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刻印術師の高校生活  作者: 氷山 玲士
第七章 神器繚乱編

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8・沈静化に向けて

――西暦2098年1月28日(火)AM8:18 明星高校 2年2組教室――

「飛鳥君!これはどういうことなの!?」

「ど、どうしたんですか、いったい!?」


 いつものように登校して教室に入ると、いきなり雪乃に詰め寄られた。見るからに怒っているが、飛鳥には何のことだかさっぱり見当がつかない。


「どうしたもなにも、なんで私が赤ちゃんを産むことになってるの!?」


 だが雪乃の一言で、飛鳥だけではなく真桜も全てを理解した。


「あの馬鹿……!」

「やっちゃったんだ……」

「ひとまず落ち着いてください、先輩。今説明しますから」


 怒る雪乃を何とか宥めつつ、飛鳥は昨日何があったかを説明した。その途中で敦、さゆり、久美も登校してきたのだが、今まで見たこともない程怒っている雪乃に、さすがの三人も怖気づいていたが。


「……つまり伊東君が、昨日の話を聞いて、勘違いしちゃったってことなのね?」

「要約すると、そうなりますね」


 何とか説明し終えた飛鳥だが、それでもまだ怒りが収まらない雪乃に若干腰が引けている。


「そうなの。伊東君がこの噂を流したのね……」


 フフフ、という笑い声が聞こえてきた気がする。はっきり言ってヤバい。2年生の生成者達の脳内に、かなりのレベルの警報が鳴り響いている。クラスメイト達も、初めて見る雪乃の姿に戦慄しているのか、誰も近寄ってこない。大河とかすみでさえ、遠巻きに見てるだけだ。


「せ、先輩?」

「飛鳥……なんか雪乃先輩、すっごく怖いんだけど……」

「確か伊東君って、5組だったわよね?」

「……それを知って、どうするんですか?」

「フフフ、どうしようかしら」


 教室内の温度が下がってきている。比喩ではなく物理的に、おそらく3度は下がっている。原因は雪乃から漏れている殺気だ。

 雪乃が殺気を露わにしたことがないわけではないが、それでも2年生生成者に比べれば遥かに少ない。しかも水属性に適性を持つ雪乃が、意図的に周囲の温度を下げているらしいからたまったものではない。


「おはようございます、三条先輩!お呼びですか?」


 そんな空気の漂う教室に、噂の連絡委員長が喜び勇んでやってきた。


「誰も呼んでねえよ!」

「あの馬鹿、なんてタイミングの悪い……」

「私が呼んだの。詳しく聞かせてもらおうと思って」

「まさか、キャンドル・リーフを……」

「視認できない位置に発動させるなんて……」


 雪乃が刻印法具を生成した気配はなかった。正確には温度を下げることで周囲の意識をそちらに向けている間にオラクル・タブレットを生成しており、壮一郎の教室にキャンドル・リーフを発動させていたのだが、探索系に適性を持つ飛鳥やさゆりでさえ気づけなかったのだから、雪乃の怒りがどれほどのものかは推して知るべしだ。

 キャンドル・リーフは探索系刻印術式であり、刻印術式は設置術式とも呼ばれている。その名の通り場に設置することで効果を発揮する術式だが、設置するには場所を決めなければ効果は薄い。どこに設置するかで効果が変わることが珍しくないのだから、これは当然のことだ。

 だが雪乃は、壮一郎の教室を視認することなくキャンドル・リーフを設置し、壮一郎を呼びつけた。どのクラスの教室も代り映えしないとはいえ、そんなことは飛鳥にもさゆりにもできないし、それ以前に聞いたこともない。二人が驚くのも当然だ。


「それじゃ伊東君、六文銭は持ってるかしら?」

「ろく、六文銭?」

「三途の川の渡し賃じゃない。もしかして、持ってないの?」

「えっと……三条先輩?」


 雪乃に呼びつけられた壮一郎だが、ここにきてようやく場の雰囲気を察したらしい。とてもとても嫌な予感がする。というか六文銭という不吉な単語を、よりにもよって雪乃の口から聞くことになるとは夢にも思わなかった。


「伊東!早く逃げろ!って、エアマリン・プロフェシー!?」


 それは飛鳥も全く同感だ。このままでは壮一郎の身が危険だと感じたのだが、エアマリン・プロフェシーを発動させられてしまっては、どうにもならない。こんな所でS級術式など使われるとは、想定外にも程があるが。


「お、落ち着いてください、先輩!」

「落ち着いてるわよ。だってこれを使わないと、伊東君に逃げられちゃうじゃない」

「伊東!いいから謝れ!本気で、全力で、心から!!」

「すすす、すいませんでしたぁっ!!」


 足を揃えて床につけ、両手を頭の前に突き出し、地に頭を擦り付けるその姿は、日本伝統の謝罪方法だ。周囲の目があろうと、自分が連絡委員長という立場だろうと、そんなものは何の役にも立たないのだから、土下座した壮一郎の判断は正しい。そんなことを考える余裕など、どこにもないわけだが。


「なら伊東君が流した間違った噂、ちゃんと直してくれるわよね?」

「もちろんですっ!一命に代えましても!」


 壮一郎はまだ何のことか理解できていない。だがここで逆らうような命知らずでもない。言葉通り命を懸けて噂とやらを正す心構えはできている。そうしなければ本当に自分の命がないことを、本能的に悟っているのだろう。


「2年2組、三上飛鳥!すぐに職員室に来い!繰り返す!三上飛鳥!!」


 直後、校内放送で卓也の怒声が響き渡った。


「おおう、名村先生もお冠だ……」

「伊東、あとで覚えとけよ……」


 卓也から呼び出しを受けた飛鳥にとっては、とんだとばっちりだ。後で必ず何か奢らせることを誓った飛鳥は、重い足取りで職員室に向かった。


――PM15:47 明星高校 風紀委員会室――

「今朝はごめんなさいね、飛鳥君」


 放課後、例の噂は壮一郎の尽力によって沈静化しており、同時に怒りも収まってきたため、雪乃は謝罪のために風紀委員会室を訪れていた。


「いえ、全て伊東が悪いですから」

「だけど、名村先生に呼び出されたんでしょう?」

「そっちも大丈夫です。事情を説明したら、理解してくれましたから」

「それもそれですごい話だけどな」


 朝っぱらから担任に呼び出された飛鳥は、学年主任の先生までも交えてすごく怒られた。しっかりと事情を説明した結果、校長も納得してくれはしたが、わざわざ校長室で説教をしなくてもいいと思うが、暴発したのがオラクル・ヴァルキリーなのだから、先生方からしても大問題だったということだろう。


「お邪魔するよ」

「小野田君。檜山君と西原さんも。どうかしたの?」


 そこに連絡委員会の副委員長、運動部長、文化部長がやってきた。


「あ、三条先輩。うちの伊東が、大変なご迷惑をおかけしました」

「私こそ、今朝はやりすぎちゃってごめんなさい」

「誰がどうみても伊東が悪いんですから、それは当然です」

「そうですよ。本当にすいませんでした」


 委員長の尻拭いのため、三人も駆けずり回っていたのだが、雪乃と直接会う機会がなかったため、今の今まで直接謝罪することができなかった。だからこのタイミングで頭を下げたわけだが、雪乃もやり過ぎたと感じているし、何より三人には関係のないことでもある。


「お前らが謝ることじゃないだろ。っていうか、伊東はどうしたんだよ?」

「謹慎くらったよ」

「……」

「といっても、一日だけだけどね」


 騒動の元凶ということで、壮一郎は卓也から謹慎処分を受けた。本当なら今日と明日の二日だったのだが、噂を沈静化させなければ自分の命が危ないと卓也に直訴した結果、今日も謹慎扱いになってはいるが、動くことは認めさせることができた。それでも放課後は無理だったので、連絡委員会幹部の三人が巻き込まれてしまったというわけだ。


「それでも大問題じゃない」

「連絡委員会としても、前代未聞じゃないの?」

「悲しいかな、停学くらった委員長もいたらしいから、あんまり問題になってない」


 血の気の多い連絡委員をまとめる委員長も、血の気の多い生徒が多い。連絡委員長は運動部と文化部から交互に選出されることになってはいるが、掛け持ちする生徒も少なくはないし、何より連絡委員長は前任の指名によって決まることが多いという背景もあるため、何年かに一人は停学・謹慎処分を受ける生徒が出てくる。


「それに三条先輩のファンって、連絡委員会には多いのよ。昨日なんて大変だったわ」

「そういや公言してる奴って、連絡委員会が多かったな」


 この時期は公式試合はないが、春先の大会に向けて練習試合は多い。そのためグランドや刻練館の使用スケジュールが変わることも珍しくないため、連絡委員会は荒れることが多い。

 だが昨日に限っては、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの勢いだった。


「なんか雪乃先輩のファン・クラブみたいだね」

「ファン・クラブって……」

「あながち間違いでもないのがな……」

「委員長からして、あれだもんね……」

「とりあえず討論会の手伝いは、松本と航に決定だな」

「他の人は、一切の手伝いを禁じた上でね」


 雪乃に惚れている生徒は、特に連絡委員会に多い。そのため先日の図書館で起きたような騒動も、何度か起きていた。そのため生徒会でも、誰が雪乃の手伝いをするかは問題視しており、近日中に決定する予定まである。その前に連絡委員長による不祥事が起きてしまったのだから、対応が遅れた感は否めない。

 飛鳥が呆れながら手伝いを決定し、朱里が賛同するのも当然だろう。


「ぜひそうしてくれ。俺達も協力する」


 茂としても連絡委員会の不祥事なので、風紀委員会に手を貸すことはやぶさかではない。というより、積極的に協力する心構えだ。


「それで先輩、お母さんは大丈夫なんですか?」


 雪乃の母が出産間近だということを、朱里は昨日まで知らなかったが、知ってしまった今ではとても気になる。


「ええ、大丈夫よ。2,3日で産まれるみたいだから……あっと、ごめんなさい。もしもし、翠?どうかしたの?え?産まれそう!?」

「言ったそばからか」

「わかった、すぐに行くわ。お父さんにも連絡しといて。大丈夫、必要な物は用意しておくから。それじゃ、お母さんをよろしくね」


 さすがに昨日の今日で生まれるとは思わなかったが、昨日病院に行った際、産科医から遅くとも一週間以内には生まれると言われていたから、雪乃はそれなりに心構えができていた。同時に昨日家に帰ろうとしていた母を入院させておいて良かったと、心から思う。


「話の途中でごめんなさい」

「気にしないでください」

「そうですよ。それより、急いだ方がいいですよ」

「ありがとう。小野田君、檜山君、西原さん、今日は本当にごめんなさい。それじゃあ」


 またしても話の途中だったが、連絡委員会の三人も事情は理解できるから怒るようなことはない。

 その三人に軽く頭を下げると、雪乃は急いで風紀委員会室を出て行った。


「本当に大変なんだな」

「というか伊東君、今の会話で勘違いしたわけ?」

「まさしくな」

「とりあえず、田中に事の顛末を報告しといた方がいいだろう。ちょっと生徒会室に行ってくる」

「ああ、俺も行く。俺の後釜っていう貧乏くじを引いたわけだから、少しはフォローしといてやらないと寝覚めが悪い」


 敦が風紀委員会に引き抜かれてしまったため、壮一郎が連絡委員長に就任したという裏事情がある。そのため敦は、多少ではあるが壮一郎にすまないと思っているのだが、ここまでやらかすとは思っていなかった。手遅れだということは理解できているが、それでも自分の後釜なので、出来る限りのフォローは入れておきたいようだ。

 その敦は飛鳥と連れ立って、生徒会室に向かった。


「フォローもなにも、もう手遅れだと思うけどね」

「いろんな意味でね。トドメ刺して楽にしてあげた方がいいのかな?」


 風紀委員会にとっても、雪乃とアーサーの関係は非常に興味がある。だがさすがに雪乃のプライベートなことでもあるので、周囲に吹聴して回ることも躊躇われる。

 討論会のために来日するアーサーだが、おそらくは関係に変化があることは間違いない。であるならば、校内に多数生息している三条雪乃ファンの連中に、早いうちにトドメを刺しておいた方が後々の問題が無くなるのではないかとも思える。雪乃が発動させたエアマリン・プロフェシーは、雅人でさえ容易に破ることができない強度と精度なのだから。


「何のことかわからんが、そうしてくれると俺達としても助かるぞ」


 連絡委員会の三人には何のことかわからない、いや、朱里だけは察しがついたようだが、雪乃ファンが大人しくなれば自分達としてもやりやすくなるだろうというのが、三人の一致した意見だった。


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