13・光の加護
――PM21:02 源神社 鍛錬場――
夜になり、イーリス、エアハルト、サクールの三人が源神社にやってきた。敦とさゆりは、三人のヒーリング・ルームを刻印化させたICUに入ることでなんとか一命を取り止めたが、まだ意識が戻っていない。美花も病室にヒーリング・ルームを刻印化してもらった結果、結界内限定ではあるが症状が改善されたため、久しぶりに食事を取ったと教えてもらった。
まだ予断は許さないが、完治させるためには魔剣アゾットを消滅させるしかないと予想されるため、雅人、さつきも交えて源神社で情報交換が行われていた。
「なるほど、そういうことか」
「オウカがジャンヌさんに影響されたのはわかるけど、まさか瞬矢君が、クリスさんに影響されてたなんて……」
飛鳥と真桜はブリューナクを生成している。理由は魔剣アゾット、そして瞬矢とオウカの生成に影響を与えた魔剣ダインスレイフについて聞くためだ。
オウカの右手の刻印は、ジャンヌ・シュヴァルベから継承したものであり、ジャンヌは魔剣ダインスレイフの生成者でもある。だからオウカが影響を受けた理由はわからなくもない。だが瞬矢は、ジャンヌと面識はあるものの、影響を受ける程親しかったわけでもない。むしろジャンヌを尊敬している京介の方が親しいと言える。
その瞬矢がジャンヌの双子の弟にして、ダインスレイフのもう一人の生成者であるクリストフ・シュヴァルベの影響を受けていた理由は、オウカの想い人であり、瞬矢が想いを受け入れるのも時間の問題だったことが大きい。
「まさか瞬矢がオウカと……」
だが飛鳥にとっては、凄まじく複雑だ。オウカと同じクラスということもあり、瞬矢とオウカが親しいことは知っていたが、まさかオウカが瞬矢のことを好きだったなど、微塵も思っていなかった。まだ付き合っているわけではないが、話を聞いた飛鳥は何と言っていいのかわからないといった表情をしていた。立派な兄馬鹿である。
「あんたの気持ちもわからないでもないけど、今はそれどころじゃないでしょ」
「さつき先輩の言う通りね。というか、真桜がオッケーだしてるんだから、何も問題ないと思うわよ」
さつきと久美からすれば、フォローのしようがない。オウカはしょっちゅう瞬矢にくっついていたのだから、気付くのが普通だ。聞けばロシアではそれが普通だと思っていたとのことだから、何と言っていいのかわからない。
「それはともかくとして、さすがは刻印神器ってとこね。ブリューナクを見たのも初めてだけど」
あまり面識のないイーリスも、飛鳥が三剣士並みに鈍いことは知っている。もっと掘り下げたい話題ではあるが、さすがにそれどころではないし、目の前で神槍ブリューナクが生成されているし、アゾットへの対策を取ることが第一の目的だ。
「あんまり生成しませんから。それより大丈夫、瞬矢君?」
「……」
真桜に声を掛けられた瞬矢は、絶句して腰を抜かしていた。
この場に呼ばれたのは、先程自分が生成した翼状の刻印法具のことがあるからだと思っていたが、ドイツの七師皇をはじめとして、著名な生成者が次々とやってきて、さらには先輩方がブリューナクまで生成してしまったわけだから、驚く以外瞬矢にできることはない。
「完全に腰を抜かしてるな。だらしのない」
「無茶苦茶言うわね。私は瞬矢君の気持ち、よくわかるわよ」
「私もよ」
久美と雪乃が呆れているが、二人も瞬矢の気持ちはよくわかる。神槍事件の際、初めてブリューナクを見た時は何が起きたのかわからなかった。現在の刻印神器の評価は、ブリューナクの神話級術式バロールによるところも大きいため、瞬矢でなくとも驚く。しかも他の方々と違い、瞬矢は飛鳥と真桜が生成者だとは知らなかったのだから、立ったまま腰を抜かしてしまうのも当然だ。
「私もだ。まさか、こんな形で刻印神器を見ることになるとは思わなかったな」
「私もですよ。師父から聞かされてはいましたが、本当に彼等が……」
イーリスの夫でありドイツ最上位の医療術師であるエアハルト、エジプトのライブラリアンでありアサドの弟子でもあるサクールは、飛鳥と真桜がブリューナクの生成者であることを聞かされていた。だがこのタイミングで見ることができるとは思っていなかったため、やはり驚きは禁じ得ない。
「エアハルトさんやサクールさんはともかく、瞬矢には教えるつもりはなかったんですが……」
「事情が事情ですから、仕方ないでしょうね」
「そうね。ジャンヌとクリスに影響されたなら、先のことを考える必要もあるわ」
フランスの生成者だったジャンヌとクリスは、二心融合術を発動させることで魔剣ダインスレイフを生成した。だが実の双子の姉弟で愛し合っていた背徳感と罪悪感からダインスレイフに付け込まれ、クリスは命を落とし、ジャンヌはその身を奪われた。
ブリューナクによってダインスレイフは消滅したが、そのダインスレイフを生成していたジャンヌの刻印法具クリエイター・デ・オールは、オウカに継承されている。さすがに二心融合術が使えるとは思わないが、それでも放置しておいていい問題ではない。
「ええ。瞬矢、オウカ。生成してみてくれ」
「え?あ、は、はいっ!」
「わかりました」
まだショックから立ち直っているわけではないが、自分が呼ばれた理由が生成したことなのだから、戸惑いながらも瞬矢は先程生成した翼状の刻印法具を生成し、オウカも続いた。
瞬矢の翼状装飾型が“ウイング・ナイツ”、オウカの翼状装飾型が“ジェラーニェ・クルィーロ”という名称だ。ちなみにジェラーニェ・クルィーロは、ロシア語で“希望の翼”を意味する。
「へえ。二人とも翼なのね。あら?瞬矢君の法具、左右で色が違うわね」
「そういえば、右が紅くて左が黒いわね」
「オウカのは白くて綺麗なのに」
オウカのジェラーニェ・クルィーロは純白の美しい翼だが、瞬矢の翼は同じ鳥の翼状であっても右が深紅、左が漆黒となっている。翼状刻印法具の生成者はそれなりの数がいるが、左右の色が違う翼の生成者は聞いたことがない。
ちなみに元日本刻印術連盟代表 香川保奈美は、揚羽蝶の羽を生成する。
「さつきちゃん、雪乃ちゃん、どう思う?」
「そうだと思います」
「というか、それしか考えられないでしょう」
「またなのね。確かクリスって、複数属性特化型だったわよね?」
瞬矢の生成したウイング・ナイツは、複数属性特化の装飾型だった。ジャンヌの双子の弟クリスは複数属性特化型の生成者だから、瞬矢が複数属性特化型を生成したのはクリスの影響だろう。
「そう言われてますが、俺達も詳しくはないんですよ」
「ミシェル君が来たら、聞いてみた方がいいわね」
修学旅行でフランスに行き、そこでジャンヌと出会った飛鳥達だが、その時クリスは既に命を落としていたため、直接会ってはいない。だからクリスが生成する刻印法具が複数属性特化型だということは知っているが、形状までは知らない。
「ということは瞬矢君の刻印法具って、複数属性特化型なんですか?」
「そうなるでしょうね。翼の色から判断すると、火と闇の複数属性特化型かしらね」
「ふ、複数属性特化型!?僕が!?」
刻印法具を生成したこともだが、まさかそれが複数属性特化型だったとは、瞬矢は微塵も思っていなかった。
瞬矢も、翼状の複数属性特化型生成者が存在しないことは知っている。それ以前に複数属性特化型生成者は、世界でも数少ない。日本には五人もいるが、複数属性特化型の生成者は世界でも十人程度と言われいるから、いかに少ないかがわかるだろう。しかも全員が、高名な生成者だ。
「驚く気持ちはわからないでもないけど、クリストフ・シュヴァルベの影響を受けたということなら、わからない話でもないわね」
「そうだな。呪われた魔剣だったとはいえ、伊達に刻印神器ではなかったということだろう」
ブリューナクの影響を受けて複数属性特化型を生成した雅人とさつきも、瞬矢の気持ちはよくわかる。さつきは戦闘中に生成し、さらにその後入院してしまったこともあって生成直後に驚いた覚えはないが、雅人はしっかり覚えている。
飛鳥の母と真桜の父が過激派のテロで亡くなった直後、雅人は自分への怒りで火と水の複数属性特化武装型刻印法具 氷焔之太刀を生成した。事件当時、雅人が生成できていた所で状況が変わらなかったことは間違いないが、それでも自分が複数属性特化型という最上位の刻印法具を生成してしまったことは、雅人にとって大きな皮肉だった。
以来雅人は氷焔之太刀を使いこなすため、鍛錬を欠かしたことはない。剣術は一斗から学んでいたが、それだけでは足りないと元四刃王の龍堂貢にも師事し、その結果、刻印三剣士の一人として七師皇から選出された。
もっとも、雅人にとって刻印三剣士の称号は、飛鳥と真桜を守るための手段の一つでしかない。三剣士は七師皇に最も近いと言われてはいるが、雅人は七師皇になるつもりはない。世界最強であり、刻印術師の頂点でもある七師皇の称号は、飛鳥にこそ相応しい。雅人の偽りない本心だ。
「そ、そうなんですか?」
瞬矢もジャンヌと面識はあるし、ジャンヌとクリスがダインスレイフの生成者だということは知っている。だからジャンヌの刻印を継承したオウカが影響を受けたことは理解できるが、自分がジャンヌの双子の弟に影響を受けているとは思ってもいなかった。
ブリューナクが雅人、さつき、敦、さゆり、久美、そして雪乃の生成を促していたことも驚きだが、まさかダインスレイフまでもが生成を促していたとは、予想できるはずもない。
「それはそうでしょう。噂は聞いていましたが、僕も信じられないですからね」
サクールがブリューナクの生成者が誰かを知ったのは、セキュリティ強化をアサドに依頼された際の七師皇会談だった。アサドがセキュリティ強化を依頼する生成者はサクールしかいないのだが、七師皇会談は独立したセキュリティ回線を使用しているため、それまでは参加する必要もなかった。サクールが参加を依頼された理由は、アサドが後継者として育てているという理由が大きい。もっとも七師皇の後継者としては三剣士の方が有力なため、エジプト代表としての意味が強いが。
「というか、なし崩し的にブリューナクの生成者が誰か知られていくわね。これって大丈夫なんですか?」
久美の疑問は、この場の全員が頭に思い浮かべていた。
飛鳥と真桜がブリューナクの生成者であることは、二人の結婚と同時に公表されることになっている。そのため対外的には、ブリューナクの生成者は不明のままだ。もちろん各国上層部は把握しているし、薄々勘付いている者がいることも予想している。前者は迂闊に公表すれば、日本刻印術連盟や七師皇の顔に泥を塗ることになるし、対応いかんによっては戦争に発展する可能性もあるため、心配する必要はほとんどない。
だが後者は難しい。勘付いている者が誰なのかも何人いるのかもわからないし、ジャンヌとクリスがダインスレイフの生成者だと断じたアングラ・サイトのような匿名掲示板もある。特に匿名掲示板は、昔から多くの問題を起こしては消え、消えては立ち上がりを繰り返しているため、完全に規制することは不可能だ。
「大丈夫じゃないけど、アゾットのことがあるから場合によっては仕方ない、って一斗が言ってたわよ」
「まあ確かに、明確に俺達を狙ってきてて、しかも生成者と刻印神器の意見が一致してるわけだから、俺達も余裕はないか」
「そうだよね……」
飛鳥と真桜がブリューナクの生成者だということは、一部の者しか知らない。公表されていない理由はいくつかあるが、二人がまだ高校生だということも大きな理由だ。だから結婚と同時に公表することになっているが、今回の件はそんなことを言ってられない問題を内包している。
「ところでイーリスさん、二人の容態はどうなんですか?」
そちらも気にはなるが、すぐにどうなる問題でもないだろう。喫緊の問題としてはアゾットによって生み出されたラピス・ウィルスだ。多くの人は小康状態だが、敦とさゆりは直接アゾットと戦闘したことによって、今も生死の境をさまよっている。このタイミングでイーリス、エアハルト、サクールが日本に来たのは偶然だが、三人が来日してくれたおかげで敦とさゆりが一命を取り止めたのは間違いないが、いつ容態が急変してもおかしくはない。
久美にとっても二人は親友だし、さゆりにいたっては義妹(予定は未定)だから、容態がどうなのか気になって仕方がない。
「何とも言えないわね。ただ間違いないのは、アゾットが存在している限り、完治することはないわ」
「そ、そんなっ!」
声を落として答えたイーリスに、真桜が声を上げた。だがイーリスの推測は正しい。刻印神器 魔剣アゾット最大の能力はラピス・ウィルスを任意に生み出す能力であり、この能力を使うことで生成者のラヴァーナはインドの町を三つ壊滅に追いやった。救いがあるとすれば、今回のことはラヴァーナにとっても想定外の事態が重なったことだろう。
敦とさゆりが感染してしまったことから、ラヴァーナはラピス・ウィルスをばら撒いていたことは確実だ。だがラピス・ウィルスは、光属性の刻印術に対して弱いという欠点がある。もちろん普通の光属性術式なら効果は薄いが、一流の生成者が使うそれならば、ほとんどのウィルスを除去することができる。事実、イーリス達が用意した光性結界の中では、ラピス・ウィルスは確認されていない。
ラヴァーナ最大の誤算は、ラピス・ウィルスを発生させた場所が、飛鳥のネプチューンと真桜のヴィーナスによる積層結界の中だったことだ。
ネプチューンは水、ヴィーナスは風の惑星型A級術式であり、水と風を重ねることで光属性の効果を生み出すことができる。さらに飛鳥と真桜は、光属性にも高い適性を持っているため、下手な術師が使う光属性の結界よりも強い。敦とさゆりが一命を取り止めたのも、この積層結界内にいたことが大きい。二人だけが感染してしまった理由は、光属性の適性が低かったためだ。
ちなみに雪乃は水と光の複数属性特化型ワイズ・オペレーターを生成し、かつ自身の体表に沿ってエアマリン・プロフェシーを展開していたためラピス・ウィルスそのものに付け入る隙を与えておらず、大河と下級生達はそのエアマリン・プロフェシーによって守られていた。久美の場合は生成するクリスタル・ミラーが、光を収束する特性を発揮してくれたため、何とか凌ぐことができていた。クリスタル・ミラーは水属性の刻印法具であり、複数属性特化型ではない。だが刻印法具が持つ特殊能力は、複数属性特化型ではなくとも、ある程度ならば強度を高めることができる。
複数属性特化型は複数の属性を同じ強度で使うことが可能であり、さらに複数属性特化型がマルチ・コアなのに対し、単一属性型はシングル・コアなので、処理能力にはどうしても差が出てしまう。逆を言えば処理能力に目をつぶれば、単一属性型でもそれなりに術式強度を高めることができる。久美のクリスタル・ミラーは、その特性によって、久美を死のウィルスから守っていたということになる。
「ラピス・ウィルスを生み出したのがアゾットだから、基を絶たないといけないってことか……」
拳を握り締める飛鳥だが、希望がないわけではない。アゾットの存在を消滅させるためには、生成者であるラヴァーナの命を奪わなければならない。普通なら悩むところだが、ラヴァーナは罪のない人を多く殺めているため、呵責はほとんどない。
どこにいるのかがわからないが、記憶が確かならラヴァーナは誰かの依頼で動いていたようだった。ということは遠くないうちにまた自分達の前に現れるだろう。その時こそ必ず決着をつける。飛鳥はそう決意した。




