく本人の耳には届いていないだろう。それどころか脱走を企んでいる様子が見受けられる以上、腕の一本は無くしても、命が助かればいいと思わなくもない。既にイーリスの名義で、アクセルが脱走した場合は世界刻印術総会談で定められた通りの対処をして構わないと通達しているが、できれば命だけは助けてやってほしいと添えてしまったことも、母親としては当然のことだろう。
それが悪かったのかはわからないし、本人に尋ねることもできない。アクセルは脱走し、行方をくらませてしまったのだから。
「アクセル・ローゼンフェルトの行方は不明ですが、脱走には外部からの手引きがあったようです。おそらくアクセルは、手引きした者の手に身柄を抑えられていると見て間違いないでしょう」
雅人の報告を聞いたイーリスは、すぐにでも動きたい気持ちを抑えることに必死だった。
「……わかりました。息子がご迷惑をおかけして申し訳ありません。できれば命ばかりは助けてやってほしいですが、難しいようでしたらアクセルの命は二の次で構いません」
父親のエアハルトが絞り出すような声でそう告げるが、気落ちしていることは誰の目にも明らかだった。
「落ち着いて、イーリス。アクセルがどこに行ったかは私達も探すから」
「そうよ。だから元気出して」
「ええ……ありがとう、菜穂、ニア……」
親友でもある菜穂とニアがイーリスを慰めているが、アクセルがいなくなってしまった母の心情は察して余りある。
「だがイーリスとエアハルトには悪いが、アクセルの身の安全を最優先にはできんぞ。我々が日本に来たのはアゾットの被害を食い止めるためなのだからな」
七師皇の長でもあるアサドがそう告げるが、アサドとしても本心ではアクセルを救出するべきだと思っている。アクセルを見捨ててしまえば、必ずドイツが騒ぐ。事が解決したとしてもそれは必ず大きな問題となり、ドイツが何らかの行動を起こす可能性は否定できず、別の意味で世界の平穏を乱されることになってしまう。
「そう考えると、やはり犯人はアイザックだろうな。さすがに最初からアクセルを取り込む、あるいは人質にしようとは考えていなかっただろうが、七師皇に三剣士、いや、今は五剣士か。それが全員日本に来たことは想定外だったということだろう」
「だろうな。しかもイーリスはアゾットのラピス・ウィルスを無効化とまではいかなくとも、症状を緩和させることに成功している。これはアイザックにしてもアゾットの生成者でもあるラヴァーナにしても、おそらくは予想外の事だったという証拠だろう」
「そのことですが、USKIAの軍を動かします。これはUSKIAの責任でもありますから、動かした軍をアクセル君の捜索に当てるよう本国からも正式に許可をいただいています」
一斗とルドラのセリフにアルフが続いた。
日本の久世雅人、フランスのミシェル・エクレール、そしてオーストラリアのアーサー・ダグラスの三人を刻印三剣士と呼ぶが、新たに中華連合の王星龍、USKIAのアルフレッド・ラヴレスの二人を加え、刻印五剣士にすることが先日行った七師皇会談で決まり、星龍とアルフも七師皇会談に正式に参加することになった。しかも今は七師皇、刻印五剣士の全員が来日しているため、鶴岡八幡宮で直接会談を行っている。
その席でアルフは、すぐにUSKIA本国に連絡を取り、アイザックやラヴァーナをこれ以上東進させないために待機しているUSKIA軍の一部を動かすことを伝えた。
「それはありがたいが……うちの息子のために軍を動かしてもいいのか?」
「七師皇の方々も仰っていましたが、これは大きな禍根を残す可能性が非常に高い。その引き金を引いたのは間違いなくUSKIAですから、アクセル君の身に何かあればUSKIAとしても面目が潰れることになりますし、ドイツとの関係も間違いなく悪化します。いえ、ドイツだけではありませんね。日本との関係も悪くなるでしょう。最悪の場合、USKIAが孤立する可能性も否定できません」
「確かに今回の件は、元を辿ればアイザックの暴走にある。アイザックが日本と中華連合の過激派に武器を提供し戦争を誘発、フランスでは神器推奨派に働きかけてダインスレイフによる悲劇を起こし、刻印術総会談では禁止されている刻印後刻術まで使用している。USKIAが知らぬ存ぜぬで押し通そうと、もはやどうしようもない事態だ」
「その上で新たな神器生成者をかどわかし、再び日本で暗躍をしているのだから、確かにここで動かなければ世界中から信頼を失うことになるな」
懸念事項がないわけではないが、いくら昔世界の警察を自認していた大国であっても、全ての国を敵に回してしまえば国として存続することはできなくなるだろう。USKIAはまだ核兵器を保有していると言われているが、第三次大戦中に刻印術によって無力化させられているため、戦前と比べれば保有のアドバンテージは低くなっている。しかも使ってしまえば、確実に全ての刻印神器生成者が敵に回ることになる。核を上回る威力を誇る戦略級術式を使われてしまえば、防ぐ間もなく全てが終わる可能性が高い以上、USKIAの発言力低下は免れず、さらにアイザック・ウィリアムといった国賊の所業によってかつての大国の威厳はほとんど失せてしまうという結果をもたらしていた。
まだ非公式ではあるが、アルフレッド・ラヴレスが刻印五剣士という、七師皇に次ぐ称号を得ることは、失墜した威厳や信頼の回復にも大いに役立つだろうというのが、USKIA首脳陣の共通認識となっている。
つまりここで下手なことをする余裕がないということを、七師皇は知っていることになる。
「そういうことなら是非お願いするわ」
息子のことが心配とはいえ、見返りについては言及しないイーリス。しかしアルフとしても見返りを求めているわけではない。しいて言えば、ここで動けば信頼の回復につながることが見返りになるだろうか。
「了解です。すぐに本国に伝え、派遣された者を動かしてもらいます」
まだ海軍中尉でしかないアルフに、全軍へ指示を与える権利はない。刻印五剣士といえども階級には逆らうことができないのだ。ある程度の自由と発言権はあるが、それも限度がある。
「ではアクセルの件はUSKIA軍に任せるが、アイザックとラヴァーナはそういうわけにはいかん。USKIAとしては自分達で処理したいだろうが、ここまで問題が大きくなってしまった以上、内々に処理されて真相を闇に葬られることだけは阻止したい」
「同感ですな。我が中華連合としてもフランスとしても、そして日本としても、アイザックの身柄は絶対に抑えたい。抑えられなくとも我々の手で始末をつける必要がある」
「ですね。それにしても、今までの事件にアイザックが絡んでいたことを、よくつき止めることができましたね」
「正確にはつき止めたのではなく、USKIAからのリークがあったのだ。そうだな、アルフ?」
「はい。アイザック配下のインセクターが数名、本国で暗躍していたのです。それを捕らえ尋問した結果、アイザックに協力していた軍需産業が浮上してきました。その軍需産業を調査し、資料を押収した結果、中華連合と日本軍に武器を横流ししていた書類が発見されたのです。日付も神槍事件より前でしたから、アイザックの関与は確定したと言ってもいいでしょう。また神槍事件直後からですが、フランス軍にも武器が渡っていることも発覚しました」
アイザックはとある軍需産業と癒着し、私腹を肥やしていた。このことはかつての世界刻印術総会談でも指摘されていたことで、アイザックの七師皇就任に最後まで影を落としていた。それでもアイザックが七師皇に就任できたのは、同国の七師皇ラルフ・ラヴレスが暗殺されたことを公にしたくないUSKIAの意向があったからだ。
本来七師皇や世界刻印術総会談には各国の意向は反映されないが、アイザックはそのために各国に武器をばら撒き、国際情勢を不安定化させることで、USKIAどころか七師皇を有している国々すらも味方につけ、なし崩し的に就任することになった。もちろん実力はあるのだが、実力だけで七師皇に選ばれることはないため、アイザックの七師皇就任は本当に異例のことだった。
しかも七師皇就任したアイザックは、条件とされていた軍需産業との関係をその後も続け、USKIAの利益になることだけに総会談を利用していたため、不利益になりかねない刻印三剣士の称号にもただ一人反対意見を貫いた。本人としては今もその称号は認めていない。
他にもあるが、その結果昨年の総会談を待たずして七師皇から満場一致で解任され、さらに刻印後刻術というISC憲章においても総会談においても禁止されている禁断の術式を使用したことが発覚したため、降格と謹慎処分を受け、USKIA本国にある自宅で軟禁されることになっていた。
しかしアイザックは戦前の覇権国家でもあった母国の現状を認めることができず、直属の配下でもある特殊部隊インセクターに命じて各国の情勢を探らせ、さらに降格されたとはいえ未だ軍内部に大きな影響力を持っていることもあり、このパイプを使うことで新たな魔剣の情報を入手することに成功した。
そして監視の目を欺き脱走し、グアム沖で待機していたインセクターの母艦と合流し、インドで凶行を繰り返しているラヴァーナとの接触に成功し、取引によって日本に復讐するための戦力として迎え入れ、そして日本に上陸して行動を開始した。
さすがに七師皇に三剣士が揃ってしまった現状は予想外だったが、監視を続けた結果、イーリスの息子が両親に反発し、さらに意固地になりつつあることを掴んだアイザックが一計を案じ、インセクターに軟禁されている鶴岡八幡宮からの救出を命じた。
以上がアルフが提供したアイザックの情報と七師皇達が知っている事実をまとめ、そこから推測したアイザックの動きだが、ほとんどその通りだ。これはアイザックの行動が単純なのではなく、これ以外の行動が考えられないからでもある。つまりそれほどアイザックは追い詰められていることになる。
「アルフ君、私としても皆さんに手を貸していただいている以上、何もしないわけにはいかない。数名ではあるがアクセル君捜索のための人員を派遣する。人選はこれから行うことになるが、USKIA軍の足を引っ張らない者を派遣することを約束しよう」
一斗としても自国の不祥事でもあるため、人員を派遣しないということは考えられない。だが飛鳥と真桜はもちろん、久美や雪乃はアイザックの標的でもあるため、動かすことはできない。敦とさゆりはラピス・ウィルスの影響で重体となり、入院中だ。卓也と準一は教師だから物理的に動けない。雅人とさつきは飛鳥と真桜に盾としての忠誠を誓っているため、ほぼ間違いなく拒否する。となると四刃王か三華星、あるいはそれらに匹敵する実力者となるのだが、軍や警察といった国家機関に所属している者もいるため、こちらも簡単ではない。
一斗としては頭が痛くなるが、だからといってやらないわけにもいかない。ドイツとの関係がどうなるかという問題でもあるし、何よりイーリスは菜穂の親友でもあるのだから、個人的にもこの問題を放置することは考えていなかった。




